第17話 駆け引きと逃走

「……このっ!」


 手に持っていた金属製のバットを力いっぱいに振る。凄まじい速さで飛んでくる白い球を目掛けて。


「ありゃ?」


 しかし目論みは失敗。背後からは大きな衝突音が聞こえてきた。


「おいおい、さっきから1回も当たってないぞ。これ小学生用の速さだぜ」


「おっかしいな。タイミングは間違えてないと思うんだけど」


「ボールより下の方振ってるわ。あと腰が引けてる」


「あれ。そうかな?」


「もっと恐れずに近付け。こう、恋人にキスする感じで」


「唇がもげちゃうよ」


 颯太のアドバイス通り半歩近付いてチャレンジしてみる。けれど全球空振り。ただスイング練習をしただけで終わってしまった。


「なんてこったい…」


「まず構えがダメだよ。面白い格好してバット振ってる」


「そんな訳ないじゃないか。普通にやってるって」


「嘘じゃないぞ。動画撮って見せてやりたいぐらいだ」


「そ、そんなにおかしいかな?」


「おうよ。向こうにいた女性にも笑われてたもん」


 ネットをくぐりながら友人が指差した先を見る。そこにはベンチに腰掛けている年上と思しき人物が存在。


「……嘘」


「あの人、キレイだよな。ああいう人が彼女とか羨ましいわ」


「今、バッティングやってる人が彼氏かな」


 更に女性のすぐ前のボックスには1人の男性が入っていた。身長の高い爽やか系のイケメンが。


「良いなぁ良いなぁ、俺もあんな風にデートしてみたい」


「デートって決まってるわけじゃないけどね。友達同士かもしれないし」


「友達同士だとしても男女2人っきりならデートだろ?」


「まぁ、そうかな…」


「その奥にも白い服を着た男女が10人ずつぐらいいるから皆デートだな」


「待って待って! 僕にはその人達が見えないんだけど!」


 羨望の眼差しで彼らを見つめる。憧れ以外の感情が湧いてこなかった。


「はぁ……俺を応援してくれるのはムサい男かよ」


「悪かったね、可愛い女の子じゃなくて」


「でも雅人ってカツラ被ったら女の子っぽくなりそうじゃない?」


「そんな趣味ないよ。やめてくれ」


「でもロングのウィッグを付けて服もそれっぽくしたら……ん?」


「え? どうしたの?」


「いや、何でもない。じゃあやって来るわ」


 颯太が意気揚々にネットをくぐる。入れ違いになる形で。


「一体なにを想像したのか…」


 財布から100円玉を取り出すと機械へ投入。そのままバットを大きく振りかぶった。


「俺の本気を見せてやる! ずぉりゃあっ!」


 気合いを注入する為に叫ぶ。言葉に表しにくい台詞を。


「ぐふっ!?」


「あぁっ! 大丈夫?」


 直後に飛んできた白球が脇腹に命中。上半身を押さえてもがき苦しみ始めた。


「あ……あぁ、平気だ。問題ない」


「前に立ちすぎなんじゃないの?」


「そうだな。少し後ろに下がるか」


 忠告を聞き入れたのか素直に一歩後退する。起き上がるとバッティングを再開した。


「ぐっほ!?」


「だ、大丈夫?」


「あ……あぁ、平気だ。問題ない」


「まだ下がった方がいいかも」


「そ、そうだな。そうするか」


 しかし今度は顔面に命中する羽目に。ボールが有り得ない角度に飛んできていた。


「うごふぉっ!?」


「あれ? これ何かおかしくない?」


「う、うぐぐぐっ…」


「まるで狙ったように飛んできてる。もしかしたら機械が故障してるのかも」


「お、俺の玉が潰れる…」


 三度目の正直を試みるが失敗に終わる。友人の股間にボールが直撃したせいで。


「……はぁ」


 突然バッティングセンターに行きたいと誘われてやって来たのだが結果は散々。野球経験ほぼゼロの自分達は甘く見ていた。ただバットを振って当てるだけだと考えていたがその単純作業が難しい。端にある一番遅いコースですら掠る程度だった。


「彼女かぁ…」


 数メートル先にいる男女に意識を集中する。背の高い爽やか系彼氏と、髪の毛を染めた今時系の女性に。恋人を作った経験の無い人間にはその楽しさが分からない。友人がバッティングに励んでいる間もお喋りをしているカップルから目が離せないでいた。


