第24話 さよならとアルバム
「……ありがとうございました」
教壇に立っている華恋が頭を下げる。謝罪でもするような深い角度で。
その直後に教室中から拍手が発生。クラスメートを見送る音が辺りに飛び交った。
「ふぅ…」
席へと戻る彼女の姿を目で追っていく。本日は最後の登校日。転校生が再び転校してしまう区切りの日だった。
「うおりゃあっ!! 遠くへ行ったとしてもお前らはずっと俺の大切な生徒だからな、うおりゃあっ!!」
担任が声を荒げて叫ぶ。目を充血させて号泣しながら。
華恋が席に着くとそのまま帰りのホームルームは終わり。自動的に解散となった。
「忙しそうだなぁ…」
先生が教室から出て行くのを見計らってクラスメート達が一斉に動き出す。転校生への事情聴取目的で。それは当然の光景だった。ほとんどの生徒は直前まで顛末を知らされていなかったのだから。
「雅人」
「なに?」
人垣で賑わう場所を遠くから眺める。すると騒ぎに参加していない女子生徒が単独でこちらに歩み寄ってきた。
「アンタは行かなくていいの? あそこに」
「邪魔しちゃ悪いかなぁと思って」
「……そっか」
どうやらすぐに状況を把握してくれたらしい。こうなる事を想定していた華恋から待機していてほしいと頼まれていたのだ。
「明日なんだっけ? 行っちゃうの」
「うん。昼の新幹線で」
「あ~あ、最後にもう1回ぐらい遊びに行きたかったなぁ」
「行けば良いじゃん。この後ヒマだって言ってたよ」
「嘘つき。一緒に帰る約束してるんでしょ?」
「ま、まぁ…」
気を遣うがアッサリと虚偽を見抜かれてしまう。情けなさを通り越して感心してしまうレベルで。
「最後なんだから2人で帰ってあげなさいよ。アタシの事は良いからさ」
「……智沙って良い奴だよね」
「あ? 急にどうした」
「女だったら惚れてたかもしれない」
「テメェ、この野郎ーー!!」
「ぎゃあああぁぁっ!?」
彼女が後ろから首を絞めてきた。本気ではないので痛みはない。しばらくするとクラスメート達に別れの挨拶を済ませた華恋もやって来た。
「お待たせ……って何やってんの?」
「た、助けてくれ。殺される」
首に回された腕をポンポンと叩く。しつこく何度も。
「コイツが先に帰ろうとしてたから引き止めておいたのよ。まったくコイツは」
「……ちょっと、一緒に帰るから待っててって言ったじゃない。どうして先に帰ろうとしてんのよ」
「いや、違…」
「ひっどい奴よねぇ、可愛い妹を置き去りにしようなんて」
「本当だわ。これは一発お仕置きが必要みたいね」
「だから違うんだってば。話を聞いてくれ」
女子2人が勝手に話を進行。言い訳の言葉を全く聞き入れようとせずに。そして拳を握り締めた華恋は本当に腹部にぶつけてきた。
「いったいな。何するんだよ」
「先に帰ろうとしたアンタが悪い。薄情者、薄情者」
「もう良いの? 気は済んだ?」
「……そうね。雅人は殴れたし、皆にはお別れの挨拶出来たし満足かな」
「そっか。なら行こっか」
辺りを見回してみればほとんどの生徒は既に教室から退散済み。残っているのは自分達みたいな帰宅部だけ。
「んーーっ、じゃあアタシは職員室に行ってこようかな」
「あれ? 呼び出しでも喰らったの?」
「違うわよ。ちょいと先生に相談したい事があってね」
「相変わらず真面目だなぁ」
「はっはっはっ、もっと誉めろ」
「……ん」
智沙が予定を語りながら背筋を伸ばす。それが気を遣った発言であるとすぐに理解出来た。
「華恋さーーん!!」
「お?」
感謝の気持ちを噛み締めていると後ろから叫び声が聞こえてくる。妹の名前を呼ぶ声が。
「本当に……本当に転校しちゃうの?」
「えと、まぁ…」
「なら明日から俺はどうやって生きていけば…」
「さ、さぁ?」
