第1章
「やってきましたハミューズ王国名物朝市!」
石畳が敷かれたサッカーコートひとつ分ほどの広さがある広場にたくさんの屋台が並び、それぞれ新鮮な食材を販売している。世界的に有名なハミューズ王国朝市の会場だ。それ故に、ハミューズ国民だけでなく多くの観光客の姿も見られる。
そんな広場をまだ顔に少しの幼さを残したニーナ・ライラックは初めておもちゃを与えられた子供のような笑顔で見渡した。
短く切りそろえられた、いわゆるボブカットの銀髪は風に揺れるたびにキラキラと星のように輝き、ターコイズブルーの瞳は宝石のように澄んでいる。その珍しい容姿に人々の目が向けられているのを気にせずどこを見て回ろうかなとひとり浮足立っていた。
「そんなにはしゃぐことか?」
今にも走り出しそうなニーナだったが、背後から聞こえた声にスッと笑顔が消える。眉を寄せたあからさまな不機嫌顔で振り返れば、短い髪をワックスで立たせ、緩めのシャツを着ているのにそれでも筋肉がついているのがわかる大男が呆れ顔でこちらを見ていた。身長もあるので高い位置から見下ろされると初対面の人間は大抵怯えてしまうのだが、ニーナにとっては慣れ親しんだ人物であるため何の効力も発揮しない。
「うるさいキース。黙りなさい」
ぴしゃりと一喝すると、青年キース・ウェーバーはわざとらしく肩をすくめた。
「そもそもなんであんたもここにいるわけ?いくら休暇が同じ時期だからって同じ場所に来なくてもいいでしょーが」
「世界は広いのよ?」と諭してみるが、キースは子守だよと笑う。
「ここに優秀だけどすこーし喧嘩っ早い同僚がいるもんだから心配でね。問題起されたら俺たち全員が被害を被るからな」
「お望みなら今すぐ病院送りにしてあげてもいいのよ?」
訓練中の事故とか言えば納得してもらえると思うしと拳を掲げて見せれば「ほらみろ」とそこを指差されてしまったと慌てて手を隠す。
「そんな事になるかもしれねぇーから、俺がちゃんと見てないとな」
「い、言っとくけどこれはあんた限定だからね!いくら私でも一般人に手は上げないから!」
「じゃあ仮にひとりの女が数人の男に絡まれてたとする。したらどうする?」
「もちろん男どもをブッ飛ばす」
「……お前なぁ。その男だって一般人だぞ?お前が手ぇだしたら後々面倒なことになるだろうが。そういうのは地元警察の仕事だ」
「なによ。じゃあ黙って見てろって?いーじゃない。別に大したことじゃないんだし、それくらいやってあげたら」
「俺たちは休暇中なの。休暇中に面倒事起こしたら通常の三倍は面倒なことになるぞ。俺は絶対お断りだね」
「私だって休暇中くらい何もかも忘れて楽しみたいけど、目の前で事が起こったら見逃せないでしょうが。キースの鬼!」
「鬼って……。何も見捨てろって言ってるわけじゃなくてだな、とにかく何かあったら地元警察に通報!わかったな?」
「はいはいわかったわかった。今は休暇中だもんね。じゃあさっそく市場を回るわよ!」
本当にわかってるのかよとため息をつきながらもそれ以上は何も言わずに後についてくるキース。
そんなキースの事はさっさと頭の隅に追いやって好き勝手に市場を見て回る。
市場には美味しそうな野菜や果物、新鮮な魚介類が並んでいる。色も多彩で見ているだけでも気分が上がっていった。
「あれはパスタにいれたら最高だろうなー、あのエビも美味しそう。あーあ、こんな市場が地元にあったらいいのに……。――あ!フルフルがある!すみませんこれ2つください」
「はいよー!まいど!」
「どうも」
通りかかったフルーツ屋で見つけた貴重な果物を注文してふたつ分の代金を払い、受け取ったひとつを「ほら」と横で興味深そうに色とりどりのフルーツを眺めていたキースに差し出す。
「俺に?」
「私だけ食べるのは悪いしね」
「――さんきゅ。しかしこれなんだ?シヴァールでは見た事ねぇな」
受け取った果物をキースが興味深そうに眺めている。
見た目は完全にリンゴだが、色は鮮やかなオレンジ色。
