第14話 手紙と告白

「う、うわあぁあぁっ!?」


「え? え?」


「それはラブレターというヤツでは…」


「……は?」


 夏休みが明けて数日が経過した朝。昇降口で事件が起こる。華恋の使用している下駄箱に1通の封筒が入っていた。


「見せて!」


「あ、ちょ……返してくださいっ!」


「え~と、名前がどこにも書いてない」


 戸惑っている彼女より先に手を伸ばす。どこにでも売っているような至って普通の白い封筒に。


「開けていい?」


「ダメです。返してください」


「いや、だって中身気になるし」


「それ私のなんだから勝手に持っていかないでくださいよ」


「差出人を確かめるだけ。それだけだから」


「コラッ」


「いって!?」


 上履きに履き替えないまま質疑応答を開始。小競り合いを繰り広げていると隣にいた智沙に頭を小突かれた。


「人の物を勝手に見るんじゃないの。返してあげなさい」


「……ちぇっ」


 奪い取った手紙を渋々持ち主に返す。舌打ちをしながら。


「でも本当にそれラブレター? 果たし状じゃないの?」


「なんでこんな可愛い子に決闘申し込むのよ。有り得ないでしょうが」


「だからその可愛さに嫉妬して一発喰らわせてやろうと考えた女子の仕業とか」


「逆恨みによる犯行か。有り得るわね」


「あの……勝手に話進めないでくれますか」


 友人と妄想全開のトークで大盛り上がり。そこに薄ら笑いを浮かべた華恋も割り込んできた。


「あぁ、ゴメンね。こういう経験ないから色々と想像しちゃって」


「いえ、お2人の会話が冗談だって分かってますから」


「でも今時ラブレターなんて古典的よね。相手どんな男かしら」


「さ、さぁ? どんな方でしょう」


「やっぱり知りたいわよね、分かる分かる。自分に告白してくるのがどんな奴なのか」


「いやいや、智沙は告白された事ないじゃん」


 ヘラヘラと笑いながら友人にツッこむ。無礼にも顔を指差して。


「しねえぇーーっ!!」


「ぐわぁっ!?」


 その瞬間に登頂部に痛みが発生。鞄で思い切り頭を殴られてしまった。


「いちちち…」


「中身見せてって言ったら怒る?」


「え~と…」


「あぁ、やっぱり良いや。誰かに見られたくないもんね、うん」


「は、はぁ…」


 苦しんでいる自分を他所に女子2人が駆け引きを展開。一通りのやり取りを済ませた後は廊下を移動した。


「なんで隠すの?」


「べ、別に隠してなんか…」


 教室へとやって来ると鞄を机の上に置く。席には座らず同居人の元へ向かった。


「見られるの恥ずかしい?」


「そういうわけじゃ、ない……ですけど」


「ふ~ん」


 しかし近付いた瞬間に彼女が封筒を隠してしまう。頬を真っ赤に染めながら。


「ふむ…」


 これはチャンスかもしれない。いつも理不尽なワガママを振るってくる悪魔への反撃になると確信した。


「絶対見たる……中身見たる」


 席に戻ると密かに一つの誓いを立てる。復讐心を煮えたぎらせた。



「むぅ、防御が固い…」


 けれど次の休み時間になっても彼女は手紙を読む素振りを見せない。学校ではクラスメートに見られる恐れがあるので警戒しているのだろう。


 仕方ないのでこっそりと盗み見る作戦は断念。弱みにつけ込む方針に変更した。


「華恋」


「え?」


「一緒に帰ろ」


 放課後になるとターゲットに話しかける。ナチュラルな態度を装って。


「実は体調を崩しちゃってさ」


「体調…」


「悪いんだけど家まで付き添ってくれないかな。途中で倒れちゃったらマズいし」


「……コイツ」


「ゴホッ、ゴホッ!」


 そのままワザとらしい咳払いを連発。一連の動作を彼女が威圧感なオーラを発しながら睨み付けてきた。


 2人して教室を出た後は下駄箱へ。周りにクラスメートがいなくなったのを見計らい再び声をかけた。


「もう手紙は読んだ?」


「手紙? 何の事ですか?」


「いやいや、ラブレター貰ってたじゃないか」


「さぁ? 記憶にありませんけど」


「とぼけても無駄だよ。白い封筒が下駄箱に入ってたの見てるもん」


「そんなの知りません。雅人くんの気のせいじゃないんですか?」


 質問を全てぞんざいな答えで返されてしまう。まるで存在自体を無かった事にするかのように。


「意地悪しないで教えてください。気になるんですよ」


「……何でそこまで気にするんですか」


「そりゃ、だって妹みたいなものだし」


「い、いつからアナタの妹になったんですか。私は!」


 負けじとこちらも適当な台詞を放出。平然と嘘をつけるようになったのは隣にいる人物の影響だった。


「どうしてもダメ?」


「ダメです」


「土下座しても?」


「土下座なんかしてないじゃないですか。してもらっても困りますけど」


「頑固だ奴め…」


 粘るがなかなか成果を見せない。こんな事ぐらいで彼女が折れるハズがないのだけれど。


「教えてくれないとクラスの皆にラブレター貰った事バラすよ」


「なっ!?」


「盛り上がってる現場を傍から見るのが好きなんだ」


「……そういうのは卑怯だと思います」


「あ~、なんか口が滑らかになりそう。つい余計な発言をしちゃうかもしれない」


 やむを得ず脅迫を開始。高圧的な態度で会話を進めた。


「いてっ!?」


「調子乗んな、バカ!」


「……っつぅ~」


 だがその行動を見て彼女が殴りかかってくる。持っていた鞄で。更に悪ふざけが過ぎたのか嫌悪感を剥き出しに。もう敬語を使う素振りすら見せなくなっていた。


「悪かったから機嫌直してよ」


「ふんっ!」


「そこまで怒らなくても。ちょっとからかっただけじゃないか」


「うっせ」


「無視ですか? 無視ですか?」


 問いかけに対してまともな返事が返ってこない。目も合わせてはくれない。