「……帰るか」


「ん? もう満足?」


「体が限界だ。頭がフラフラするぜ」


「鼻から血が垂れてるけど大丈夫?」


「あぁ、問題ない。エロ本を読んだとか言っておけばごまかせるだろ」


「誰に何をごまかすつもりなのさ?」


 ネットの中から満身創痍の人間が現れる。戦争映画に登場する兵士のような出で立ちの友人が。


 一通り楽しんだ後はバットを元あった場所に返却。疲労感と解放感を蓄積しながら施設を出た。


「これからどうするの?」


「う~ん……雅人が6人に見えるから皆で鬼ごっことか良いかもな」


「先に病院に行った方がいいんじゃ…」


「あ~あ、女の子のパンツ見たいぜ」


 2人してのんびりと歩く。海城高校近くにある交通量の多い道路を。


「ちょ……いきなり何てこと言い出してんのさ!」


「だって彼女いたらいろいろ出来るわけだろ。パンツ見せてもらったりベタベタ体触らせてもらったり」


「自分の下着見せる女とかただの露出狂じゃん。そんな変態と付き合いたいの?」


「エロい女の子とか最高じゃないか。俺は喜んで受け入れるぜ!」


「や、やめてくれ…」


 道路の真ん中で友人と口論を開始。いくら通行人が少ないとはいえ恥ずかしかった。


「実際に女の子のパンツ見た事ある? 本とかじゃなく目の前で」


「な、ないよ」


「だよなぁ。風でスカートがヒラッと捲れる事なんて中々ないもんな」


「どれだけ下着を見たい気持ちで満ち溢れてるのさ…」


 本当は何度かある。だけど言い出す事が出来ない。もしそれを口にしたら彼は激怒してしまうから。


「女子校行ってみようぜ。あっちにお嬢様学校あるだろ」


「行って何する気なの?」


「特に何も。ただ校門から出てくる可愛い女の子達を眺めてるだけ」


「……えぇ」


 呆れた態度を前面に押し出した。しかしそんな気持ちを知ってか知らずか友人は目的地を勝手に設定。やがて槍山そうやま女学園と書かれた学校に辿り着いた。


「あれ? 人少なくね」


「当たり前じゃん。今日祝日だよ? だから僕達だってここにいるんじゃないか」


「し、しまったあぁぁぁ!」


「徒労だったね。わざわざこんな所まで来たのに」


「おぉ、神よ……アナタはどこまで私を嫌うのですか」


「オオカミ?」


 せっかく学校へやって来たものの肝心の生徒はほとんどおらず。バッティングセンター同様に空振りという結果に。


「また明日来よう。平日ならおにゃの子いっぱいいるハズだし」


「やだよ。そこまで興味ないし」


「嘘つけ! 雅人だって本当は可愛い女の子に興味津々なんだろ!」


「別に女子ならうちの学校にも大勢いるじゃないか。いちいち他の場所まで来なくても」


「女子校ってシチュエーションにそそられるんだよな。男を知らない無垢な人間って感じがしてさ」


「エロゲのやり過ぎだよ。頭、大丈夫?」


 意見の衝突が止まらない。その後は理想のカップル像や好みのタイプについて語り合いながら駅へとバック。地元の街で解散となった。



「ただいま~」


 家に帰ってくると鍵のかかっていないドアを開ける。中に一歩足を踏み入れた瞬間に香ばしい香りを感じ取った。


「この匂い……カレーかな」


 靴を脱いだ後は廊下を駆け抜けて奥へ。一目散にキッチンを目指した。


「あ、おかえり~」


「ただいま。カレー作ってるの?」


「そうよ。今は私しかいないから暇だし」


「香織は?」


「友達と遊びに行くって出てったわね。とりあえず手洗ってきたら?」


「ん、そうする」


 鍋の前に立っている華恋を発見。どうやら今日の晩御飯を作っていたらしい。洗面所で手を洗うと食事用に使うテーブルの椅子に腰を下ろした。


「カレー大好きなんだよ。楽しみだわぁ」


「そ、そう? こんな手抜き料理でありがたがられるのも照れくさいんだけど」


「何を言ってるのさ。カレーこそ人類の生み出した偉大な発明品。歴史上、最も多くの人に愛されている食べ物なのだよ」


「そんな大袈裟な」


「だってカレーが嫌いな人って世の中にいないでしょ?」


「そりゃあ多くはないだろうけどゼロって事もないんじゃないの?」


「いや、絶対にいないって。もしいたら人間を辞めてもいいぐらいだから」


 カレーが嫌いという人に今まで会った事がない。家族はもちろん友人、クラスメート。給食で出されたカレーライスを残している不届き者なんか目にした事がなかった。


「アンタ、どんだけカレー信者なのよ」


「カレーを愛しています。カレーの全てを愛しています」


「……あっそ」


 熱弁に対して呆れ顔が返ってくる。面倒くさい心境が窺える酷い表情が。


「華恋もカレー好きでしょ? 名前も似てるし」


「名前は関係ないでしょうが。まぁ嫌いではないわよ。特別好きって事もないけど」


「え~、なら何が好きなの?」


「う~ん……海老フライとか?」


「海老フライ? あれって料亭とかで食べる高級品じゃん」


「それ天ぷらでしょ? フライと天ぷら勘違いしてない?」


「あ、あれ……そうだっけ」


 ミスの指摘に頭が混乱状態に。思考が小さく揺さぶられた。


「言っとくけど全くの別物だからね。味も調理方法も違うんだから」


「何が違うの? その2つは」


「フライはパン粉つけて揚げるの。天ぷらは小麦粉。似て非なる物なんだから」


「ふ~ん、ならうんこ付けたら?」


 適当に思い付いた単語を口にする。その台詞に反応して鍋を掻き回していた彼女の動きがピタリと停止。


「……今なんて言った? 私、そういう下品なネタ大っ嫌いなんだけど」


「ご、ごめん。ちょっとしたジョークでした」


「この熱々のカレー、頭からぶっかけて良い?」


「本当に勘弁してください。反省してますから!」


 顔を見るが目が少しも笑っていない。どうやら本気で怒っているようだった。


「すいません。もう二度と言いません」


「……っとにもう。クソガキかっての」


「はは…」


 小学生の頃、頻繁にこんなくだらない話題で盛り上がっていた記憶を思い出す。ついでに女子には大不評なネタという点も。


「ねぇ、華恋は彼氏欲しいって思った事ある?」


「はぁ? 何よ、急に」


「ほら、華恋と彼氏って名前が似てるじゃん?」


「だから名前は関係ないっつってんでしょうがっ!」


「えっと、今日さ…」


 先程、外出中に起きた出来事を手短に話した。バッティングセンターで目にしたカップルや颯太との会話内容を。


