第6話 戸惑いと強引

「ん……んんっ」


 ベッドの上で目を覚ます。暖かな空気を全身で感じながら。


 横になったまま背筋を伸ばすと朦朧としていた意識が少しずつ覚醒していった。見ていた夢の記憶を忘れてしまう程に。


「……昼前か」


 ケータイで時間を確認すると12時前と判明。今日は土曜日。学校が休みの日はいつも怠けた生活を送っていた。


「う、うわあぁあぁぁっ!?」


 部屋を出た後は階段を下りる。しかしまたしても途中で転落。壁に激突するまで何度も体を回転させた。


「いつつ……はよ」


「おはよ~。大丈夫だった?」


「ま、まぁね。まったく朝から派手なパフォーマンスを披露しちゃったかな」


「誰も見てないけどね」


 リビングへとやって来るとテレビを鑑賞中の妹を発見。珍しく先に起きていたらしい。


「母さん達は?」


「さっき出かけたよ。華恋さんの転校の手続きだって」


「あぁ、そっか」


 土曜日に学校に行くと言っていた事を思い出す。父親は部屋で寝ているのか彼女1人しかいない。挨拶を交わすと顔を洗う為に洗面所へと移動した。


「いっつぅ…」


 一部が黒ずんだ左手に小さな衝撃が走る。昨日に比べたらマシになったがダメージはまだ存在。


「……ん」


 このアザを見ると嫌でも思い出さずにはいられなかった。昨日の豹変した女の子の姿を。


「もうご飯食べた?」


「まだだよ~。お母さんがサンドイッチ作ってくれてる」


「お? 本当だ」


 キッチンのテーブルに三角形の物体がラップされた状態で置かれているのを発見。そのうちの1つを摘んで口に入れる事に。食べ終えるとソファに寝転がっていた妹の上に腰を降ろした。


