21. 突入

 臨界破した攻撃には、さしもの神堂も即座に反応はできない。涼也へ振り向く前に、その頭へ麻痺弾が発射された。

 改変に抵抗する見えない壁が、銃を持つ腕を弾き、着弾点があらわになる。弾がやたらと明るく光っているのは、攻防の激しさからであろう。


 一発で足りないなら、防御が間に合わないように連射するまでだ。

 二発、三発、続けざまに引き金が絞られ、頭に浮かぶ光点が増えた。ジワジワと動く神堂は、頭だけでなく腕も持ち上げようとしている。


 ――“ジワジワ”? 二十分の一の速度にしては、早過ぎでは?


 男の手に視線を下げた涼也は、自分の目を疑った。

 アンカーが打ち込まれたはずの手に在るのは銃――捜査官が持つVR麻痺銃だ。


 この男は臨界破したクロノインパクトに抗い、あまつさえ彼の装備をコピーしていた。

 神堂がログアウトする前に、自分が退場させられるわけにはいかない。超近接での撃ち合い、但し、涼也は一発でゲームオーバーと思しきハンデ戦が開始する。

 四発目を撃つと同時に、左へ回避。身を屈めて、五発目を背中へ。


 ――早い、加速してやがる!


 通常のクロノインパクト、つまりは二倍速くらいにまで、両者の速度差は縮まりつつある。

 顔の前に突き出された銃口に向かい、涼也は敢えて前転して間合いを詰めた。

 モンスタークランに実装された“回転回避”が発動して、ほんの一時いっときの無敵時間が彼を守る。


 この能力スキルは旧世紀の名残で、フレーム回避と呼ぶ者も多い。ゲームがまだ映像出力を主体とする“ビデオゲーム”と称された頃が起源だ。

 一秒間に六十、或いはもっと多く分割された動画のコマがフレームであり、回転回避は数フレーム単位でしか発動しない。現在のモンクラでは僅か〇・一秒、その瞬間を着弾に重ねれば、完全回避に成功する仕組みだった。

 多大な改変量が要る無敵効果も、これなら共有現実の書き換えは最小限で済む。


 凡そ熟練のゲーマーと言って構わない涼也にとって、回転のタイミングを合わせるのはそう困難ではない。

 敵の銃口が光る瞬間に、前転で攻撃を無効化し、神堂の真正面で立ち上がる。

 男と鼻先を突き合わせた涼也は、相手の顎の下に銃を押し付けた。


「か……み……よ……」

「いい加減、黙れ」


 麻痺弾が脳を目掛け撃ち出される。

 悪化する空間の捩れ。平衡感覚が狂うのも気にせず、彼は次弾を放った。


 教祖を守る火は、いつの間にか失せ、着弾した場所が激しく明滅を繰り返す。

 しつこく涼也を狙う銃を蹴り飛ばすと、神堂は俯せに地に潰れた。


 ――神よ、何だ? 助けてくれなら、間に合わなかったな。


 七発の攻撃が、遂にこのしぶとかった化け物の息の根を止めたのだった。

 転がる身体が消えた直後、世界の歪みは渦を巻くほどに酷くなり、やがて黒一色に塗り潰される。

 暗転――そして、帰還。


 透明の天蓋が、もどかしいスピードで開く。

 接続カプセルを見守っていた綾加と幣良木へ、蓋が開き切るのを待たずに涼也が叫んだ。


「ラストが神堂だ、突入を!」


 無線器に向かって、幣良木も声を張り上げる。


「突入してください! 最後の位置情報が神堂です」

『了解だ』


 涼也が立つのを助けつつ、綾加はタオルを手渡そうとする。少しふらついた彼は、タオルよりも先に彼女の肩を掴んだ。


「……なんだか頭が揺れるようだな。汗はかいてないぞ?」

「鼻血が出てます」


 鼻の下を触った涼也は、指に付いた血を見て眉を寄せた。


「VRのフィードバックか?」

「臨界破の影響だよ。十倍速の二十倍、二百倍速だろ? 時計が馬鹿みたいにグルグル回ってたよ」


 モニターのアナログ時計を指して、ナルは楽しそうに笑う。

 二百倍の速度で、脳や神経系に負荷が掛かったということだ。臨界破は危険、その本当の意味を、涼也はようやく理解した。


 タオルで乱暴に拭いただけでは、血は綺麗に取れはしない。嫌がる彼を押さえて、綾加が代わりに鼻下を擦ってやる。

 その間にも、幣良木は接続中の出来事を涼也へ話して聞かせた。

 市の通信網の障害、ナルの対応、本部長の様子に、内調と警視庁の動き。質問を交えながら、皆で事の推移を確認している時だった。

 転送課のドアが勢いをつけて開く。

 全力で走って来たのであろう二課長の種崎が、息を荒らし、部屋へ飛び込んで来た。





 ポツポツと光点は増えても、連絡は来ない。苛々と画面をめ付けていた山脇は、幣良木からの着信が来るや、机の無線器を引ったくった。

 待ちに待ったゴーサインが、即座に全班へ伝えられる。


「一班、行くぞ!」


 今回は、捜査一課の第一班が主力だ。待機センターの正面玄関から突入し、神堂の拘束を最優先で動く。

 第二班が病院側から侵入して、待機センターとの接続路を封鎖、更に保安室の確保。

 公安課はサポートに回り、他の小さな進入路の警戒と、資料の差し押さえを目指す予定である。


 四十二名という人数は、対象施設を考えると、決して多いとは言えない。しかし、彼らの、特に第一班の携える装備は、鎮圧部隊並に物々しかった。

 扉を建材ごと切り刻む高出力レーザーカッター、立入禁止地区を策定する電磁シール、万一に備えた狙撃銃が二丁。これらに加え、小型の自律型ドローン三十機が施設の制圧をサポートする。