「ふ~ん、健全な10代男子の思考だわね」


「まぁね、やっぱり女子もそうなのか気になってさ。いつも一緒にいてくれる男の子ってほしいものなの?」


「そりゃあ、いないよりいてくれた方が良いんじゃない? 友達に自慢も出来るわけだし」


「誰かに自慢する為に恋人を作るってのも嫌だなぁ…」


「見せびらかす奴はまだマシよ、のろけ話はウザイけど。それより恋人いるのに隠そうとする奴のが困る」


「なんで?」


 指を突っ込んで味見している彼女と視線が衝突。怒りの感情は消え去っていた。


「モテない奴は恋人いる事をひけらかす。モテてる人は恋人いる事を隠そうとする。これ私の持論」


「へぇ……詳しいね」


「ふふふ、伊達に恋愛相談とか受けてないし」


「でも自分が告られてた時はテンパってたよね。顔を真っ赤にしてさ」


「は、はぁ!? 別にテンパってないし。真っ赤になんかなってないし」


「いやいや…」


 態度をムキにして反論してくる。見事な矛盾が目の前に存在。


「だって僕に代わりに断ってくるよう頼んできたじゃないか」


「そ、それは…」


「あの告ってきた先輩はどうなの? 男として」


「あ~、ダメダメ。モテそうなクセして今まで彼女出来た事ないとか手紙に書いてたから」


「もしかしたら本当に交際経験が無かったのかもよ? 嘘かどうか分からないじゃん」


「誰かと付き合った事ない人間が会話した事もない女子に声かける? それに告白の仕方とか慣れてたし」


「う~ん……個人的にはあんまり悪そうな人には思えなかったけど」


 年下の自分に対しても敬語で対応。振られたと分かった後も紳士的だったので印象は悪くなかった。


「ともかく私はああいうモテそうな男は苦手なのよ。いつ浮気するか分かんないから」


「浮気しないイケメンだっていると思うけど…」


「アンタは可愛い子と普通の子ならどっちが良いわけ?」


「そんなの可愛い子一択」


「……即答しやがった、コイツ」


 質問に対して瞬時に返答する。同時に軽蔑の意味を込めた目で睨まれた。


「だって全く同じ性格なら見た目が良い方を選ぶでしょ?」


「じゃあ見た目美人だけど性格最悪な女と、見た目微妙だけど天使みたいな性格の子だったら?」


「どっちも嫌だ。両方とも選ばない」


「ふ~ん」


「アレみたいだ。カレー味のうん…」


 ふとある事を思い付いたので言葉に。直後に慌てて口を塞いだ。


「……え? あんだって?」


「いや、何でもないっす」


 再び冷ややかな視線が飛んでくる。思わず逃げ出したくなるレベルのメンチ切りが。


「あぁ、もうっ! アンタのせいでだんだん食欲が失せてきたじゃない。どうしてくれんのよ」


「あ、残すの? その時は僕が責任持って平らげるから安心してくれ」


「くっそ、七味を一瓶全てブチ込んでやろうかな」


「や、やめてくれっ! そんな事したら食べれなくなる」


 思わず椅子から立ち上がって制止した。平和な食卓を守る為に。


 それから1時間足らずの間に両親や妹も帰宅。華恋の作ったカレーは皆に大好評だった。しかしそれを作った本人は小食気味。食事中はずっと引きつった顔を維持していた。



「うおりゃあっ!! 理科の授業始めるぞ、うおりゃあっ!!」


 翌日もいつも通りに学校に行き授業を受ける。そして放課後になると友人と2人で学校を出た。


「本当に行くの? 昨日行った女子校」


「もちろん。約束しただろ? 明日またここに来ようって」


「僕はしてないよ。颯太が勝手に決めたんじゃないか」


 自転車に乗る彼を走って追いかける。鞄はカゴに入れさせてもらったので手ブラで。


「ここからだとちょっと遠くない? 颯太は自転車だから良いけど僕は徒歩だし」


「頑張れ。辿り着いたらご褒美がもらえるぞ」


「可愛い女の子がたくさん見られるとか言い出すんでしょ? そんなに興味ないよ」


「だって1人で校門に立ってたら不審者になるじゃん」


「2人でも変わらないよ。あぁ、しんどい…」


 激しく息を切らして走り続けた。途中の信号で何度も休憩を挟みながら。しばらくすると目的の場所に到着した。


「おぉ、やっぱり昨日と違ってたくさんいるな」


「ねぇ、やっぱり帰ろうよ。先生や風紀委員の人が来たらどうするのさ」


 来る前も不安でいっぱいだったが実際にその場に立たされると恐怖感が倍増。すれ違う女子生徒達の突き刺さるような視線が痛い。


「もう少し離れた方がいいかも。ジロジロ見られてる」


「そんなの気にするな。何も悪い事なんかしてないんだし」


「いや、微妙にやってしまってる気が…」


 校門付近に警備員の人が立っている。このままウロついていたら声をかけられるかもしれない。


「ならせめてあそこに行こうよ」


「ん?」


 道路の反対側にあったファミレスを指差した。建物内ならさすがに警備員の人もやって来ないだろうとの判断で。逃げ出すように歩道橋を渡って移動した。


「中にも何人かいるのな」


「だね。けどさすがに近くにいる人をジロジロ観察するわけにはいかないでしょ?」


「仕方ねぇ。とりあえず窓際の席に行くか」


「へいへい…」


 店員さんにお願いして外を見渡せるテーブルに座る。日差しが当たって眩しい場所を陣取った。


「おぉっ、あの子可愛い」


「どれ?」


「歩道橋の左側にいる3人組。一番手前の子」


「あぁ、確かに可愛いかも」


 そのまま目的の観察を開始する。ドリンクバーのジュースを飲みながら。


「刑事の張り込みじゃないんだから…」


 こんな場所までやって来て一体何をしているのか。考えれば考えるほど虚しい気分になってきた。


「女子だけってのは良いなぁ。カップルを見なくて済む」


「はいはい」


「俺もここに通おうかな。カツラ被ってスカート穿いて」


「……あの、そろそろ付いて行けなくなってきたんだけど」


 ひたすらジュースを飲み続ける。喉が乾いていたというのもあるがそれぐらいしかやる事がないので。


「おっ、あの子凄いぞ」


「うん?」


 やれやれと思いながら友人の声に反応。だが窓の外に視線を移した瞬間、全身が硬直した。


「あ…」


「な? 綺麗だろ」


「う、うん」


 油断していたというのもある。自分と彼とでは女の子観察に対して温度差があるから。けれど目に入ってきたその子は明らかに今までの子とは別格。ストレートな好みのタイプだった。