「ちょっと、どいてよっ!」


「この番組面白い?」


「重いってば、邪魔!」


「うおっ!?」


 落とされそうになったので横に場所を移動する。直後に容赦ない蹴りが腕に命中。


「痛いな。何するんだよ」


「セクハラ~」


「いやいや、背中に座っただけじゃないか」


「セクハラ、セクハラ~」


 妹とじゃれあいを開始した。最近は華恋さんのせいで家の中でも緊張しっ放しの状態。なのでこういうやり取りが久しぶりに感じられた。


「ふぃ~」


 落ち着いた後は左手に新しい絆創膏を貼る。ソッと触れれば痛みを感じない程度には和らいでいた。


「女の子を助けた俺、超カッコいぃ~とか思ってんでしょ」


「……思ってないって」


「やだわ、この人照れちゃって。可愛い」


「香織は全然可愛くないけどね」


「ひ、酷い…」


 実際は助けたりなんかしていない。落ちてきた荷物の話云々は全部ウソ。ただ隣にいる彼女には本当の事を打ち明けられなかった。


「ねぇ、香織は華恋さんの事どう思う?」


「え? 何々、もしかして惚れちゃった?」


「そうじゃなくてさ。あの人の印象というかイメージというか」


「それ前に私が聞いた事じゃん」


「あれ、そうだっけ?」


 数日前の記憶を思い出す。家族が1人追加された日のやり取りを。ただあの時と今とではその印象は正反対。自分の中での同居人のイメージは最悪女へと変わっていた。


「ははは、この番組面白いね」


「……医療ドキュメンタリー番組で何笑ってんの」


「すいません…」


 その後はテレビを見ながらでダラダラと過ごす事に。しばらくすると部屋でパソコンと格闘していた父親もリビングに登場。2時過ぎには出掛けていた母親達も帰ってきた。



「ただいまぁ」


「おかえり。わぁ、可愛い」


 リビングで2人を出迎える。スーツ姿の母親に、見慣れた制服を身につけている女の子を。


「華恋さんもこれ着て来週から学校に通うんですよね?」


「はい。でも私にはちょっと派手すぎるかと思ってるんですが」


「そんな事ないです。すっごく似合ってますよ!」


「あ、ありがとうございます。なんか誉められると照れくさいですね」


「ん…」


 女同士の上手なヨイショが飛び交っていた。香織の言葉は本心だろうけど華恋さんの口から出ている言葉は嘘かもしれない。その心の中は自尊心で満ち溢れている気がした。


「もうご飯食べた?」


「作ってくれてたサンドイッチならね」


「そう。母さん達まだだから何か作ろうかしらね。華恋ちゃん、食べたい物ある?」


「あっ、私も手伝います」


「……ふぅ」


 キッチンへと入っていく3人の背中を見つめる。視線を感付かれない程度で。


「どうしたんだ? 溜め息なんかついたりして」


「いや、別に…」


「悩みなら父さんに話すんだぞ。愚痴ぐらいなら聞いてやれる」


「本当に何でもないから」


「分かった、あの制服を着てみたいんだろ? 夏はスカートの方が涼しそうだからな」


「そんな趣味ないってば…」


 盛り上がる女性陣を他所に父親とテレビ観賞。画面の中ではタイツ姿の芸人が田んぼに飛び込んでいた。


 食事中は学校の話題で大盛り上がり。食べ終わると自由な午後を堪能。普段となんら変わらない怠惰な1日を過ごした。



「合い言葉は~?」


「香織はチビ」


「ちょっと! 人が気にしてる事言わないでよっ!」


「うぉっと!?」


 夜になると妹の部屋を訪れる。生産性のまるで無いやり取りを交わしながら。


「話あるんだけど良い?」


「……良いよ」


 入室許可をもらったので中へと進入。同時に折りたたみ式のテーブルの上にジグソーパズルが散らばめられている光景が目に入った。


「パズルやってるの?」


「うん。500000ピースのヤツ」


「絶対ムリでしょ…」


 明らかにパーツが多い。紛失しても気付かないレベルで。


「んで話って何?」


「明日さ、3人で華恋さんの着替え買いに行くじゃん?」


「うん。それが?」


「急用が出来たから行けなくなっちゃった」


 適当な嘘をつく。自然な体を装いながら。香織には悪いけど全てを押し付けてしまおうと考えていた。


「えぇ、何で!?」


「いやぁ、ちょっと外せない用事が入っちゃって」


「用事って何?」


「まぁ、いろいろと…」


「どうしよう……困ったな」


「何が?」


 言い訳を考えていると彼女が唸りだす。口元に手を当てて。


「実は私もリエちゃん達と出かける約束しちゃって」


「え?」