「でも誰なんだろうね、手紙の相手。クラスの男子かな」


「……知らない」


 真っ先に思い付いたのは颯太だった。彼女に好意を寄せている人物だから。


「心当たりはある?」


「ないわよ、んなもん」


「やっぱり中身を確かめない事には分からないなぁ」


「絶っっっ対に見せないからね!」


「……はい」


 どれだけ頼み込んでも見せてはくれないらしい。ならば裏技に走るしか道はなかった。



「ちょいちょい」


「ん?」


 帰宅後は部屋に引きこもる。そして遅れて帰ってきた妹を二階の廊下で呼び止めた。


「中に入って。話がある」


「何々、お小遣いでもくれるの?」


「そんな物よりずっと良い物を手に入れたよ。ふっふっふっ」


「うわぁ、悪い顔」


 辺りに華恋がいない事を確認する。ドアを大きく開けると客人を中へ招き入れた。


「聞いて驚かないでくれ」


「なにが?」


「実は今朝、下駄箱の中にラブレターが入ってたんだ」


「え、えぇーーっ!?」


「ちょっ…」


 開口一番に要件を報告する。その瞬間に甲高い叫び声が部屋中に響いた。


「大きい声出さないで! 下に聞こえちゃう」


「モゴモゴ……ご、ごめん」


「華恋には内緒なんだからさ。くれぐれも気をつけてくれよ」


「わ、分かった。でも何で内緒なの?」


「それは後で話すとしてどう思う?」


「何が?」


「だから相手がどんな人かって事。気にならない?」


「すっごく気になる! ラブレター見せてよ」


 好奇心に満ちた目を向けられる。同時に彼女は真っ直ぐに手を伸ばしてきた。


「いや、実はまだ手に入れてないんだよ。今は華恋が持ってるから」


「はぃ? 華恋さんが?」


「そうなんだよ。恥ずかしがってるのか、なかなか見せてくれようとしなくてさぁ」


「……そうなんだ」


「だからどうにかして入手出来ないかと考えてるんだけど」


「ね、ねぇ。ラブレターの差出人って華恋さんなの?」


「はぁ? 何言ってるの?」


 意味が分からない質問が飛んでくる。本人が自分宛てに手紙を出すという有り得ない内容の台詞が。


「だって、まーくんに手紙書いたんでしょ? 華恋さんが」


「どうして華恋が僕に手紙を出すのさ」


「え? え?」


「ん?」


 先程から話が噛み合わない。微妙な齟齬が生まれていた。


「ラブレター貰ったのは誰なの?」


「だから華恋だってば」


「じゃあ、まーくんは?」


「僕? 僕はまだ見せてもらってない」


「くっ…」


「いでぇえぇぇっ!?」


 その時、立ち上がった彼女が鞄を振りかぶる。何をするかと思えば鞄で勢いよく殴りかかってきた。


「紛らわしい言い方すんな、バカ!」


「ひいいぃいっ…」


「……まったく、もう」


「す、すいません…」


 ペコペコと頭を下げて謝罪する。なぜ怒られているのか不明な状況に困惑しながらも。


「それで話って?」


「うん、だから華恋がラブレター貰ったでしょ? なのに必死で隠そうとしてるんだよ」


「そりゃ恥ずかしいもんね。普通は見せたがらないよ」


「でも誰から貰ったのか気にならない?」


「ま、まぁ…」


「だから香織にも協力してもらってだね…」


 彼女の耳元で作戦内容を囁いた。下には聞こえてないと思うが念の為に小声で。


「えぇ……そんなに上手くいくかな?」


「だって他に方法思いつかないし」


「無理やりすぎない? 部屋に来られたらアウトじゃん」


「そこは君が頑張るわけだよ」


 伸ばした手をソッと目の前の肩に移動。期待感を込めて優しく添えた。


「やれやれ、仕方ないなぁ。バカ兄貴の為に一肌脱いであげますかな」


「やった。頼みました、バカ妹さん」


「はっ!?」


 なんやかんや言って彼女もノリノリ。こんな悪行、華恋がうちにやって来た頃なら有り得ない。それだけ自分達の間柄が親しくなっているという証でもあった。



「ふわぁ~あ……眠たい」


 そしてその日の晩に早速行動に移る。既に両親が就寝したリビングでワザとらしく欠伸を出した。


「あれ、もう寝るの? 早いね」


「体育で持久走やったから疲れちゃってさ。寝る時は戸締まりの確認よろしく」


「ほ~い」


 テレビを見ている女性陣の前を横切って廊下へ。階段は上がらず客間を目指した。


「手紙……どこだ」


 襖を開けると中に入る。とりあえず机に置かれていた通学鞄を漁る事に。


「ない、ない…」


 けれどそれらしき物がどこにも見つからない。ゴミ箱の中も探してみたが空だった。


「まさか台所のゴミ袋の方…」


 だとしたらここに来た意味がない。本人が隠し持っている可能性もある。彼女は用心深いから。


「……いやいや、こんな事したらダメじゃん」


 続けてタンスを探ろうとしたが思い止まった。これでは泥棒と何も変わらない。冷静になってみて己の行動の恐ろしさに気付いた。


「あ…」


 同時にある光景が脳裏に浮かび上がってくる。無断で自室に侵入してくる同居人の姿が。人の漫画を無断拝借。その行事は今でも時々行われていた。


「よ、よし…」


 お互い様だと考えると罪悪感が大幅に軽減される。中断しようとした盗み見作戦を再開した。


「やっぱりもう捨てられちゃったかなぁ…」


 引き出しの中を一段ずつ漁る。見えない部分は手を伸ばして。


「お?」


 更に壁にかけられていた制服も確認。するとポケットの中に白い封筒を見つけた。


「やった、あった!」


 目論見に成功する。急いで封を開けて中から便箋を取り出した。


「おっほぅ…」


 書かれていた内容に思わず顔が熱くなる。ポエムを思わせるオシャレな文面に。自分が書いたわけではないのに心の中に羞恥心が発生。だが肝心の差出人の名前はどこにも記されていなかった。


