アメリカ その②

 前回述べたように、十八世紀が進むにつれて当時のアメリカ人は娼婦を罰することに対して関心を示さなくなり、同時に経済的な余裕がある者が愛人をもつことも珍しいことではなくなりました。

 さて。ヨーロッパにはかつて、アメリカに行けば流石に性根を入れ変えるだろうと、娼婦をアメリカ送りにするという刑罰が存在しました。私が好きな小説「マノン・レスコー」でも、ヒロインである純真無垢で可憐な天使にして、金使いが荒くて厚顔無恥なアバズレたるマノンも、色々あってその刑に処されます。そして……続きが気になる人はぜひ読んでみてください。一人の人間が無垢な天使であり、面の皮が厚いアバズレであるなんて、そんなことあるわけないと思うでしょう? それが、あるんだなあ。

 「マノン・レスコー」はマノンによって破滅させられた、将来有望だった・・・青年の視点で語られます。で、青年の目を通すと、冷静になって考えればどうしようもない女でしかないマノンを、地上に舞い降りた天使のように感じてしまう瞬間が多々あるのです。一度こっぴどく裏切られた後でさえも。それが本当に恐ろしい。

 ……一方的な「マノン・レスコー」語りを始めてしまって申し訳ないです。とにかく、かつてのアメリカでは、ヨーロッパ人の娼婦が足りない場所では、ネイティブアメリカンや黒人の女性が、大抵は嫌々その役を務めたそうです。


 ヨーロッパの場合と違って、アメリカの売春の大半は、十八世紀末までは組織化されていませんでした。想像するに容易いことですが、こうしてできた売春宿は犯罪の温床で、客のものが取られたり、客がゆすりや暴行を受けたりといった光景は、決して珍しくなかったそうです。ただ、娼婦が犯罪の被害に遭っても(最悪命が奪われても)世間の目は冷ややかだったのですが。こういった野放しの状況は後に、こちらはヨーロッパの場合と同じく産業化と都市化による既存の秩序の崩壊によって変化していくことになります。

 ニューイングランドおよび中部大西洋岸諸州から始まったアメリカの産業革命。その結果できた織物工場の労働者の大くはうら若い未婚の女性で、彼女たちは半日以上働いてもなお、男性労働者に与えられる飢餓賃金(辛うじて生計を維持できる程度の給料)以下の額しか貰えませんでした。しかもニューイングランドの小さな町では、男性はフロンティアや大都市に移っていたため、男性よりも女性の数がずっと多くなります。

 すると雀の涙ほどの金で半日以上の労働を強いられているうら若き女性の中には、娼婦になった方がよい生活ができるのではと考え、実行してしまう者が出てくるのです。なぜなら発展し続ける都会やフロンティアでは男性の方が圧倒的に多いし(極端な場合だと、男女比が五十対一から百対一だったこともあったそうな)、新しい移民として独身の男が沢山やって来るのだから、その中から夫になってくれる客を見つけるのはそう困難なことではないように思われたから。

 

 移民としてやってきた女性が自活すべく娼婦になることもあったし、貿易商人によって、娼婦にするために中国人の女性が定期的に送られてきた時代もありました。それでも、例えばアメリカ西部のある町の娼婦の平均年齢は二十よりも幾分下でした。なぜなら、病気になったり自殺したりで死んでしまう者もいたけれど、大半の娼婦は若い間に結婚していたからです。ただし、前述した中国から送られてきた女性の場合の多くは、この仕事から足を洗うことができず、加齢や性病のために働けなくなると悲惨な末路が待っていたようですが。


 こういう訳で往時のアメリカでも、買春は真っ当な女性を守るために必要な「悪」として受け入れられていました。例の二重規範の登場です。こうした状況を受け、遅くとも十九世紀半ばごろにはプロテスタント・カトリックともに身を落とした娘たちを始めとする、社会の日陰者を保護するための団体を設立していました。そうした協会で家事の訓練を受けた元娼婦は、やがて古巣から遠く離れた地で仕事に就きました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る