唐代女性の美意識について ②

 前回述べたように、唐代の女性は服装にも化粧にも並々ならぬ拘りを持っていた。そんな唐代のファッションの特色として、他の時代には見られないものが幾つかあります。それは、胡服――胡人の服や化粧法が好まれたこと、男装や戎装(軍装)がカッコいいと流行したこと。あと露出度の高さ。

 このうち露出度については、時代によって変遷があります。例えば、唐も最初の頃は女性が騎馬で外出する際は、冪䍦べきりという布を頭から着用し、全身を隠していました。でも時代が下ると帷帽いぼうという山高帽のつばの左右と後ろに、首を隠すうすぎぬが付いたものを被るようになりました。そして、後述するように胡人の服装が流行ると、女性は外出時にもただ胡帽を被るのみで、顔や髪さえも隠そうとはしなくなったのです。他にも、現代に残る唐代女性の絵や唐代の女性を模した俑などは、現代的な視線で見ても大胆に胸元を露わにされたものが多いです。

 

 胡人の服や化粧法は北方や西北の遊牧系少数民族から伝わったものでした。中国風ではない服装や化粧が流行している時世を非難した者は、もちろんいました。だけど唐代では周辺異民族によって都が落とされるような屈辱や、国が滅んでしまうといった危機とは遠かったので、だいたいの人々はこの流行を受け入れたのです。唐の皇帝である李氏は元々は鮮卑という北方遊牧民の出ではあるけれど、漢民族の文化にすっかりなじんでいましたし。

 李氏だって鮮卑系としては十分すぎるぐらいエリートの家系だったのです。でもそれでも、唐の皇帝たちは家格を高めようと、道教の始祖である老子(姓が「李」であったとされる)の子孫であると出自を偽った。先祖捏造はあるあるですよね。

 何はともあれ、道教の祖の子孫と名乗った唐の皇帝たちは道教を先祖の教えとして篤く信仰し、また当時は仏教が隆盛したこともあって、唐代は儒教はいまいち振るわなかったそうです。唐代では、儒教は科挙を受けるために学ばなくてはならない「受験科目」のようなもので、解釈も固定化していたとか。このことも、唐代の社会の自由な気風を醸成するのに一役買っていたかもしれませんね。

 ただ、唐も中期になり、胡人の兵が土煙を立てて攻め入ってくるようになる(安史の乱のことを指しているのでしょうかね?)と、「女が故人の真似をするのは国が乱れる兆しだ!」と騒ぎ立てる人々も出てきました。このことについて「大唐帝国の女性たち」の著者は、魯迅の言葉を引用する形で意見を述べています。魯迅曰く、「誰か女性の服装を慨嘆して不満を述べる人が出てくれば、われわれはその時代の支配階級の状況がたいていうまくいっていないことを知る」と。まさしくその通りですね!


 さて、次は男装や軍装について。

 唐代の、とりわけ宮中の女性の間では、戎装や男装が美しいものとされていました。例えば久々に名前が出て来る太平公主は、宮中で武官の恰好をして舞ったことがあるそうです。お姫様でさえやったことがあったんだから、よっぽど流行ってたのでしょう。太平公主は母親によく似た美人だったそうなので、きっと良く似合っていたでしょうね。

 太平公主の他にも男装や軍装をした女性の記録は、文書のみならず絵や彫像にも残されています。なんでも当時の士人(士大夫)階級の妻と夫の身支度は、同じだったそうです。

 そういえば、中国史において甲冑の実用性と装飾性が最高になったのは、唐宋時代であるとされているそうな。確かに、唐代の甲冑の復元図はどれも美麗でありながら力強さも感じさせます。


 今回のスペシャルサンクスはこちらです。

・図説 中国の歴史4 華麗なる隋唐帝国

・〔決定版〕図説・中国武器集成

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