「えぇ…」


 どうやら一方的に気持ちを込めただけの手紙らしい。これだとクラスも学年も分からない。


「とりあえず……ごめんなさい」


 便箋を封筒に仕舞った後はポケットの中に戻す。わざわざ危険を冒したというのに収穫なし。


「はぁ…」


 リビングの様子を窺うと華恋はまだテレビを見ていると判明。彼女に見つからないように自室へと逃げ出した。



「な、なんだとぉーーっ!!」


 翌日。学校からの帰り道で颯太が素っ頓狂な声を出す。


「ちょ……声大きいって」


「それ本当なのか!?」


「本当だって。中身も確認したし」


「ちくしょう! 一体誰なんだ、犯人は」


「僕だって言ったらどうする?」


「その場合は悪いが雅人には永久に眠ってもらう事になるな」


「……自分が犯人になっちゃうよ」


 念のため彼にも手紙の件を話してみた。しかし返ってきたのは驚きを表す台詞。そのリアクションで差出人ではないと確信した。


「で、で、華恋さんは何だって?」


「まだ何とも。相手が分からないから返事のしようもないし」


「まさかそいつと付き合うなんて事にならないだろうなぁ」


「それはないと思うけど」


「華恋さんってどんな人が好きなの? てか好きな人いるの?」


「さぁ」


 珍しく恋愛トークで盛り上がる。自販機で買ったジュースを片手に。


「なぁ、それとなく聞いてみてくれよ」


「好きなタイプを?」


「そうそう。気になるし」


「いや、無駄だと思うよ…」


 前に彼氏がいるかどうかを尋ねた時は話を濁して教えてくれなかった。しかも怒りを露わにするオマケ付き。


「やっぱりダメ?」


「そんなに気になるなら颯太が直接アタックしなよ」


「それはヤバいだろ。好きなタイプを聞くって事はイコール告白するって意味じゃんか」


「ならもう好きですって伝えちゃえば良いじゃないか」


「もし告って振られたらどうするんだよ。俺、泣いちゃうぜ?」


「純朴だね…」


 交際経験は無いが振られる事を前提に行動していては上手くいかない気がする。自分達みたいに成功率の低いタイプは特に。



「ん?」


 友人と別れた後は真っ直ぐ帰宅。しかし誰も帰って来ていないのか玄関には鍵がかかっていた。


「また今日も一番乗りか…」


 香織はいつものごとく道草だろう。今日は両親揃って夜勤でいない。バイト娘も帰りが遅くなるというのでインスタント麺を作って食べた。


「あれ? どこか出かけるの?」


「華恋迎えに行ってくる。外暗いし」


「おぉ~、優しいねぇ」


「コンビニ寄って来るかも。何か買って来てほしい物ある?」


「コンビニ!」


「無理」


 夜になると妹に留守を任せて外に出る。普段はあまり乗らない自転車を使って駅前の焼肉屋へと出発した。


「ひゅ~、涼しい」


 昼間は暑い季節とはいえ夜は快適だった。顔に当たる風が気持ち良い。


 閑静な住宅街をのんびりペースで走る。一定間隔で設置された街灯と自転車から照らされるライトが暗い道の先を示してくれていた。


「へへへ…」


 親切心を振り撒こうと思ったのは身を案じているからではない。前日の作戦を続けたかったから。


「ここでいいかな…」


 店に到着した後は裏口付近に自転車を停めて待機。そして10分程が経過した頃に目的の人物を発見した。


「お~い」


「……何、待ち伏せ? やめてよね、ストーカーじゃあるまいし」


「ちょ……せっかく心配して迎えに来てあげたのにその言いぐさは無いんじゃないかな」


「冗談よ。ありがとうね」


「あ、うん…」


 手を振りながら声をかける。驚かせるつもりが逆に不意を突かれる結果に。


「バイトどうだった? 大変?」


「まぁね。でもだいぶ慣れてきたし、これならやっていけるかも」


「そっか。なら良かった」


 自転車を押しながら夜の街を移動。彼女の鞄をカゴに入れると並んで歩き始めた。


「アンタも一緒に働かない? 男手が欲しいって店長が言ってたわよ」


「う~ん……多分、続かないと思うから遠慮しておくよ」


「そっかぁ、残念。可愛い子も結構いるんだけどなぁ」


「……や、やっぱりやろうかな。バイト」


 他愛ない話題で盛り上がる。初対面の頃なら考えられないような距離感で。


「このスケベが」


「あははは。冗談だって、冗談」


「本当かしら。よだれ垂らしてたけど」


「可愛い子なんて学校にもいるしさ。わざわざバイト先で探さなくても」


「ふ~ん、やっぱりそういう男だったんだアンタは」


 空気は悪くない。僅かな緊張感さえも存在していなかった。


「いや、これぐらい普通でしょ? 男なら皆そういう計算するって」


「はいはい、そういう事にしといてあげましょうかね~」


「そっちはどうなのさ。昨日のラブレターの相手とか」


「うっ…」


 尋問から逃げ出すように話題を転換させる。この場所へとやって来た目的を果たすように。


「……別に。あんなのただの手紙じゃん」


「今日は来なかったの?」


「来てないわよ。どうせ誰かがからかう為にやってるんでしょ」


「それは無いと思うけど。だって華恋、男子に人気あるし」


「は、はぁ?」


 ハッキリと好きとかそういう噂を聞いたわけではない。ただ彼女の事が気になる素振りを見せている男子を何人も知っていた。


「言わなくても自覚してるでしょ。モテてるって」


「あ、あるわけないでしょ。そんなの!」


「本当かな…」


 モテる人間が口を揃えてこう言うのを知っている。漫画やドラマで得た知識だが。


「べ、別に私……そういうんじゃないし」


「え? 何だって?」


「そんなこと言われても嬉しくないっていうか…」


「手紙貰って顔真っ赤にしてたクセに」


「ち、違っ……あれは!」


 彼女が両手を前に移動。そのままブンブンと左右に振りだした。


「嬉しかったですって素直に言えば良いじゃん。別に恥ずかしい事じゃないんだからさ」


「嬉しくなんかないし。恥ずかしくもないもん!」


「ふ~ん、ならもしその相手から告白されても断るんだ」


「あ、当たり前でしょ。何言ってんのよ」


「そっか」


 つい口から出た出任せなんだろう。意地を張っているのがバレバレ。それでも断るとハッキリ意志表示してくれた事が嬉しかった。同時に手紙を盗み見てしまった事に対する罪悪感が心の中に出現した。


