第16話 家出と幽霊
「お邪魔しま~す」
「まだ誰も帰って来てないみたいだから挨拶しなくても良いよ」
「え? いや、トイレの前に女の人が立ってるけど」
「そんなバカな…」
平日の夕方。学校が終わった後に颯太を連れて自宅へと帰ってくる。季節は秋だが夏の暑さが微妙に残っていた。
「何か飲む? 喉乾いたでしょ」
「悪いな。なら醤油貰うわ」
「自殺願望でもあるの?」
「先に二階に行ってるぜ」
「あ、じゃあこれだけ宜しく」
「おうよ」
友人に鞄を預けるとキッチンに移動。2つのグラスに烏龍茶を注いで階段を上がった。
「お待たせ……って何やってるの?」
「ん? 俺の大事なコレクションが無事かどうか確認してんだよ」
そのままドアが開きっぱなしの自室へ。中に入ると本棚の裏を覗き込んでいる後ろ姿を発見。
「それのせいで大変な目に遭ったんだよ。頼むからもう持って帰ってくれないかな」
「大変な目って何? もしかして家族に見つかったのか?」
「あ、いや…」
慌てて口を塞ぐ。本心を濁すように。
「見つかりそうになってヤバかった時があってさ…」
「誰に? まさか華恋さんか?」
「ま、まぁ…」
「おいおい、気をつけてくれよ。発見されたら俺までヤバいんだし」
「努力する」
「もしバレても雅人の物って事にしておいてくれ。頼むから」
「無責任すぎるよ…」
友人が手を合わせて拝むような動作を連発。もう既にそういう風になっているとはとても言い出せなかった。
「あぁ、俺も女兄弟が欲しかったなぁ」
「どっちかあげようか? 2人もいらないから」
「マジか! なら華恋さんをくれ」
「やっぱりそっち選んだか」
「華恋さんが妹とか最高のシチュエーションじゃないか。お兄ちゃんって呼ばれてぇ」
「……はは」
乾いた笑いを浮かべる。グラスに入った烏龍茶を口に含みながら。
「ん?」
趣味の話題で盛り上がっていると階段を上がってくる音が小さく反響。誰かが二階に上がってきていた。
「もぅ、何で先に帰っちゃうの。お兄ちゃ…」
その直後に部屋のドアが開く。ノックもされないまま。
「……あ」
入ってきた人物と視線が衝突。そこにいたのは数十分前に教室で別れた同居人だった。
「お、おかえり」
「……っ!」
「あっ……ちょっと!」
出迎える挨拶を飛ばすがスルーされる。彼女はドアを閉めたかと思えば一目散に逃走。激しい音を立てながら階段を下りていった。
「……どうして華恋さん逃げ出したの? 俺がいたから?」
「た、多分ね。驚いて思わずドア閉めちゃったんじゃないかな」
「今、雅人の事をお兄ちゃんって呼んでなかったか?」
「え? 颯太の勘違いじゃないかな。僕には聞こえなかったけど」
「じゃあもしかして俺に言ってたのかな。いやぁ、参ったなぁ。ハハハ!」
「凄いポジティブ…」
友人が豪快に笑う。今のアクシデントを全く意に介さずに。
「なんか悪い事しちゃったな」
「別に気にしなくていいよ。それよりその手に持ってる本を隠さないか」
「おっと、ウッカリしてた」
「もしかしてそれを見たから逃げ出したのかも」
「うわぁあぁあぁぁっ!! だとしたら一生立ち直れねぇぇぇぇ!」
しかしその明るい表情は一瞬で崩壊。床を叩きながら項垂れてしまった。
「さ~て、そろそろ帰るかな」
「あ、うん。気をつけてね」
「じゃあ、おじさんとおばさんと華恋さんと妹と女の人に宜しく」
「え? 1人多いよ」
それからコレクションの無事を確認出来た友人は帰宅。華恋はよほど失態が恥ずかしかったのか客間に籠っていた。
「来ると思ってたよ。いや~、災難だったね」
「……くっ」
そして晩御飯の後に再び部屋へと登場する。帰宅時とは違いラフな私服姿で。
「しっかしいきなり入ってくるかな。普通ノックぐらいするでしょ」
「だ、だって…」
「今度からはちゃんと中を確認してよ。頼むからさ」
「う~…」
彼女は姿を見せるなりずっとドアの前で棒立ち。表情を歪めて歯を食いしばっていた。
「友達連れて来るなら先に言っておきなさいよね。そうすればあんな事にならなかったのに」
「なんで僕のせいみたいに言うんだよ。黙って入ってきた華恋が悪いんじゃないか」
「おかげで大恥かいちゃったじゃない、どーしてくれんのよ!」
「こっちだって恥ずかしかったって。どうしてくれるのさ」
「知らないわよっ、そんなの!」