「お願いします。俺と付き合ってください!」
「はぁ?」
その正体は情緒不安定に陥っている友人。ヤケクソ気味の颯太が涙目で告白を始めた。
「頼んます。遠距離でも構わないので付き合ってください」
「いや、突然そんな事言われても…」
「一生のお願いです! ずっと好きでした」
「ちょっ…」
「うんと言ってくれなかったら死んでやる! そこの窓から飛び降りてやる」
精神状態が崩壊しているのか身勝手な言い分を振りかざし始める。傍から見ても見苦しい主張を。
「付き合ってくれ! じゃないと…」
「うるせええぇぇぇーーっ!!」
「げっ!」
2人の間に割って入ろうとした時だった。華恋の平手打ちが颯太の頬に炸裂。
「いってぇ!?」
「さっきからしつこいんだよ、アンタは。私が嫌がってんのが分かんないのか、あぁ!?」
「……へ?」
「自分勝手な奴は大っ嫌い! そもそも私、アンタみたいな男タイプじゃないから」
「ちょ、ちょっと」
「窓から飛び降りたいならどうぞ。誰も止めはしないわよ」
「華恋!」
叫ぶ側と聞く側が入れ替わる。すぐさま彼らの間に飛び込んで口論を阻止した。
「そういう訳でアンタとはおさらばだから」
「そ、そんな!」
「じゃあねぇ~」
続けざまに華恋が手をヒラヒラとさせる。永遠の別れを意味を込めて。
「お願いします! 悪い所あったら直します。だから付き合ってください」
「ちょ……なんで殴られたのに迫ってくんのよ。普通、ここは呆れるとこでしょうが」
「いや、今の一発で目が覚めました。ぜひ俺をアナタ様の下僕にしてください」
「は、はぁ!?」
「俺はアナタみたいな人がいないと生きていけないタイプなんです。これからもご指導お願いします」
しかしめげない友人が制服にしがみついた。両目をキラキラと輝かせながら。
「……えぇ」
どうやら今の制裁で何かを呼び起こしてしまったらしい。予想外の反応に戸惑った華恋は困惑した表情でこちらを見てきた。
「ん…」
なんとかしろという事なんだろう。その目からは『はよ助けんかい』という意志表示がハッキリと確認出来た。
「アンタ、しつこい」
「いででっ!?」
その時、意外な伏兵が現れる。やり取りを黙って見ていた智沙が後ろから颯太の首をロックした。
「ハッキリ断られたんだから諦めなさいよ。アンタはもう振られたの」
「い、嫌だ。絶対に諦めんぞ」
「まだそういう見苦しいこと言うか!」
「ぐええぇぇぇっ!?」
強力なチョークスリーパーが炸裂する。手加減なしの攻撃が。
「……華恋、行こう」
「え?」
続けて智沙がこちらに目配せ。アイコンタクトの意味を瞬時に理解すると隣にいた人物の手を引いて教室を脱出。2人で廊下を走った。
「はぁっ、はぁっ…」
下駄箱までやって来た後はスニーカーに履き替えて外へ。華恋は上履きを袋に入れて持ち帰り。校門を抜けた所で駆け足していた動きを止めた。
「あーーっ、ビックリした」
「それはこっちのセリフだよ。いきなり豹変するんだもん」
「だって頭にきたし」
「最後の最後でやっちまったね。颯太の奴、唖然としてたじゃん」
「嫌われようとして叩いたんだけどなぁ。まさかああくるとは予想外だった」
今頃は血祭りにあげられている所か。その現場を見たいが確認しに戻る訳にはいかない。
「でもアイツの事、嫌いじゃなかったわよ。もちろん今もね」
「華恋の趣味を一番理解してくれる男だったもんね。ある意味貴重だよ」
「良い人だったなぁ、皆…」
振り返って学校全体を見渡した。オレンジ色の夕日に包まれた校舎を。
「ん…」
彼女が淋しそうな表情を浮かべる。侘しさや心残りを混ぜ合わせたような顔を。
「……じゃあ行こっか」
「うん…」
ほんの少しその場で佇んだ後、2人で並んで歩いた。もう二度と一緒に辿る事はないであろう道を。