「ごめんなさい…」


「何をいきなり謝ってんのよ」


 萎縮しながらボソボソと呟く。内容に触れないまま謝罪した。


「じゃあ今までに付き合った経験ってある?」


「……うっ」


「あぁ、ないんだ」


「だ、誰もそんな事言ってないし…」


「はいはい」


 再び話題を本筋に戻す。彼女にとっては触れられたくないであろう領域へと。


「アンタの方はどうなのよ。そういうの貰った事ないの?」


「……えと」


「あぁ、ないのね。はいはい」


「ははは…」


 あると言ったとしても本気にしてはもらえないだろう。この状況では。


 かつて小学生時代に一度だけ手紙での告白をされた覚えがあった。年下の大人しい子に。


 ただ彼女が直接教室に参上した為、周りのクラスメート達に目撃される羽目に。当然、手紙の中身も見られた。


 とにかく照れくさくてスルーした点だけは覚えている。今になって思えば女の子に悪い事をしてしまっていた。


「アンタ、女子に対して免疫なさそうだもんね~」


「いや、華恋もだよ」


「はぁ? 私は全然平気だし」


「ならどうして手紙を隠したりするのさ。平気なら見せてくれても良いんじゃないの?」


「そ、それは…」


 この話題になるとすぐに黙り込んでしまう。親に叱られた子供のように。


「気になるなぁ、手紙の中身」


「見せないって言ったでしょ」


「それは残念」


 もう既に見てしまったとは口が裂けても言えなかった。そんな白状をしたら確実にビンタか拳が飛んでくるから。


「なんでそこまで気にすんのよ? アンタには関係ない事じゃん」


「ん~、どうしてだと思う?」


「また妹だからとか言い出すんでしょ、どうせ」


「いや、それもあるけど華恋の事が好きだからだよ」


「……え」


 自分でも驚くほど恥ずかしい台詞を口にする。意図的ではなく無意識に。開放的な気分がそうさせたのだろう。だがその反応が明らかにオーバーな人物が隣にいた。


「うぇ、ふぇ…」


「落ち着いて。取り乱しすぎだよ」


「だ、だだだだだって!」


「好きって言ってもアレだよ? 家族としてって言うか友達としてっていうか」


「……あ、うん」


「だからあんまり変なリアクションしないでくれよ。こっちまで意識しちゃう」


 別にごまかそうと言ったわけではない。心の底から感じている本音だった。


「まぁ、いきなりステッキで殴られた時は何だコイツって思ったけどさ」


「うん…」


「なんやかんやで家の事とか色々やってくれるし」


「……む」


「勉強とかバイトとか頑張ってるみたいだからさ、見てるうちにだんだん尊敬……してきちゃったっていうか」


「ありがと…」


「やっぱり凄いよ。ただ者じゃないわ」


 もし自分が彼女と同じ境遇に立たされたら前向きに生きられるか分からない。まるで自信がなかった。


「でも素の時はやっぱり怖い。容赦なく鉄拳が飛んでくるし」


「……うん」


「え?」


 またいつもの調子で叩いてくるかと予想。しかし隣を歩く人物は相変わらず頬を赤らめたまま俯いていた。


「大丈夫かな…」


 その後はほとんど会話が無いまま歩く事に。行きに5分かけて走った道のりを倍以上の15分かけて帰宅した。


「帰って来たよ」


「おかえり~」


 玄関をくぐると真っ直ぐリビングに向かう。ソファに寝転がっている妹に出迎えられた。


「お風呂って沸いてる?」


「沸いてるよ。まーくん達、先に入ってきなよ」


「ん、サンキュー」


 出かけてる間に入浴の準備を済ませておいてくれたらしい。優しい気遣いに感謝の気持ちが止まらない。


「先に入って来なよ。ずっと立ちっぱなしだったから疲れたでしょ」


「あ……うん」


「ご飯はもう食べたんだよね? なら風呂入って寝ちゃうといい」


「……分かった」


「ちょ……ストップ!」


「あたっ!?」


 華恋に先に入るよう勧める。だが振り返った彼女は閉まったままのドアに顔から激突してしまった。


「何やってるのさ。大丈夫?」


「……つぅ~」


「ボーっとしてるからだよ」


 ベタすぎる事故が発生。本人にとっては笑えないであろうボケが。


「華恋さん、大丈夫?」


「う、うん」