「明日の事はまーくんに任せようかと思ってたんだけど。しまったなぁ」


「いやいや…」


 どうやら2人揃って用事を作ってしまったらしい。無責任すぎる兄妹だった。


「どうして勝手に予定入れちゃうの?」


「それはお互い様じゃん。私だけ悪者みたいに言わないでよ」


「困ったなぁ。う~ん…」


「むぅ…」


 さすがにこの状況はマズい。約束をすっぽかしたら母親に叱られること必至。


「とりあえず華恋さんには謝っておかないと」


「だね。悪いけど明日は行けなくなっちゃったって」


「まだ起きてるかな?」


「どうだろう。もう11時過ぎだし」


「面倒くさいし明日でいっか」


「そうだね。そうしよう」


 外出が出来なくなった事は日が変わってから伝える方向で決定。何より今から一階の部屋に突撃する事が億劫だった。


「ちなみにまーくんは明日どこ行くの?」


「さ、さぁ…」


「女の子とデート?」


「……してくれるような相手がいたら良いんだけど」


「あはは、まーくんには私がついてるから大丈夫だよ」


「全然慰めになってない…」


 今さら嘘だなんて言えやしない。外出予定そのものが白紙だなんて。




「じゃあ行ってきま~す」


「しっかり鬼を退治してくるんだよ~」


 そして翌朝、出掛けていく妹を玄関で見送る。彼女はいつもより少しだけオシャレをしていた。


「はぁ…」


 玄関の施錠をした後は引き返す。冷たい廊下をスローペースで。


「あの子もう出掛けちゃったの?」


「……うん。食器洗いは終わらせたみたいだね」


「とっくにね。あ~、疲れた」


 リビングにやって来るとソファに座って寛いでいる華恋さんを発見。その口からは遠慮のない言葉が飛び出した。


「あ~あ…」


「何よ。人の顔見てガッカリするのやめてくれる?」


「どうして皆がいない時はタメ口なのさ?」


「だって隠す必要ないし。今更アンタに気を遣ったって意味ないじゃん」


「また優しい喋り方に戻してくれないかな?」


「うわ、キモッ! 何言ってんのアンタ?」


「キモいって…」


 両親は既にいない。つまり現状で自宅にいるのは自分達2人だけという事。


「そういえばおばさんに私の着替え買いに行けって言われてたわよね?」


「まぁ」


「あの妹が出掛けちゃったって事は、まさかアンタと2人で買い物に行かなくちゃいけないわけ?」


「む…」


 彼女がこちらを見て心底嫌そうな表情を浮かべる。まるで汚らわしい物を見るような目付きがそこにはあった。


「安心してよ。外出は中止だから」


「え?」


「僕だって君と2人っきりで行動するの嫌だし、来週香織と行って来なよ」


「来週…」


 彼女には悪いが衣類調達は1週間ガマンしてもらおう。幸い何着かの着替えをダンボールに入れて持ったきたようだし。


「それなら良いでしょ?」


「そ、そうね。なら安心かな」


「ふぅ…」


 どうやら示した意見に納得してくれた様子。無駄な口論をせずに済んだ。


「じゃあ二階にいるから何かあったら呼んで」


「あ…」


 自分も出掛ける予定だったがアリバイを作る必要が消滅。彼女と同じように空間にいたくないので自室に避難する事に。


「ちょっと待った!」


「ん?」


 廊下へ引き返そうとすると声をかけられる。扉を開けようとしていた手の動きは急停止した。


「私さ、ここに来てからまだまともにお出掛けとかしてないのよね」


「それが?」


「アンタとスーパーに買い物行った時と、昨日高校に行った時。これ以外はずっと家の中にいたのよ」


「は、はぁ…」


 呼び止めてきた彼女がブツブツと語り始める。独演会にも近い愚痴や不満を。


「家の手伝いもやってるから結構ストレス溜まってんのよねぇ」


「……そいつは悪かったね」


「だから私、出掛けたい。来週じゃなく今日出掛けたい」


「は?」


「という訳でアンタ、この辺を案内してよ」


「え、えぇ!?」


 そのまま思いも寄らない意見を持ちかけてきた。たった今、中止にしたばかりの提案を。


「何でさ!」


「だから今言ったじゃない。ストレス発散の為だってば」


「嫌だよ、そんなの。君と出掛けるとか勘弁」


 2日前の嫌な出来事が脳裏に蘇ってくる。容赦なく殴りかかってきた華恋さんの姿が。


「だって私、この辺の事とかよく分からないし…」


「僕は君の事がサッパリ分からない」


「それに居候の身分なのに勝手に遊びに行くのも気が引けるしさ」


「なら大人しく家にいようよ」


「本当ならアンタと一緒に行動するのは嫌だけど、2人揃って家にいるぐらいなら外に出たい」


