電海に灰が舞う
高羽慧
1 共有現実
01. チート
凍えそうなブリザードが、視界を大きく遮る。
氷原の端、山の急斜面を滑り降りて来たところで、彼は無反動ライフルのスコープを覗いた。
「熱源探知」
呟きに合わせて、一面の白が、極彩色のサーモグラフィーへ切り替わる。
前方を横切る大きな赤い物体が二つ。その二体に付き従う、小さな赤点が三体。アイスライノ、毛深いサイの親子だ。
「……音響探知」
対象が騒々しいなら、こちらの方が索敵範囲に優れている。期待を裏切らず、アイスライノたちの奥に、オレンジ色に視覚化された反響音が確認できた。
ターゲットは、氷原を越えた先の樹林帯で交戦中らしい。
彼は腰のアイテムパックから試験管型の耐寒剤を取り出し、ゴム質の蓋を噛み捨てて仰ぎ飲む。薬無しで氷原に突っ込むと、ダメージが酷い。
更なる気温の低下に備え、武器、弾薬もチェックしてから、吹きすさぶ雪の中へと歩み出した。
アイスライノを射程内に収めるまで進み、親の一匹にペイント弾を撃ち込む。驚いた獣の群れは、軽く咆哮した後、西の山岳エリアへ逃げた。
邪魔が消えたのを見て、ピンポン球大のアイテムボールを撒きつつ、更に前進。森林に充分接近し、もう一度スコープで音響反応のあった場所を窺う。
氷りついた樹林は寒々しいものの、吹雪は茂る枝で多少抑えられ、今度はターゲットの姿を目で捉えることができた。
既に戦闘は終了し、敵は仕留めた獲物へしゃがみ込んでいる。
この雪と氷の世界の支配者は、金属の表皮を持つ大型のサーベルタイガーだ。羽根まで付いており、先ほどの親サイの二倍近い体長を誇る。
その異形の虎に、貴重な素材を求める
氷原のボスに挑もうとした四人のハンターは、予想外の敵に襲われて雪の上に横たわっていた。人狩りのナルの仕業だ。
――さて、こちらも狩らせてもらおうか。
剣虎の弱点は火炎、攻撃方法は強靭な爪と氷のブレス。ハンターたちは通常、火属性の武器を選び、耐氷防具で身を固めるものだ。
対して、ナルは赤い火炎竜素材のフル装備を纏っている。低温に弱い装備では、氷雪を口から吐き出す剣虎の良い獲物で、最初からハンターを狙っていたのは明白だった。
だが、それはこちらも同じ。氷結弾を弾室に送り込み、銃先をターゲットへと向ける。渇いた破裂音が、氷の平原に走った。
弾は目標の肩辺りに着弾し、一瞬、尖った
敵が態勢を崩した隙に、もう一発、次はペイント弾を同軌道で放つ。元より、数発で倒せる相手だとは思っていない。であれば、マーキングを優先する。
長距離からの奇襲、しかも連撃となれば、ナルも多少は驚いたことだろう。
しかし、敵は鎧に付着した氷を払いのけると、冷静にこちらへ振り返り、右手に持つボウガンを構えた。
ライトボウガンは連射力に秀でているものの、射程は短い。大型ライフルの特性は、その真逆。
この銃射程であれば、本来はボウガンの攻撃範囲外だ。可能なら、この距離を保ったまま討伐したい、それが彼の思惑だった。
スコープの中で、ナルは発射口を空高く向けて掲げる。
――クソッ、やっぱりか。殲滅用の矢も持っていやがった。
彼は即座に反転し、氷原の真ん中へと猛ダッシュする。
上空を狙う射撃姿勢は、ライトボウガン唯一の長射程攻撃、
単独行動しかしないくせに、面倒な物を持っていやがると、思わず零しそうになる。
空高く撃ち上げられた赤い矢は、頂点で無数に分裂して、周囲を暖色で照らした。無慈悲な矢の雨が、雪中に降り注ぎ、氷の大地に次々と穴を
全力で駆ける彼の背後に、矢の落下するヒュルヒュルと風を切る音が追い縋った。矢雨の範囲外まで待避するのは、このままでは少し厳しい。
赤い矢が腕を
矢雨の継続時間を見越した、最大跳躍での回避。タイミングに狂いは無い。
安全域に脱した彼は、雪に塗れてゴロゴロと真横に転がり、仰向けのままライフルを森へ向けた。わずかに頭を持ち上げ、銃口をブーツの平たい爪先に乗せる。
地表スレスレの水平射撃、これを最大限に生かすのは滑地弾。
「トレースモード」
ピンクのワイヤーフレームが、眼前を升目に区切る。一点、氷の上を駆け寄ってくるのが、ペイント弾を受けた標的だ。
滑地弾は威力も弾速も低レベルの曲芸射撃で、趣味弾などと揶揄されたりもする。それでも、メリットは存在した。
目標さえ指定できれば、この弾はホーミングして敵を追う。敢えて狙いを大きく外して、彼のライフルが火を噴いた。
標的の十五メートル右へ。次弾を直ぐに装填し、八メートル左へ。更に右、上空、斜め上へと、持てる滑地弾を総動員して弾幕を張る。
必ず次弾までにタイムラグが発生する通常のライフルでは、こんな連続射撃は不可能だ。
彼だから出来る連弾の圧力に、さしものナルも足を止め、防戦に専念する。
地を這うつむじ風のように、弾は四方から敵に迫った。
攻撃は直撃も生むものの、半数は前転を繰り返して無効化されてしまう。回転運動で回避するのは、ハンターの基礎技術だろうが、半数でもライフル弾を避けるとは達人級の腕前だ。
それでも時間は稼げた。敵が回避に集中している間に、
高級素材を惜しみ無く注ぎ込んだレア弾、滅竜氷撃“絶影”。
発射まで時間が掛かるだけのことはあり、威力は申し分ない。ナルの来ている竜鎧、その素材元の火竜の翼に、一発で穴を空ける攻撃である。
滑地弾でダメージを負った鎧なら、これでどこかが砕けて、無防備な格好を晒すだろう。
回避を終え、ようやくライトボウガンが届く圏内に進めたターゲットへ、絶影が発射された。
キュルキュルと唸る弾の推進音は、魔獣の悲鳴を思わせる煩さだ。
特徴的な音を聞くと、すぐさまナルは回避行動を――
――あの野郎。まさか自分がキル対象になることまで、想定してたのか?