お互い一歩も引かない。言い争いになるといつもこう。すぐに口論の連続だった。
「アンタが誰かを連れて来るなんて今まで無かったから油断してたのよ」
「いや、華恋がバイトでいない時とかたまに連れて来てるよ」
「え?」
「そんなしょっちゅうではないけど、漫画貸してあげたり」
颯太以外の知り合いをたまに招待していた。高校は別の中学時代の同級生を。ただ男友達を家に連れて来ると香織に悪い気がしたので昔からあまり呼んでいなかった。
「いつの間に…」
「別に隠す事でも打ち明ける事でもないかなと思って」
「まさか……女?」
「だとしたらどうするのさ」
彼女からの質問に強気で答える。ちょっとしたハッタリも交えて。
「その子にエロ本の在処をバラす」
「ちょっ……やめてくれよ、そういう脅迫。男の友達しかいないよ!」
「そ、そう。なら良いけど…」
「一体何を考えてるのさ…」
戸惑っている反応を見る限り本気でやるつもりだったらしい。嫌がらせにしても酷すぎる仕打ちだった。
「アイツ、変なこと言いふらさないかな? 心配なんだけど」
「それは大丈夫。向こうも驚いてて何が起きたか理解出来てなかったから」
「本当かなぁ…」
彼の気がかりは別の箇所に存在。爆弾を抱えている状態で別の爆弾を投下したりはしないだろう。
「そういえば妹モードの時、増えたよね」
「……うっ」
「1日限定だったハズなのに毎日やってない、それ?」
「ま、毎日ではないし。たまにだし…」
「そうかな? あれから頻繁にやってる気がするんだけど」
最近は2人っきりになるといつも猫なで声。学校やバイト先での不満を晴らすように甘えてきていた。
「ダメって言うなら……もうやらない」
「いやいや、全然ダメではないです」
「な、なら文句言わないでよ! 気持ち悪がられてるのかと思っちゃうじゃん」
「悪い。ただ意外だなぁと思ってさ」
「意外?」
「華恋のいつものキャラとかけ離れすぎてるからさ。しっかり者って感じだし」
料理も出来るし、人付き合いも上手い。同い年として劣等感を感じてしまう程、彼女は大人びていた。
「私、そんなしっかりしてないけどね。結構ぬけてる所とかあるし」
「例えば?」
「う~ん……急には出てこないかなぁ」
「うっかりパンツ穿き忘れて登校しちゃった事あるとか」
「な!?」
適当に思いついたシチュエーションを口にする。セクハラ全開の言葉を。
「ひでぶっ!?」
「死ねっ、バカ!」
「いったぁ…」
その直後に強烈なビンタが頬に炸裂。暴行犯は眉を吊り上げると不機嫌面で部屋を出て行ってしまった。
「やまないねぇ、雨」
「だねぇ。てか何でここにいるの?」
「ダメ? ダメ? 良いでしょ、別に」
「自分の部屋に戻りなよ。勉強に集中出来ない」
「やだ~、今日はここにいる」
週末の土曜日、貴重な休日だというのに朝からずっと部屋に引きこもる羽目に。原因は朝から続いている悪天候。
更に起きてからずっと隣の部屋の住人が居座っていた。両親や華恋が仕事でいないからか暇潰し目的で。
「香織もたまには勉強しなって。また赤点とるパターンになるよ」
「いや、ギリギリセーフだったじゃん。大丈夫大丈夫」
「前はセーフでも次は分からないから。ちゃんと前もって復習しときなって」
「ちゃ、ちゃんとテスト前になったらやるよ。だから今は勉強お休み中」
「いつもお休みなクセに…」
こうやって言う人間は大抵、土壇場になってもやらない。そういう友人を何人も知っているからだ。
「ん?」
「あれ? 誰か来たみたい」
「宅配便かな」
「もしかしてまーくんに会いに来た可愛い女の子だったりして」
「よし! ちょっと見てこよう」
意見をぶつけていると階下からインターホンを鳴らす音が聞こえてくる。持っていたペンをノートの上に放り投げながら素早く廊下へと移動した。
「う、うわああぁぁっ!?」
そのまま階段を下りようとするが足を滑らせて落下。壁に勢いよく激突してしまった。
「……いつつ」
強打した背中を押さえつつ玄関へと体を引きずる。腰痛持ちのおじいちゃんのように。
「はいはい」
「おっす!」
「え? 智沙?」
誰なのかを確かめずに扉を開けると赤い傘を差した人物を発見。その正体は駅から毎日一緒に登校している友人だった。
「……なんだ、可愛い女の子じゃなかった」
「あぁ!?」