 一班が大量の警察車両でセンターに詰め寄ると、正面ゲートを受け持っていた警備員は仰天して飛び出て来た。

 愛想のいい警備員に門を開けさせて、山脇たちは玄関前に集合する。

 待機センターに急患用の搬入口など存在せず、医療センターへの接続路と、職員用の通用口が有るだけだ。

 玄関以外には他の班が急行している。程なく、各出入口封鎖の連絡が入った。


「保安室から全ロックを解除しろ」


 これで扉は開く。インターホンを通した開錠要求など必要無い。

 ガラスドアの右斜め上、ロックを示す赤い表示灯が青に変わる。


「神堂は左奥、北西のホールだ。各自、所定の場所に分かれろ!」

 ――はいっ!


 ロビーに突入した捜査官たちは、大半がホールに続く中扉へとなだれ込んだ。

 こちらには二人の警備担当が深夜でも常駐しており、警察を名乗られると、突然の事態にオロオロと戸惑う。強制捜査への対処法は、彼らのマニュアルにも載っていないだろう。


「こちらは許可が無いとお通しできないんです」

「ロックは解除した。抵抗するなら、拘束する」

「て、抵抗なんてしませんが……」


 二人がドローンの設置のため入り口に残り、四人がここから二階に向かう。

 山脇と鹿坂を含む八人は、位置情報を撒き散らしている連中を目指して、一階の奥へ進む。

 深夜勤務の医療スタッフはホールへの入り口前で両手を広げて立ち、必死に彼らの進入を拒んだ。別に捜査の邪魔をしたいのではなく、除菌を済ませて欲しいとの懇願だ。

 ホールとは除菌ルームで廊下と繋がっている。大人しく超音波や殺菌灯の光を浴びること二十秒、開かれた扉の中へ、再び第一班員が駆け込んだ。


「発信者を二人発見! 四番目と七番目に光った人物です」

「一人付いて、話せる状態か医者に確認させろ」


 第一ホールに二人、残る光点は九個、ほぼ全員が神堂の近くに居る。

 時計回りに、入り口から八個の数字がホールに割り振られ、北東は四番である。


 第二、第三、そして第四ホールへ進んだ山脇は、整列する接続カプセル群と位置情報との照らし合わせを命じた。

 VR麻痺銃で発信される情報は、一時間弱で減衰して麻痺も解ける。余り悠長に構えていては、患者を一人ずつ検分する羽目になるだろう。


「まだか、モタモタするな!」

「検知点が、カプセルの位置と一致しません!」


 酒谷がタブレットを見せて、予期せぬ異状を訴えた。

 規則正しく整列する目の前のカプセルとは、確かに光の並びが異なっている。デタラメに光っているというのでもなく、並び方が違うように感じられた。


「どういうことだ……」

「階層が違うのでは?」


 待機センターの建物は偏平な二階建てで、地下は一階のみ、緊急用の発電や浄水を担う設備が在る。患者が置かれるようなスペースは無いはずだが、こうなると調べるべきだ。

 位置情報にも弱点は存在する。光点は高度まで示してはくれず、点との水平距離が分かるだけだった。緯度経度からして第四ホールに違いなくても、まだ最接近したという表示ではない。

 山脇は無線に口を当てる。


「第二班、何名か地下に回して調べろ」

『すぐ向かいます』

「第三班、二階に患者がいないか、三階が存在しないかを調べてくれ」

『了解』


 第一班の部下へ手近なスタッフの聞き取りと、患者の顔の確認を指示し、酒谷へはドローン設置員への伝令役を頼む。


「至急こっちにも一機飛ばして、空間探知をするように言え。位置情報の信号が歪められていないか、ジャミング検査もさせろ」

「はいっ」


 ――どこに隠しやがった?


 後一歩で足踏みさせられた苛立ちに、山脇は歯を食いしばった。

 普段、独立独歩を信条にする彼だったが、アドバイスを撥ねつけるほど偏狭でもない。使える者は使えとばかりに、無線で転送課を呼び出す。


「山脇だ。神堂の居場所が隠蔽されている。隠し場所に心当たりはないか?」

『隠蔽? ああ……真崎君が何か知っているかもしれないな』


 幣良木の言い様に、一課長は眉をひそめた。


「転送課にいるんだよな。真崎は一緒じゃないのか?」

『待機センターに向かっている。サイレン鳴らして飛ばしてるから、すぐに着くはずだ』


 ――ゲーム屋が現場に急ぐとは、どういう了見だ。

 山脇の疑問は、続けて幣良木が説明してくれた。

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