「今までで一番だな。ポニテの子、抜いたわ」


「ん…」


 密かにランキング付けをしていた友人の言葉も耳に入らず。彼女が視界から消えるまでずっと目で追いかけた。


「あ~、ああいう子が彼女だったら幸せなんだろうなぁ」


「分かる分かる」


「隣に並んで歩きてぇ。ついでに手も繋いじゃったりなんかして」


「青春だよね。毎日学校行くのが楽しみになりそうだ」


「そして卒業後に結婚して子供を作って、一緒に運動会の応援に行ったり」


「……飛躍しすぎじゃないかね」


「よし、ちょっとプロポーズしてくる」


「やめてくれ。捕まっちゃうよ」


 立ち上がる友人を制止する。周りから訝しげな視線を注がれながら。


 その後も1時間ほど張り込みを続ける事に。お腹が空いてきたので晩御飯もファミレスで済ませた。


 観察中に飲んだジュースの数は5杯以上。駅に戻るまでの間に猛烈にトイレに行きたくなってしまったのが辛かった。



「ただいまぁ」


 涼しい夜道を歩きながら帰宅する。玄関を開けると真っ直ぐにリビングへと向かった。


「なに作ってるの?」


「あ、おかえり」


 不在の母親に代わってキッチンに立っている華恋を見つける。ソファに座ってバラエティ番組を鑑賞中の妹も。


「パスタだって。私が食べたいって頼んだの」


「ふ~ん。あ、ファミレスで食べてきたから僕はいいや」


「え?」


 鞄を持ったまま用件を通達。ハンバーグ定食を頼んだので胃の中はパンパンだった。


「あの、もう3人分茹でてしまったんですけど…」


「ごめん。お腹いっぱいだから食べられそうにないや」


「……ぐっ」


「そ、そういう事で…」


 シェフが何かを訴えかけるような目つきで睨んでくる。その威圧に耐えられず慌ててリビングから脱出した。


 口には出さなかったが怒っていたのかもしれない。予め連絡を入れておけば良かったと後悔する。そして予想通り彼女は後から部屋へと乗り込んできた。


「アンタねぇ、食べてくるんなら先にそう言っておきなさいよねっ!」


「く、苦しいってば! 手を離してくれ」


「余った麺とソースはラップして冷蔵庫に入れてあるから。ちゃんと責任持って食べなさいよ!」


「ラ、ラジャー」


 胸倉を掴まれ怒鳴り散らされる。カツアゲでもされているかのように。


「ゲホッ、ゲホッ」


「アンタ、どこのファミレスに行ったの? 地元の駅前にはいなかったわよね」


「あぁ、電車に乗る前に行ってきたんだよ。学校から少し離れた所にある」


「どうしてわざわざそんな場所まで行ったのよ。何かあったっけ?」


「槍山女学園。昨日話したでしょ? その女子校にまた行っててさ」


「はぁ?」


 彼女が呆れたような声を出してきた。口をあんぐりと開けて。


「こんな時間までずっと女の子追いかけてたの? バカじゃん」


「う、うるさいなぁ。颯太に誘われて嫌々付いて行っただけだよ」


「それで警察にカツ丼を食べさせられたから晩御飯いらなかったというわけか」


「なんでそうなるのさ。そもそも実際の警察はカツ丼なんか出してくれないし」


「放課後に女の子追いかけまわすとかどんだけスケベなのよ。見損なったわ」


「す、すいません…」


 返す言葉もない。女の子に夢中になっていたのは紛れもない事実なのだから。


「で、でも結構キレイな生徒がいたんだって。モデル体型の美人とか」


「ふ~ん…」


「凄く可愛い子が目についた時は思わず後をつけようかと思っちゃったよ。ハハハ」


「よし、お巡りさんに通報してやる」


「や、やめてくれぇ!」


 彼女がポケットからケータイを取り出す。冗談だとは思うが一応止めておいた。


「下にいる香織ちゃんにバラしても良い? アナタのお兄さんが鼻の下を伸ばして女子高生を追いかけまわしてたって」


「出来れば内緒にしておいてくれると助かります。ついでに父さんや母さんにも」


「ならもう二度とこんな真似はすんな。分かったか!?」


「は、はいっ!」


 激しい叱責を喰らってしまう。同い年の同居人に。


「む…」


 うっかりバラしてしまった自身の軽率さを反省。同時にこの不満を解消する為の方法を頭の中で必死に模索した。


「じゃあ私、汗流してくるから」


「はい、行ってらっしゃいませ」


「仕返しに風呂場の電気消しに来たらブッ飛ばすかんね!」


「……はい」


 考えている事が読まれてしまう。まさか実行に移す前にバレてしまうなんて。相変わらず彼女の方が一枚上手なんだと気付かされただけで終わった。



「いい天気だなぁ…」


 翌日の昼休み。教室の片隅で1人で佇む。購買で買ってきたメロンパンを食べ終え、チャイムが鳴るのをずっと待っていた。


「う~ん…」


 昨日までは意識していなかったがうちのクラスにも何人かカップルがいる。2組と少数ではあるが。ただ他にも別のクラスや先輩後輩と付き合っている生徒等々。把握しているだけでもクラスの半数近くの人間がリア充だと判明した。


「……はぁ」


 落ち込まずにはいられない。理想と現実に差がありすぎて。


 唯一の希望は周りの知人達。幸いなのかそうでないのか似たような境遇の知り合いばかりが集まっていた。


「智沙か…」


 彼女もない。そういう浮いた話は聞いた事がないし。それに本人は隠しているがこの学校の同級生に片思いをしているのを密かに知っていた。


「うおりゃあっ!! じゃあお前らまた明日な、うおりゃあっ!!」


 帰りのホームルームが終わった後は1人で校内をブラつく。颯太には先に帰ってもらって。その目的はただの暇潰し。新しい刺激を求めて徘徊していた。


「……お喋りしてないで早く帰ればいいのに」


 違うクラスで盛り上がっている数名の生徒を見つける。髪を染めた派手なタイプのグループを。


「あはは…」


 だんだんと鬱な気分になってきた。やっぱり誰かと一緒に帰るべきだったのかもしれない。心の奥底からジワジワと後悔の念が溢れ出してきた。


 校内をあらかた周って何も起きない事を確認すると学校を後にする。1人で電車に乗り、1人で立ち読みをして、1人で家へと帰ってきた。


「ただいま…」


 玄関の扉を開けて中に入る。まだ誰も帰って来ていない家に挨拶しながら。


 冷蔵庫に入っていたペットボトルを持つと二階へ移動。乾いた喉を潤してベッドに倒れ込んだ。


「おやすみ…」


 ダウナーな気持ちをリセットする為には眠るしかない。楽しい夢を見られれば気分も変わるハズ。小さな願いを込めながらゆっくりと目を閉じた。


「……ん」


 しばらくすると階下から玄関を開ける音が聞こえてくる。両親は今日も夜勤なので妹か同居人のどちらかなのだろう。


 うつ伏せを維持しているとだんだん意識が朦朧状態に。夢と現実の世界を何度も往復。


 まどろみの中は心地よかった。子供の頃に戻れたようで。


「ふぅ…」


 起床した後はベッドの上であぐらをかく。頭を抱えながら。よりにもよって一番見たくない物を見てしまった。公園で見知らぬ女性と遊んでいる夢を。


「あ~あ…」


 この思い出は嫌いではない。どこか懐かしい気持ちに浸れるから。だが気分を明るく変えたいと思っていた現状では精神が追い込まれる内容だった。


「ん?」


 時間を確認する為にケータイを手に取る。すると届いていた新着メッセージを発見。差出人を見ると華恋だった。


「えぇ…」


 バイトが8時に終わるから迎えに来てほしいらしい。たまにあるワガママにも近い催促。


 ただ時計を確認するとそもそも不可能だという事に気付く。表示されていた時刻は8時5分。約束のタイムリミットを過ぎていた。


「……ま、いっか」


 迎えに行けないからといって特に困るような事は無い。寝起きなのであまり体を動かしたくないし。


「うわぁあぁあぁぁっ!?」


 重い体を引きずって部屋を出る。しかし階段付近までやって来た所で足を滑らせて転落してしまった。


「いつつ…」


 手足を激しく強打する。ダメージを負いながらも這いずるように廊下を移動した。


「……グガガガガッ!」


「どんな寝相…」


 リビングに到達するとやかましいイビキが響いてくる。妹がテレビに抱き付く形で爆睡していた。


「お~い、起きて~」


「……ん、んん」


「もう8時。華恋も帰ってくるよ」


「まーくんの大福に毒を仕込んでおかなくちゃ…」


「え? 何、この寝言。怖い」


 彼女の肩を掴んで揺り起こす。こんな情けない兄妹の姿なんかとても見せられない。今日も両親は仕事で不在。生活リズムが違うせいでここ数日は朝にしか顔を合わせていなかった。