「何か用? とりあえずこんな所で立ち話もなんだから帰りなよ」
「ほ~い……ってオイ!」
「ぐふっ!?」
ボケに対してツッコミが入る。軽めの肘鉄が。
「何それ?」
「お? これ?」
彼女の肩からブラ下がっているボストンバッグを発見。傘からはみ出ていたのか端の方が濡れてしまっていた。
「へっへっへ、秘密」
「ふ~ん。気になるなぁ」
「ところで今日っておじさん達いないんだよね?」
「ん? そうだよ。夜勤って言ってたから」
「ふむふむ、そうか」
質問の答えに対して納得する声が返ってくる。顎に手を当てて頷く動作と共に。
「ねぇ、今日ここに泊めてくれない?」
「え? いきなり何?」
「いやぁ、じつは家出してきちゃって」
「家出…」
そして続けざまに衝撃発言を口にしてきた。突発的すぎる提案を。
「香織も二階にいるから。とりあえず上に行こう」
「ん。華恋は?」
「バイト。今は僕達しかいないよ」
「2人でイチャイチャしてた訳か。禁断の兄妹ラブ」
「もうそのネタやめようよ。気まずくなる」
「え~、アタシの中では鉄板なんだけどなぁ」
訪問者を引き連れて階段を上がる。途中、後ろからシャツを掴まれたので転びそうになった。
「お客さんだよ~」
「ん?」
声をあげながら自室へと戻ってくる。ついでにノックも付け加えて。
「あれ? ちーちゃん!」
「かおちゃん!」
「もしかして私に会いに来てくれたの!?」
「そうよ。可愛い可愛い後輩の顔を拝みに来たんだから!」
「嬉しいぃぃぃーーっ!!」
「よしよし」
女子2人が大きな声を放出。恥ずかしげもなく熱い抱擁を交わした。
「あ~、疲れた。重かったぁ」
「家出してきたって本当?」
「家出!? 何々、なんの話?」
「それは今から本人が話してくれる」
一段落つくと用件を聞き出す事に。簡易的な事情聴取を開始した。
「ん~と、お母さんと喧嘩した」
「どういう理由で?」
「それは話すと長くなるんだけど。とりあえず今日1日だけ泊めてほしいのよ」
「う~ん、でも寝る場所がないし…」
彼女は母親と2人で暮らしている。詳しい経緯は不明だが母子家庭だった。
「あぁ、大丈夫。寝床は廊下貸してくれれば良いから」
「そんな事したら風邪引いちゃうって」
「ならこのベッドはどう? ここなら気持ちよさそう」
「ダメだよ。僕の寝る場所が無くなる」
「え? でも雅人はいつもかおちゃんの部屋で一緒に寝てるんじゃないの?」
「そうなんだよ。けど最近お漏らしが酷くて困っててさ」
「ちょっと適当な事言わないでよ!」
次々にボケを炸裂させながら盛り上がる。本筋から逸れまくった話題で。
「友達の家は? 泊めてもらうなら女子の方が良いでしょ」
「ダメダメ、突然だから断られまくっちゃった」
「ならやっぱりお母さんと話し合って仲直りしなよ。家出なんて良くない」
「や~よ、今日だけは絶対に帰らないんだから。もう着替えも持って来ちゃってるんだし」
「頑固だなぁ、もう…」
彼女は要領が良いのに融通が利かない。昔から頭だけは固かった。
その後も様々な反対意見を出すが聞き入れてもらえず。全てスルーされてお仕舞い。
「いいなぁ、一軒家」
「僕は人が近い団地やマンションの方が落ち着くけど」
「玄関を開ける音とか丸聞こえよ? 上から足音が響いてきたり、騒いだりしないように気を配らなきゃだし」
「好き勝手生活するには不便かぁ…」
ベッドや床に座って日常会話に花を咲かせる。友人が大量に持参してきたお菓子を片手に。
「ただいま」
「おかえり~、お疲れ様」
「あ、智沙さん来てたんだ」
「お邪魔してま~す」
しばらくするとメンバーが1人追加。バイトが終わって帰宅した華恋が中に入って来た。
「楽しそう。私も混ざって良い?」
「どうぞどうぞ。こんな場所で良かったら」
「いやいや、ここ智沙の部屋じゃないし」
「良いじゃない、細かい事なんか気にしなくても。ねぇ?」
「ねぇ」
皆で床に座ってお菓子を囲む事に。人口密度が高いせいかいつもより狭く感じてしまった。
「ベッドの上でお菓子食べないで。後片付けが大変だから」
「漫画読んで良~い?」
「手を洗ってからにしてくれ。ページが汚れちゃう」
「あ、ゴメン。床にジュースこぼしちゃった」
「拭いて拭いて」
「やっべ。これ雑巾かと思ったら雅人のトランクスだった」
「あぁあぁぁ、もぉおぉぉっ! 全員出ていってくれよぉっ!!」