キースが見た事がないのも無理はない、これはハミューズの名産で日持ちが悪いためめったに他国ではお目にかかれない。
ニーナもつい最近まで知らなかったが、この国を訪れるにあたって観光ブックをチェックしていたので抜かりはなかった。
「これはフルフルって言って名物のひとつなのよ。皮ごと食べられて味はマンゴーに似てるって」
いうや否やニーナは袖で何度かフルフルの実をこするとさっそくかぶりつく。その様子にキースは少し顔をひきつらせた。
「お前って見た目に寄らずワイルドだよな……」
「何急に。それよりこれすっごい美味しいよ!」
早く食べなよと促せば、ニーナに倣って服で軽く実を拭いたキースが恐る恐るかじりつく。そしてすぐに頬を緩めた。
「――あ、ホントだ。うめぇ」
「ふふっ。ここでしか食べられないからね。存分に味わうように」
「なんでお前が偉そうなんだよ」
「私が買ったんだから当たり前でしょ」
「へーへー。ありがとうございました」
「心がまったくこもってない!」
いったん頬を膨らませたニーナだが、再びフルフルにかじりつくとすぐに笑顔になる。
程よい酸味と甘み。ジューシーで喉も潤う。
ジュースにしてもおいしそうだなと思いながらあっという間に間食してしまった。
種もないので皮ごと食べればゴミも出ない。
軽く手をこすり合わせてカスを払うと「よし次はあっちに行くよ」と市場の先を指さす。
その先はあからさまに人が少なくなっていて、建物もどことなく薄汚れた小さなものが多い。
「おいおい。あっちってお前まさかスラム街に行く気か?」
「そうだけど?」
「なんでわざわざスラム街に行くんだよ」
「あら知らないの?この国のスラム街は世界で一番にぎわってるのよ?主にバルトから流れてきた難民で構成されているみたいで地元の人には毛嫌いされてるけど、バルトの民芸品とかも取り扱っててバルトに行けない今結構重宝されてるんだから」
観光ブックから仕入れた情報を語って聞かせるニーナだが、最後に小さな声で「それに兄さんがいるかもしれないから」と付け足した。
それを聞き逃さなかったキースは「しゃーない。付き合うか」とニーナの頭をひと撫でして歩き出す。
ニーナは触れられた頭に一度手をやると、その後に続いた。
スラム街は思ったよりも閑散としていた。
観光ブックでは賑わっていると書かれていたが、ニーナたちの前に広がるスラムの露店街は観光客も少なく活気がない。それどころかどこかピリピリしている。
それはキースも同じようで、場違いな感じがすると顔を引きつらせていた。
「……なんか聞いてた話と違うぞ」
「おかしいなぁ……。でもお店は開いてるんだし問題ないよ」
そうは言いながらも内心は最新の観光ブックを買ったはずなのにと首を捻る。
ハミューズ王国は小さくとも歴史があり、10年ほど前まで歴史的建造物や美しい景観で世界中から多くの観光客を集めていた。しかしハミューズ王国に隣接するバルト王国内で王族、政府の行う政治に不満を募らせた民衆による反乱が起き、政府軍と人民解放軍による内戦が始まった。その争いから逃れようとハミューズ王国を目指す難民が増え、もともと小さなスラム街だったこのエリアで国の許可を得て商売を始め、バルト王国の文化に触れたい観光客が訪れたりもする。それ故に少なからず経済も回っており多少なりとも生活が成り立っているものがいるので、世界一治安のいいスラム街とも言われたりもする。ちょっとした観光地になっているのだ。
「……念のため聞いとくけど、ここで商売してる人たちはちゃんとID持ってるんだろうな?不法滞在とかだったら俺たちが買い物するのはまずいぞ」
「ちゃんと許可証持ってる店って書いてあったから大丈夫でしょ。あ、このイヤリング可愛いー!」
キースの心情などまるで無視してニーナはさっそく雑貨店の商品に食いついている。
背後から「お前の楽観主義が羨ましい……」というつぶやきが聞こえたがあえての無視でニーナは手に取ったイヤリングを耳に当ててキースを振り返った。
「どう似合う?」
