19. クラッシュブロー
真波総合医療センターは、テロ事件への関与が疑われた施設である。犯人には日本人がいたという説が根強く、医療に通じた協力者の存在も疑われた。
事件で亡くなった医師には、反政府運動に理解を示すグループがあったとされ、彼らによる自爆テロという噂も立った。
医療活動を再開してからも、病院は公安の監視対象となり、長らく要注意施設の烙印が押されてしまう。鹿坂によれば、事件後は何度も内調の調査が入ったらしい。
ところが、世間を震撼させたテロも年を経れば風化し、人々の記憶も薄れる。
監視が外されたのが十年前、その時、新生医療センターを象徴する待機センターが併設された。その時のことは、山脇の記憶にもある。
「事件に関わった人間もいなくなり、拠点病院としての機能も復活した。総合医療センターは生まれ変わる、だったか。俺も記念式典に出席したよ」
「元院長も亡くなり、スタッフは全員事件後の雇用。誰もいなくなれば、いつまでも監視する意味は有りません」
「なのに、最近はまた注目していた。そうだな?」
「……ええ。待機センターで採用された技術が、どうにも不穏でしてね」
この辺りの情報は、国家機密にでも触れると言うのだろうか。鹿坂の歯切れが、極端に悪くなる。
言葉を選びつつ、彼は内調の目的を慎重に明かした。
「生体リンク、これは物騒な研究テーマを連想させる。真波事件と繋がるのではと、調査を検討していたところです」
「繋がっても四十年前の話だろ。今ごろ引っ張り出したところで、何か問題が?」
「真波事件は公式には毒ガスが原因とされてますが、別の説もありましてね。内密にお願いしたいのですが――」
「承知しとる」という山脇のやや乱暴な相槌を受けて、内調調査官の説明が続く。
「精神リンクを構築して、さらに暴走させた結果が、真波事件ではないかと。強制的に被害者間の脳を繋ぎ、衝撃を与えて機能を破壊するわけです」
「パブリックVRか? 最先端技術じゃねえか」
PVRは大ホールなどに人を集め、皆で一緒に仮想世界へ接続するイベントだ。
現実とVRを同時に楽しもうという目的で、年末のカウントダウンなどで行われたが、まだ実施例は少ない。大空間を丸ごと接続カプセルにするようなものであり、手間もコストもべらぼうに掛かる。
「真波事件を研究し、独自に発展させたのが生体リンクではないかと。広域テロに援用できる技術なら見過ごせません。内調としては、センターの設備の押収、それに開発責任者を取り調べたい」
「軍事技術にでも転用する気か。うーん……」
真波事件の原因を見抜き、解明を進めた者が待機センターの開発に係わったと、内調は考えている。
資料は病院にも大量に残っていただろうし、被害を受けた患者と接触するのも容易だったであろう。設備も潤沢となれば、研究開発も可能なのかもしれない。
だからと言って、自分がまだ生まれて間もない頃の技術が、今も事件の核心となることに、山脇は違和感を覚えた。
「県警本部で、今後の捜査については仲間が相談してるところです。警視庁にも連絡は入ってます。申し訳ないですが、朝には本庁主導に替わるでしょう」
「あんたは東京と連絡が付くのか?」
「衛星経由の直通端末が有りますから」
なら旧型無線はいらないだろう、そんな文句を、鹿坂は肩を竦めていなす。
「これがないと、山脇さんと交信できませんからね。さて、突入はまだですか?」
話を打ち切りたいのは見え見えなものの、問い詰めたところで教えてはくれまい。諦めた山脇は部下たちへ向き直り、大きな声を会議室に響かせた。
「そろそろ合図が来るぞ、各自、手順を再確認しとけ」
「了解です!」
威勢のいい返事から、皆の士気の高さが分かる。
――朝か。どうせなら、本庁の連中が来る前に、大方の決着は付けてしまいたいもんだ。
旧型無線を机の上に置き、腕を組んだ山脇は、部下が持つタブレットを受け取る。
ノートサイズの画面には、既に光点が二つ。
幣良木によると、これは信者の出す信号で、本命ではない。信者らの異変も、センターを警戒させるきっかけになり得る。
――急げよ、真崎。
旧型無線に視線を戻し、着信表示が点るはずの小さな画面を、山脇は睨み続けた。
◇
「増えてるじゃないか」
ダンスホールの陰から、監視所の正面玄関を覗った涼也は、愚痴とも聞こえる口調で護衛の人数を数える。
入り口に立つのは、男女合わせて六人。背格好はバラバラで、遠くから見た様子では、老人も混じっているようだ。
“――今日という日を、再誕の契機とし、世界に知らしめようではないか。神炎に集え。旧弊を浄化する火から、我々も旅立とう”
高揚した演説が途絶え、音声が沈黙する。
「マズい。説法が終わった」
「乗り込みますか?」