「疲れてるなら早く寝た方が良いよ」


「そうします…」


 今度はちゃんとドアを開けて廊下へ。そして着替えとタオルを持参した後は再びリビングに登場した。


「お~い」


「え?」


 彼女が歩いた場所を指差す。床に落ちている真っ白な下着を。


「あ…」


 屈み込むと慌てた様子で回収。どんな反応をするかと思えば歯を食いしばってバスルームへと逃走してしまった。


「……う~ん」


「疲れてるのかな、華恋さん」


「だねぇ…」


 普段なら注意散漫になる事なんてほとんど無いのに。家でも学校でも。


 彼女は風呂から出るとそそくさと部屋に退散。先程の失態がよほど恥ずかしかったのか目も合わせてはくれなかった。



「おはよう」


「……あ」


「ん? どしたの?」


「な、何でもない…」


「んん?」


 翌朝に彼女が1人でキッチンにいたので挨拶する。しかし前日同様に口数が少ない。


「えぇ…」


 話しかけても小さく頷くだけ。そんな様子を気にかけた香織が声をかけたが『大丈夫』とだけ返してきた。


「……はぁ」


 盛大に溜め息をつく。彼女をこんな風にしてしまった原因は恐らく自分だろう。昨日の発言による後遺症だった。


 一瞬、好意を持たれているんじゃないかと考えたがそうじゃない。ただ単にウブなだけ。


 好きな人を尋ねたら怒り出した理由も今なら納得出来る。免疫がないから戸惑っていたのだ。


「何を落ち込んでんのよ?」


「いや、別に…」


 通学中の電車の中で智沙が下から顔を覗きこんでくる。神妙な面持ちで。


「ねぇ、アンタ達2人なんかあったの? 朝からずっと暗いけど」


「何かあったと言えばあったが……なかったと言えばない」


「はぁ? どういう事よ」


「つまりダイヤモンドは案外脆かったという事さ」


「意味わかんない…」


 駅に着くとホームに下車。学生の流れに乗って海城高校へとやって来た。


「……あ」


「ん?」


「え、え…」


「う、うわあぁあぁぁっ!」


 そして昇降口にやって来た時に事件が起こる。同居人の下駄箱の中に上履き以外の物が存在。それは数日前に見たのと同じ白い封筒だった。


「これもしかして…」


「ち、違っ…」


「見せて!」


 すぐさま手を伸ばす。彼女より先に。


「あ……ちょっと」


「少しだけ、少しだけだから」


 場の空気を変える為にからかってみた。ここで自分が手紙の存在を気にかけないと不自然になるし。気分は好きな女の子をイジめる悪ガキだった。


「いてっ!?」


「返しなさいよ、馬鹿っ!!」


「いっ、つうぅ…」


 けれど封を開ける前に制裁を喰らってしまう。学生鞄を武器としたハンマー攻撃を。


「はぁっ、はぁっ…」


「ご、ごめん。調子に乗り過ぎた」


「うぅ…」


「悪かったよ。だからあまり睨まないで」


 目の前にあったのは悔しそうに歯を食いしばった表情。明らかに不機嫌を爆発させた顔だった。


「……あ」


 弁明を繰り広げていると彼女が自身の置かれていた状況に気付く。大勢の生徒に注目されている状態に。


「くっ…」


 騒がしい空間が瞬間的に静寂へと変化。直後に叫び声をあげた張本人は手紙を片手に廊下の奥へと逃走した。


「大丈夫?」


「……もうダメかもしれない」


「アンタが学習しないからよ。この前と同じ事するんだから」


「ねぇ、血出てない? ここ」


「出てない出てない。何ともないわよ」


 友人と2人して取り残される。大袈裟に痛みを訴えてみたが冷たい反応だけが返ってきた。


「しっかしまさかあそこまで怒るとはねぇ…」


「あれが華恋の本性なんだよ」


「バ~カ、雅人が小学生みたいなイタズラするからでしょうが」


「ちぇっ…」


 どうやら彼女は今のやり取りを珍しい事故だと思っているらしい。だが浮かべている表情はどこか訝しげ。


「ん…」


 教室へとやって来ると席に座っている華恋を見つける。まるで何事もなかったかのように友人達に振る舞っていた。


 手紙の中身は気になるが接触はしない。また怒られてはたまらないし、どうやっても見せてはくれないだろうから。そして休み時間中の行動も別々。顔を合わせるのが気まずいので距離を置いて過ごした。