「華恋さん、遅いね~。何かあったのかな」


「寄り道でもしてるんじゃない? コンビニで立ち読みとか」


「かなぁ」


 ソファに腰掛けながらバラエティ番組を視聴する。バイト娘が姿を見せないので2人きりで。


「……あ」


 様々な憶測を巡らせているとある事を思い出した。先ほど届いていた1件のメッセージの存在を。


「やべ…」


 まだ返事を返していない。文章を確認しただけで閉じてしまっていた。


「ちょっと迎えに行ってくる」


「あ、うん。気をつけてね」


 もしかしたらどうしていいか分からず動けないでいるのかもしれない。バイトが終わった店先で。


「あぁ、嫌だ嫌だ…」


 だとしたらかなり怒っているだろう。不機嫌な同居人の姿が容易にイメージ出来た。


「あ…」


 玄関でスニーカーに足を通す。その瞬間に外側からドアが開いた。


「お、おかえり」


「……何で来てくれなかったの」


「ゴメン、ちゃんと返信すれば良かったね。うっかり忘れてた」


「また女の子を追いかけ回してたの? そうなんでしょ」


「え? いやいや、違うって。帰って来てからずっと部屋で寝てたんだよ」


「ふんっ……どうだか」


 対面早々に不躾な態度をぶつけられる。迎えに行こうとしていたその人に。


「本当に悪かったです。だからそんなに怒らないで」


「別に怒ってないし。普通だし」


「眉間にシワ寄せるとせっかくの可愛い顔が台無しですよ、姉御」


「う、うっさいなぁ…」


 機嫌を取ろうと必死になった。後で殴られたくないので。


「あ、おかえりなさい。お疲れ様」


「ただいま。今から晩御飯作りますね」


「ありがとうございます。いつも助かります、エヘヘ」


 軽く口論しながら2人してリビングへとやって来る。そしてドアを開けた瞬間に彼女がいつもの営業スマイルを振りまいた。


「雅人さんは食べてきたから晩御飯いらないんですよね?」


「いや、いります。何も食べてないのでお腹空いてます、はい」


「あれ? でもさっきはお嬢様学校の生徒とファミレスに行ったから何もいらないって…」


「そんなこと言ってませんよね!? 言ってないですよね?」


「……お嬢様学校?」


 事態が悪い方へと転がっていく。前日の行動を遠回しに暴露されて。


 かといって自分には反論する権利が与えられていない。文句でもつけようものならば晩御飯抜きでは済まなくなるからだ。


「僕も手伝うので何か作ってください。お願いします」


「は~い、分かりました」


「ほっ…」


 不本意ながらも頭を下げる。それが効いたのか彼女は野菜炒めを作ってくれる事に。


「げっ…」


 しかし自分の目の前に出されたのは別のメニュー。前日の残り物のパスタだった。


「……まっず」


 食べ物を粗末にするわけにはいかないので我慢して箸を動かす。味の落ちた麺を泣きながら口にした。



「よし、また女子校行こうぜ」


「やだよ。絶対行かないからね」


 翌日、校外マラソン中に友人から突然の提案が飛んでくる。遠慮したいお誘いが。


「2日前に行ったばかりじゃないか」


「いや、この前と違う所。アニメに出てきそうな制服を見つけたんだよ」


「いいよ、興味ないし」


「冷たい奴だな。なら1人で行って来るわ」


「えぇ…」


 どうやら彼はハマってしまったらしい。監視という怪しい趣味に。


 放課後になると駅で颯太と解散。彼は電車に乗り込み本当に1人で目当ての学校に突撃してしまった。


「そのうち女子の制服とか手に入れて学校に潜入しそうだ…」


 もしそうなったら友達を続けていく事は難しくなるかもしれない。巻き込まれたくないので。


「ん~」


 地元に帰って来ると駅前の本屋に寄り道する。並んでいる客の隙間から手を伸ばして1冊の雑誌を手に取った。


 小学生の頃から愛読している漫画誌。夢中で読んでいる訳ではない。ただの惰性。毎週この曜日になると自然に本屋へと足を運んでしまっていた。


「ははは」


 30分程かけると読破達成。続けて隣に置いてある分厚い本に手をかける。たまにこうして立ち読みに没頭していた。新境地開拓を目的に。


「……そろそろ帰ろうかな」


 あらかた目を通した後は鞄を持って出口に向かう。気が付けば入店から1時間近くが経過していた。


「お?」


 自動ドアをくぐると駅前の大通りに出る。そこで見知った後ろ姿を発見した。


「お~い、華恋」


「……なんだ、アンタか」


 声をかけた瞬間にその人物が振り返る。教室で別れた同居人が。


「何してたの? こんな所で」


「さっき電車に乗って帰って来たんだけど…」


「あれ? でも今、本屋から出ていかなかったっけ?」


「き、気のせいじゃない」


「んん?」


 少し先に店を出た女子高生が華恋に見えたのだが。どうやら勘違いだったらしい。


「今日ってバイトないんだっけ?」


「ん……まぁ」


「そっか。なら一緒に帰ろ」


「別に良いけど…」


「あんまり嫌な顔しないでくれよ。グサッとくる、グサッと」


 目の前には数ヶ月前を彷彿させるドライな態度が存在。最近の彼女にしては珍しいテンションの低さだった。


「昨日はごめん。メール気付かなくてさ」


「……ん」


「何分ぐらい待ってたの?」


「さぁ?」


「や、やっぱり怒ってるよね。迎えに行かなかった事」


「別に」


「立ち読みしてたらお腹空いてきちゃった。今日の夕御飯は何かなぁ」


「知らん」


「えぇ…」


 やはり機嫌が悪いらしい。返事も素っ気ないし目も合わせてくれない。


「……何よ」


「いや、なにも言ってないし」


「ふんっ!」


 距離を置くように歩幅をズラす。しばらくすると振り返った彼女が物凄い形相で睨み付けてきた。


「黙ってないで少しは喋りなさいよ」


「え~」


「一緒に帰りたいって言い出したのアンタでしょ?」


「いや、だって…」


 話しかけても返事をしてくれないから黙り込んだのに。意志の疎通が図れていたらこんな状況にはなっていなかった。


「あ~あ、もっとちゃんと会話出来る男の子と一緒に帰りたかったなぁ」


「……すいませんね。まともなお喋りも出来ない奴で」


「やっぱりこの前の告白、受けておけば良かったかも」


「ちょっ……人に断らせておいてそれは無いでしょ。わざわざ恥ずかしい思いまでして教室に残ってたのに」


「あの先輩、優しそうだったし。いろいろ楽しい話とかしてくれるかもね」


「あれ? でも前はあんな人お断りだみたいな事を言ってなかったっけ?」


「い、いや……よくよく考えてみればああいう人もアリかな~って思ったり」


「む…」


 当て擦りのような発言が飛んでくる。昨日の件をまだ根に持っているであろう台詞が。


「あ……小腹が空いたからコンビニ寄ってくる。何か買ってきてほしい物ある?」


「ん?」


「先に帰ってて良いよ。しばらく時間潰してから帰るから」


 咄嗟に近くにある店を指差した。特に用事はなかったのだがこのまま彼女と一緒にいたくないので。


「……どうして付いてくるの?」


「付いて来ちゃ悪いのか?」


「いや、そんな事はないけど…」


 けれど振り払おうとした人物まで体の向きを変えてしまう。不本意ながらも2人並んで入店した。


「また立ち読み? さっきもやってたじゃん」


「い、いいじゃん。別に」


「ちっ…」


 数分前に本屋で読んでいた漫画と同じ物を手に取る。今からこれを読むから先に帰ってくれオーラを放ちながら読書をスタートした。


「ん~」


「……えぇ」


 しかし思惑は見事に外れる事に。隣にいる相方まで同じ行動を始めてしまった。


「ねぇ、まだ帰んないの?」


「ん? あぁ、そろそろ出よっか」


 5分程が経過した頃に話しかけられる。急かされてしまったので雑誌を元あった棚へと返却した。


「アンタ、どんだけ漫画好きなのよ。そんなに好きなら買って読みなさいよね」


「そ、そうだね」


「何にも買わないの?」


「うん、いいや」


 商品を購入する事なく2人で店の外に。冷やかしなのに店員さんにお礼の声をかけられてしまった。


「お腹空いたって言ってたからサンドイッチでも買うと思ってたのに」


「特に欲しい物が無かったんだよねぇ」


「はぁ? 店に入ってから立ち読みしかしてなかったじゃない、アンタ」


「うっ…」


 気まずい尋問に遭いながら駐車場を横断する。その途中で2人乗りした高校生の男女に遭遇。どうやらこのコンビニに用があるらしい。彼らにぶつからないように避けながら道路へと戻った。


