第23話 郷愁と追憶

「……いなくなっちゃうんだ、華恋さん」


「うん。もう少ししたら親戚の家に行くんだって」


「電車? 飛行機?」


「新幹線って言ってたかな」


「そうなんだ……淋しくなるね」


 カゴを乗せたカートを押して歩く。香織と2人で近所のスーパーに買い出しに来ていた。


「華恋がいなくなったら困るよねぇ。特にご飯の事とか」


「暇な時にいろいろ料理を習おうとか言ってたのに、結局なんにも教わらなかったね」


「本当だよ」


 彼女と顔を見合わせて苦笑する。サボリ魔による怠慢談義を展開。


「あ~あ、またコンビニ弁当とカップ麺のローテーションに戻るわけか」


「今からでも遅くないよ。好物のカレーぐらい習ってみたら?」


「前に教わろうとした事あるんだよ。そしたら『もう良いからあっち行ってて』って怒られちゃった」


「……何やらかしたの?」


 煮物を作るというので意気揚々と参戦。しかしジャガイモを半分に切って鍋に放り込んだら怒られてしまったのだ。


「ねぇ、私達2人でご馳走作って華恋さんをお持て成ししない?」


「お持て成し?」


「うん。今までお世話になりましたって感謝の意味を込めて」


「あ、あんまりそういう事やると華恋が泣いちゃうかもしれないからやめておこう」


「え~。せっかく張り切って包丁振り回そうと思ってたのに」


「殺人鬼かな?」

 