星の形に整えられたモチーフは虹色に輝いている。おそらくバルト王国の海岸に多く生息している虹貝の殻を使っているのだろう。
シヴァール王国は現在バルト王国と貿易を行っていないのでここでしか買えない品物だ。
買っちゃおっかなーと悩んでいると、「買ってもつける機会ないだろ」と冷静に返される。
つくづく女心の分からない男だなとニーナの目が半目になった。
「休みの日につけるのー。さすがに仕事中にはつけませんー」
「ふーん。――じゃあこっちのほうがいいんじゃね?」
不意に商品に手を伸ばしたキースが羽のモチーフが付いたブレスレットを手に取る。
そしてニーナの左手を取ると、その手首にはめて見せた。
「ほら、お前によく似合う。お前って自由だし、ブレスレットなら多少暴れても落ちる心配もない」
「ちょっとそれどういう意味――」
「すみません、これください」
「え――、ちょ、ちょっと」
ニーナが状況を飲み込めず混乱しているうちにキースはさっさと代金を支払ってしまう。
それを見て慌てて財布を取り出すも、キースにそっと押し戻される。
「さっきフルフルおごってもらったからお返しだよ」
「……あ、ありがとう」
「どういたしまして。さ、次はどこ見る?」
「あ、じゃああっちを」
「りょーかい」
歩き出したキースに続いて足を踏み出すニーナは左手に見える虹貝の羽を見て自然に笑みがこぼれてしまう。だが「なに笑ってんだよ」とキースが振り向いたので慌てて笑みを消した。
「わ、笑ってなんかないわよ!何言ってんの!ほら、さっさと歩く!」
「へーへーそうですか」
「気配に敏感てこういう時にやっかいよね……」
キースに聞こえないように小声でつぶやく。
ニーナも気配を読むことは苦手ではないが、キースはわずかな空気の変化を敏感に感じ取る。仕事上は頼もしいが、こうして心を読むように気配を読み取られると憎らしさすら湧いてくる。
ニーナは心中を読み取られないように必死で表情を固めた。
その時何気なく視線を向けた路地の先に慌ただしい人影が横切る。
「――あれ?」
「どうした?」
「いや、今あっちでなんか……」
露店街から一本奥に当たるその路地の人影は一瞬見えただけなのだが、あまりガラのよろしくない男三人組だったのはわかった。そして見間違いでなければ先頭の男は子供を抱いていた。嫌、あれは脇に抱えていたと言った方が正しい。
その状況から最悪の結果が導き出される前にニーナは走り出していた。
「あ!おい!」
背後から焦った様子のキースが続く。
だがニーナは持ち前の機敏さでスッと路地を抜けて行った。
一本裏に入っただけで漂う臭いが変わる。ドブのような、生ごみのようなツンとした臭いが鼻を突き、呼吸することさえ躊躇わせた。
一瞬顔をしかめ足を止めたニーナだが、その視線の先に先程の男たちをとらえて全力で後を追う。
「待ちなさい!」
数十メートル先を走っている3人組の男たちがその足を止めないままこちらを振り返ってニヤリと笑った。
それから短く仲間内で言葉を交わすと素直に足を止める。
ニーナは彼らの前にたどり着くと、適度な距離――いつでも攻撃に転じられる距離を保って足を止めた。
細長い顔の男に抱えられた男の子が顔をくしゃくしゃにして泣いているのを見た時点で殴り掛からなかったニーナはキースの忠告をしっかり守ったといっていい。
手足が棒のように細い男の子は薄汚れた服を着ていて、靴は履いていない。おそらく難民の子か、この辺りに多い孤児のひとりだろう。
男たちは上等とはいえないまでもそれなりにきちんとした服を着ているので親子ではないと思われた。
それでも間違いのないように確認は怠らない。
「念のため確認するけど、その子の親じゃないわね?」
「おいおい。こんなスラム街にずいぶん上等な服を着たかわいこちゃんが迷い込んだみたいだな。観光客だろうが、ここは危ないぜ?」
「そうそう。俺達みたいな輩がうようよしているからな」
質問を無視した挙句、へへへっと下品な笑い声を上げる男たちにニーナの怒りが限界を迎えつつあった。