「……ふぅ」


 放課後になるとそそくさと学校を退散する。1人きりで電車に乗り、1人きりで下校。


「恋人かぁ…」


 もしかしたら今回は一歩進んで名前を公表しているかもしれない。それかどこかに呼び出して告白とか。だとしたら今頃は男子と2人きりの状況だ。


「青春だねぇ…」


 今までに誰かと交際した経験はない。自分だけではなく周りの友人達も。だけどいつかは失恋や結婚というイベントに足を踏み入れる日が訪れるのだろう。その1人目が華恋だった。



「お?」


 帰宅すると自室に引きこもる。そして大した時間も経っていないタイミングでノックする音が反響した。


「ただいま~」


「……なんだ、こっちか」


「何よ……私は帰って来たらダメなの?」


「いや、悪かった。おかえり」


 ドアの前に立っていたのは期待していた人物ではなかった。調理実習でお菓子を作ったのでお裾分けに来てくれたらしい。


 結局、華恋が姿を見せたのはそれから約1時間後。彼女は帰宅するなり部屋に籠もりきりとなっていた。


「どうしようかな…」


 わざわざ足を運んで経緯を尋ねるのもおかしいだろう。朝に軽くケンカしたばかりなのに。気にはなるがスルーする方針で決定。意識の中から手紙の興味を消し去った。


「……えぇ」


 しかし忘れようとしているタイミングで話題を振られる。同居人から部屋へ来てほしいという内容のメールが送られてきてしまった。


「う~ん…」


 悩みはするが無視するわけにもいかない。恐れているのは理不尽な報復。


 廊下に出ると転ばないように階段を下りて一階へ。ソワソワする気持ちと葛藤しながら客間へと向かった。


「き、来たよ!」


 外から呼びかける。少しばかり張り上げた声で。


「……あ」


「入っても良い?」


「う、うん」


 返事がないので自分で襖をスライド。中には正座している華恋の姿があった。


「また何かの相談?」


「まぁ…」


「とりあえず座った方が良い?」


「あ……うん」


「よいしょっと」


 許可を貰ったので腰を下ろす事に。仕返しや脅迫を警戒しながらも。


「えと、えと…」


「ふぅ…」


「……その」


「ん?」


「何ていうか…」


 どんな発言をされるかを待ち構える。なのに彼女はなかなか言葉を発してはくれなかった。


「はぁ…」


 このままでは埒があかないと判断。仕方ないので意地悪作戦を実行した。


「話がないならもう戻るよ」


「え!? ちょっと待ってよ」


「だっていつまで経っても用件言わないじゃん」


「そ、それは…」


「あんまりこの部屋に長居したくないんだけど。華恋だってそうでしょ?」


「ぐっ…」


 なんとなく呼び出された理由は分かってくる。手紙の相手に関する相談だろう。正直、聞きたくなかった。羨ましいし妬ましいだけだから。


「これ……今日、下駄箱に入ってたヤツ」


「見ていいの?」


「……うん」


 さっさと出て行ってしまおう。そう思っていると目の前に1枚の封筒が登場した。


「あ、やっぱダメ」


「うわ!?」


 しかし伸ばした手は空振りに。掴む前に引っ込められてしまった。


「見られるの恥ずかしい…」


「ずっこけるとこだったじゃないか!」


「あの……さ。私、今日この手紙の人に会ってきた」


「え? これ書いた相手に?」


「……ん」


 問い掛けに対して彼女が目線を逸らす。頬を赤らめながら頭を上下に動かした。


「放課後の教室に残っていてほしいって書いてあって。だからずっと待ってたの」


「それから?」


「つ、付き合ってほしいって」


「あぁ…」


 問い掛けに対して返ってきたのは予想通りの内容だった。やはり告白されていたらしい。


「じゃあ華恋はどう答えたの?」


「明日まで待ってほしいって…」


「明日……保留って事?」


「……うん」


 ゆっくりと会話を進める。穏やかな口調を意識して事情聴取を執り行った。


「なら相談ってのはその事について?」


「まぁ…」


「いや、それは自分で考えなよ。こっちに相談されても困る」


「そうじゃなくて代わりに断って来てほしいの」


「へ?」


 俯いていた彼女が顔を上げる。膝に手を添えたまま。


「代わりに振ってこいって事?」


「そう」


「え、え……つまりその差出人と付き合う気はないって事?」


「当たり前じゃん。なに言ってんのよ」


「あ……そうなんだ」


 てっきりどうするかの協議だと思っていたのに。どうやら既に答えを出していたようだった。


「また明日も放課後に教室に来るって言ってたから、その時に…」


「ちょっと待って。その人と付き合うつもりなんか無かったんでしょ? ならどうして断ってこなかったの?」


「そ、それは…」


「明日に引き伸ばしなんて手間のかかる事しなくてもさ。呼び出された時にハッキリ付き合えませんって言えば済んだ話じゃないか」


「私だってそうしたかったわよ。でも…」


「でも?」


「やっぱり恥ずかしいし…」


「……小学生ですか」


 態度が覚束ない。行動の節々が不自然で不審。


「ア、アンタに断ってもらおうとしたの。なのにアンタ、サッサと先に帰っちゃうし」


「人のせいにしないで…」


「だって昨日言ったじゃん。私の事、す、す…」


「それは忘れて! 出任せだから」


「……出任せ」