帰りの車内で華恋はずっと無言。話しかけても軽く相槌を打つのみ。
家に帰ってきてからはリビングでテレビを見ていた。何かをするわけでもなく黙って時間が過ぎるのを待つだけ。
「ただいまぁ」
「おかえり」
そして両親や妹もいつもより早く帰宅。母親に何が食べたいかを聞かれ華恋はカレーをリクエスト。なので自分の好物が最後の晩餐となってしまった。
食後は皆でソファに座ってテレビ鑑賞。今までの事や、これからの事、思い出話と感謝の言葉を綴りながら過ごした。
順に風呂に入り歯を磨くとそれぞれの部屋へと退散。5人で過ごす最後の晩はいつも通りに終わってしまった。
「……もう明日か」
電気も点いていない暗がりの部屋で寝転がる。両手を枕との隙間に敷き詰めて。
華恋が転校を決意してから今日までがあっという間だった。バイトも辞めて、クラスの皆にも挨拶して、荷物も纏めて。あとは本人がこの家を出て行くだけ。
明日のこの時間にもう彼女はいない。自分の知らない遠い世界へと引っ越してしまうから。
「はぁ…」
淋しいという感情は何故湧いてくるのだろう。その人の姿が見えないからか。それとも声が聞けないからなのか。
心の奥底から今までに経験した事がない気持ちが湧き出してくる。それは出来る事なら投げ捨ててしまいたい感情だった。
「……もう寝た?」
「寝た」
しばらくすると部屋の扉が開く。問い掛けに返事をした瞬間に訪問者がそそくさと中に進入してきた。
「あ、あのさ…」
「一緒に寝たいの?」
「え?」
言われるであろう台詞を先に口にする。予め覚悟していた状況を。
「い、良いの?」
「……ん」
「お邪魔します…」
体を壁際へと移動。空けた1人分のスペースに華恋がのそのそと入り込んで来た。
「淋しかったの?」
「べ、別にそういう訳じゃ…」
「僕は……淋しかった」
「そうなんだ…」
視線を合わせず頭上を見つめる。月明かりの光でぼんやりと視認出来る天井を。
「向こうに行ったらまた何かバイトやるの?」
「分かんない。とりあえずあっちの環境に慣れないといけないし」
「優しい人だと良いね、親戚の人」
「私みたいなのを引き取ってくれようってんだから優しいわよ、きっと」
「……そうだね」
実の母親の親戚。自分も半分はその一族の血を引いているが実感は湧いてこない。
「おばさんのカレー美味しかったね」
「うん。でもどうしてカレーだったの? 自分の好物を選べば良かったのに」
「わざわざ豪勢な料理を作ってもらうのも悪いかなぁと思って」
「最後まで遠慮しいな奴だなぁ」
「別に良いじゃん…」
さすがに満漢全席は無理だが多少の贅沢には目を瞑ってくれただろう。もったいない事をした気がした。
「ねぇ…」
「ん?」
「どうして今日は出てけって言わないの。今までなら嫌がってたのに」
温もりを感じていると彼女が話しかけてくる。不安そうな声で。
「言ってほしいの?」
「うぅん。じゃなくて少し疑問に思って」
「だって言っても聞かないでしょ? 素直に聞き入れるぐらいなら最初からこの部屋に来てないハズだし」
「そ、そうなんだけどさ。もし反対されたら床に布団敷いて隣で寝かせてもらおうかと思ってたんだけど」
「じゃあ今から床で寝ると良いよ」
「……やだ」
続けて服の袖を握り締めてきた。離れたくない意志を訴えかけるように。
「最後だから?」
「かもね。あと淋しかったし」
「今さら泣いて喚いたってもう遅いわよ。明日には出て行っちゃうもんね」
「分かってるってば…」
ここまで来て駄々をこねるのは子供のやる事だ。本当に引き止めたいならもっと早くに行動しなくてはならない。ただ今だけは一緒にいたいと思っていた。
「今の私達の姿をおじさん達に見られなら何て言われるかな」
「呆れられるか笑われるんじゃない?」
「それだけで済むかしら?」