 そういう事をしてあげたい気もするが照れくさい。何より不味い料理を食べさせたくなかった。


「でもさ、良いの?」


「ん?」


「まーくんと華恋さんって、その……兄妹なんでしょ? なのに別々に暮らすって」


「あー…」


 空気が微妙に気まずい。よそよそしさが全開。


「それには深い訳があってだね…」


「深い訳?」


「実は…」


「実は?」


「華恋は転校するのが趣味だから」


「え?」


 適当に思い付いた言葉を口にする。小学生すら騙せないレベルの言い訳を。


「数ヶ月に1回転校しないと気が収まらないらしいよ。しばらくしてないからこの前、発作がきたんだってさ」


「嘘だぁ。そんな人いないよ」


「うん、嘘」


「ほらね!」


 両親には既に華恋が報告済み。一緒に進言すると提案したのだが拒まれてしまった。


 経緯はどうあれ一度断った話を受けるのだからそれなりの理由が必要だろう。けれど父親も母親もその件について何も問い詰めてこなかった。


「香織は転校したいって思った事ある?」


「ん? ないよ。だって友達と離れ離れになるの淋しいし」


「そうだよねぇ…」


「まーくんは?」


「僕だって嫌だよ。肉体的より精神的にキツそう」


「私だったら悲しくて泣いちゃうだろうなぁ」


「……うん」


 経験のない人間には分からない。想像だけでは到底理解出来ない境遇だった。




「あ、おかえり」


「ただいま」


 自宅に戻ってしばらくすると華恋も帰宅する。階段を下りてきた所でバッタリ鉢合わせ。


「お腹空いてない? スーパーで食料買ってきたけど」


「何買って来たの?」


「ハムカツとか唐揚げとか」


「見事に油っこい食べ物ばかりね。健康に悪いわよ」


「はは……見てたらどうしても食べたくなってしまって。いらない?」


「いる。メチャお腹空いてるから」


 彼女が靴を脱いでこちらに近付いてきた。満足そうな笑顔を浮かべながら。


「手洗った?」


「ん、まだ」


 後を追いかけるように自分もリビングへとやって来る。そこで唐揚げを指でつまんで食べている行儀の悪い人間を発見した。


「先に洗ってきなよ。別に唐揚げは逃げたりしないから」


「いやぁ、つい誘惑に負けちゃってね。んむんむ…」


「食べながら喋らなくても…」


 注意するが不発に。彼女は口の中へもう1つ追加すると洗面所の方へと消えて行った。


「バイトってあと何回出るの?」


「1回。といっても制服返しに行くだけなんだけどね」


「あ、なら働くのは今日で最後なんだ」


「皆がさぁ、送別会やってくれるって言うのよね。でも恥ずかしいから断っちゃった」


「もったいなくない? せっかくやってくれるって言ってるのに」


「あ~。私、そういう辛気臭いの苦手だから。泣かれたりすると申し訳ない気分になっちゃうし」


「そっか…」


 智沙達とお別れ会的なイベントを開こうかと考えていたのだが。本人が苦手と言うならやらない方がいいのかもしれない。


「あっ!」


「ん?」


「で、でもやっぱり内緒でやってくれたりすると嬉しいかなぁ……とか思ったり」


「どっち?」


「え~と…」


 視線が左右にキョロキョロと泳いでいる。どこからどう見ても狼狽えている人間の仕草だった。


「そ、そういえばさ! 私が買った漫画、荷物にすると嵩張るから雅人が持っててくれない?」


「え? 向こうに持っていかないの?」


「うん。お世話になる親戚の家がどんな感じか分かんないし。あんまりたくさん私物持って行っても迷惑かなぁと」


「あぁ、なるほど。なら貰っておくよ」


「別に邪魔になるようだったら売っちゃっても良いわよ。置いといても場所とるだけだもんね」


「いや、売らないで残しておくよ。いつか読むかもしれないからさ」


「……そっか」


 気を遣った発言に憂いのある笑みが返ってくる。心の中の声を読み取っていそうな表情が。


「あれ? どこ行くの?」


「着替えてくる。覗くんじゃないわよ?」


「あ……いてら」


 唐揚げのパックを空にすると彼女が廊下の奥へと退散。リビングにいてもする事がないので自分も部屋へと戻った。


「ふぅ…」


 ここ数日はずっとこんな感じ。別れを惜しむでもなく、ただ今まで通りの日常を繰り返すだけ。


 朝起きて学校に通い、帰ってきた後は一緒にゲームをしたりご飯を食べたり。まるで華恋の転校が遠い未来の出来事であるかのような感覚で過ごしていた。


 今までもクラスメートとの別れで悲しいと感じた事はない。卒業式の時も。


 自分にはそういう感情が欠落しているんじゃないかと思った事もある。でもそれはきっと本気の決別を経験していないだけ。


 転校したクラスメートも格別仲が良かった訳ではないし、中学を卒業する時も颯太や智沙と離れ離れにならずに済むと分かっていた。両親の死についても2人が心の中に存在していないのであまり淋しくなかった。