「いや、出任せって言うか勢いでついポロッと出ちゃった言葉って言うか…」


「は?」


「ほら、アレだよ。子供がカレーライス好きとか、動物好きっていうアレ」


 威圧的な視線が飛んでくる。狼狽える側が入れ替わっていた。


「じゃあ昨日のはウソ?」


「嘘じゃない。嘘はよくつくけど」


「……どっちなのよ」


「好きは好きだけど、その手紙の持ち主の好きとは違うって事さ」


 彼女の意識を逸らすように手を伸ばす。目の前にあった白い封筒に向かって。


「華恋だってそうじゃん。アニメとか漫画とかコスプレとか、みんな好きでしょ?」


「うん…」


「そんな感じ。だからあまり深く考えないで。ね?」


「……分かった」


「ふぅ…」


 どうやら拙い言い訳に納得してくれたらしい。一瞬、また拳が飛んでくるんじゃないかとヒヤヒヤした。


「なら私どうすれば…」


「ハッキリ付き合えませんって言ってきなよ。それか教室に残らずさっさと帰ってしまうか」


「バックレろって事?」


「だね。そうすれば向こうも振られたんだと気付くだろうし」


「それはヤダ……変な噂流されたら困るし」


「あぁ、そっか」


 失恋した男がヤケになって悪評を流すかもしれない。ある事ない事、様々な情報を。


「やっぱりお願い。アンタ、代わりに断って」


「えぇ……それはちょっと」


「アンタしかいないのよ。こういう頼み事が出来るの」


「けどそれ相手の人に悪いし…」


「一生のお願い! やってくれたらアンタの言うこと何でも聞いてあげるからさ」


「へ?」


 なぜ男が男にゴメンナサイとしなくてはならないのか。そんな悲しいシチュエーションを浮かべているとまたしても別の提案を持ちかけられた。


「本気で言ってるの、それ?」


「も、もちろんよ。当然じゃない」


「じゃあ、お風呂で背中流してくれって言ったらやってくれるわけ?」


「……アンタがやってほしいのなら」


「マジすか…」


 一体何を考えているのか。ボケに対してツッコミすら返ってこない。


「いつもの嘘じゃなくて!?」


「私を狼少年みたいに言うなや」


「うぇぇ…」


 あまりにも出来すぎた展開。ただ代わりに男を振るだけで魔神のランプを手に入れられるなんて。豪華すぎるお礼につい頬の筋肉が緩んでしまった。


「ほ、本当に何でも言うこと聞いてくれるんだよね!?」


「……うん」


「よ~し」


「え? ならやってくれるの」


「まぁ、そんな簡単な事で良ければ」


「やった!」


 確認作業を終えると決意を固める。思考を下心に塗れさせながら。


「ちょっ!?」


「嬉しいっ、ありがとぉ!」


「あ、あの…」


「あははははっ!」


 直後に彼女が急接近。首に腕を回して抱き付いてきた。


「と、とりあえず離れて」


「あっ……ゴメン」


「いや、大丈夫」


 もったいないとは思いながらも引き離す。なるべく体に触れないように気をつけて。


「ちなみにその相手って違うクラスの人?」


「うん。ていうか3年生」


「え? 先輩なの?」


 彼女は部活動に参加していない。それなのに上級生に目を付けられるとはどういう事なのか。


「だから余計に断るのが怖くて……変な事されちゃったらどうしようかとも思っちゃったし」


「あぁ、なるほど」


「ビクビクしながら待ってたけど意外に紳士的な先輩で助かっちゃった」


「へぇ、イケメン?」


「まぁ……そこそこイケてたかな」


 よっぽど顔に自信がなければ接点の無い人間に告白しようだなんて思わないだろう。ドラマに出てくる二枚目アイドルを思い浮かべた。


「でも本当に何でも言うこと聞いてくれるの?」


「しつこいな。だからそう言ってるじゃん」


「だってもし僕が理不尽な要求をしたらどうするのさ」


「それは大丈夫よ」


「なんで?」


「だってアンタなら変なお願いしてこないと思うし。私の中でアンタは一番頼りになる男の子って事になってるから」


「ぐっ…」


「ね、雅人くん?」


「……はは」


 あらかじめ釘を刺されてしまう。もしかして最初からそういう作戦だったのかもしれない。牽制されては迂闊な発言が出来なくなってしまうから。


「仕方ないなぁ。じゃあ明日は代わりにごめんなさいしてこようかな」


「助かりま~す」


「ちなみにやり方は自分で決めて良い?」


「それは状況次第。どんな風に断るつもりなの?」


「アナタが好きになったあの女は七股をかけてるクソビッチでして…」


「おらぁっ!!」


「ぶぐっ!?」


 強烈な回し蹴りが脇腹に炸裂。捲れたスカートから水色の下着が見えてしまった。



「ふぅ…」


 翌日は約束を実行するため教室で待機する事に。華恋や日直当番には先に外へ出てもらい1人きりで。


 藤崎ふじさきという先輩が来たら伝言を伝える。やっぱり付き合えませんと。


「まだかな…」


 教室の時計をチラチラ見ながら時間を潰していた。外から聞こえる運動部の掛け声をBGMに。


「……あ」


 そして20分程が経過した頃に状況が変化する。見覚えのない男子生徒が入口に姿を現した。


「あの、藤崎先輩ですか?」


「え?」


「ち、違いますか?」


「いや、えと…」


 席から立ち上がって話かける。声を震わせながら。


「すみません。僕、白鷺さんの代理で…」


「え?」


「彼女の代わりに返事をしに来ました」