「済むさ……多分」
根拠はない。あくまでも勝手な憶測。
「これいつ寝るの? 朝までずっと喋り続けそうな気がするんだけど」
「なら徹夜でお喋りしちゃう?」
「アンタは帰って来て寝れば良いけどさ。私は明日、長旅なんだから少しでも体力を温存させておきたいんだけど」
「新幹線の中で寝たら良いよ。どうせ暇なんだから」
「うわ、ひでぇ」
「しっしっしっ…」
他愛ない冗談で盛り上がる。知り合ったばかりの頃では考えられない親密さで。
不思議と眠気は感じていない。むしろ失われていく時間を惜しく感じていた。
「……短かったね」
「何が?」
「この家に来てから今日までが」
「そうかな。僕は結構長く感じたけど」
「私はあっという間だった。今までの人生の中で一瞬だったぐらいに」
「一瞬…」
それだけここでの生活が楽しかったという意味だろうか。もしそう感じてくれているなら嬉しい。
「もうずっと覚悟してた。この家からいなくなる事を」
「……うん」
「自分でも立ち直れたと思ってた。割り切れたんだって…」
「ん…」
「でも、でもね……やっぱりいなくならないかと思うと、淋しい」
息を詰まらせた言葉が聞こえてくる。隣で喋る人物の声はいつの間に震えていた。
「うっ、あぁ…」
「……うん」
「んぐっ、うぁ…」
「僕も淋しいや…」
「ああぁっ、うぁあっ…」
そしてそのまま嗚咽する。抱えていた何かが弾けたかのように。
もしかしたら笑っていたのは堪え続けていただけなのかもしれない。泣き叫びたい程の悲痛な感情を。
「華恋」
「……なに?」
そんな彼女に向かって呼びかけた。小さな声で。
「前に3年生の先輩に告白された時の事って覚えてる?」
「覚えてるけど……それがどうしたのよ」
「あの時、言ったよね。代わりに断ってくれたら何でもお願い事を聞いてあげるって」
「言ったけど…」
「アレ、まだ有効かな?」
言葉に反応して彼女が手の動きを止める。涙を拭う仕草を。
「有効ってアレは…」
「華恋が1日だけ妹になるって勝手に決めちゃったでしょ? でも華恋は本当に僕の妹だったんだから無効になるんじゃないの?」
「そうかもね…」
「ならまだあの時の約束は果たされてない訳だ。だよね?」
「……何が言いたいの」
「今更こんな事を言うのは都合が良いと思う」
ずっと考えていた。どうすれば良いのかを。
「せっかく新しい環境で頑張ろうとしてる華恋の決意を鈍らせる事になっちゃうかもしれない」
「決意…」
「すぐにじゃなくて良いから、ずっとずっと先でも良いから…」
「え、え…」
「いつかまたこの家に戻って来てほしい」
かすれるよう声を絞り出す。気が付けば無意識に胸元のシャツを力強く握り締めていた。
別れの淋しさが辛いのは彼女だけではない。自分も同じだった。
「……聞こえた?」
「うん、聞こえた」
「そっか…」
問い掛けに対して肯定的な台詞が返ってくる。胸に抱いた不安を解消してくれる言葉が。
「ふぅ…」
それから数秒間は沈黙が継続。お互いに一言も発さない状況が続いた。
「あ、あの…」
「ん?」
「返事は?」
「へ?」
「いや、だから今のヤツの返事」
その静寂が耐えられずに自ら口を開く。振り向いた先にあった唖然とした表情を捉えながら。
「あ、あぁ! 返事ね、はいはい」
「本当に聞いてたの?」
「う~ん、どうしよっかな」
「ん…」
突き返されそうで怖かった。一方的で身勝手なワガママを。
「……そうね、そんな頼み事されたら聞いてあげない訳にはいかないわよね」
「じゃ、じゃあ…」
「ちゃんと戻って来るよ。いつになるか分からないけど」
「……本当に?」
「うん、だから安心して。そんな泣きそうな顔しないでよ」
彼女が顔に向かって手を伸ばしてくる。目元から流れ出る雫を拭うように。同時に胸の奥底から不思議な物が湧き出してきた。決して不快ではない感情が。