敵は回避など行わず、ボウガンで絶影を真っ向から撃ち落とす。
竜撃“黒矢”――絶影が火竜を滅ぼす攻撃なら、黒矢は竜の力を矢に乗せ放つ強攻撃。
互いの力が拮抗して、氷の地表をえぐる衝撃波と共に、二者の中間地点でエネルギーが爆散する。
ほんの一瞬で黒矢を射るデタラメな反射運動も大概だが、そんな矢を用意していたことに、彼は僅かに感心した。
ただ弱者をいたぶるだけの偏狭な自己愛者とは、少しだけ違うようだ。ルールを無視する者同士での、極限の殺し合いを好む戦闘狂か。
舞い上がる氷塵の中から、その無法者が現れ、彼の方へと歩いて来る。
次はこちらの番だとばかりに、ボウガンが彼へ向けられた。ナルは氷原の中央に立つ。
「ふん……悪いが、これで詰みだ」
彼は鉄球型のリモコンスイッチを押し込む。反応は、ナルを囲むように数カ所で発生した。
トラップで捕まえることこそが、彼の最終目的だ。先ほど氷原に撒いた罠が発動して、電磁の檻が敵を縛り付ける。大型獣だけを自動拘束する電磁網、但し、彼の物は遠隔操作な上、人も捕まえる特別製である。
武器を落として藻掻く男へ、立ち上がった彼がゆっくりと歩み寄った。
ナルはウンウンと唸りながら、コマンドを片っ端から試すが、何一つ起動しない。
「無駄だよ。ログアウトも不可だ」
「なっ!? 基本システムの根幹から
「俺はチーターじゃない」
「よく言うぜ、ライフルで連射なんて、チートじゃなきゃできねえよ」
捕獲対象の名は通称ナルまたはヌル。ID欄が
彼は腰から小型の銃を抜き、ナルの疑問に答えた。
「転送捜査官の真崎だ。データの不正改竄、並びに業務妨害の現行犯で逮捕する」
「警察かよ! ゲーマー捜査官なんて、都市伝説じゃなかったのか……」
「お前らみたいなのは、警察権限を発動させた途端、ログアウトして逃げるからな。仕方なく付き合ってやってるんだよ」
その警察だけが使用する電磁トラップは、対象者の自由を奪う。
捜査のための各種裏技は、マスター権限より強く、今のVRゲームには必須の仕様だった。国家機密より強固なセキュリティで保護されていると言われ、この各ゲームに付属するブラックボックスを解析、改竄したハッカーは今のところいない。
真崎の握る小さな武器は実銃そっくりなVR
「おいっ、やめろよ……」
「大人しく寝ろ」
引き金が絞られ、閃光がナルの体を包む。
瞬時に身体機能を停止させられ、悪名を馳せたプレーヤーキラーは命を奪われた。
麻痺銃は、対象プレーヤーの活動を強制終了させる。仮想ゲーム上のアバターは死亡し、麻痺するのはキャラクターを操る現実の本体だ。
一般的には禁止されている激しいフィードバック機能を、麻痺銃は起動させ得る。今頃、ナルは端末の前で痺れ、位置情報を垂れ流しているはず。
現実のナルを捕まえるのは近場の逮捕班の仕事であり、真崎の任務はここで一旦、終了となる。
倒した他のプレーヤーの金品を奪わなければ、警察が出張ることもなかった。ナルはやり過ぎたということだ。
「ログアウト」
“本当にログアウトしてよろしいですか?”
「OK」
彼の返事と同時に、世界は暗転した。
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