02. 待機センター

 再びまぶたを開けた彼の前には、汚い壁と、それに似合わないハイテク機器の群れが映る。


 スチールラックに並ぶ各種仕様に対応した接続端末、絡み合った何十本というコード、今は沈黙している八面の平面モニター。

 部屋の真ん中にある二台の大型カプセル、その一つの透明キャノピーが開き、中から真崎が上半身を起こす。

 この高度VR用の接続カプセルが、部屋では一番高額な機器であった。


 壁の時計は、午前五時十八分。

 ナルのおかげで、独り・・早朝勤務をするハメになった。顔を洗ったら、少し寝よう――そう考えて仮眠室へ向かおうとした真崎は、彼の携帯端末を握った同僚に慌てて呼び止められた。


「端末を置いていく人がありますか!」

「ああ、呼び出しか?」


 シャツのポケットにギリギリ入るサイズの透明板、こいつが公式の個人端末だ。

 音と震動が、彼に応答するようにと急かす。画面上に指を置き、ロック解除のサインをなぞると、あまり聞きたくない声が部屋の中に響いた。


『真崎、今どこだ? また逮捕連絡を待たずに消える気じゃないだろうな!』

「それは俺じゃなくてもできますし……」


 若く経験の少ない彼を、可能な範囲でサポートしてくれている捜査第二課の責任者、種崎毅たねざきつよし。職責外の仕事を請け負うのだから、面倒見の良い課長だ。


 仮想現実内で犯された金品強奪や詐欺事件は、通常は二課が担当する。

 各ゲームや仮想世界には、警察へのログ開示が義務付けられ、実世界の捜査だけでも大抵は事足りた。

 まるで魔法の世界だと、未だに感嘆を以って称される高度VR世界は、数十年前に日本で起こった技術のブレイクスルーによってもたらされた。それも政府主導だというのだから、この国の研究体制も大したものだろう。


 開発当初のネットワークは無法地帯に近く、法規意識の低い者には桃源郷と喜ばれた時期もある。今では仮想空間にも法が適用され、証拠が残りやすく規制の多い仮想空間の方が犯罪は難しい。