女性陣が好き勝手に暴れだす。遠慮のないテンションで。
女子相手だが不思議と緊張感は無い。男友達と喋っている感覚だった。
「晩御飯はどうしよう? どこかに食べに行く?」
「天気悪いからあんまり外に出たくないなぁ」
空腹感を感じ出した頃に食事の協議を始める。それぞれの好みや事情を交えた話し合いを。
「私が作ります。材料まだあったハズだし」
「え? でもバイト終わりだから疲れてるんじゃないの?」
「大丈夫。いつもやってるから慣れてるし」
「う~ん……でもお邪魔しといて晩御飯まで作ってもらうのは悪い気がする」
「そんな事ないよ。平気だってば」
華恋が率先して意見を発信。体裁の為というより客人に気を遣っているように見えた。
「ならピザは? 出前なら楽だよ」
「良いけど自分でお金出しなよ」
「え~、なんで私だけ。皆で割り勘しようよ」
「なら多数決で決めよう。ピザが良い人」
「はいっ!」
「香織1人しかいないけど」
「うえぇっ、皆の裏切り者!」
妹が安直な提案を掲げるが却下される。無言の空気によって。
「むぅ……どうしよっかな」
「ピザにしよ。私、マヨコーン食べたい」
「でもピザ高いんだよなぁ。チラシあったかな」
智沙はコンビニ弁当案で、華恋は自炊を強く推奨。意見がバラついているので平行線を辿っていた。
「はい。チラシ」
「サンキュー。とりあえずピザで決定?」
「一応持ってきただけ。どうするかは相談して決めよう」
外は雨なので外出したくないし、何かを作る場合は華恋の負担が大きくなってしまう。なので最終的にはどちらも回避出来るデリバリー案に到達。
電話をすると30分程で店員さんが登場した。Lサイズのピザを3枚持参して。
「ゲップ……苦しい」
「久しぶりに頼むけど美味しい。毎日食べたいくらい」
「そんな事したら太るよ。たまにだから良いんだよ、こういうのは」
「だね。それよりまた床にジュースこぼしちゃった、ゴメン」
「あぁあぁぁっ、カピカピになってるぅ!」
「あとベッドにもカスをたくさんこぼしちゃった。テヘッ!」
「可愛い子ぶってないでちゃんと拭いて!」
料金は4人で割り勘。男が出せというハラスメント意見を一蹴して無理やり徴収。
そして食後はテレビのある一階へと移る事に。心霊番組が放送されていたので皆で見始めた。
「ひぇーーっ!」
「いちいち大きな声出すんじゃないわよ。男のクセにうるさいなぁ」
「だって怖くない? リアルすぎるよ、コレ…」
「だからってそこまで怯えなくても」
リビングに悲鳴がこだまする。可憐な女の子の声ではなく野郎の雄叫びが。
香織はこういう類いは平気で単独で深夜に見る程。智沙も女の子らしくなく平然としていたのだが、意外な人物が約1名怯えていた。
「ひいぃぃぃっ!?」
「華恋ってこういうのダメなの?」
「……んっ」
問い掛けに対して無言の答えが返ってくる。首を上下に振る動作が。
「意外だ。一番平気そうなのに」
「え? どこが意外なのよ。むしろそのままじゃない」
「だってこの前も部屋で巫女服を着ながらナイフ振り回して……ぶわっ!」
友人に自宅での事情を暴露。その瞬間に同居人の投げたクッションが顔面目掛けて飛んできた。
「いったぁ…」
「おぉ、ナイスコントロール」
「持っていくなら投げないでよ…」
どうやら口止めの意味を込めてぶつけてきたらしい。近付いてきた華恋が素早くクッションを回収した。
「そういえばお風呂どうしよう?」
「私、これ見てから入る~」
「アタシはあんた達が入った後でいいわよ。最後で」
「本当? なら先に入ってくるわ」
「いてら~」
逃げ出すようにテレビ前のソファから離脱する。続きを見たい気持ちはあったが恐怖で動けなくなる前に入浴を済ませておきたかった。
「ふぅ、落ち着く…」
脱衣場にいる時もリビングからは悲鳴が連発。そのほとんどが香織の声。超常現象に恐怖感を抱いていない彼女にとってそれはただの悪ふざけだった。
「あがったよ~」
「アンタ、長すぎ。いっつもこんなに長風呂なの?」
「いや、今日はたまたまだって。それより次、誰か入ってきなよ」
そして30分程が経過した頃に帰還する。テレビ画面を見て先程の番組が終わった事を確認した。
「あ、じゃあ私入る。ちーちゃんも一緒に入ろ」
「え? いいの?」