「……えぇ」


 せっかく部屋で寛げると思っていたのに。この平穏だけは崩したくなかった。


「という訳で行こ」


「や、やだ」


「なんでよ?」


「だって君、さっき自分で言ってたじゃないか。僕と2人で出掛ける事に抵抗あるって」


「そ、それは…」


「こっちも同じなんだよ。2人きりになったら何されるか分からないもん」


 今だってこの乱暴な口調。街中に出たら容赦なくコキ使われるのは確定。


「……そんなに嫌なの? 私と外出するのが」


「うん」


「こいつ、ハッキリ言いやがった…」


「嘘ついても仕方ないし」


 ここで見栄を張っても得なんかしない。むしろ損しかなかった。


「……う、うぅっ」


「え?」


「酷い。私はただ純粋にアナタと出掛けたいと思っただけなのに…」


「ちょっ…」


「なのに……それなのにこんな仕打ち」


 毅然とした態度を貫いていると彼女が両手で顔を覆ってしまう。弱々しい声を出しながら。


「ど、どうしていきなりそうなるのさ!」


「そんなに私の事が嫌いなんですね」


「いや、だって君が…」


「トイレに入ってきたり、体を触ってきたクセに。あの時の事が怖くでずっと怯えてたんだよ…」


「だからあれは事故っ!」


「初めてだったんだから……男の人に触られるの」


 消し去りたい記憶が意識の中に蘇ってきた。一歩間違えれば犯罪者になりかねない過去の失態が。


「もうやだ。こうなったらその時の事をおじさん達にバラしてやる」


「そ、それだけはやめてーーっ!」


 慌てて彼女の方に近付く。膝を曲げるのと同時に両手と頭を床に擦り付けた。


「すいませんでした、一緒に出掛けます!」


「え?」


「どこにでも連れて行きます。駅前でも商店街でもアナタ様の好きな場所を案内しますから!」


「……本当に?」


「はいっ、はいっ! 本当でございます。だから何卒、セクハラ容疑の件についてはお父上達に内密でお願いしますぅ!」


 全力の土下座を披露する。半泣き状態での懇願を。男のプライドなんかどこにも存在していなかった。


「よし、なら許す」


「へ?」


「最初からそう言えば良かったのよ、まったく」


「あ、あの……ショックで泣いてたんじゃ」


「はぁ? どうして私が泣かなくちゃいけないのよ」


「いや、だって今…」


「芝居に決まってんでしょ。なに真に受けてんだか」


「芝居…」


 彼女が両手を元の位置に戻す。下から顔を見上げるが涙は一滴たりとも存在していない。


「単純男」


「くっ…」


「どんだけ間抜けなのよ。本当に同い年なのかしら」


「コイツっ…」


「言っとくけど痴漢の件で傷ついたのは本当なんだからねっ! その事をおじさん達にバラされたくなかったら大人しく言うこと聞きなさいよ!」


「はい、すみませんでした! すぐに出掛ける準備をしてまいります!」


 反撃しようと勢い良く起立。だが行動に移る前に脅しの言葉で封殺されてしまった。



「あぁあ、やだなぁ…」


 部屋にやって来ると外出用の服に着替える。ブツブツと文句を垂らしながら。


「……はぁ」


 貴重品をポケットに突っ込んで一階へと帰還。彼女の姿が見えなかったのでソファに腰を下ろした。


「この前のフリフリ衣装で出てきたらどうしよう…」


 魔法少女みたいな服を着てる人間と一緒に歩きたくはない。あんな格好をしていたら嫌でも人目を引いてしまうので。


「お待たせ」


「お?」


 テレビを見て時間を潰していると本人が登場。上は肩出しルックに下は赤色のスカート。派手だが割と普通の格好だった。


「なによ?」


「いや、別に」


「あんまりジロジロ見ないでくれる? 気持ち悪いから」


「ぐっ…」


 そして安堵している最中に向けられたのは容赦ない罵声。良心のかけらも感じられない一言だった。


「で、どこ連れてってくれるの?」


「ねぇ、やっぱり一緒に行かなくちゃダメ?」


「はぁ? 今更なに言い出してんのよ」


「だって君、僕のこと嫌ってるみたいだし。2人っきりで行動するのに抵抗あるって言うか…」


「男のクセに情けないわね。ちょっと強めの口調で責められたからって弱音吐いちゃって。アンタ、下にアレ付いてんの?」


「ちょっ…」


 最後の言い訳を開始する。消極的な性格から僅かな勇気を振り絞って。


「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと出掛けるわよ。アンタだってもう支度しちゃったんでしょうが」


