16. 浸蝕

「どうなってんだ、これ!」


 ナルの動転した声に、幣良木が理解できないのを知りつつ、モニターを覗き込む。


「真崎は失敗したのか?」

「そっちは分からない。信号は切れ切れだけど、途絶えてはいないね。まだ追跡中だよ」

「なら何が問題なんだね」


 画面を高速でスクロールするデータの羅列を、ナルの指が叩く。


「こっちのシステムに、大量のデータが送りつけられてる。侵入する気だ」

「こっちって、県警にか?」

「今は防壁で弾いてるけど、試行回数が尋常じゃない。そのうち破られるよ」

「おいおい」


 携帯端末を取り出した幣良木は、県警の中央通信管理室に連絡しようと試みる。だが、『接続不良』の表示が呼び出しを拒絶した。

 公安課、センター近くに待機する部下、捜査一課に二課、どこも無音しか返ってこない。


「何が起こった……誰も応答しないぞ」

「応答しないんじゃない、この建物、いや真波市一帯がサーバーダウンしてるんだよ」

「真波市!?」


 今にも部屋を出て、状況確認に走りたいのを、幣良木は何とか我慢した。

 いくらナルが協力的な態度を見せてるとは言え、一人にするわけにはいかない。出来ることは、ナルに質問するくらいか。

 この事態について、公安課長は敏腕ハッカーの見解を尋ねる。


「警察を陥れるには、上手いやり方だと思う。全市を混乱させれば、ここのサーバーは孤立無援だ。でも――」


 言葉を切ったナルは、いくつも画面を切り替えて、自分の推測を確認した。

 回線障害を起こしまくっている状況では、詳細を得るのに時間が掛かる。長い沈黙に、幣良木が痺れを切らした。


「でも、なんだ?」

「敵の狙いは、県警じゃないと思う。銀行、VRサーバー、県庁、どこもやられてるっぽい。市に五カ所あるデータ集積所、こいつが一番の目標じゃないかな」

「サイバーテロじゃないか。しかし、何で本部内の緊急回線までダウンしてるんだ」


 真波市はかつて甚大なテロ被害を受けたことから、新型通信システムが優先的に整備された。ほぼ全ての通信は、データ集積所に一度集められる仕組みになっており、集積所が攻撃されれば全市が麻痺するのは必然だ。

 然しながら、民間回線とは別に、警察や消防組織には内部向けの緊急連絡網がある。対サイバーテロ時の通信手段は万全で、通常の電話やネット回線が落ちても、仲間同士の連絡が途絶することは起こり得ないはずだった。

 幣良木が憤る異常事態の原因を、ナルが事も無げに解説する。


「相手が悪かったね。回線間を物理的に移動できるんだから、どうしようもないよ」

「物理的って、どういう意味だ?」

「ケーブルが傍を通ってたら、横に移動できるってこと。一般回線と緊急回線は別系統だけど、設置場所は同じ所を通っているからね」


 天井を指差すナル。どの回線も、どこかで並列しており、そこが敵の侵入ポイントとなっていた。


「そんな馬鹿な……また大規模テロとは、この街は呪われてるのか」

「アスタリスクだとか、魔人だとか言われてるけど、まさか本当に化け物とは思わなかったよ」


 回線間を移動する手口から、ナルはこの攻撃もアスタリスクが主犯と断定した。そんなことが出来るヤツが、何人もいては堪らない。

 さて、どう対処すべきか。


「……旧型無線だ。僻地の通信用のが、機動隊の倉庫に有ったはず」

「ああ、それなら交信は出来るね。受信器がいくつあるか知らないけど」


 手をすり合わせ、口を押さえ、またパンパンと両手を合わせる。

 落ち着き無く手と目を動かしていた幣良木は、最後にナルへ指を突き付けた。


「絶対にここから動くなよ。私は通信器を配って来る」

「逃げるなら、今がチャンスだよねえ。位置情報がそっちに伝わらないもん」

「なっ!」


 ニヤつく青年は、嫌な笑いを浮かべたまま、課長に手を振った。


「オッチャン、心配すんなって。逃げてもどうせ捕まるんだろ」

「そうだ。馬鹿なことを考えるなよ」


 何度も振り返りながらも、部屋を後にした幣良木は、倉庫へと全力で走る。

 背伸びをしたナルは、またモニターへと顔を向けた。


「こんなイベント、見逃せるかよ。俺も転送捜査官を目指せばよかったかな」


 涼也が聞けば呆れるような独り言を呟き、彼はデータの解析に取り組み始めた。





 意識は有るのか。

 身体は何処に漂うのか。

 ただドロンと微睡まどろむ不確かな実存。


 長いのか、短いのか、それすらも分からぬ時間を過ごした後、涼也はいきなり灰土に投げ出される。

 燃える世界、その地表近くで太陽が輝く。


“データ領域外――地図表示はできません”