「華恋っ!」
「きゃあっ!?」
名前を呼びながら彼女に近付く。腕を首に回して力いっぱい抱き締めた。
「あ、ゴメン」
「……ビックリしたぁ」
「悪い、つい…」
「そんなに嬉しかったんだ。私が戻って来るって言った事が」
「ま、まぁ」
「ひっひぃ~」
「……なにさ」
声に反応して絡めていた腕を解く。照れ臭くなって。
「ちょっ…」
「んっ!」
「……っ!?」
直後に彼女がこちらに向かって急接近。頬に奇妙な感覚が走った。
「な、何してるの!?」
「これでおあいこでしょ?」
「どこがおあいこなのさぁ…」
「ひひひ…」
問い詰めるが軽くかわされる。すぐ目の前には悪びれる様子のない表情が存在。それはまるで小悪魔と天使を混ぜ合わせたような笑顔だった。
「忘れ物は無い?」
「はい、大丈夫です」
翌日、華恋の見送りの為に駅へとやって来る。家族全員揃って。
私物は前日に郵送済み。早ければ今日にでも向こうの親戚の家に届くらしい。
なので旅立ちの手荷物は少量。キャリーバッグが1つだけ。以前、コスプレイベントに行った時に香織に借りた物だった。
「本当に忘れ物ない?」
「大丈夫だってば。昨夜のうちに確認したもん」
「でも今朝だって玄関から出た後に一度引き返してたじゃないか」
「あ、あれはその…」
「まぁ、良いや。もし何か忘れ物あったら荷物で送れば良いだけだし」
多くの人々が行き交う駅構内で言葉を交わす。既に切符は買い終えたので後は改札をくぐるだけ。
入場券を買えば自分達も中へ入れるのだが本人に拒まれてしまった。ここで別れるのも車両で別れるのも同じだと考えているのだろう。
「駅弁は買った?」
「上で探すつもり」
「あ……本当に買うんだ」
「何よ?」
「いや、別に」
もしかしたら彼女なりの決意の表れなのかもしれない。ホームまで見送りに行ったら新幹線に乗らずにやり過ごしてしまう可能性もあるから。
だが1人で改札をくぐればもうそこに知り合いはいない。誰にも頼らず己の力のみで進み続けなくてはならなかった。
「ふぅ…」
昨夜泣いたせいかあまり淋しさは込み上げてこない。華恋の顔からもそんな感情を読み取る事が出来る。
家族がいる手前、取り乱す姿を見られる事に抵抗があったから助かった。もし2人きりの別れだったら正常でいられなかったかもしれないから。
「んんっ…」
それでも多少なり気持ちの乱れは残っている。次にこうして顔を合わせられるのがいつになるか分からないので。
5年後か10年後か、ひょっとしたら永遠に訪れないかもしれない。またこうして普通に対面出来る保証なんてどこにも無かった。
向こうに行ったら新しい家族に囲まれて、新しい友達を作って、そして新しい好きな人を見つけたり。そんな成長した妹の姿を想像すると何故か胸がチクリと痛んだ。
「華恋さん、元気でね」
「ありがとう。香織ちゃんも勉強頑張ってね」
女性陣2人が抱き合う。ハグというより背の低い香織が華恋の胸に飛び込んだ形で。
「また遊びに来てね。待ってるから」
「うん、必ず来るよ。ここは私にとって故郷みたいな物だし」
「あ、そっか。なら遊びに来てじゃなく、帰って来てくださいって言わないとダメだった」
「あははは、ありがとう」
いつの間にかこの2人も仲良くなっていた。自分の知らない所で。
華恋のこの笑顔はきっと作った物ではなく本物。だから香織の目からうっすら流れている涙も本物だった。
「……じゃあ、そろそろ行きますね」
「あっ…」
「ん?」
思わず声が漏れる。バッグに手をかけた彼女を呼び止めようと。視線が交わったがすぐに逸らした。
「えっと、長い間お世話になりました」
「こちらこそ色々ありがとうね。家の事とか、この子達の世話とか任せちゃって」