 しかしながら、中にはナルのようなハッキング技術を悪用する者もいる。

 接続記録すら改竄する彼らは、仮想内で捕まえる方が手っ取り早い。

 そのために置かれたのが、仮想領域犯罪捜査官――通称、転送捜査官。口の悪い刑事連中には、ゲーム屋と呼ばれたりもする。

 真崎涼也まざきりょうやは、そのまだ物珍しい転送捜査官の一人だった。


『書類を提出するまでが逮捕だ。たまにはちゃんと自分でやれ』

「はあ……善処します」

『真崎っ、貴様、全然反省してな――』


 ブツリ。

 毎度の説教に嘆息し、再び宿直室へ行こうとする涼也を、若い女性の声がもう一度制止する。


「真崎さん、勘弁して下さいよ。私だって眠いんですから」

「ありがたいと思ってる」

「感謝はいらないから、手伝ってください」


 二年前に転送捜査課が県警本部に設けられた時の課員は、捜査第二課から抜擢された新米刑事、鳴海綾加なるみあやかだけだった。

 そこから一年近くは、VRに詳しい専門官として、他部署を補助する便利屋扱いで過ごす。


 今年の春先に涼也がスカウトされて捜査官に加わったことで、ようやく転送課は本格始動した。

 自分より歳の若い綾加が先輩でも、彼がやりにくいと感じたことはない。

 彼女の方が刑事組織には慣れており、貴重な味方として文句も言わずサポートに奔走する。特に書類仕事は、全て綾加がやってくれていた。


 先輩であり階級も彼女の方が上。それでも、捜査の方針を立て、実際に現場に向かうのは涼也の役割である。

 彼の仮想空間に関する知識と経験は、それほど卓越したものであり、綾加も従うことに嫌な顔はしなかった。

 この半年間、二人で行った捜査の数々は、上も認める成果を挙げている。 


「ああ、これは……」


 モニターを見る彼女の微妙な反応に、眠気と闘う彼も少し興味を持つ。


「どうした?」

「ナル、本名、柿沢彰かきざわあきらを拘束しました。住所は県内です」

「ご近所さんだったか。奇遇だね」


 ここ数ヶ月、ナルはオンラインゲーム上で暴れまわっていた。

“モンスタークラン”に“ウィッチバレット”、“シエルクロス”といった人気VRゲームを荒らしまわった彼は、神出鬼没のプレーヤーキラーとして名を馳せる。

 サーバーの接続記録を調べても毎回IDが違い、運営会社も、最初に通報のあった他署も手を焼いていたところ、金品略奪を始めたことで涼也の出番となったわけだ。

 転送捜査官の実態を知る者はまだまだ少なく、ナルもゲーム内で逮捕された時は面食らったことであろう。


「管轄内なので手続きは楽ですね。助かりました」

「じゃあ、俺は寝るよ。レコーダーもちゃんと記録出来てただろ」

「まったく、もう。まあ、今回は大目に見ます。書き起こすほど、犯人とも会話してないみたいだし」


 今度こそ部屋を出ようとした彼に、またもや綾加の声が掛かる。


「真崎さんっ」

「うへ、まだ何かあるのかよ」

「“アスタリスク”の捜査はいつするんですか?」

「アスタリスクねえ……」


 現在、ID不明で暴れる厄介者が、ナルの他にもう一人存在した。通称“アスタリスク”、バーチャルコミュニティ系の空間を荒らし回っている。

 二年間、丹精を込めた花畑を一夜で枯らされた、または、動物たちと暮らす森の村が一瞬で廃墟となった。そんな類の通報が、この一ヶ月で急増していた。


 金品強奪に比べれば、罪状は軽いのだろうが、被害者たちの嘆きは本物だ。

 ただ、涼也にお鉢が回ってきたのは、被害者の心情を鑑みたのではなく、手口の巧妙さからだった。

 接続記録は無く、基本システムのハッキングが疑われるにも拘わらず、その痕跡もゼロ。活動時刻も対象空間もデタラメで、涼也も捜査に取り掛かる糸口を掴めずにいた。

 残されたのは、ログのあちこちに刻まれた識別不能を表す*記号アスタリスクの羅列のみ。


「アスタリスクは外から攻めた方が早いかもな」

「ソーシャルハッキングですか?」

「いや、実捜査だ。地味な聞き込みや、動機の洗い出しでもしないと、犯人像が見えてこない」

「それはうちの仕事じゃないですねえ。この案件、種崎さんに突っ返しますか」

「それがいい」


 返事代わりに掌をヒラヒラとさせ、彼は部屋を出て行く。

 昼過ぎまで寝てやろう、それが徹夜明けの当然の権利だ。そんな決意を胸に微睡んでいた彼を、端末の震動が邪魔した。


『真崎さん、通報です。呼び出し要請がありました』

「……まだ十時じゃねえか。どこからだ?」

『待機センターから』


 ――待機センター?