「良いよ。合宿の時に背中洗いっこしたじゃん」
「そういえばそうね。なら混浴しちゃおっかな」
夜になっても友人と妹はテンションが高め。彼女達は部屋から着替えを持ってくると本当に2人でバスルームへと突入してしまった。
「家の浴槽じゃ2人は狭いよ…」
片方が体を洗っている間にもう片方が湯船に浸かるしか方法は無い気がする。その光景を想像してみたがまるでドキドキしなかった。
「大丈夫だった?」
「うぅ…」
静かになったリビングで声をかける。ソファで未だ怯え続けている人物に。
「どうしてこんなの見せられなくちゃなんないのよぉ……寝れなくなっちゃうじゃない」
「あれ演技じゃなくマジだったんだね。本気でビビってたんだ」
「当たり前じゃない! あんな映像見せられて平気でいられるわけないでしょ」
「まぁ僕も得意な方ではないけどさ。上には上がいたとは」
「ううぅ、もうトイレもお風呂もお嫁にも行けない…」
「最後の関係なくない?」
クッションを抱きかかえたまま狼狽。普段の強気な姿勢が嘘のような態度だった。
「ああぁあぁあぁぁ、どうしようどうしようどうしよう…」
「平気だって、今この家には4人の人間がいるんだからさ。お化けもビビって近寄ってこないよ」
「べ、別に幽霊とかの存在を信じてるわけじゃないし…」
「……言葉と体の動きが一致してないのだが」
彼女をからかうネタが出来たのかもしれない。新たな脅迫材料が。
「実はね、華恋が寝泊まりしてるあの部屋……出るんだよ」
「な、何が?」
「前にこの土地に住んでいた女性の……いや、やっぱりやめておこう」
「ちょ、ちょっと! ハッキリ言いなさいよ」
「これ以上は言えない。知らない方が良いと思うから」
「ひいいぃぃっ!?」
耳元に近付いて囁く。明らかに嘘と分かるネタを投下。
「やだやだ、もうあそこの部屋に行けないじゃない!」
「大丈夫だって。夜中に目を開けさえしなければ何もされないから」
「目を開けるとどうなるの!? ねぇ!」
「……じゃあ僕そろそろ部屋に戻りますね」
「あ、コラッ! 逃げようとすんな」
質問には答えず振り返った。笑いを堪えきれなくて。
「本当に何にもないから。怖がりすぎだって」
「だ、だだだだって! もし変なのが出てきちゃったらどうするのよ!」
「玄関から入ってきたら一階にいる華恋が真っ先に狙われるね」
「ひいいぃぃっ!?」
2人きりになった空間で大騒ぎ。傍から見たらコントにしか思われないやり取りだった。
「アンタ……今晩、私が眠りにつくまで部屋にいて」
「え? 一緒の布団で寝るの?」
「そうじゃなくて枕元に座ってて。出来れば朝まで」
「どこの用心棒なのさ」
「だってそうでもしないと寝れそうにないし」
「はぁ…」
ガックリと肩を落とす。脳裏に浮かんだ都合の良いシチュエーションが外れて。
「そんなに嫌なら見なければ良かったのに」
「だって皆が集まってるのに別行動とか淋しいじゃない。部屋に1人っきりって方が怖いし…」
「知ってる? お化けって怯えてる人の所に集まってくる習性があるらしいよ」
「う、うわああぁあぁぁぁっ!!」
室内に幾度目かになる悲鳴が反響。それから30分程が経過した頃に入浴組が戻ってきた。
「あ~、良いお湯だった」
「おかえり。窮屈じゃなかった?」
「全然。うちの家より広かったから余裕よ、余裕」
「そっか。なら良かった」
頭にタオルを巻いた人物が現れる。インド人のようにターバンを巻いた2人組が。
「じゃあ次は華恋の番。バイト行った後だから疲れてるでしょ?」
「いや、今日はやめておきます」
「なんでさ。汗かいたんだから入ってサッパリしてきなって」
「あはは……少し熱っぽいので遠慮しておこうかなぁ」
「1人で入るのがそんなに嫌なの?」
「な、ななななそんな訳ないじゃない! 幽霊なんか信じてないし」
4人揃ったタイミングで二回戦を開始。親切心と悪戯心を織り交ぜた言葉を発した。
「一緒に入ってあげようか?」
「……は?」
更に耳元に近付いて話しかける。不安を和らげる為の解決策を。
「こっちも2人で仲良く入れば怖くないかなぁと思って……スイマセン」
「アーーハッハッハッ!」
「ひいぃっ…」
しかし無に近い笑顔が怖いのですぐに離れた。どうやらジョークを聞き流す余裕すらないらしい。