「ああいう2人乗りって憧れない? 青春の象徴って感じがして」


「でも道交法的には違反よ、アレ。お巡りさんに見つかったら注意されちゃう」


「いや、そうなんだけどさ。一度ぐらいやってみたいなぁ」


 自分みたいな華奢な人間に2人分の体重がかかったペダルを漕げるかは疑問だが。イメージでは立ち漕ぎすら困難でしかない。


「自転車に乗って駅まで行けば良いじゃない。それで帰りに2人乗りすれば」


「駅の駐輪場、有料なんだよね。路駐したら役所の人に持っていかれちゃうし」


「近くのスーパーに停めておけば良いでしょ。あそこなら無料だもん」


「う~ん……でも後ろに乗せる女の子がいないのが問題なんだよなぁ」


 目的が果たせないならわざわざ実行する意味は無い。モテない境遇が招いた悲しい結論だった。


「いった!? いきなり何?」


「なんかムカついたから」


「はぁ?」


 空を見上げていると腹部に衝撃が走る。隣の人物による鞄を使った攻撃を喰らったせいで。


「あっ、もしかして後ろに乗ってくれるつもりだったんですか?」


「んなわけないし。自惚れんな」


「な、ならどうして怒ってるのさ。鞄までぶつけてきて」


「急に雅人に鞄をぶつけたい衝動に駆られた」


「いやいや…」


 そんな適当な理由で殴られたのではたまらない。理不尽すぎる動機だった。


「そういうのイジメって言うんだよ。イジメよくない」


「あら、そうなの? それは知らなかったわ。ならアンタ以外の人にはやらないように気をつけなくちゃ」


「で、明日やる? 二ケツ」


「だからやんないって言ってんでしょ。やりたいなら1人でやりなさい」


「1人で2人乗りってどうやってやるのさ。分裂でもしない限り無理だし」


 もう少しノリが良いタイプだと思っていたのだが。マナーを気にしているのか断固として拒んでくる。


「どこかに後ろに乗ってくれる優しい女の子はいないものか」


「……ん」


「この際、可愛ければ男でも良いや。見た目が女の子っぽく見えるなら」


「そ、そんなに私を乗せて走りたい?」


「いや、でもやっぱり男はダメだ。テンションが下がる。乗せるなら美人じゃなくても良いから女の子で」


「む…」


「あれ? 何か言った?」


「……なんも」


 冷静に考えてみれば2人乗りするにしても行く場所がない。地元には遊べそうな場所もあまりないし。なので夢の女の子乗せは諦めて普通に徒歩通学する事にした。



「昨日はどうだったの? 可愛い女の子いた?」


 週末の金曜日。朝の教室で颯太に話しかける。彼の表情はどこかニヤついていた。


「まぁまぁかな。ただ辿り着くのに手間取ったから日が暮れちゃったぜ」


「え? いつ帰って来たの?」


「ついさっき。高速で大型トラックをヒッチハイクして戻ってきたわ」


「……本当にどこまで行ってたの」


 情熱を注ぐ場所がおかしい。そろそろ本気で止めるべきだろうか。


「颯太ってさ、2人乗りやった事ある?」


「ん? 男とならあるぞ。でも女の子を乗せた事はないな」


「そうなんだ。やってみたいと思った事はある?」


「そりゃもちろん。等身大のフィギュア買ってきてやろうと試みた事はある」


「不気味すぎ…」


「マネキンでも良いかと考えたんだけさ、これが意外に高くて挫折しちゃった。ハハハ」


 彼の思考回路は一体どうなっているのだろうか。理解の範疇を超えてしまっていた。


 それから彼はまたしても学校終わりにどこの女子校に行くかを計画。しかしそれを実行する事は叶わなかった。


「ちゃんと宿題やって来ないからだよ。だから居残りさせられるんだってば」


「女の子達が俺を待っているというのに。ふざけんじゃねぇぞ」


「むしろ待ち伏せしてるのは颯太の方では?」


「……もうダメだ。寝る」


「頑張ってやりなよ。じゃあね」


 友人が拗ねて机に突っ伏してしまう。そんな姿を背に教室を退散。


「1人か…」


 暇なので直帰したくない。いつもとは違うルートで帰ろうと試みた。


「お?」


 テニス部のコートや運動部の部室が並んでいる裏門付近へとやって来る。その途中の階段で見覚えのある女子生徒を発見した。


「よいしょっと」


「ん?」


 後ろから彼女の横に並ぶように腰掛ける。持っていた鞄も添えて。


「なんだ、雅人か」


「また野球部見学? 毎日よく飽きないね」


「別に毎日ってわけじゃないし。アンタこそ何しに来たのよ」


「こっちから帰ろうと思ってさ。そしたら智沙がいるのを見つけて」


「だからってわざわざ座らなくても。スルーして通り過ぎなさいよ」


「だって家にいてもやる事ないんだもん」


 彼女がよくこの場所に来ている事は知っていた。数ヶ月ぐらい前から続けている習慣として。


 本人の口から直接聞いた訳ではないのだが野球部に気になる人がいるらしい。なので放課後はよくここで時間を潰していた。


「野球やってみたいって思った事はある?」


「ないわよ。ルールだってよく分かんないし」


「ならどうして野球部の方を見てるの?」


「さ、さぁ…」


 意地悪な質問をぶつけてみる。普段の仕返しとばかりに。


「アンタ、今日は華恋と一緒に帰らなくて良いの?」


「え? なんで智沙がそんな事知ってるのさ。もしかして昨日の見てたの?」


「まさか。本人から聞いたのよ、雅人と一緒に帰るって」


「……ん?」


 今の彼女の発言が引っかかった。昨日、華恋と駅前で会ったのは偶然。一緒に帰る事になったのはその流れからだった。


「智沙は昨日、華恋と一緒に帰らなかったの? 放課後はどうしてたの?」


「だからアンタと一緒に帰るって言ってたって言ったでしょ? 教室で別れたから知らないわよ」


「そっか…」


 昨日の放課後は1時間ほど立ち読みをしていたハズ。その間、彼女はどこで何をしていたのか。