どうせ二人倒してしまっている。場所が特定できる今、神堂の拘束を優先すべきか……。
逡巡する彼を、幣良木の声が助けてくれた。
『山脇さんが到着したよ。神堂を押さえてくれ』
「よしっ、行こう」
「弱らせて、麻痺銃ですね」
追加能力を調べてから、綾加は妙に張り切っている。先に駆け出した彼女を、涼也も遅れないように追い掛けた。
噴水で二手に分かれ、左右から玄関に迫ると、彼らに気付いた護衛たちも動き出す。
三人は手にした棒――バットやゲートボールのスティックを振り上げ、残りの半数は例によって涼也たちへ手を掲げた。
「クロノ――」
「クロノインパクト!」
涼也のセリフに被せて、綾加の能力発動が高らかに叫ばれる。二倍速になった彼女は、一気に敵との間合いを詰め、スティックをゆっくり振り下ろす女の前に出た。
「ライジングニー!」
相手を空中に浮かせる、飛び膝蹴り。腰を折って吹き飛ぶ女へ、綾加の肘が追撃する。
「メックジョルト!」
高速で前に踏み込み、体重を乗せた右肘を相手に打ち込む。
彼女の背中をバットで殴ろうとした男は、後方に突き出すローキックで足を刈られて地面に叩き付けられた。バックレッグスライサーという技らしい。
着火作業中の若い女には千影脚の連撃を、反応のやや鈍い老人には、弱めのニードルフィストを食らわせる。
倒れた敵には、涼也の麻痺銃が撃たれ、一瞬で敵は二人にまで減った。
未だ火を放とうと努力する敵の男女へ、綾加の爪先と背中が襲い掛かる。
女の顎を蹴り上げ、そのまま後方に体を反らせてバク転で移動。直ぐさま最後の一人へダッシュして体を百八十度捻り、ぶち当てた背中で相手を吹き飛ばした。
クロノインパクトの加速時間は、ちょうど綾加の勝利ポーズとともに終了する。
全員を強制ログアウトさせると、涼也は何かに思い当たり、綾加を指差した。
「技名を叫んで発動させるのは“クラッシュブロー”、今のは全部、そのリアル系ファイターの技だ」
「私はリアル系しか使わないんです」
彼が思い出したのは、格闘ゲームのタイトルではない。
昨年の世界大会の入賞者リストに、確かに載っていた。
「リアル系、期待の新星“アヤポー”。あれ、鳴海か」
「十位まで行きました。飛び道具が無いと、厳しいですよね」
最初は格闘訓練の一環で、仕事に役立つかと考えて始めたと言う。種崎は知っているそうで、これが転送課へ抜擢された一因になっていた。
「何も隠さなくていいだろ。初めて聞いたぞ」
「ちょっと恥ずかしくて。実技の方は、あんまり上達しなかったし」
現実の身体能力を鍛えるのに、ゲームは役に立たない。それでも、彼女の勝負度胸や反射神経は、一級品ということだ。
「その調子で、残りも頼むよ。これで八人ログアウトさせた。もう神堂の味方も――」
「貴様たちが神敵かっ!」
涼也のセリフは、建物内からの大音声で邪魔される。怒りで紅潮する男と、脇に控える従者が一人。
――顔画像の記憶とも相違ない、こいつが神堂玲巌だ。
クロノインパクト、二人は間を置かず時間を加速させて神堂に駆け寄る。だが、火炎の壁が、涼也たちの前に立ちはだかった。
早い――この男の改変能力は、先程までの雑魚とは桁が違う。
二倍速のハンデをものともせず、火が二人の捜査官を包もうと触手を伸ばした。その猛火の中を、従者が両手を広げて歩いてくる。
「クエンチャー!」
クロノインパクトで倍速になるのは涼也たち本体だけであり、白球は手を離れた途端、シャボン玉のように空中をフワリと漂う。
火炎から踏み出てくる従者へ、球は直撃した。
破裂するクエンチャー、拡散する消火ミスト。全てがスロースピードで再生される。
火を突き抜け、神堂の後ろへ回り込もうとした綾加は、業火の勢いに押されて後退してしまう。
灼熱の教祖は、火に守られたまま監視所の外へと進む。
「建物が!」
熱で天井や壁を覆っていたシートが捲れ、ボコボコと波打ち始めていた。あちこちに、小さな火が立ち、本格的な火災も秒読みだろう。
燃える
クエンチャーを連投し、麻痺銃を撃ち込むが、どれも火に掻き消されてしまい用を成さない。それ以前に、高熱に阻まれ、近付くことすら困難だ。
泰然たる態度で噴水前に出た神堂は、あろうことか目の前にフローターを出現させた。涼也が使ったバイクではなく、乗用車型のオープンカーだ。
“クロノインパクト、終了します”
通常時間に戻っても、ノロノロとした神堂の態度には、さして変化が無いように見えた。
燃える従者を運転席へ座らせ、自身は後部席に陣取り、涼也へ顔を向ける。
「この広場で滅するがよい」
車が急発進すると同時に、交流広場には天を焦がす火柱が立ち上がった。
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