「そうだけどさぁ…」


「……あぁ、イライラするわねぇ」


 彼女が不機嫌面で手を頭に移動。そのまま乱暴に髪を掻きむしった。


「ほらっ、サッサと立つ」


「えぇ!? ちょっと!」


「新しい服とカバン見に行くの。アンタが知ってるオシャレなお店に連れて行って」


「オシャレなお店…」


「中に入った事はなくても、それっぽい商品がありそうな場所に連れて行ってくれれば良いのよ」


「う~ん…」


 伸ばしてきた手に腕を掴まれる。女子とは思えないようなパワーで。


「電車に乗って行けばある……かな」


「ならとりあえず駅に行けば良いわけね。出発するわよ」


「……イエッサ」


 既に拒否権は無いらしい。数分前はあれだけ2人っきりで出掛ける事に反発していたのに。玄関でボロボロのスニーカーを履くと理不尽なワガママ女と共に家を出た。


「降りるよ」


「ほ~い」


 電車を乗り継いで目的の場所に移動する。アーケードがある商店街へと。


 ホームに一歩足を踏み入れた瞬間からずっと人混みが絶えない。のんびりと歩いていたら誰かにぶつかってしまいそうなぐらいの過密具合だった。


「へぇ。結構広い場所じゃない」


「ここなら雑貨屋、飲食店、ゲームセンター。大抵の物なら揃ってるよ」


「丸1日時間潰せそうね。とりあえずあっちに行くわよ」


「へい…」


 電車に乗っている間は互いに無言状態。まるで他人を装うように。


「そういえば服買うお金って…」


「ちゃんと母さんから預かってるよ。そんなに高くないのなら何着か買えるハズ」


「そ、そう。じゃ行こっか」


 しかし繁華街に着いた途端に状況が変化。ご機嫌になった相方が饒舌に喋り始めた。


「わぁぁ、可愛い」


 ファッション店が並んでいる通りを2人で歩く。彼女が歩いているすぐ後ろを自分が付いて行く形で。ショーウィンドウには綺麗なワンピースやジャケットが置かれていた。


「ちょっとこのお店見て来るわね」


「あぁ、うん」


「アンタは入ってくんじゃないわよ!」


「……はいはい。分かってますとも」


 立ち入り禁止命令を出されてしまう。仕方ないので入口で待つ事に。


「げっ…」


 ケータイを弄っていると様子を窺ってくる女子高生達と視線が衝突。居心地が悪いので少しズレた場所に避難した。


「……はぁ」


 数日前までは一緒にお出掛け出来ると浮かれていたのに。今は不安と苛立ちしか湧いてこない。


「お待たせ」


「遅いよ。入ってから20分も経ってる」


「うっさいわねぇ。男がグダグダ文句言うんじゃないわよ」


「いやいや…」


 しばらくすると彼女が店から出てくる。皮肉を込めた言葉を投げ掛けたが逆に責め立てられてしまった。


「次に行くわよ」


「えぇ……まだ廻るんですかぁ」


「なに言ってんのよ。まだ2軒しか行ってないでしょうが」


「別に今日全ての店に寄る必要は無いじゃん」


「文句言わない。アンタは黙って付いてくれば良いの!」


「ちぇっ…」


 理不尽極まりない。こんな事なら仮病を使ってでも自宅に残っていれば良かった。


「あ…」


「ん? どしたの?」


 人混みを歩いている途中で華恋さんが立ち止まる。ビルの入口で。


「入りたいの? ここ」


「は、はぁ? んなわけないでしょ。何言ってんのよ」


「いや、だって今見てたじゃないか」


「見てないし。どんなお店があるかなぁって眺めてただけよ」


「その違いが分からない…」


 彼女の視線の先を追跡。そこにはあったのはアニメ等のグッズが売られているお店の看板だった。


「向こうに入口にあるって。回って行けば入れるみたいだよ」