「……まぁいいか」


「なに1人で納得してんのよ」


「いや、別に。ところで野球とサッカーならどっちが好き?」


「どっちもあんまり興味ないかな。やるならバレーが良い」


「なら中学の時みたいにバレー部に入れば良いじゃん。どうして入部しなかったの?」


「趣味でやるのは好きだけど本格的にやるのはちょっとね。うちのバレー部って厳しいらしいし」


「スポ根ってヤツか。叱られても叱られても続けられる人って凄いと思うよ」


 帰宅部なのに部活について熱い議論を展開。額に汗しながら好きな物に夢中になっている人達が眩しく見えてきた。


 もし自分も何かに真面目に取り組んでいたら学校生活も今とは違うものになっていたのだろうか。都合の良い想像が止まらなかった。


「ねぇ、いつまでここにいるの? そろそろ帰らない?」


「そうね。なら退散しよっかな」


「へっくしっ!」


 ずっと座っていたから体が冷え気味に。ズボンについた砂を振り払うと立ち上がった。


「あれ?」


「ん? どしたの?」


「……なんでもない。じゃあ帰ろっか」


「お?」


 彼女が小さく言葉を漏らす。その視線を追ってみたがあるのは夕日に照らされた校舎だけ。


「お腹空いちゃった。メシ奢って」


「そこにドングリが落ちてるよ」


「あたしゃリスか……って、ん?」


「ほ?」


 声に反応して再び彼女の視線の先に注目。そこにいたのは必死で自転車を漕いでいる颯太だった。


「……もう宿題終わらせたんだ」


 いつの間にか結構な時間が経過していたらしい。お喋りが楽しくて夢中で座り込んでいた。


「あれ? アイツの下宿先ってあっちの方角だったっけ?」


「うぅん、違うよ」


「なんかあったのかな。切羽詰まったような顔してたけど」


「切羽詰まってはないが、急いではいるのかも。己の欲望のために」


「ふ~ん、よく分からないけど夢中になれる物を見つけたのね」


 また女子校見学に行くと予測。遠目にだがギラギラした目つきをしているのが見えたから。


「そうだ。智沙って男子と2人乗りした事ある?」


「自転車の? ないけど」


「やっぱりか。だろうなぁ」


「あんだとっ!」


「ぐふっ!?」


 他愛ない会話をしながらその場を立ち去る。珍しく女友達と2人きりで。地元へ戻ってくると寄り道する事なく自宅を目指した。


「あれ?」


 玄関を開こうとするが扉が動かない。まだ誰もいないのか鍵がかかっているらしい。


 香織はともかくバイトが無い華恋は帰ってきてるかと思っていたのに。仕方ないので施錠を解除して家の中に上がった。


「げっ!」


 喉を潤そうと冷蔵庫を開ける。その瞬間に飲もうとしていた紅茶の中身がほぼ空と判明。


「マジかぁ…」


 中を漁るが他に飲めそうな物が見つからない。面倒だがコンビニまで買いに行く事にした。


「行ってきまぁす」


 制服姿のまま財布だけポケットに突っ込んで外へと出る。昨日も立ち寄ったコンビニに向かい紅茶とスナック菓子を購入。


 辺りを見渡せば幻想的な世界が広がっていた。鮮やかな夕暮れが作り出すオレンジ色の景色が。


「何してるの、こんな所で」


 途中、小さな公園に足を踏み入れる。ベンチに腰掛ける同居人の姿を発見したので。


「……ん」


「落ち込んでるの? いつもみたいな元気ないね」


 声に反応して彼女の視線がこちらに移動。一瞬だけ目が合ったがそれ以外のリアクションは無かった。


「ポテチ買ってきたけど食べる? 華恋の好きなコンソメだよ」


「はぁ…」


「何々。どうしたのさ、一体」


「あ~あ…」


「お~い、聞こえてる? 何があったのか聞いてるんだけど」


 目の前で手を振ってみるが無反応。彼女は下唇を噛んだままずっと地面を見つめていた。


「……先に帰ってるよ」


 どうやら今は1人にしておいてほしいらしい。ローテンションの原因は不明だが。


「ちょっ……何するんだ。引っ張るのやめて」


「む…」


 振り返って公園の出口を目指す。立ち去ろうとしたが背後から伸びてきた手がシャツを掴んできた。


「欲しいなら正直に食べたいって言えばいいのに」


「……いらないわよ、そんなの」


「あれ? 違った?」


 ゆっくりとベンチに腰掛ける。袋からスナック菓子を取りだしながら。


「まさかまた誰かからラブレター貰ったとか?」


「だとしたらアンタどうするのよ…」


「いや、別にどうも。ただ驚きはするかな。また貰ったのかって」


「……それだけ?」


「へ?」


 少し離れた遊具には子連れの母親や小学生が存在。元気な声がそこら中に響いていた。


「それだけとは一体…」


「んんっ…」


 とぼけたフリをして質問を飛ばしてみる。今の言葉に引っかかるものがあって。


「……本当に貰ったわけではないよね?」


 しかし彼女からは答えが返ってこない。念を押すようにもう一度こちらから話しかけてみた。


「私さ、アニメとか好きじゃん」


「へ? そ、そうだね。それが何か?」


「中学の時から結構ハマってて、それが原因でイジメられたりもして」


「……そうなんだ」


「小学生の時からずっと仲が良い友達がいたんだけど、その子がクラスの皆にバラしてから馬鹿にされるようになったの」


「華恋の趣味を?」


「うん…」


 問い掛けに対して彼女が小さく頷く。俯いた姿勢のまま。


「じゃあ最初は周りの人に知られてなかったんだよね?」


「まぁ…」


「な、なんでその友達はバラしちゃったの? 喧嘩したとか」


「分かんない……ただいつの間にか知られてた。で、その子もクラスの皆から仲間外れされるようになって」


「んん? よく分からないんだけどその友達は華恋に嫌がらせしようとしてクラスメートにバラしたわけじゃないって事?」