智沙達がいなかったら殴られていたかもしれない。そう思えるほど向けられた表情は危機迫っていた。
「体調悪いなら無理して入らない方が良いわよ。高熱出しても嫌だろうし」
「うん、だから今日はやめておく」
「じゃあ皆でトランプやろ。鞄に入ってるから」
労働者の入浴が中止になる。代わりに髪を乾かした友人が二階からプラスチックのケースを持ってきた。
「家出してきたというのに随分と呑気だね。トランプ持参とか」
「別に良いじゃない。それより何やる? ババ抜き? それとも七並べ?」
「ババァならここに3人…」
「オラァッ!!」
「うりゃっ!」
「ぐえぇっ!?」
絨毯の上に4人で座る。夕方のようにジュースやらお菓子を持ち寄って。地味な遊びだが一度やり出すと止まらない。時間を忘れて楽しんだ。
「眠たいの?」
「うん……まぁ」
「なら無理しないで部屋に戻りなよ。明日もバイトあるんでしょ?」
「夕方からだから大丈夫。まだ平気…」
しばらくすると異変に気付く。何度も瞼を擦っている華恋の様子に。
「我慢したら明日がしんどくなるよ?」
「う~ん……でも皆はまだ起きてるんだよね?」
「いや、華恋が眠たいなら僕達も寝ちゃうけど。騒いでたら悪いし」
「じゃあ、そうしようかな…」
彼女がギブアップ宣言を出したので夜更かしは中止。それぞれの住処に引っ込む事になった。
「智沙の寝場所どうしよう。それが問題だ」
「このソファ貸してくれれば良いから。あと出来ればタオルケットを1枚」
「それはちょっとなぁ……僕の部屋のベッド使って良いよ」
「え? なら雅人はどこで寝るのよ?」
「ここ」
ソファをボフボフと叩く。床より柔らかくて布団より硬い場所を。
「それはさすがにアンタに悪い気が…」
「気にしなくていいって」
「じゃあ2人で一緒に寝る?」
「すいません。それだけは勘弁してください」
「なんでだ、テメェーーッ!!」
「うぐっふ!?」
口論の末に飛んできたのは強烈な拳。そして最終的には自分の意見が採用される事になった。
「いてて…」
「じゃあ、おやすみ~」
「お、おやすみ」
皆それぞれの部屋に戻って行く。立ち去る妹や同居人の姿を眺めながら友人が耳元に接近してきた。
「……本当に良いの?」
「良いって。智沙って寝相悪そうだからソファだと落ちそうだし」
「別にそういうのは気にしてないけどさ。無理やり押し掛けといて悪い気がするし」
「平気平気。それより本当に家出してきたの?」
「え?」
質問に答えるついでにこちらからも問い掛けてみた。ずっと気になっていた疑問を。
「あはははは、実は家出なんかしてない」
「やっぱり…」
「ごめんごめん。ただ暇だったから遊びに来たかっただけ」
「なら最初からそう言えば良かったのに」
「けど急に泊めてって言ったらアンタどうしてた?」
「全力で追い返す」
「でしょ? だからわざわざこんな嘘ついたのよ」
予想通り虚偽と判明。目の前には悪びれる様子のない笑顔があった。
「もっと他にやる事あるでしょ。いくら暇だからってさ」
「サラバだ!」
「あ、ちょっ…」
睨み付けていると彼女が廊下へと飛び出していく。そのまま素早く階段を上がって逃走してしまった。
「はぁ…」
とりあえず親と喧嘩したわけじゃなくて一安心。スッキリした所で押し入れから余っている布団を持ってきた。
トイレに行った後は部屋の照明をオフに。ソファに寝転がって布団を被った。
「おやすみ…」
就寝の挨拶を飛ばす。誰もいないリビングに向かって。
「……ん」
視界の中にはキッチンに窓にテレビが存在。うんざりするぐらい見ている景色なのに違和感があった。先程までと違って薄暗いからなのだろう。別の空間にいる錯覚に陥ってしまった。
「うぅ…」
食後に見ていた心霊番組の事を思い出してしまう。せっかく忘れかけていたのに。
身を守るように頭を布団の中に収納。何の特殊効果も無い結界を張った。
「えぇ…」
しばらくすると妙な音が聞こえてくる。何者かが廊下を歩いている軋みが。
「む…」
一番ありそうな答えは誰かが起きてきたという事。催した自然現象を解消する為に。けれど気配は明らかにこちらに接近。トイレに行くならリビングまでやって来る必要は無かった。
「そんな…」
有り得ない想像が脳裏に浮かんでしまう。人知を超えた不可思議な物の存在が。
「ぐっ…」