「だから興味ないって言ってんでしょ。入りたきゃアンタ1人で行って来い!」


「え? ちょ…」


 気を遣って誘うが拒まれてしまう。無愛想な態度で。


「……まだかなぁ。遅いよ」


 その後もファッション店を何軒か訪問。もちろんその間、従者は外で待ちぼうけ。


 1軒辺り平均して10分近くは時間を使っていた。お気に召さない場所は入ってすぐに退散しているが、それでも店舗数が多いので苦痛の行脚だった。


「結構オシャレな服あるわね」


「ねぇ、そろそろ買っちゃわない? もう10軒近く廻ってるよ」


「だって買った後にそれより気に入ったの見つけちゃったらどうすんのよ? 払い戻し出来るか分からないのよ」


「それはそうだけどさぁ…」


 歩き回っているから足の裏がもう限界。ふくらはぎもパンパン。日頃の運動不足を思い知らされた。


「あぁ、もう分かったわよ。次の店で最後にするから。それで良いでしょ」


「本当? 男に二言は無い?」


「本当よ。つーか私、男じゃねーし」


「やった!」


 これで終わりと言うのなら我慢も出来る。不機嫌そうに歩いて行く後ろ姿を追いかけて歩行を開始。


「服見るんじゃないのかぁ…」


 しかし彼女が入って行ったのはファッション店ではなく別の空間。小物等が置かれた雑貨屋だった。


「はぁ…」


 結局、1着も買っていない。見事と言いたくなるぐらいの本末転倒具合。


 不満を垂らしながら窓ガラス越しに中の様子を窺う。そこには無邪気な笑顔でアクセサリーを物色している女の子の姿があった。


「お待たせ~」


「もう良いの?」


「え? まだ見てても良いの?」


「いや、もう疲れたから勘弁してください…」


 しばらくすると彼女が出てくる。疲労を感じさせないハイテンションで。


「ねぇ、今日なんにも買ってないんだけど」


「そういえばそうね」


「これだとここまで来た意味がないんだが」


「……ん~」


 本日の成果といえば運動不足を解消してくれそうな散歩だけ。他はストレスしか生み出していなかった。


「さっき入った店に気になるのがあったんだけど」


「何か欲しいのがあるの?」


「うん。ダメ……かな?」


「うっ…」


 唸りだした彼女が小声で懇願してくる。プラス幼さを感じさせる上目遣いも付け加えながら。


「じゃ、じゃあそのお店に寄って行こっか」


「やった!」


「……ははは」


 そんな言動を見てあっさりと前言を撤回。情けなさすぎる手のひら返しを披露した。


「さっき言ってた気になるヤツってどれ?」


「ん~と、コレとコレ」


「ほうほう」


「どっちが良いかな…」


 彼女が2着の服を手に持つ。黒い生地のゴスロリシャツと清楚系の白いブラウスを。今回は精算があるので一緒に入店した。


「その二つが欲しいヤツなの?」


「うん。どっちも可愛くて甲乙つけ難いっていうか…」


「いくら?」


「え~と…」


 値札を確認する。どちらも4000円前後の商品と判明。


「その2着で良いんだね」


「へ? 両方とも良いの?」


「足りるから大丈夫。んじゃ、さっさと精算済ませちゃおう」


 店の中は女性ばかりなので居心地が悪い。一刻も早く立ち去りたかった。


「ありがとうございましたぁ~」


 支払いを済ませるとそそくさと退店する。店員さんの恥ずかしい見送りを受けながら。


「はいよ」


「あ、ありがと…」


 買ったばかりの商品は本人に献上。お礼の言葉と共に照れくさそうな表情が返ってきた。


「じゃあ帰ろっか」


「そうね。充分楽しめたし」


「あーーっ、疲れた」