「雅人、久しぶりに女子校行かない?」


「行かないよ。もう二度と行きたくない」


「お前がいつも断るから俺1人で行く羽目になるんだぞ。先週、沖縄に行った時も1人だったし」


「どこまで遠征してるのさ…」


 学校の昼休みに颯太と2人でパンをむさぼる。彼の顔は日焼けの影響で黒みを帯びていた。


「硬派を気取ってないで一緒に行こうぜ。な?」


「別に気取ってる訳ではないんだけど」


「とりあえず新潟に一校、岡山に一校、佐賀に一校可愛い制服があるんだよ」


「どこも遠すぎるってば…」


 くだらない話で盛り上がる。華恋に聞かれたら怒られそうな話題で。


「そういえばお前、槍山に知り合いいない?」


「前に行った女子校? 悪いけどいないよ。1人も」


「なら妹をあそこに転校させるってのはどうだ? 学祭に行ってみたい」


「む、無理だよ。香織、あんまり頭良くないし」


「俺達に不可能な性別の問題をクリアしているんだぞ。貴重な人材じゃないか」


「別に女子なら誰でも入れる訳じゃないからさ」


 友人が無理難題を要求。しかも動機が不純すぎた。


「やっぱりダメかぁ。良い作戦だと思ったんだけどなぁ」


「智沙がいるじゃないか。智沙に頼みなよ」


「アイツ、無理じゃん。中身オッサンだもん」


「うちの妹も同じようなものだよ」


「華恋さんは……ダメだな。別々の学校になるとか考えられん」


「華恋が一番お嬢様学校に入れそうな気はするけど」


「いいや、ダメだ。華恋さんを行かせるぐらいなら俺が行く!」


「……どういう事なのさ」


 主張内容がハチャメチャ。でもその考えられない現実がもうすぐそこまでやって来ていた。華恋のいない生活が。


「雅人」


「ん、何?」


 感傷に浸っていると後ろから名前を呼ばれる。命令でもするかのような強い口調で。


「アンタ、最後に何かしてあげないの? もうすぐお別れなんでしょ?」


「いや、あの…」


「ん? 何の話?」


 友人と友人に板挟みの状態に。状況を理解していない颯太が視線をキョロキョロさせた。


「プレゼント買ってあげるとかさ。どこかに連れて行ってあげるとか」


「う~ん、何かやってあげようとは考えてるんだけど…」


「考えてる間にいなくなっちゃわないと良いけどね」


「……うっ」


 その可能性はなくはない。優柔不断な自分の事だから大いに有り得た。


「ちゃんとお礼しなさいよ~。何もしてあげないとか淋しすぎるじゃない」


「お前ら、さっきから何の話してんの? 俺にも教えてくれ」


「うるさい、黙れ。アンタには関係ない話してんだから」


「なんだよ。良いじゃん、教えてくれよぉ」


 拗ねた颯太がこちらに振り向く。何かを求めているかのような表情を浮かべながら。


「どういう事? 誰かいなくなるの?」


「え~と…」


「雅人達の共通の知り合いなんだろ。そのいなくなる人」


「まぁ…」


「じゃあ俺も知ってる人じゃないの。まさか…」


「え?」


 白状するべきかどうか心の中で葛藤。しかし答えを出す前に本人の方に視線が送られてしまった。


「いや、違う。華恋ではないよ」


「え? でも…」


「華恋はいなくならないから、多分」


「嘘だ。だってお前さっきチラチラ向こう見てたじゃないか」


「ぐっ…」


 とぼけた性格して洞察力が鋭い。無意識で彼女の方を見てしまっていたらしい。


「華恋さんなんだろ、いなくなるの。どういう事なんだよ」


「いや…」


「あぁああぁあぁっ! 女神様がいなくなったら俺はどうやって生きていけば良いんだぁぁぁぁ!!」


 壮絶な悲鳴が反響する。それは芝居ではなく本気のリアクションだった。


「ち、違うよ! いなくなるのは華恋じゃない」


「はぁ? なら誰だって言うんだよ」


「こ、こっち…」


 咄嗟に見当違いの方向を指差す。すぐ横に立っている人物の顔を。


「え? アタシ?」


「なんだ、智沙か」


「……あ?」


「なら何ともないな。心配して損したわ」


「んだとコラァァァァ!」


「ギャーーッ!!?」


 突っ伏していた颯太が起き上がってふんぞり返った。その直後に響き渡ったのはガラスでも割れそうなぐらいの断末魔。


「最後の思い出か…」


 やっぱり何か贈ってあげたい。荷物としてかさばらない程度の物で。


「死にさらせぇぇっ!!」


「ぐ、ぐわぁぁぁぁーーっ!?」


「う~ん…」


 その後の授業中もずっと考えていた。何をしてあげたら良いのか、どんな物をプレゼントしたら喜ぶのかを。


 彼女の趣味は把握しているが具体的なアイデアが出てこない。最初で最後の贈り物になるかもしれないので慎重に選びたかった。



「あのさ、欲しい物ある?」


「は? 何よ、急に」


 1人で考えていても埒が明かないので本人に尋ねる。帰り道の電車の中で。


「こういうの欲しいってリクエスト無い? あんまり高くない物で」


「いや、突然そんなこと言われても困るし」


「なんでも良いよ。手軽に買える物で、すぐ手に入れられる物で、近場の店に売っているような物なら」