 馴染みのないゲーム名に、寝ぼけた涼也の頭が回転を拒む。返事のハッキリしない彼を行動させるため、綾加は結局、宿直室に乗り込むこととなった。





 起きてしまえば行動は早い。センターに到着した涼也たちは、正面の二重のガラス扉を抜け、受付けに身分証を見せる。

 涼やかな挨拶を背に、彼らは中央通路を奥へと進んだ。


 塵一つ無い白い廊下は、人を拒むかのような清潔さで、壁には飾りも継ぎ目も見当たらない。ひんやりとした空調が、陽差しで熱っせられた身体に心地好かった。

 廊下の突き当たりには、来訪者のチェックを行う職員が一人に、ゴツい警備員が二人待ち構える。


「警察だ、連絡を受けた」

「身分証をお願いします」


 若い女性職員は、手渡されたカードを手元のリーダーでスキャンし、涼也と綾加のデータと照合した。

 カードといっても改竄不能のデータが書き込まれた警察仕様で、信頼性が高い。


 ここへ来るまでの廊下は、無駄に長かった訳ではなく、通過中に二人のあらゆる箇所を計測していた。

 身長、体重、虹彩、体臭、耳形、歩行パターン。全て一致するのを確認して、職員が身分証を返すと、警備員たちもいくらか肩から力を抜く。


 ロックを解除されたドアを抜け、涼也たちは中央管理区域に進入した。

 今度の廊下も先に増して長いが、右側が全面ガラス張りのため、多少は退屈凌ぎになる。


「これが待機センター……」

「私も中まで入るのは初めてですね」


 巨大なホールに整列する乳白色のカプセル。百はあろうかという機械の鞘の中には、ピンクの液にひたる人が浮かぶ。


 要治療者待機センターと呼ばれるこの施設は、十年程前、アメリカに次いで日本でも実用稼動が始まった。

 患者の身体機能を可能な限り低下させ、病状の悪化を遅らせることが、ここの目的である。カプセルの中には、骨髄などの移植手術や、難病用の新薬開発を待つ者たちが入っていた。


 太い円柱状の柱を中心にして、運営されるホールは八つ。待機センターは、空から見れば巨大な円形の建物だった。

 北側に隣接して、最先端の医療技術を誇る病院も在り、どちらも常にフル稼動中である。

 入院希望者は引きも切らず、とてもここだけでは収容できないため、第二センターの新築も計画中だそうだ。


「スタッフは、数人でこの患者全員を看るのか。大変だな」

「そうでもないみたいですよ。比較的病状の安定した患者さんばかりですから。医療スタッフの仕事は、監視だけです」


 元々、火急の手術が必要な患者は待機センターには収容されておらず、早期に異常を発見した富裕層が大半を占めていた。

 病院と言うよりは長期航行用の宇宙船――そんな光景を横目に眺めつつ、二人の捜査官は廊下の奥にある階段を上がる。

 通報人は二階、中央管理室で、彼らを愛想良く歓迎した。

 坂本と名乗った所長と自己紹介を済ませ、涼也は早速要件に入る。


「繰り返しで済まないが、最初から説明してもらえるか?」

「では、こちらのテーブルへどうぞ」


 医療関係者にあるまじき腹の出た所長が、神経質そうに額の汗を拭きつつ、涼也たちを座らせた。

 通報によると、仮想現実が影響して、患者の容態が悪化した懸念があるらしい。

 この待機センターの何よりの特徴が、このVRの導入だ。冷凍睡眠のような仮死状態ではなく、彼らの脳はセンターの用意した世界で生きていた。

 待機中、単独で自分の持つ記憶を辿る者も多いが、他者と生活を共有したがる人間も少なくない。そんな人々に提供されるのが、現実世界を模した仮想空間だった。


 このセンターについての涼也の知識は、ここに来るまでに綾加から教えてもらったものである。

 一般に馴染みのある施設ではないため、民間から登用された彼は、ここの実態には疎かった。ただ、かなり特殊なVRであることは想像に難くない。


 過度の興奮や、心的ショックが悪影響を及ぼしたのか。専門家の意見を聞きたいのだろうというのが綾加の予想であり、涼也もこの時点では、アドバイザーとして呼ばれたと考えた。


 三人が座るのは、コントロールパネルやモニター群から離れた部屋の奥の事務テーブルだ。

 所長以外の五人の職員は、彼らに顔も合わせようとせず、忙しく通常の仕事を続けていた。

 所長はタブレットを操作し、机の上に浮かぶ中空エアモニターへ昨今の概況を映す。彼の指が差したのは、氏名の記されたリスト、その一番上である。


「一週間前、患者の脳波に異常が見られ、共有現実から帰還させたところ、昏睡状態に陥っていました」

「第三ホール……病状悪化の可能性は?」

「ゼロではありません。しかし、それまで安定していた上に、軽度の癌患者でしたから……」

「考えにくい、か」

「ええ」


 その後、二番目、三番目と昏睡者の報告が続くと、涼也は一度話を止めさせる。


「ちょっと待ってくれ、一体何人の昏睡者が出たんだ。人数は聞いてなかったぞ?」

「昨日までに八名が昏睡し、今朝一人が亡くなりました」

「死亡者だって?」


 センター開設からこれまでの平均年間死亡者数は、〇・二人以下だと聞く。昏睡者も多過ぎるし、それ以前に、なぜもっと早く通報しないのか。

 所在なげに視線を彷徨さまよわせる所長を、彼は胡散臭げに見つめた。

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