無意識に靴先で地面をコツコツと叩きながらそれでもまだ我慢する。
「こっちの質問に答えていただけるかしら?」
「答えたところで何だって言うんだ。おお、そうだ。なんならお嬢さんも一緒に来るか?」
いい案だろと四角い顔の男が笑うと、そりゃあいいとほかの男たちも同意してまた下品な笑い声を上げる。
散々質問を無視され、こんな馬鹿みたいな会話をされたらいよいよ我慢も限界だ。ニーナが攻撃の態勢を取った時ようやく追いついたキースが隣に並んだ。
全力で走ってきたというのに息ひとつ乱れていない。
「質問には正直に答えた方がいい。特にこいつは怒らせると怖いぞ?」
「な、なんだお前!」
「仲間か!?やべえ!」
「逃げろ!」
体格のいいキースを見てわかりやすく怯んだ男たちは脱兎のごとく走り出した。
だが自分を見た時とキースを見た時の態度の違いにプライドを傷つけられたニーナの怒りはついに限界を突破する。
最早キースの忠告は頭の中から消え去っていた。
「――女だからって……」
「やば――!」
ニーナの顔を見たキースが慌てて子供を抱えた男に駆け寄ると乱暴に殴り倒して子供をひったくるようにして抱き寄せる。そのまま飛びのいて男たちから離れるのと同時にニーナの全力の飛び蹴りが殴り飛ばされた男の隣を走っていた四角い顔の男に直撃した。
「なめんじゃないわよ!!」
「ぐえぇ!!」
「な、なんだこいつ――」
最後にひとり残った男が恐怖に顔を引きつらせて逃げ足を速めるが、ニーナは綺麗に着地を決めると一歩で男に追いつき、その勢いを利用して渾身の力で男を蹴り飛ばした。
「ぐはああ!!」
キースに殴られた男よりも倍の距離を吹っ飛ばされた男があっけなく意識を失って地に沈む。
その様子を見たキースが「怖えぇ」と顔を引きつらせた。
一方ニーナは蹴り飛ばしたポーズからやけにゆっくりと姿勢を戻し、それからハッと我に返った様子でキースのもとに駆け寄る。
「大丈夫?怪我はない?」
「……」
キースに抱きかかえられたままの子供は泣き止んではいるものの、その眼には今にも零れ落ちそうな涙がたまっていた。
キースが子供を地面に下ろしたのでそれに合わせてニーナもしゃがみこむ。
「怪我は?」
「……だいじょうぶ」
「そう。よかった」
微笑んでそっとその小さな頭を撫でる。
子供の扱いは慣れていないので、こういう時どうすればいいのかわからなくて困る。見かねたのかキースもしゃがみ込んで問いかけた。
「――お前、家どこだ?」
「……」
「親は?」
「……」
「じゃあIDは?」
「……」
「ちょっと、相手はまだ子供なのよ?大体IDがあるかないかなんてどうでもいいでしょ」
「どうでもよくない。孤児なら孤児院へ連れてかんといかんし、難民ならしかるべきところにつれていかないといけない。知ってるだろ、もうこの国は難民を受け入れられない。だからID不所持の難民は強制送還だ」
「……わかってるけど、国に帰ったって」
「それでも法律は法律だ。俺たちの立場上見逃すことはできない」
「今は休暇中よ」
「休暇中だからこういう時は通報第一って約束したよな?休暇中に仕事をしたのはお前が先だ」
「……」
思わず唇を嚙みしめる。
キースは何も間違ったことは言っていない。
内戦が続いているバルト王国からの難民のほぼすべてはこの国に流れ込み続けている。初めのうちは難民を受け入れ、彼らが人間らしい生活を送れるよう国も積極的に受け入れ政策を進めていた。しかしその流入は止まることはなく、ついに受け入れの限界を迎えた。国民の不満も高まっていたため、一転してハミューズ王国は強固な難民政策を打ち出した。新たにやってくる難民に厳しい審査を設け、合格した者だけを受け入れることにしたのだ。だがそれは表面上の事。実際にはキャパが限界を迎えている為ハミューズ王国は基本的に新たな難民を受け入れていない。新たにやってきた難民はほぼすべて国境をまたぐことなく追い返されているという。そのため密入国する難民も増えた。密入国した者には入国許可や就労許可が記されたIDがないため、IDを確認できない場合強制送還されてしまう。それはこんな小さな子供であろうと関係ないのだ。