「……なんでも良いって言うのか、それ。私にプレゼントしてくれるの?」


「えっと…」


 こういうのはサプライズとしてやった方が喜ばれるかもしれない。だとしたらバラすのは時期尚早だろう。


「そういう訳ではないんだけどね。ただなんとなく聞いてみたくなったというか」


「……あ?」


「会話の一環として話題を振ってみただけだからあんまり気にしないで。いや、本当に」


「ヘタクソか…」


「え? 何?」


「別に…」


 彼女が俯きながらボソリと呟いた。眉を八の字にしながら。


「いきなり言われても思い浮かばないからさ。もう少し考えさせてよ」


「ん、了解」


「にしても何で急にそんな事聞いてきたの?」


「女の子ってどんな物を貰ったら喜ぶのかなぁと思って。今後の参考までに聞いてみただけ」


「うらあぁあぁぁっ!!」


「いって!?」


 会話中に太ももに鈍い痛みが発生。何故か手加減なしのローキックを浴びせられてしまった。


「そうだ、あれ欲しいかも。カラオケの機械」


「どうやって買えっていうのさ。そもそも買えるのかな、アレ」


「買いなさいよ。可愛い妹がこうしてお願いしてるんだから」


「自分で言っちゃうの? そもそも歌える場所が無いじゃないか。普通の家は防音設備なんか無いよ」


「それもそうか…」


 荷物を発送するだけでかなりの金額がかかってしまう。送れたとしても無駄な場所を占拠してしまうだけ。


「ん~、なら何にしようかな…」


「無理して考えてくれなくても良いよ。どうしてもじゃないから」


「いや、考える! 何が何でも決めるから待ってて」


「ほいほい」


 彼女が口元に指を当てながら眉間にシワを寄せた。なかなか良い物が思い浮かばないのか電車を下りてからもそのポーズを継続。


「う~ん、う~ん…」


「いや、無理して考えようとしなくて良いよ。悩みすぎだって」


「う~~~ん」


「踏ん張りすぎだから。トイレ我慢してる人みたいに見える」


「……う~ん」


 話しかける声が全く耳に入っていない。傍から見たら思い切り不審者だった。


「そういえばどこか行きたい場所ない? 日帰り出来る範囲で」


「うぇ? どうしたのよ、今日は」


「もしこの辺りで見たい場所があるなら行ってみるのも良いかなぁと。向こうに引っ越してからじゃ遅いし」


「行ってみたい場所ねぇ…」


 改札をくぐって外に出る。人がそこそこに溢れている駅前へと。


「あ、あんまりお金使わない所にしようね。学生らしく質素な場所で」


「ハワイとか…」


「人の話聞いてる!? 普通の高校生がどうやってそんな所に行くのさ」


「やっぱり映画とかかなぁ。でも今は観たい作品やってないしなぁ」


「映画ならどこでも見に行けるじゃないか。向こうの親戚の家でも」


「カラオケ、ボウリング…」


「いや、だからそういうどこにでもある娯楽施設じゃなくてさ。この辺りにしかない場所に…」


「うるさいなぁ。いろいろ考えてんだから静かにしててよ」


「……はい」


 意見を挟んだら叱られる羽目に。1人寂しく無言で歩行。しばらくすると再び話しかけられた。


「特にこれといって行きたい場所が思い浮かばないや」


「なんじゃそりゃ」


「だってこの辺りの人気スポットとかよく知らないし。情報が少なすぎて考えられないわよ」


「ならどうしてあんなに悩んでたのさ」


「ちなみに出掛ける時って……2人だけ?」


「ん? 他に誰か誘いたい人でもいるの?」


「い、いや…」


 彼女が目線を逸らす。ブンブンと手を振りながら。


「適当に街中をブラブラするのも良いかもね。特に目的地も決めずに」


「当てのない旅って事?」


「そうそう、そんな感じ」


「でも大体の場所は決めておかないと。どこの駅で降りるとか、どっちの方角に進むとか」


「んなもん適当に歩いていきゃ良いでしょうが。棒が倒れた方向とか」


「小学生の時にやったなぁ、それ」


 懐かしい話題で大盛り上がり。意識の中に甦ってくるのはランドセルを背負っていた頃の下校時間だった。


「じゃあ地元をブラブラしましょう。私達が住んでる街を」


「ここは特にコレといって見るものはないよ。閑静な住宅街が並んでるだけだから」


「アンタってずっとこの街に住んでるんでしょ?」


「まぁ、そうだね。父さんが再婚する時に引っ越しはしたけど」


「なら雅人が育った街を見てみたい。通ってた学校とか、よく遊んだ場所とか」


「そんなもの見て何が楽しいのさか…」


 どこにでもあるような普通の校舎に、溜まり場といえば公園か友達の家ぐらい。決して人に見せられるような代物ではなかった。


「良いじゃん、別に。ある意味この土地でしか見られない名物でしょうが」


「それはそうかもしれないけど…」


「んじゃ、そういう事で決定~」


 彼女が1人満足そうな顔を浮かべる。一方的な案を口にしながら。


「でもどうやって移動するの? 徒歩?」


「アンタの自転車があるじゃない」


「もう1台は香織のを借りるの?」