 両手を空に掲げて背を伸ばす。これでお役御免だと思うと肩の荷が降りた。


「あっ…」


「ん?」


 用を済ませた後は前後にズレて繁華街を歩く。その途中、相方の微かな異変を察知。


「……やっぱり気になるんじゃんよ」


 彼女は先程見つけたアニメ専門店を眺めていた。意地を張ったものの興味を惹かれているのだろう。


 けどここならまたいつでも来る事が出来る。なので立ち止まる事なく駅へと向かった。




「つっかれたぁぁぁ」


 自宅へと着くとソファに飛び込むように横になる。フルマラソンを完走したランナーの気分で。香織はまだ帰って来ていないらしく、家の中は出掛けた時のまま。華恋さんも自分の部屋へと戻ってしまった。


「はぁ…」


 寝転がってリラックスしたせいか異常な程の脱力感に襲われる。このまま目を閉じたら眠ってしまいそうな睡魔に。


「ねぇ。夕御飯食べたい物ある?」


「ん~、特には」


「おじさん達が帰って来るまでに何か作っておこうかと思うんだけど」


「あぁ、そだね。じゃあお願いしちゃおうかな」


 ウトウトするも話しかけられた事で意識が覚醒。荷物を部屋に置いてきた華恋さんが姿を現した。


「何を作ってあげたら喜ぶかしら」


「カレーとか」


「それだと定番すぎない? つかこの前、食べたばっかじゃない」


「いや、カレー好きなんだよ」


「たっだいまーーっ!」


「お?」


 メニューについて議論を交わしている最中に声が聞こえてくる。妹の帰宅を知らせる挨拶が。


「おかえり」


「あれ? 2人とも朝と着てる服が違う」


「出掛けてたんだよ。帰って来たのはついさっき」


「そうなんだ。結局買い物に行ったんだね」


「え? ま、まぁ…」


 昨夜、用事があると嘘をついた事を思い出した。不審がられると思ったが大した追及もなく終了。


「そういや何か食べたい物ある?」


「食べたい物?」


「うん。リクエストあるならコイツが作ってくれるってさ」


 意識を逸らす為に別の話題を振ってみる。隣にいる人物の顔を指差しながら。


「コイツ!?」


「あ、いや…」


 その直後に失態が判明。妹の怒号が響き渡った。


「ダメだよ、そんな言い方しちゃ。華恋さんに失礼でしょ!」


「違っ…」


「いくら何でもコイツなんて言い方は無いんじゃない!?」


「そ、そうなんだけどさ」


「お母さんが言ってたでしょ、華恋さんは家族なんだって。召使いとかじゃないんだよ?」


 和やかな空気が張りつめた物に変化する。笑えない物へと。


「香織さん、あの……良いんです」


「え? でも…」


「私ならどんな呼ばれ方をされても大丈夫ですから」


「そんなのダメです。いくら何でもコイツなんて呼び方は酷すぎますよ」


「いえ、本当に平気ですので…」


 直後に華恋さんが目尻を拭い始めた。弱々しい精神を体現するかのように。


 必死で作り笑いを浮かべようとしているのだろう。だがそれ自体が演技であるのがバレバレだった。


「……何故だ」


 自分が悪者にでもなったかのような状況。まったく納得がいかなかった。


「私は気にしていません。なのであまり雅人さんを責めないであげてください」


「でもぉ……それじゃあ華恋さんがあんまりですよ」


「私の不注意で怪我もさせてしまった訳ですし。これぐらい当然だと思っています」


「……はぁ。なら後で私からキツく言い聞かせておきますね」


「えぇ、そんな…」


 助け舟のおかげでどうにかその場は収まる。ただし後から妹に30分にも渡る説教をされてしまった。

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