「だと思う…」


「……ふむ」


 恐らく喋っているうちにうっかり口を滑らせてしまったのだろう。それを面白がった連中がからかい始めたのだ。


 自分も似たような経験をしたから気持ちが分からない訳じゃない。母親がいない境遇を理由に仲間外れにされた事もある。だがその相手が中学ではイジメの標的にされていた時にどうしようもない気分にさせられた。


「えっと、もしかして今のクラスメートにもバレちゃったとか…」


「多分、大丈夫だと思う。皆、いつも通りに接してくれてるし」


「ならどうしてそんな体験談を…」


 てっきりその時の状況が再来したと思ったのに。どうやら違うらしい。


「……私さ、アンタにコスプレの趣味を見られた時に本気でヤバいと思ったんだよね」


「あぁ、そんな事もあったっけ。懐かしいなぁ」


「マズい、どうしよう。またからかわれるって…」


「ほう」


「だから必死に誤魔化そうとしたんだけどパニクっちゃってさ」


「それで容赦なく殴りかかってきたの?」


「……ごめん」


 隣から小さな謝罪が聞こえてくる。申し訳ない感情が窺える台詞が。


「でも僕は誰にもバラさなかったよ。ちゃんと約束守ってる」


「そうね、アンタ良い奴だったわ。イベントにも付き合ってくれたし」


「付き合ったというか無理やり付き合わされたというか…」


「アンタは私の趣味に対して偏見持つ? オタクキモいとか」


「まさか」


 人の人生にはあまり興味がない。害意がなければどんな物に熱中していようが構わなかった。


「そもそも偏見を持ってたら颯太と友達やってないよ」


「それもそうか…」


「フィギュア買ったりコスプレしようとは思わないけど僕だって漫画とかゲームが好きなわけだし」


「……うん」


「趣味なんて人それぞれなんだからそこまで気にしなくても良いんじゃないかな」


 悪ふざけ無しにクサい台詞を口にする。熱血教師にでもなった気分で。


「でもさすがに一緒にコスプレしよって言われたら困るけどね」


「ダメか…」


「あの、まさか本当に実行するつもりだったんじゃ…」


「な、ならアンタの事好きって言ったらどう思う?」


「え?」


 しかしそのやり取りは思いがけない形で中断。すぐ隣から脈絡のない単語が飛んできた。


「そ、それは家族とし…」


「違うっ!」


 真意を問いただそうとするが遮られる。怒号のような一言に。


「え、え…」


 思考が上手く回らない。目眩のような現象さえ起こり始めていた。


「どうしていきなり…」


「分かんない。分かんないけど、ただ…」


「ただ?」


「……ううぅ」


 彼女が唇を強く噛み締める。血でも吹き出してしまいそうな勢いで。


「こんな場所で言うつもりじゃなかったのに…」


「さっきの言葉を?」


「うん。今日も明日も、この先もずっと言うつもりなんかなかった…」


 周りの景色が意識に入らない。子供達の声も聞こえなくなっていた。


「やっぱり変だって思う? 頭おかしな奴だって」


「お、思わないよ。思うわけないじゃん」


「なら…」


「ただ華恋が何を考えてそんな事を言い出したのかが分からなくて。だってずっと嫌われてると思ってたから」


「自分でも分かんない。私が一番驚いてる…」


「……ん」


 彼女の心境が理解出来ない。嫌いだったハズの人間を好きになって、そうなった理由が自分自身でも分からなくて。


「と、突然そんなこと言われても困るんだけど」


「ゴメン、でも1つだけ教えて。アンタは私のこと嫌い?」


「それは…」


 真剣な眼差しを向けられる。冗談やドッキリなんかではない表情を。


「……嫌いじゃないよ。少なくとも今は」


「じゃ、じゃあさ…」


 答えを聞いた彼女が更に言葉を繋げてきた。微かに表情を綻ばせながら。


「んっ…」


 何を告げようとしているかは想像出来る。でも聞きたくない。何の心構えも出来てないうちにその台詞を耳にする事が怖かった。


「ごめんっ!」


「……ぇ」


 謝るのと同時に立ち上がる。コンビニの袋を手に持って。


「はぁっ、はぁっ…」


 そのまま公園の出口に向かって走り始めた。後ろには振り返らずに。


「うわっ!?」


 しかし道路に出た瞬間に立ち止まってしまう。1台の自転車と衝突しそうになった。


「す、すみません」


「……ちっ」


 乗っていた中年男性に頭を下げて謝罪する。控え目な対応に返ってきたのは不快感を表した舌打ち。


「くそっ…」


 腹立たしいが悪いのは急に飛び出した自分の方。相手を責めるのはお門違いだった。


「……あ」


 走り去る男性を眺めていると肝心な部分に気付く。逃げなくてはいけない状況に。


「んっ、ぐっ…」


 すれ違う人達の好奇な視線が痛い。仕方ないので目を合わせないようにしながら走った。


 しばらくすると背後から何も音が聞こえて来ない事に気付く。そこで初めて様子を確認した。


「……いない」


 振り切ったとは思えない。どうやら最初から追いかけてきていなかったらしい。


 荒れた呼吸を整えながらゆっくりとスピードを落とす。家に帰ってくると真っ直ぐに二階へと上がった。


「ふぅ…」


 冷静になった事で思考がまともに動き出す。蛇行運転から正常運転に移行するように。


「……何やってるんだよぉ」


 同時に別の焦りが生まれてきた。尋常じゃないぐらいの後悔の念が。


 せめて話ぐらいは最後まで聞いてあげるべきだったのに。これではヘタレどころか卑怯者でしかない。


「ん…」


 着替えた後は部屋で立て籠りを続ける。日が沈んでもトイレに行く以外は一階へと下りる事はなかった。

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