すぐそこまで迫ってきている現実を受け入れたくない。かといってこのままでは眠れそうにない。恐怖心と興味が意識の中で激しく葛藤していた。
「……まだ起きてる?」
「う、うわああぁあぁぁ!!」
勇気を振り絞って布団をどける。その瞬間に小さな囁きが耳元で反響した。
「きゃあっ!?」
「お、驚かさないでくれよ!」
「なになに、何なの?」
「それはこっちの台詞だって。何してるのさ、ここで」
すぐにその正体を確かめる事に。起き上がった自分の横で華恋が頭を押さえてへたり込んでいた。
「大きな声出さないでよ。ビックリしたじゃない」
「そっちがイタズラみたいな真似するからじゃないか。いきなり目の前に人がいたら誰だって取り乱すし」
「お、起こそうとしたのよ。そしたらアンタが急に動き出すから」
「まったく……こんな所で何してるわけさ」
「あの、その…」
「ん?」
強めの口調で行動の真意を問い詰める。俯いて口ごもっている対話相手に向かって。
「まさか…」
「え?」
「1人でトイレに行けないから付いて来てほしいとか」
「ち、違っ………わない」
「えぇ…」
返ってきた答えに呆れてしまった。あまりにも内容が間抜けすぎて。
「トイレならここに来る途中にあったじゃないか!」
「だって怖いんだもん!」
「あのさ、小学生じゃないんだから…」
「お願い! 迷惑だとは分かってるけどドアの前で待ってて」
「はぁあ…」
布団をどけて立ち上がる。無駄な言い争いを避けたいので素直に要求に従う事にした。
「ここで待っててあげる」
「に、逃げ出さないでよ?」
「強く釘を刺されると逆に実行したくなるよね」
「バカ! そんな事したらブン殴るからね!」
「本当に戻ろうかな…」
薄暗い廊下を歩いてトイレにやって来る。相方に用事を済ませるよう促すと壁にもたれかかって待機した。
「くあぁ…」
とはいえただ待っているだけというのも退屈だった。眠気も催し始めていたので。
「ほいっ」
「ぎゃあぁあぁぁぁぁっ!?」
先程の仕返しとばかりに照明の電源を切る。その瞬間に中から凄まじい悲鳴が聞こえてきた。
「ご、ごめん…」
咄嗟に謝る。再びスイッチに手をかけながら。
「……大丈夫かな」
ついでに二階の様子を確認。起こしてしまったのではと考えたが異変は感じられなかった。
「無理ムリムリムリムリっ!」
「ちょ…」
「怖い怖い怖い怖いぃぃぃぃぃ!」
トイレの方に振り返ると勢い良くドアが開く。中からはパニック状態の華恋が登場した。
「電気。つけっぱなしだから」
「やだやだやだやだぁ!!」
「いででっ、骨が折れる!」
更に近付いて抱きついてきた。ラガーマンのタックルのように。
「もう終わったから良いでしょ?」
「……うん」
「何か出た?」
「ちょっ……バカっ! そっちじゃないわよ。小さい方だってば」
「いや、あの…」
会話の中に微妙な齟齬が発生。照れ臭くなるような勘違いが。
服の裾を掴んでくる相方とリビングへ引き返す。大きな音を立てないようにソファへと腰掛けた。
「……あの、部屋まで付いて来てくれない?」
「はぁ? 1人で戻りなよ」
「だ、だって…」
「さっきした話は嘘。お化けなんて出ないから安心してよ」
「え? そ、そうなの!?」
「やっぱり信じてたのか…」
きっと部屋で怯えまくっていたのだろう。不安になりながら辺りをキョロキョロ見回している姿を想像すると笑えてきた。
「でもやっぱり怖いぃぃぃぃ」
「華恋の方が怖いんだよ。何かに取り憑かれでもしたの?」
「一緒に寝よ? ね? 良いでしょ?」
「それは同じ布団で仲良く横になるという事かい?」
「……あ」
さすがにそこまでは考えてなかったのか。自分の出した提案に自分で驚いていた。
「べ、別にそれでも構わないけど」
「いや、ダメだって」
「なんでよ! 私が良いって言ってんだから良いじゃない」
「あのね、もし2人で一緒に寝るとするでしょ? その現場を二階にいる住人に見つかったらどうなると思う?」
「お……驚かれる?」
「それだけで済めば良いが、恐らく僕はかなりの信用を失う事になってしまう」
女の子の布団に男が存在。どう考えても夜這いでしかない。
「という訳で却下」
「やだぁ、無理ぃ…」
「じゃあ殴って気絶させてあげるよ。それでどう?」
「その前にアンタを殴ってしまいそうで怖い」
「……それだけ強気ならお化けも逃げていくよ。うん」
