医療と性行為と女性 その⑤

 前回述べたように、往時のヨーロッパの医学評論家の多くは、自慰や同性愛に比べれば娼婦を買う方が危険が少ないと信じていました。でもそれはあくまで「比較すれば」であって、娼婦を買うこと――ひいてはおセッセそのものは、男性の精力を消費する危険な行為だとされていました。

 19世紀の買春問題の権威アクトンは、以下のように述べたのだそうです。

 女性は男性の精力が過度に消費されないよう、おセッセに無頓着に作られているから(誰に? 神に、でしょうね)、大抵の女性は自分の気持ちを抑えて夫の抱擁に身を任せる。しかしそれは、夫が自分を捨て娼婦の許に奔らないか不安だからに過ぎない。

 射精はたとえ繁殖のためでも何がしかの危険を伴い、最悪の射精は自慰である。生物としての男と女をコントロールする唯一の方法は、性エネルギーをできるだけ生殖という目的に向けるようにすることだ、と。いやあ、こういう方がエジプトの創世神話の一つ(創造の神アトゥムが、自慰によって他の神を生み出した)を知ったら、どういう反応をするんでしょうね! 

 またアクトンは、売春は不自然な結婚の慣習が生み出す――当時、男は妻を養うに足る金を稼ぐため、三十五ぐらいにならないと結婚できないことが多かった。当然、男たちがそれまで禁欲を貫けるはずもなく、売春は盛んになっていったと考えてもいました。


 本によると、アクトンは(当時にしては、ことでしょうが。……そうであってくれ!)娼婦に理解を示した研究者なのだそうです。彼は女性は神により男性を喜ばせるために作られた弱い性なので、女性には男性を拒めない「気弱な寛大さ」があると考えていたのだとか。なので、純潔を守る重荷を女性に負わせるのは自然の秩序に反することで、世間が誘惑した男には寛大で誘惑された女には冷淡なのが、アクトンには耐えられなかった。

 けれども現実はアクトンの理想とはかけ離れているから、たとえ性行為が危険だとしても、女性が他のあまりに魅力のない道を進むよりも、売春の道に進むことは仕方がない、としていたのだそうな。うーんこれ、まるで売春は女性にとって魅力的な生き方だと言っているようですね。まあアクトンは実際、大半の娼婦がおセッセの際に快楽を感じていないと知って非常に驚いたそうなので、こんな頭お花畑理論を展開できたのでしょう。

 またアクトンは、娼婦も他の女性とだいたい同じで、女性が娼婦になるのは性格に欠陥があるからではなく、男性を喜ばせたいという気持ちを生まれつき持っているからだと信じていたのだそうです。けれども男によって、女性が堕落させられることが多いのだと。またアクトンは一方で、ほとんどの女性にとって売春はほんのしばしの仕事で、大多数の娼婦は結局は結婚することになるのだと考えてもいたそうな。


 うーん、現代日本に生きる私は、アクトンのような優しさは要らないと思ってしまいましたね。「女性が娼婦になるのは、男性を喜ばせたいという気持ちを生まれつき持ってるから」って、なんじゃそりゃ。はっきり言って、気持ち悪い。気持ち悪すぎる。まあ、アクトンの周りにいた女性が、私みたいに男を立てようなんて一度も考えたことが無い可愛げのない女ではなく、男に尽くすことを喜びとするような女性たちだっただけかもしれませんが。

 そりゃね、それが好きな男性だったら、女性はできる限り相手を喜ばせようとするでしょうよ。でも大抵の女性は見ず知らずの男を、したくもないおセッセをしてまで喜ばせようとするほど、都合の良い優しさを備えてはいない。逆に自分たち男は無条件にそのような優しさを受け取るに値する存在なのだとアクトンが考えていたのだとしたら、己惚れるのも大概にしろよという話です。本当に気持ち悪い。

 当時の学者たちの多くは娼婦はどこか病んでいる(性欲過剰だったり、その逆だったり、倒錯者つまり同性愛者である)と考えていて、中には娼婦と犯罪者は同じで、売春とは女性型の犯罪であると主張する者もいたそうです。だからアクトンは「女性が娼婦になるのは、女性に問題があるからではない」と主張してくれただけ、「まだまし」だったのかもしれません。でもシンプルに気持ち悪いんだよなー。

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