「2人乗りに決まってんでしょうが。前に言ってたじゃない。女の子を後ろに乗せて走ってみたいって」


「そういえば…」


「私がその夢叶えてあげようって言ってんのよ。じゃないと一生夢のままで終わっちゃいそうだもん、雅人の場合」


「あ、ありがとうございます」


 局地的な記憶力に感心してしまった。口にした本人ですら忘れていた妄想なのに。


 とりあえずおおよその行き先は決定。次の休日に2人で出掛ける事になった。



「ん…」


 約束の日、嫌な気分で目が覚める。テンションが下がる暗い夢を見てしまった。この星から人々がいなくなり1人だけで取り残された世界を。


「はぁ…」


 朝っぱらからこんな物を見せられるなんてツイてない。記憶を上書きしようと頭から布団を被った。


「二度寝するなぁーーっ!」


「ぐはぁっ!?」


 再び夢の中にダイブしようとするが失敗する。体に鈍い衝撃が走ったせいで。


「ゴホッ、ゴホッ!」


「何また寝ようとしてんのよ」


「い、痛い…」


「ほら、サッサと起きた。出掛けるわよ」


「うああぁあぁぁ!!」


 どうやら華恋が肘鉄を喰らわせてきたらしい。とんだ妨害行為だった。


「雅人が起きてこないから部屋まで来ちゃった。時間より早いけど出かけちゃお」


「……ん」


「朝食は何にする? ご飯? パン?」


「む…」


「それかどっか食べに行く? この時間ならどこの店も空いてると思うけど」


「ふぅ…」


「聞いてんのか、コラァーーッ!!」


「いてえぇえぇぇ!?」


 今度は顔の方に衝撃が走る。枕越しによる鉄拳制裁が。


「諦めて起きなって。もう目覚めてんでしょ?」


「……めちゃくちゃ眠たいんですが」


「あっそ」


「に、二度寝しても良いですか?」


「ダメ、許さん」


「なんの権限があってそんな…」


 時計で現在時刻を確認。起床予定まであと1時間近くあると判明した。


「寝かせてください、お願いします。1時間したら起きますから」


「ダメって言ってるでしょ。私、その間ずっと待ってないといけないじゃない」


「適当に漫画読んでていいから寝かせてください、お願いします。1時間したら起きますから」


「いいわよ。じゃあその間ずっとアンタの体に乗っかっててあげる」


「普通に寝かせてください、お願いします。1時間したら起きますから」


「なら大声で叫びながら歌うわよ。しかも耳元で」


「静かにしててください、お願いします。1時間したら起きますから」


「……くっ」


「で、ではおやすみなさい」


「あーーっ、もう! どんだけ二度寝にこだわってんのよ、アンタは」


 彼女が眉を吊り上げ怒り狂う。その姿を視界から消すように布団を被った。


「ま~~~さとぉ」


「む…」


「本当に寝ちゃうの?」


「……んん」


 寝具がシールドの役割を果たしているから声が微かにしか聞こえてこない。手出しをしてこない事に安堵していると体を壁際へと動かされた。


「もうちょっと奥に行って」


「え? え?」


 背中に違和感が発生する。それと同時に皮膚に冷たい空気が直撃。


「ちょ…」


「私も寝る。どうせやる事ないし」


「じゃあ自分の部屋に戻ろうよ。こんな場所で2人は狭いっす」


「やだ。面倒くさい」


「そんな…」


「おやすみ~」


 空いた空間に彼女が侵入してきた。肌と肌を密着させながら。


「ちょっと押さないでよ!」


「落ちろ落ちろ」


「奥に詰めなさい。私の場所が無くなるっての」


「華恋は眠たくないんでしょ? どうして中に入って来るのさ」


「だって雅人と一緒に寝たいんだもん」


「えぇ…」


 すぐさま反撃を開始する。しかし伸びてきた両腕が体に巻き付いてきた。


「離れてくれよ。このままだとキツい」


「良いじゃん、別に。いつもバラバラなんだし」


「そんなの当たり前じゃないか。普通、一緒に寝たりしないでしょ?」


「兄妹なのに?」


「……ん~」


 こういう質問は卑怯だと思う。肯定してはマズいし、否定したら男女を意識している証になってしまうから。


「ねぇ、一緒に寝たらダメなの?」


「分かったよ。起きますとも」


「やった!」


「はぁ…」


 ヤケクソ気味に布団を剥がした。ダルさが残る全身を無理やり動かして。


「まったく手こずらせやがって」


「誰かさんが無理やり起こしてたせいで寝不足じゃわい」


「あら、大変。世の中には酷い奴もいるもんだ。ねぇ、お兄ちゃん?」


「……そうですね」


 皮肉に対して満面の笑みが返ってくる。脳裏には兄妹ごっこをした懐かしい思い出が浮かんできた。


「早く起きなよ、出かけるんでしょ? そこにいるとベッドから出られないんだが」


「あ~、その事なんだけどね…」


「ん?」


 彼女に外に出るよう要求する。瞼を擦りながら。


「昼から雨らしいんだよね、今日」


「え?」


 振り返ってカーテンをスライド。そこにあったのはどんよりとした曇り空だった。


「……あらら」