「は、はぁ…」


 戸惑っている反応で本人と確信。続けて要件を切り出した。


「実はその…」


「彼氏ですか?」


「へ? 違います。ただの知り合いで…」


「ダメって事ですよね。わざわざ代理をよこしたって事は」


「えと、まぁ……はい」


 どう告げようか迷っていると相手に先に答えを言われてしまう。どうやら振られたと気付いてしまったらしい。


「はは……多分、ムリだろうなとは思ってましたから」


「すみません」


「いや、呼び出したのは僕の都合なんで。こちらこそすみませんでした」


「はぁ…」


 玉砕したというのに悪態をつかない。彼からは修羅場に慣れていそうな雰囲気が溢れ出ていた。


「わざわざありがとうございます。彼女を大切にしてあげてください」


「ど、どうも…」


「それじゃあ」


 そして一礼すると廊下へと引き返す。去り際に勘違い満載な発言を残していきながら。


「大人だ…」


 見た目も中身も格好いい。華恋が言っていた通り爽やかさ溢れる好青年だった。


「ふいぃ…」


 1人教室で立ち尽くす。終わってしまうと案外呆気なかった。待機中はガチガチに緊張していたのに。


 用を済ませた後は教室の施錠をして退出。職員室へ鍵を返して外に出た。


「お~い」


「……あ」


「お待たせ」


「ど、どうだった? 上手く断れた?」


「もち。バッチリよ」


 校庭脇にいた待ち人に声をかける。右手でOKサインを作りながら。


「そ、そっか」


「凄い爽やかな人だった。好青年って感じ」


「あ、うん。イケメンだったでしょ」


「男の自分でも見惚れるぐらいの面構えだった」


 少女漫画にでも登場しそうな美形。自分がもし女だったら速攻でなびいてるかもしれない。そう思わせるだけの好印象な先輩だった。


「なんか損した気がする。あんな良い人を振ってしまうなんて」


「別に損なんかしてないわよ」


「うわっ、凄まじく嫌味なセリフ。私はいつでもあのレベルの男と付き合えますよってか」


「ちっがあぁぁーーう! 誰もそんなこと言ってないし」


「当選した宝くじを捨ててしまったような気分だ。もったいない」


「そんなに心残りがあるのならアンタが付き合ってみなさいよ」


「あっ、ならそうします」


 振り返って引き返す素振りを見せる。しかしすぐに後ろから首根っこを掴まれてしまった。


「冗談よ。本気にするな」


「分かってるよ。こっちだって男なんかお断りだ」


「もしアンタが野郎と付き合い始めたらマジで縁を切るからね」


「……冷たい」


 普段通りの乱暴な口調が飛んでくる。ついでに鋭い目つきも。どうやらいつもの華恋が戻ってきたらしい。


「でも、ま……これで無事にミッション達成出来たわけだ」


「そうね、助かっちゃったわ。ありがと」


「後は何でもお願い事を叶えてくれる権利だけが残ってるね」


「……くっ」


 校外に出ると本題に突入。その瞬間に隣の人物の表情が苦々しい物へと変化した。


「どんな内容にしようかなぁ」


「な、何の事かしら」


「とぼけても無駄だよ。約束だから、コレは」


「ちぇっ…」


 更に舌打ちまで飛ばしてくる。取り決めを反古しようとする台詞と共に。


「やっぱり無かった事に出来ない?」


「出来ないっていうか、そんな事になったら僕のさっきの頑張りが無駄になる」


「む~」


「自分で言い出したんじゃないか。約束は約束だよ」


 反論はしてみたものの無策の状態。昨夜、ベッドの中で様々な妄想をしてみたのだが特に思いつかなかった。ロクな考え以外。


「言っとくけどエロいのは無しだかんね」


「分かってるって。そんな事お願いして、もし母さんにバレたら何て言われるか」


「家まで鞄を持ってあげるってのはどう?」


「そんなの嫌だよ。全然嬉しくないし」


「じゃあ部屋の片付けしてあげるとか」


「それはダメ。許さない」


「なら…」


「どうして勝手に決めようとしてるのさ。自分で考えるからいいって」


 このままだとうやむやにして終わらされそうな予感がする。彼女の性格を考えたら。


「う~ん…」


 駅へとやって来た後は改札をくぐってホームに移動。電車に乗ってからも思考を働かせ続けていた。


「ねぇ、アンタって妹属性なんでしょ?」


「へ?」


「なら明日1日だけ妹になってあげるってのは?」


「えぇ…」


「お兄ちゃんって呼んであげる。それなら良いでしょ?」


「……妹」


 悩んでいると思いがけない提案を持ちかけられる。台詞に反応してその時の状況を想像。華恋に慕われている光景を思い浮かべた。


「いや、やっぱり却下で」


「な、なんでよ?」


「だってもう妹ならいるし。それに華恋にお兄ちゃん呼ばわりされると背中がゾワッとするもん」


「はぁ!?」


「だから別のを考える」


 せっかくなので少しでも有効に使いたい。便利な権限なのだから。


「私の妹役のどこが不満だって言うんだ、コラァッ!!」


「ぐわぁっ!?」


「ハッキリ言ってみろ!」


「こういう所だよぉぉぉ!」


 隣から飛んできた手が胸倉を掴む。至近距離で罵声を浴びせられた。


 その後も2人して何度も意見を交わす事に。けれど結局、何も決まらないまま家へと帰り着いてしまった。

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