言葉を返せないでいると正面から盛大なため息が聞こえた。
見ればキースが心底呆れたように頭を掻いている。
「……面倒事ってのは何もこういう輩の事だけじゃないんだ。特にこの国は今デリケートな問題をたくさん抱えてるし、俺たちは大抵の厄介ごとに関わったらもっと面倒な事になる立場だ」
「反省してます……」
「本当に?今後は約束守れるか?」
「はい……」
「……お前って頭より先に身体が動くタイプだからなぁ。まあ反省したのは本当だろうし、俺もこんな子供を送り返したくないしな」
「じゃあ――!」
「今回は見なかったことにしておく」
そう言って目を閉じたキースは、再びその目を開けるとふっと笑って見せた。
それから子供の頭を撫でるともう一度「家はどこにあるんだ?」と問いかける。
「大丈夫、ただ家まで送るだけだから。またこんなのに捕まりたくないだろ?てかこいつら何?お前知ってるか?」
「……最近多いんだ。スラムをひとりで歩いてると連れてかれるって大人が言ってた」
子供の小さな言葉に2人の顔がわずかに歪んだ。
このスラム街は経済も回っているし、豊かとは言えないもののそれなりに生活が成り立っているように思えた。犯罪も起こりにくいはずだが、子供の証言では人さらいが横行しているらしい。
「……僕、ひとりで帰れるから。……ありがとう、じゃあ」
「あ、おい!」
ニーナが考え込んでいると子供がペコリと頭を下げて走り去っていく。
キースが手を伸ばして立ち上がるが、追いかけるつもりはないようだ。徐々に小さくなっていくその背を見守るに留めている。
それからゆっくりと立ち上がったニーナに「なんか嫌な感じだな」と言葉を投げかけた。
ニーナはひとつ頷いて同意する。
「スラムの人を攫ってどうするつもりなのかな……」
「あいつの言葉だけじゃ何とも言えないな。攫われているのが女性なのか子供なのか、それともなりふり構わずなのか。……まあ、それを捜査するのは地元警察の役目だ」
キースが顎で示した先に3人の警察官が走ってくるのが見えた。
恐らく一連の騒動を見ていた誰かが通報していてくれたのだろう。
面倒がひとつ省けて助かった。
ニーナたちは簡単に事情を説明して警察官に男たちを引き渡す。
縄で縛られてようやく意識を取り戻した男たちはその縄を引かれて大人しく歩いていく。
その後ろ姿をなんとなしに眺めていたニーナは一瞬細長い顔の男が警察官に笑いかけたのを見逃さなかった。
あの笑みは一体なんなのか。思考を巡らせていると、隣のキースが「なぁ」と少し言いづらそうに口を開く。
「――お前の兄貴はさっきの子供みたいな人を助ける活動をしていたんだよな?もしかしたら難民保護活動が行き過ぎて国家反逆罪とかで捕まってるとかないか?」
「それはないよ。それなら部隊に情報が入るはずだから」
「だよな……」
「うん……」
2人の間に重い空気が満ち、キースがそれを振り払うように明るく「さてと」と手を打ち鳴らした。
「とりあえず買い物続行するか?俺隊長たちに土産買う」
「そうだね。私も色々見たいし。でも私美術館にも寄りたいから一旦別れましょう。お昼に合流ってことで」
「おいおい。大丈夫かよ」
あからさまに先程のような出来事を警戒している様子のキースに「大丈夫」と親指を立てて見せる。それでも信じていない様子のキースに仕方がないのでニーナは妥協案を示す。
「わかった!じゃあ私はまっすぐ街の美術館に行く。そんでそこで昼まで過ごすから買い物終わったら迎えに来て?美術館は街の中心地にあるし、そこにずっといれば別行動でも安心でしょ?」
ニーナの案に暫く考えるような素振りを見せていたキースだが、やがて「わかった」と頷いた。
「絶対そこにいろよ?もう問題起こすなよ?今は休暇中で、一般市民と同じなんだからな?」