「まだ降ってはないんだけどさ。ただ出かけるなら自転車じゃない方が良いかなぁと」


「そうだねぇ。せっかくの外出なのに雨かぁ」


「はぁ……ツイてない」


 どうやら悪天候に見舞われてしまったらしい。芳しくない演出だった。


「来週にする? さすがに2週続けて曇りって事は無いと思うし」


「それはダメ。来週は…」


「……あ、そっか」


 言われてから思い出す。1週間後の今頃、彼女はもうこの家にはいない事を。


「私、呪われてるのかな」


「関係ないと思うけど。運が悪かっただけだって」


「神様が邪魔してるのよ。出かけられないように」


「じゃあ今から神様をブッ飛ばしに行くか」


「おっ、良いねぇ」


 2人で顔を見合わせて笑いあった。物騒な発言を口にして。


「すぐに出掛けよう。今日しかチャンスがないんだから」


「あ……うん」


「とりあえず何かお腹に入れるよ。朝ご飯作ってくれる?」


「イエッサー」


 元気良く返事をした彼女の後に続いて部屋を出る。協力してチーズトーストを作成した。


「どこに行こう。やっぱり屋内施設かしら」


「あれ? 街の探検はどうするの?」


「そりゃあ、やりたいけどさ。雨降るって言ってるんだからしょうがないじゃん」


「いや、可能だよ」


「はぁ? どうやって?」


「雨降っても気にせず走り回る」


「……バカ?」


 口からパンくずをこぼして喋る。呆れ顔を浮かべている対話相手を視界に入れながら。


「ビショ濡れになるのを気にしなければ大丈夫なんじゃないかな。物理的に出かけられないって訳じゃないんだし」


「アンタねぇ、そんな事したら風邪引くに決まってんでしょうが。何が濡れても気にしないよ」


「プールに入ってると思えば耐えられるんじゃないかと思ったんだけど、やっぱりダメか」


「当たり前でしょーが!」


「ふむ…」


 なぜ水中に何時間も浸かっていても平気なのに雨に数分間濡れただけで風邪を引いてしまうのか。真剣に悩んだがその差が分からなかった。


「とにかく行ける所まで行ってみようよ。周辺を廻るだけなら1時間もあれば充分だから」


「……そうね。まだ降ってくるには時間あるもん」


「それに2人乗りやりたいんでしょ?」


「は、はぁ? それやりたいって言ってたのアンタでしょ? 何言ってんの」


「あれ? ならやらなくても良いのか」


「いじわる…」


 彼女が口を尖らせて睨み付けてくる。その反応にニヤニヤしながら最後のパンを完食した。


「準備してくる。支度出来たら玄関で待ってて」


「ん、了解」


 食器をシンクに突っ込むと一時別行動をとる事に。自室に戻って外出用の服に着替えた。


「忘れ物ない?」


「おーーっ!」


 そして玄関へとやって来ると華恋と合流する。二階で爆睡中の妹を残して外へ。続けて庭から自転車を引っ張り出した。


「よ~し、出発だ」


「まずどこに連れて行ってくれるの?」


「小学校と中学校を中心にグルッと回る予定」


「ルートはアンタに任せるわ」


「了解」


「へいへ~い、早く早くぅ」


 彼女が一足先に荷物置きに座る。サドルをペチペチ叩きながら。


「んじゃ、行くよ」


「うん!」


 両肩に添えられた手が心地いい。ハンドルを握ると力強くペダルを踏みしめた。


「んぐぐぐぐっ!」


「何してんの、アンタ」


「ぬううううっ!」


「だから何してんのって」


「ハァッ、ハァッ……全く進まない」


 だが行動開始早々に暗礁に乗り上げる。まるで強力な磁石で固定されているかのようにペダルが動かない。


「ちょっとちょっと頑張んなさいよ。頼りない兄貴ねぇ」


「そんな事言っても本当に進まないんだよ。全力で漕いでるのに」


「気合いで乗り切りなさい、ピンチぐらい。男でしょうが」


「車体が重いんだよねぇ……華恋、体重いくつ?」


「人のせいにするなぁーーっ!!」


「あががががっ!?」


 後ろの同乗者に文句をつけた。その結果、首を絞められる羽目に。


「そもそもレディにそんな質問するのが間違ってんでしょうが、あぁ!?」


「す、すいません。ちゃんと頑張りますから」


「次にまた弱音吐いたら、おんぶで街中歩かせるからね!」


「ひいいぃいぃぃっ、どうかそれだけはご勘弁を!」


 スパルタコーチに脅され全身の力をフルに発揮する。地面を蹴ってくれた推進力もあってかどうにかして進み始める事に成功した。


「ふぃ~」


「やれば出来んじゃない」


「だ、だね。最初に少し手間取ってただけみたいだ」


「あとでご褒美にチューしてあげよう」


「いらないっす…」


 不安定な有様で走り続ける。酩酊状態を疑われそうな蛇行運転で。


「ひぃ、しんどい…」


「頑張れぇ」


「ハァッ、ハァッ」


「あ~、涼しい」


 体中から汗が飛び出しているのが分かった。そのおかげで顔に当たる風が冷たくて気持ちが良い。そして10分ほど走ってひがし小と書かれた場所へとやって来た。


「つ、着いた…」


「ふ~ん、ここが雅人の通ってた学校かぁ」


「……ちょいと休憩」


