第8話
今日は午後からここに来ている。土曜日だから朝から家を出る必要はない。
午後2時を過ぎた頃、ドアが開く音がして振り返る。
「あれ?」
桂吾ではなかった。少し年上だと思われる男女が驚いた様な顔でこっちを見ていた。
「びっくりした~。幽霊かと思った。」
男が笑いながら言う。
「先客?一人で心霊スポットとか勇気あるじゃん。」
「もしかして自殺志願者だったりして?」
派手な女が下品に笑う。感じの悪い二人が嫌で私はその場を離れようとした。
「おい。無視すんなよ自殺志願者。」
乱暴な言葉に脚がすくむ。
「見ててやるから飛んでみろよ。決定的瞬間ってネットに動画上げるからさ。」
「ほら。飛~べ、飛~べ、飛~べ」
女がスマホを向け、男が煽る。
脚が震えて涙が込み上げてきた。怖い。
「ほら早くしろよ。」
男がそう言った瞬間、女の持っていたスマホが弾き飛んだ。カラカラと乾いた音を立てながらコンクリートの上を滑るスマホに二人は何が起こったのか解らずに立ち尽くしている。そして、次の瞬間、男が膝から崩れ落ちた。
あまりに突然でそれが桂吾がスマホを叩き落とし、男を殴り飛ばしたのだと理解するのに時間がかかった。
女は悲鳴を上げ、桂吾には目もくれずよろける男を引きずるように逃げて行った。
桂吾は女のスマホを拾い上げると何の躊躇もなく屋上から投げ棄てた。
「大丈夫か?」
私は声もなくコクコクと頷いたが恐怖と安心から涙が溢れ出すのを止められなかった。
「もう大丈夫だから…。」
桂吾は優しく肩を抱いてくれた。恐怖は消えて安心感だけが残ったけど、やっぱり涙は止まらなかった。
「もう大丈夫…。ありがとう。」
未だ鼻の奥に残る涙をすすりながら私は言う。
「たまにいるんだよ…ああいうの。夜に多いんだけど、昼間に来るのもいるんだな。俺も何度か花を荒らされた事がある。」
桂吾はいつもより感情のない小さな声で言った。
「でもいきなり殴るなんて喧嘩っ早いじゃない。桂吾はやっぱりハイルナーね。」
「まずかったかな?」
「きっと世間的にはまずいんでしょうね。でも、私は……」
「嬉しかった」と言いたかったけどその言葉は何か違う気がして止めた。
「まあ、殴ってしまったのは反省しよう。」
「うん。でも、ありがとう。」
二度目の感謝を伝えると桂吾はやっと笑顔になった。
「もういいさ。…で、どこまで読んだ?」
「桂吾が私はハンスじゃないって言ってくれた意味が解ったわ。…でも、やっぱり私はハンスに似てると思っちゃったのよね…。」
桂吾は黙って聞いている。
「心が病んで死の誘惑に襲われる。そしてハイルナーが退学してからは酷いものでしょ?まぁ、心が病んだのはハイルナーのせいではないけれど、自殺願望を持った私はやっぱりハンスよ。」
「でも、ハンスからはハイルナーが去ったけど、瑞穂からは俺は去ってないだろ?」
「いなくならないでね…。」
「ああ…。」
そう言ってくれたけど桂吾の心には美和さんがいると思うといなくなったはずの涙が顔を出しそうになった。
桂吾は私の事をどう思ってるんだろう。私の気持ちに気付いているんだろうか。聞く勇気もなく何気ない会話を陽が傾くまで続けた。
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