「わかってるわよー、しつこいなー」
あまりにもくどくど確認されるので思わず口をゆがめてしまうニーナ。
それでも再度同じことを言い聞かせたキースは、それでようやくニーナを解放した。
「じゃあ先に街に戻ってるねー」
その背後に痛い程の視線を感じながらニーナはスラム街を抜けると、街の大通りへ戻り、そこから白亜の美しい街並みを眺めながらまっすぐ美術館へ向かった。
時間にして15分ほど、市場の会場から歩くとすぐにその建物は見えてくる。
一般の家がいくつ入るのかわからないほど大きな建物は横長で、噴水付きの庭を備えている。この美術館は元々王家の城のひとつとして使われていたと言うだけあって柱一つ一つにもこだわりを感じられる。建物自体歴史があり、それだけでも見て回る価値があるのだが、貯蔵数も多く、歴史的にも大変貴重な美術品が多く展示されていることで有名だ。そして現在特別展として『バルトとハミューズの歴史展』を開催しており、それこそがニーナの見たい展示だった。
人気の美術館だと言うのに意外なほどすんなりチケットを購入し、まずは常設展を見て回る。
人の倍はあろうかと言うキャンバスに描かれた宗教画の数々。それぞれの作家の個性が出ていてどれも目を惹きつける。
ひとつひとつの絵をじっくりと鑑賞しながら常設展を見終わるころには、美術館に入った時から感じていた違和感の正体に気付いていた。
建物自体が広いと言っても見える範囲に人がひとりいるかどうか。圧倒的に客が少ないのだ。
平日ということを抜いても少なすぎる。世界的に有名な美術館なのに、だ。
首を傾げながらもニーナは特別展のエリアへ移る。
入って一番に展示されているパネルにはバルトとハミューズのそれぞれの歴史、それからお互いの芸術的交流がどのように始まったかなどが簡単に書かれていた。
「結構芸術的な交流も多かったんだなー」
「――そう、バルトとハミューズは多方面で歴史的なつながりがあり、兄弟国ともいわれるほど親密な国家だ」
背後からかけられた声にニーナの身体が大げさなほど震えた。
反射的に素早く振り返って対峙する。
そこにいたのはキースより少し小さいがニーナにとっては見上げるほど背の高い男。肌は白く、髪は青みがかった黒。その髪は肩に着くくらい伸ばされ、形のいい唇は薄く笑みを刻んでいる。すらっとした身体は質のよさそうなグレーのスーツに包まれており、同色のベストまで着用している。立ち姿もブレがなく、一瞬警戒したニーナだったが、「ああ、驚かせてごめんね」と僅かに眉を下げて困ったように微笑む男にすぐに毒気を抜かれてしまった。
「こんなに若い子が歴史展を見に来るなんて意外だったからつい話してみたくなってしまってね」
若い子と言ってはいるが、男の肌はしわひとつなくニーナとそう歳は変わらないように思えた。
「学芸員の方ですか?」
「ふふっ、いや、学芸員ではないんだ。今回の特別展に少し協力をしただけの一般人さ」
「そうなんですね。でもバルトとハミューズの歴史については詳しそうですけど」
「うーん。ハミューズに暮らす者にとって当たり前と言ってもいい知識量しかないのだけど。それでも最近は自国と他国の関わりや歴史的つながりについて知らない者が多すぎるから、彼からすれば多いということになるのだろうね。君は観光客だろう?僕は何度もここに足を運んでいるからよければ解説しながら案内するよ。外の意見も聞いてみたいしね」
「ここは世界的に有名な美術館なのに今日は人が少ないですよね?それが外の意見を聞きたい理由ですか?」
「君は頭がいいね。まさにそうなんだ。近年バルトの内戦の影響で大幅に観光客は減り、国内でもバルトに対する不満が高まり続けている。バルトとの交流で我が国にどのような繁栄がもたらされたか、国とのつながりがいかに大切か、今一度考えてほしいと思って企画を出したのだけど、いまいち集客に伸び悩んでいてね。観光客にはぜひ国際問題について考えるきっかけにしてほしいのだけど、そもそも観光客の数が減っているからね。ここを訪れてくれるお客さんは大切にしないと」