「いえ、そんな」
「また帰って来てね。本当にいつでも良いから」
「ありがとうございます」
長い髪が地面に向かって垂れ下がる。首に付けたハート型のペンダントと共に。
改札をくぐると彼女は奥へと移動。振り向き様に切符を持っている手を小さく動かしてくれた。
「あ…」
その仕草に応えるように自分も同じ動作を返す。しかしその反応を見てくれたかどうか分からないタイミングで再び奥に向かって歩き始めた。
「んっ…」
ずっと見続ける。もう二度と見られないかもしれないその背中を。
すぐそこにいるのに。叫べば声が聞こえるぐらいの距離なのに。もうその体に触れる事は出来ない。
追いかけたいがその選択肢は選べない。そして心の中で葛藤している間に大切な人は姿を消してしまった。
「……行っちゃったね」
「うん…」
隣にいた妹が小さく呟く。普段の陽気なテンションとは正反対の穏やかな口調で。
ひょっこり階段を下りて戻ってきやしないか。忘れ物を取りに引き返してこないか。心のどこかでそんな都合の良い展開を期待。けれどその淡い希望が実現する事はなかった。
「お~い、行くぞ」
「……分かった」
立ち尽くしていると父親が声をかけてくる。去り際に何度か振り返って見たが結果は同じ。
家に帰る前に皆でファミレスに寄る事になった。数ヶ月ぶりとなる4人だけの外食の為に。
食事を済ませた後はドライブがてら遠回り。帰り道で母親が何度か話しかけてくれたが曖昧に頷くだけ。
帰宅してからは仮眠する為に部屋へ戻った両親を見送ってリビングでテレビを見ていた。なんとなく1人になりたくなくて。香織も同じ気持ちだったのかクッションを抱きかかえたままずっと隣に座っていた。
「はぁ…」
本当にいなくなってしまった。今朝まですぐそこにいた女の子が。
意識の中に押し寄せてくるのはどうしようもない程の虚無感。心にポッカリ穴が空いたという例えはまさに今の自分にピッタリだった。
「ん?」
「……むにゃあ」
「ヨダレ凄いな…」
「大根50本くださぁい…」
「寝言も凄い…」
太陽が真横に傾きかけた頃、隣からスヤスヤと寝息が聞こえてくる。どうやら疲れて眠ってしまったらしい。
「よいしょっと」
別室から毛布を調達。ソファに横たわる体にかけてあげた。
「ふぅ…」
面白い番組がやってなかったのでテレビの電源を落とす事に。リビングを出ると階段を上がって自室へと移動した。
「んっ…」
ドアを開けた瞬間に眩しい光が飛び込んでくる。窓の外から射し込む西日が。
「……あれ?」
その光景の中に違和感を察知。机の上に不自然な物が置かれていた。
「何これ…」
すぐに近付いて確認する。手に取ってみると卒業アルバムだと判明。薄くて重い本が2冊、小さな本が1冊、計3冊あった。
「……どうしてこんな物が」
自分の物ではない。パラパラと捲ったその中身には見覚えがなかった。写っているのは誰もかれも知らない人物ばかり。
「あ…」
一瞬迷ったがすぐに気付く。これは彼女の私物なんだと。
「華恋…」
急いでこの本の持ち主であろう人物を探した。ランドセルを背負っていた頃の妹を。
指でなぞり二組目のクラスで発見する。そこにはとても幼い顔立ちをした女の子が写っていた。
「えぇ…」
なぜ華恋のアルバムがこんな所にあるのか。もしかしたら荷物の中に入れ忘れてしまったのかもしれない。
「……いや、違う」
それならこの部屋にあるハズがない。意図的に置いていったと理解出来た。
「ん…」
以前にアルバムを見せてほしいと頼んでいた事を思い出す。まさかその約束を律儀に守ってくれていたなんて。
大雑把に閲覧した後は2冊目のアルバムを手に取ってみた。中学生へと進学した家族の記録を。
「……へぇ」