「どうしてもダメ? マジで1人は無理なんだけど」
追い返そうとするが中々聞き入れてくれない。仕方ないので1つの妥協案を出してみた。
「なら枕と布団ここに持ってきなよ。それで床に寝ると良いさ」
「え? ここで?」
「そうそう。絨毯の上なら冷たくないし」
「まぁ……それで良いかな」
「よし。なら先に寝てる」
ようやく納得の声が返ってくる。安堵しながら頭をクッションの上へと移動した。
「ちょっと寝ないで。部屋まで付いてきてよ」
「何でさ。サッと行ってサッと帰ってくるだけじゃん」
「それでも怖いんだってばぁ。ねぇ、お願いだから」
「う~ん…」
だがすぐに妨害の手が伸びてくる。体を強く揺さぶられた。
「分かったよ。取ってくれば良いんでしょ」
「あ、待って待って」
「結局付いて来るんかい」
「アンタ、怖くないの? 暗い廊下とか不気味じゃない?」
「そりゃ怖いけどさ。怯えてる華恋を見てたら平気になってきた」
布団をどかして再びリビングの外へ。客間を目指しそろそろと進んだ。
「ちょ……歩きづらいって」
「怖い怖い怖いぃ!」
「離してくれよ。前に進めない」
腰回りをガッチリと掴まれる。ケンタウロスみたいな格好で目的地へとやって来た。
「ほら、着いたよ」
「……何にもいない?」
「窓の外に誰かが立ってる」
「ひいぃぃぃっ!?」
カーテンの隙間に静かな世界が広がっている。様々な憶測を巡らせてくる暗闇が。
「よし、さっさとズラかろう」
「うん…」
「ちゃんと戸は締めて来てね。窓から何か入ってくるかもしれないし」
「や、やめてよ! 頼むから」
枕と布団を持つと部屋を退出。廊下を引き返してリビングに戻ってきた。
「ふぅ……じゃあ寝ようか」
「あ、ありがと…」
「ソファと床ならどっちが良い? 上が良いなら代わってあげるけど」
「う~ん、落ちたら痛いから下で良いかな」
「はいよ」
作業を済ませたのでそれぞれの寝場所に横たわる。時計を見ると解散してから30分近くが経過していた事が判明した。
「寝れそう?」
「た、多分」
「そっか。んじゃ、おやすみ」
「……おやすみ」
二度目となる就寝の挨拶を発する。妙な疲労感を感じながら瞼をシャットダウンして。
「雅人…」
「ん?」
「……もう寝た?」
「寝た」
「起きてるじゃない」
「声かけてこないでよ。眠れないじゃないか」
「ご、ごめん…」
静まり返る部屋の中で寝返りを発動。いつもと違う場所だからか寝心地が悪かった。
「ふぅ…」
「まだ起きてる?」
「……ぐっ」
更に隣からは不毛な呼び掛けが連発。苛立ちが募ってきていた。
「本当に寝ちゃった?」
「む…」
「お~い、雅人ぉ」
「……しつこいな」
「起きてるよね? 寝たフリしてるだけだよね?」
当然反応はしない。選ぶ選択肢は無視一択。
「ズボン、ずり下げてやろうかな」
「コラッ!」
「あ、やっぱり起きてた」
しかし耳に飛び込んできた言葉に慌てて上半身を起こす。その内容が嫌がらせとしか思えなくて。
「いい加減寝かせてくれぇ……何度妨害してくれば気が済むのさ」
「だ、だって眠れないし…」
「そっちの事情なんか知ったこっちゃないんだよ。頼むから大人しく寝よ?」
「……むぅ」
既にいつもの就寝時間を突破。日付も変わり深夜と呼べる時間帯に突入していた。
「このままだと徹夜になっちゃう。僕は構わないけどバイトがある華恋は辛いでしょ?」
「寝不足は嫌だなぁ。でも寝れないしなぁ」
「頭の中で羊を数えなさい。定番じゃないか」
「そんなんで眠れるわけないじゃん…」
「健闘を祈る。じゃあね」
ブーブー文句を垂れる彼女を無視して布団を被る。接触を絶つように。
「んんっ…」
それから数分間は無言の状態が継続。気になったので様子を窺ってみた。
「……すぅ」
「寝てるぅぅぅっ!?」
散々人の安眠を妨害してきた人物が気持ちよさそうな寝息を立てている。満面の笑みを浮かべながら。
単純なその思考回路に呆れ気分が全開。それと同時に偉大な羊に感謝した。
「おやすみ…」
今日はずっと誰かに引っ張り回されていた気がする。休日なのにドッと疲れた1日。
楽しかったが二度と味わいたくない。溜め息をつきながら静かに目を閉じた。
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