にっこりと笑う男に曖昧に微笑み返しながら、ニーナは内心普段仕事で国際問題については文字通り死ぬほど考えさせられていますと思っていた。今日はあくまでプライベートなので身分を明かすことはしなかったが。
「ハミューズとバルトが歴史的につながりが深いことは知っていましたが、芸術的な分野でも交流が盛んだったとは知りませんでした。私としても詳しい方に解説してもらえるのは有難いのでお願いしてもいいですか?」
「もちろん。ああ、僕はローゼン・シュナイザー。よろしく」
「ニーナ・ライラックです。よろしく」
差し出された手を握り軽い握手を交わす。その時シュナイザーが驚いたように目を見開いて「ライラック?」と小さくつぶやいた。
「私の名前がどうかしました?」
「あ、ああいやなんでもないんだ。さあ、順路はこっちだよ」
「はい」
一瞬の動揺はなんだったのだろうかと首を傾げながらも紳士的にニーナを導くシュナイザーの後に続く。
初めに展示されていたのは深い青が印象的な壺。細長いそれは曲線が滑らかでとても美しい。
作者はバルト王国出身と書かれていた。
「これはミューンカラー、別名バルトカラーと言われるほどバルトの代表的な色なんだ。君の腕にもついている虹貝、それから作り出される貴重な顔料なんだよ」
「え!これから顔料が作れるんですか?それは知らなかった……」
思わず手首を持ち上げてそこについている虹貝を凝視してしまう。
そのリアクションに隣で説明をしていたシュナイザーが楽しそうに声を上げて笑った。声を上げて笑うと言っても大声ではなく、ニーナに届く程度の小声だ。
その笑い方にもどことなく品格を感じさせる。
「ほとんどの人は知らないだろうね。虹貝で作られた装飾品がバルトの名産品であることは知っているかい?」
「はい」
「ネックレスやイヤリング、君のブレスレットに使われているのは貝殻の部分だ。顔料に使われるのはその中身。かつて食用に適していない中身はただ捨てられていた。それを嘆いたミューンという画家がそれをどうにか活かせないか頭を悩ませ試行錯誤した結果、その内臓から取り出せる成分がとても綺麗な青色をしていることを発見したんだ。それから時を重ねて絵画や陶器の色付けに使われるようになっていったんだよ」
「へー、だから別名ミューンカラーなんですね」
「そう。虹貝はバルト国民にとってとても大切なものなんだよ。ただしこの顔料を作るには1gで2千個ほどの虹貝が必要とも言われていてとても貴重なものなんだ。だから現在ではこれほどの大作に使う芸術家はほとんどいないと言ってもいい」
「2千!?それはすごい……。虹貝の装飾品だって安くないのに、そんな貴重な顔料だったら値段も相当でしょうね……」
「ふふっ、そうだね」
「ところでこの作品はハミューズとどのような関わりが?」
「ああ、それはね――」
それからシュナイザーはすべての美術品を添えられていた解説を補足するような形で説明し、ニーナの様々な疑問にも紳士に回答してくれた。
その博識さには普段博識な人物に囲まれて仕事をしているニーナも感心してしまうほどで、すべての展示を見て入り口に戻ってくる頃には尊敬の念すら抱いていた。
「――どう?少しはバルトとハミューズの関係性について関心を持ってもらえたかな?今は難民問題でごたついているけれど、君が少しでも関心を持ってもらえたのなら嬉しい」
「とても勉強になりました。ハミューズが難民をたくさん受け入れた理由もよく理解できました」
「それはよかった」
シュナイザーはとても優しい笑みで頷く。
「より多くの人に関心を持ってもらうことで難民問題も解決へ近づくと信じているよ」
「あ……」
シュナイザーが何故それほど熱心にニーナに二国のつながりについて話して聞かせてくれたのかようやく理解できた。
二国について知る事で増え続ける難民問題についても関心を持ってもらおうとしていたのだ。
現状他国は難民問題についてあまり深刻には考えていない節がある。