本心か作り物かは分からないが満面の笑みを浮かべている。他にも修学旅行だったりバスケの部活動をしている写真もあった。
「楽しそうだなぁ…」
この頃の彼女はどんな感じだったのだろう。友達をたくさん作れていたら嬉しい。趣味の合う仲間を。
「ほっ」
2冊目の卒業アルバムを机の上に置くと最後の置き土産に手を伸ばす。それは今までの物と違い、個人の写真を収めた本。写っているのは今までの中で一番幼い頃の華恋だった。
「あはは」
まだ床に手を突いて歩いている姿から始まる。何かを口に入れていたり、知らない大人に抱かれていたり、オモチャを振り回していたり。色褪せた写真の数々が時代の流れを物語っていた。
そのアルバムの中で少しずつ成長していく華恋。まるで数時間まで対面していた人間とは別人のように。
「七五三だ…」
着物を身につけて神社の前に立っている。千歳飴を武器にして。
続けて白いワンピースを着ての海水浴。口元を真っ赤にしてスイカにかぶりついていた。頬に黒い種を付けながら。
ページを捲ると黄色い帽子を被って入学式と書かれた看板の前に立っている。すぐ隣には黒いスーツを着た女性も存在していた。
「……お母さん」
その人物に注目する。食い入るように。意識の中のイメージとは違うが実感は出来た。この人が自分達を産んでくれた母親なんだと。
穏やかで大人しそうで。優しく微笑んでいるその表情がどこか懐かしく感じた。
「ん…」
それからも母親と思しき女性は何度もアルバムの中に登場。だがやはり華恋の姿を収めた本なのでほとんど拝む事は叶わなかった。きっとこれらの写真を撮影したのが母親なのだろう。
「……あ」
そしてページを捲っている時にある事に気付く。彼女の写真を撮った記憶が無い事に。
「そんな…」
急激に焦りが込み上げてきた。ずっと一緒に暮らしていたのにその姿を残した画像が一枚も無いなんて。
でも今更どうしようも出来ない。本人は既にこの家にはいないのだから。
「くそっ…」
自分が見ているこの写真の女の子は。本の中で微笑んでいる女の子は。朝に優しく起こしてくれた女の子は。もうここにはいない。その事実を理解した時、左右の目から冷たい雫が流れ落ちている事に気付いた。
「……華恋」
さっきまで側にいたハズなのに。昨日まで隣にいたハズなのに。これからもずっと一緒にいると思っていたハズなのに。
自分の思い出だけを押し付けるように彼女は消えてしまった。アルバムを見ないまま行ってしまった。あれだけ見せろ見せろと喚いていたのに。
「ん…」
感傷に浸りながらも閲覧をする手の動きは止まらない。ページが進むにつれ成長度合いも加速していく。
そして誕生日をお祝いするケーキと一緒に写っている姿が最後の写真だった。まだ小学生ぐらいの顔立ち。
きっとこの後に母親が入院してしまったのだろう。だからこの思い出はここで途切れてしまっている。
それから華恋は親戚の家に預けられ、何軒かの家をたらい回しにされ。そして我が家へとやって来た。
「……っう」
どんな気持ちだったのだろう。親元を離れ1人孤独な生活。想像しただけで辛くなる。
だけど彼女はそんな過酷な環境で生きてきた。そしてこれからも。
もしかしたら互いの人生が入れ替わっていた可能性だってある。そうだとしたら今この家に残っているのは自分ではなく華恋だった。
「ごめん…」
もっと優しくしてあげれば良かった。もっと力になってあげれば良かった。そうすればもっと笑っていられたハズだった。このアルバムの中の少女のように。
「あ…」
ふと最後のページの異変に気付く。不自然に貼られていたシールの存在に。
それはまだ自分達が双子だと知らない頃。初めてのデートで撮ったプリントシールだった。
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