 ナビゲーターの音声が、彼の認識力を再起動させた。


「リンク切断……鳴海もケーブルを切れ!」 


 数メートル横に膝を付いて現れた綾加へ、拘束矢を解除するように指示を叫ぶ。

 相方がモゴモゴと切断命令を唱え、全てのケーブルが外れたのを確認すると、涼也は彼女の腕を引き上げて立たせた。


「走れ! アスタリスクが近過ぎて装備がたない」

「あ……はいっ」


 耐火シールドを展開するはずのコートだったが、その端は焼け焦げて、汚く破れてしまっている。

 世界を塗り替えようとする力の強さは、アスタリスクの方が涼也たちよりもやや上だ。


 灰まみれになって走りながらも、彼は周囲の地形を見回した。

 やや勾配のついた斜面に、黒い枝だけが残る立木の群れ。坂を上り、火の核から距離を稼ぐと、涼也は元いた場所へ振り向いた。

 アスタリスク本体が居るのは丘の中腹、そのふもとから延々と平原が広がる。

 ここは待機センターの共有現実、その北部エリアだ。山地はここにしか存在しない。


「フローターバイク」


 青光りする車体が、焦土の上に出現した。

 ――いける、仕込んだ能力はまだ生きてる。


 バイクに乗ろうと足を掛けた彼は、もう一つ試すべきメニューを呼び出した。外部への通信、ナルへメッセージは送れるのか。


「真崎だ。応答してくれ」


 返事は無い。こちらはやっぱり使用不可のようだ。首を振って諦めた彼へ、綾加が違和感を指摘する。


「雑音も返ってこないのは、おかしくありません?」

「……無音は初めてか」


 バイクに跨がった二人は、しばらく交信を繰り返して、小さな違和感に期待を賭けた。長い一分の試行の後、ナルの声が響く。


『何度も言わなくても、聞こえてるよ。こっちはゆっくりとしか返答できないんだ。説明するから、黙って聞いててくれ』


 彼の話を聞けば、何が通信の障害だったのかを理解できた。

 時間の流れの違い、これはデータのやり取りにも影響していたのだ。


 ナルは通信プロトコルの不一致と解説したが、技術的な問題は現場の涼也たちにはどうでもいいこと。送受信が可能になったのなら、不具合の一つは解決する。

 ただ、外部の人間から返事をもらうには、えらく長い待機時間を必要とするという難点はあった。


『――とまあ、データの圧縮解凍の手順を応用したわけよ』

 彼の技術語りを止めるすべは、今は存在しない。涼也ですらややウンザリした表情で、ナルの話を拝聴する。


『んで、こっちは大変だよ。市の大半が、サーバーダウンしてる。警察もね。アスタリスクの無差別アタックだ』

「県警もか!?」


 思わず聞き返したところで会話が成り立つはずもなく、引き続き二人は黙ってナルの話に耳を傾けた。予想以上の被害状況に、涼也の口許が歪む。

 現場と連絡を取るために、“オッチャン”が無線機を取りに行った。そんな報告で、ナルからの連絡は終了した。


「麻痺銃で神堂を撃つのは、無線機が用意できてからにする。オッチャンに伝えといてくれ」


 返事の無い相手にメッセージを残すのは、留守番電話に近い。そう考えれば、そこまで不便でもない。真波市を襲う脅威を踏まえて、もう一言、ナルへの指示を付け加えた。


「待機センターがアスタリスクの発信基地なのは間違いないだろう。どうせ市がダウンしてるなら、多少強引でもいい。センターを全力で落とせ」


 涼也の命令に、綾加は眉を上げて見返した。

 通信飽和攻撃、ハッキング侵入、サーバー乗っ取り、何をするにしても令状無しでは違法捜査である。


「いいんですか? ナルくん、無茶苦茶しそうですよ」

「俺たちがここに来たのも、厳密には違法だよ。緊急事態だ、今さら誰も咎めたりしないさ」


 それもそうかと、彼女も涼やかな顔に戻る。

 現場の混乱は、まだ少し続くだろう。神堂玲巌の捜索は後にした方が良さそうだ。


「まずは監視所に行こう。俺自身の問題も、片付けとかないと」

「ですね。このチート装備にも慣れてきましたよ」

「おう、頼もしいねえ」


 二人は平原に向かい、バイクを発進させた。燃え盛るアスタリスクは、瞬く間に後方へと遠ざかる。


「お前の相手は最後だ。ナルと遊んどけ」


 腕に自信のあるハッカーが、警察の機器を自由に使って攻略するのだ。アスタリスクと言えど、守勢に回らなければ防ぎきれないはず。

 ――しかし、市を多方面から陥落させるとは、こいつの本体は何者だ?


 患者の一人が暴走しているのではと、涼也は当初予想していた。

 システムを逆支配して、世界を火の海に変える。それでも充分に驚異的な話だが、回線を自由に移動して各所を攻撃したとなると、一人の人間が可能な所業を超えている。

 難しい顔でアクセルを捻る涼也とは対照的に、彼の横たわる接続カプセルのすぐ隣、椅子に浅く腰掛けたナルは薄ら笑いを浮かべていた。


「フヒヒ……何やってもいいってよ」


 さすがの涼也も、そこまでは言っていないが、若いハッカーはそう解釈した。


「大学のサーバー群が、近隣じゃまだ手付かずだね。こいつらを援軍にしよう」


 アスタリスクの移動経路の制限。敵の弱体化を狙い、ナルはまず、真波市の主要回線の争奪戦に着手する。

 この夜、午後十時三十八分から、市の電脳網は正常な機能を完全に失ったのだった。

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