難民のほぼすべてがハミューズ王国に留まっている為、ハミューズ王国を超えてさらに別国へ流れていく難民は少なく他国は難民対策にそもそも関心が薄いのだ。
ハミューズ王国は歴史的つながりからバルト国民をあたたかく迎え入れていた。その為他国はハミューズ内でその問題を処理できていると考えている。だが実際には受け入れの限界を迎え、難民とハミューズ国民との間で小さな衝突が起きているのだという。
バルト国民を見捨てられないハミューズ王国と見捨てられる他国の意識の差は歴然だ。
シュナイザーはそんな他国の国民に少しでも関心を持ってもらうことでこの問題を解決へ導こうとしていたのだ。
「……スラム街で商売ができる難民はまだいい。問題は入国すら許されず密入国してくる難民だ。彼らは生きていくために容易く犯罪に手を染める。それでも生活は厳しい。僕たちもできる限り支援をしているけれど、間に合わずにこの手から零れ落ちていった命もある――」
一度目を閉じたシュナイザーは再び目を開けるとどこか遠くを見つめているような、儚い表情になっていた。
もしかしたら彼は難民たちが命を落としていくのを目の前で見たことがあるのかもしれない。
その時ニーナの脳裏に先程のスラム街で出会った子供の姿がよぎった。
見た事もないくらいやせ細った手足。ボロボロの服。靴も履いていなかった。
親が働けなければ当然今日生きるための食事にだってまともにありつけないだろう。
「彼らは何も悪くないのにね。せめて内戦が治まってくれれば……」
「……そう、ですね」
「そのためにも国際社会の協力が必要なんだよ。僕たち個々の力では限界のところにきている。それが少しでも世界に伝わってほしい。そしていつか世界共通の意識となって彼らが住み慣れた土地に帰れるといい。僕はそんな日が少しでも早く訪れることを祈り続けているんだ」
「シュナイザー……」
「おっといけない。少ししんみりしてしまったね。僕は君の中に少しでも彼らに対する関心が生まれてくれたらそれで満足だから」
「――はい。シュナイザー、今日は本当にありがとう」
「どういたしまして。君は好奇心旺盛だし、真面目だから話している方も楽しかったよ」
そんな会話をしながらゲートを抜けて美術館の外へ出ると一気に街の喧騒が二人の耳を塞ぐ。
「ニーナはどれくらいこの街に?」
「あまり休みが取れなかったので明日には帰ります」
「そうか。出来ればこの街も案内したかったけど難しそうだね。また会うことがあったらその時はゆっくり食事でもしよう」
「はい。その時はよろしくお願いします」
「じゃあまたね、ニーナ」
「――!」
自然に頬に唇を寄せたシュナイザーが最後にバイバイと手を振って去っていく。
ニーナはその手に反射的に振り返しながらもしばらくは頬に残った余韻に浸っていた。
「――ふーん、お前ってあんなナヨナヨしたのがいいのか」
「――キース!」
突然聞きなれた声が聞こえて大きく肩が震える。
隣を見上げればいつの間に来ていたのか、白けたように半目になったキースが隣に並んでいた。
夢見心地も一気に覚めて現実に戻る。
小さくため息を吐いて追及を逃れようとするも、キースはそれを許さなかった。
「頬」
「――っ」
たった一言だが、その奥に隠された言葉に気付いたニーナは頬に軽く触れながら「あれはただの挨拶でしょ!」と声を張り上げる。
挨拶と言いながらもそういう文化がない国から来たニーナの頬は赤く染まっていた。それを見咎めたキースが蔑むような眼で見下してくる。
「……自分より強い相手しか好きにならないんじゃなかったのかよ」
「なに?」
「なんでもねー。それより夕食食べに行こうぜ」
フンと鼻を鳴らしたキースはニーナの返事も聞かずにさっさと歩きだしてしまう。
ニーナは珍しくこちらの意見を聞かないキースに首を捻りながらもその後に続いた。
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