 ハンドルの上にもたれかかって呼吸を整える。止まった途端に心臓の鼓動が爆発的にヒートアップした。


「ゼェ、ゼェ…」


「プールは綺麗だけど遊具は古いわね」


「はぁ…」


「アンタもしっかり見ておきなさいよ。こういう時でもなければ校舎を見にくる機会なんかないんだから」


「ゴホッ、ゴホッ……何か言った?」


「だっらしないわねぇ、体力なさすぎじゃない」


「そんな事言われても…」


 疲弊して当然だった。2人分の体重を乗せて走っているのだから。


「じゃあ次の場所にれっつご~」


「ねぇ、交代しない?」


「はぁ? 何だらしない事言ってんのよ。10分ぐらいしか漕いでないじゃない」


「もう体力がヤバい。体が持ちそうにない」


「でも私じゃ行き先分かんないじゃん。やっぱり雅人が頑張るしかないんだってば」


「な、なら歩こう。それなら良いでしょ?」


「……まぁ、いいけど」


 2人して自転車から降りる。地面に足をついた瞬間に太ももがプルプルと震えた。


「あ~、しんどかった」


「もう少し運動しなさいよ。いくら何でも弱りすぎ」


「後ろで楽してるくせに文句言わないでくれ。信号発進とか辛いんだから」


「私が重たいって言いたいのか、あぁん?」


「いひゃい、いひゃいっ!?」


 不満を漏らすと頬をつねられる。周りに通行人が大勢いる状況で。


 なるべく車が通らない道を選んで移動。そして15分近くの時間を費やして天神てんじん中学校と書かれた校舎へやって来た。


「はい、着いた」


「疲れたぁ、足がパンパン。誰かさんが歩かせるから」


「……あのさぁ」


「あはははは、嘘うそ。散歩出来たから気持ち良かったわよ」


 悪びれる様子が感じられない笑顔を向けられる。天真爛漫と厚顔無恥を混ぜ合わせたような表情を。


「懐かしいなぁ。もう卒業してから1年以上が経つんだ」


「智沙さんとはここで知り合ったんだっけ?」


「そうだよ。颯太も」


「へぇ」


 毎日この門をくぐって通学していた頃を思い出した。父親が再婚してからは香織と通ったりした事も。


「一緒に住んでたら私もここに通ってたのかな」


「かもね。クラスは別々だったろうけど」


「……やり直せないかな、もう一度」


「ん…」


 それは兄妹としてやり直したいという意味だろうか。気にはなるが尋ねるのが怖い。心の中で好奇心と恐怖心がせめぎ合っていた。


「華恋にも中学生の時ってあったの?」


「当たり前じゃん。いきなりこの姿のままで産まれたとでも思ってんの?」


「い、いや……昔の写真とかあるのかなぁと思って」


「そういえば私、自分の写真ほとんど持ってないや。修学旅行の時とか卒アルくらいかも」


「あ~…」


 言われてみたら自分も同じようなもの。電子機器が普及している現代においてインクで紙に印刷するという行為は必要性が薄まっているのかもしれない。


「なら今度それ見せてよ」


「やだ。それに昔って言っても数年前じゃない」


「それでも見てみたい。ダメかな?」


「……そんなに興味あるの?」


「ま、まぁ…」


 気になるといえば気になる。その人の昔の姿を知るのは結構楽しいから。


「な、ならお互いに提出って事で」


「えぇ~」


「どうして人には要求するクセに自分のは拒むのよ。アンタが隠すなら私も見せないからね」


「……分かりました」


 どうやら恥ずかしいらしい。たまに出す初々しい反応が面白くて堪らなかった。


「そろそろ行く?」


「そうね、移動しよっか」


 部活中の生徒の視線がこちらに向いている。逃げ出すようにその場を離脱した。


「前にも聞いたけど欲しい物ある?」


「ん~、やっぱりアクセかなぁ。ネックレスとかブレスレットとか」


「た、高くないかな。それ系のは」


「別にブランド物じゃなかったら安いわよ。2~3000円ぐらいであるし」


「それなら何とか…」


 頭の中で財布の中身と睨めっこする。中古のゲーム並の金額なら買ってあげられるだろう。


 学生の自分には手痛い出費だがこれが最初で最後の贈り物になるかもと考えたら苦ではない。全財産を放出しても構わないと覚悟していた。


「用も済んだし濡れる前に帰る?」


「いや、このまま電車に乗って繁華街に行こう」


「何しに?」


「だからプレゼント買いに」


「……本当に買ってくれるの?」


「え? いらない?」


「い、いる! 欲しい」


 彼女の返事を聞いて次の目的地を定める。すっかり邪魔になってしまった自転車を押して駅までやって来た。


「どこに置いておくの?」


「スーパーの駐輪場。やっぱりあそこぐらいしか置いておく場所ないし」


「有料の駐輪場はいっつも埋まってて止められないもんね」


「うん」


 ズラリと並べられた無機質な物体の中に突撃する。通行人にぶつからないように気を付けて。


 ロックをかけると身軽になった体で駅へと移動。普段は利用しない路線を使って繁華街へとやって来た。


「ここ来るの久しぶりだね」


「そうだね。颯太達と来て以来かな」


「私はあれからも友達と何度か来てたけどね」


「え? なら久しぶりじゃないじゃん」


「雅人と2人っきりがって意味よ」


「そっか…」


 頭上を見上げると先程よりも空が暗雲状態に。なので急いで目的を達成させる事にした。


「どれが良いと思う?」


「ん~、よく分からないや」


 目についた店に入って物色する。小物がたくさん並べられた雑貨店を。


「いっぱいあるから迷っちゃうなぁ。どれにしよう」


「言っておくけど1つだけだからね。2つも3つもは無理だよ」


「言われなくても分かってるわよ。アンタ、バイトしてないんだからあんまりお金持ってないでしょうが」


「な、なら良いけど」


 多少のワガママなら目を瞑ってあげたい。ただたくさんの商品をレジに持っていってキャンセルなんて状況は避けたかった。


「ねぇ、せっかくだから選んでよ」


「え? 自分で決めなよ。華恋が身に付ける物なんだから」


「でも雅人からのプレゼントなんでしょ? ならアンタが選んでくれた方が良いじゃない」


「ん~、ならこれとか…」


 リクエストを出されたので適当に目についた物を手に取る。ドクロの形をした不気味なペンダントを。


「デザインが格好いいなぁ」


「……私にそれを首からブラ下げろってか」


「え? ダ、ダメ?」


「私のイメージや好みとかけ離れすぎてるからダメ! もうちょっと可愛いのにしてよ」


「人の好みなんか知らないし…」


 しかし本人から即座に否定。仕方ないので隣にあったピンクのハートを手に取った。


「ならこれとかは?」


「あ、可愛い」


「で、でしょ?」


 何も考えずに選んだらまさかの好反応。誘導された感は否めないが。


「ねぇねぇ、どう?」


「似合ってるんじゃない?」


「へっへ~、じゃあこれにしちゃおっかな」


「え? もう決めちゃうの?」


「ん~、ならもう少し探してみる」


 試着してみたがとりあえず保留という事に。商品を元に戻すと再び人混みが激しい通りへと突撃した。


 目についた店に入って様々な商品を物色。アクセサリーだけでなく部屋に置いておけそうな小物を見て回ったり。


 基本的に華恋が気に入った物を手に取り自分はそれに頷くだけ。彼女の態度は終始ご機嫌だった。


「……あ」


 そして1時間近く経った頃、頭に当たる妙な異変に気付く。空からポツポツと水滴が落下していた。


「降ってきちゃった」


「だねぇ…」


「どうしよう。まだ進む?」


「むぅ……とりあえず駅の方に戻ろっか。もうほとんどの店は見て回れたし」


「了解」


 進めていた足の向きを反対側へと変える。周りにいた大勢の人達も天候の変化に気付いたらしく様子が変化。


 歩みを進めていくほど水滴の量は増大する事に。そして10分も経たないうちに本降りとなってしまった。


「うひゃあっ、冷たい!」


「雅人、こっちこっち」


 シャッターが閉まっている雑居ビルを見つける。2人してそこに突撃した。


「あ~あ、間に合わなかったかぁ」


「ツイてない。あと30分待ってくれたら良かったのに」


「傘持ってくれば良かったね。うっかりしてたわ」


「私もうっかりしてた」


 目の前を傘を差した人達が行き交っている。中には衣類へのダメージも恐れずに走っている強者も存在した。


「やっぱり最初に行った店のにしようかなぁ」


「ドクロのヤツ?」


「ハートのよっ! アホか!」


「なら帰りがけに買っていこっか」


「うん…」


 購入するプレゼントは決定。だが不運にもこの場所から動けない。


 近くのコンビニまで傘を買いに行こうか。そんな事を考えていると隣にいる相方が小さく口を開いた。


「でも一番欲しいのはペンダントじゃなくてアンタなんだけどね…」


「……まだ諦めてなかったのか」


「私、しつこいわよ。欲しい物を手に入れる為なら法だって犯してやるんだから」


「だいたいどうやって持っていくつもりなのさ。ダンボールに詰めるの?」


「あ、それ良いわね。荷物として持っていけば料金あんまりかかんないし」


「いやいや、死んじゃうから」


 いつもみたいなくだらない会話を交える。こんなやり取りもあと少ししか出来ない。そう考えると寂寥感が込み上げてきた。


「私がいなくなったらアンタも彼女とか作っちゃうのかな…」


「どうだろうね。作れる気がしないけど」


「前に住んでた場所にね、仲の良い子が何人かいたんだ」


「女友達?」


「……うん。最初は何度か連絡のやり取りをしてたんだけど、だんだん返事が返ってこなくなっちゃって」


「それは……悲しいね」


「あ~あ、また最初からやり直しだ。転校生は辛いなぁ」


「ん…」


 自分はそんな事ない。そう慰めてあげたかった。でもこの繋がりを断ち切りたくて転校する決意をした彼女にその言葉を口にするのは疑問でしかない。


「……はぁ」


 お互い無言のまま立ち尽くす。しばらくその場所で雨宿りを続けた。

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