第5話 歪みと不協和音

「うへへへ…」


 教室で席に座り窓の外の景色を眺める。朝から好天気の空を。


「何をニヤニヤしてんだ、気持ち悪い」


「あ、ごめん」


 呼び掛けられたので謝りながら返答。振り返った先にいたのは鼻血を垂らした友人だった。


「……それどうしたの?」


「智沙に殴られた。買ってきた炭酸ジュースを振ってから渡したら怒られちまってよ」


「まだパシり続いてたのか…」


 どうやら仕返しに対する罰を喰らったらしい。かかあ天下の夫婦のような関係だった。


「なんか良い事でもあったの?」


「そんな事はないけど」


「分かった。うっかり女の子のオッパイ触っちゃったんだろ?」


「違うってば…」


「なら女の子がトイレにいる時に間違えてドアを開けちゃったとか」


「いや、だから…」


「それか街で偶然会った女の子と同居する事になったとか。ん~、けどさすがにコレは無いか」


「……さっきから凄すぎるよ。もしかしてエスパー?」


 盗聴器や隠しカメラでも付けられてるのではと疑いたくなる台詞の数々。彼は時々、信じられないぐらいの異端な能力を発揮する事があった。


「ところで公民の宿題やってきた?」


「やってきたよ。颯太はまた忘れたんでしょ?」


「え? どうして分かるんだよ。ひょっとしてエスパーか?」


「……実はそうなんだよ。颯太限定だけど行動が読めるんだ」


 コントのようなやり取りを交わす。傍から見たら間抜けとしか思われないような会話を。冷静を装っていたが心の中は不思議と高揚感に包まれていた。その原因は自宅にいる天使のような存在。


「颯太ぁあぁあぁぁっ!!」


「ん?」


 トイレにでも行こうかと考えていると教室中に野太い声が響き渡る。友人の名前を叫ぶ台詞が。


「アタシがトイレ行ってる間に机に落書きしただろーーっ!!」


「げっ、智沙だ。ヤバい!」


「ふざけんなや。誰がブスだ、コラァッ!!」


「げふっ!?」


 近付いて来た彼女が机を足場にジャンプ。そのまま友人の顔面に強烈な膝蹴りをお見舞いした。


「ぐあぁああぁぁっ!?」


「……ったく、イタズラ小僧が」


「ちょ……女子が跳び蹴りはマズいって」


「あん? 中に体操着の短パン穿いてるから平気だっての」


「そ、そういう問題じゃなくてさ…」


 豪快な転倒音が教室中に響きわたる。机や椅子を巻き込む派手な音が。


 もがき苦しむ男子生徒と鬼のような形相を浮かべている女子生徒。どちらの味方につけば良いのか分からない状況だった。


「ん? アンタ、何ニヤニヤしてんの?」


「へ?」


「頬の筋肉緩めちゃって。良い事でもあった?」


「い、いや。別に…」


 戸惑っていると態度の不自然さを指摘される。心の中を見透かされているかのように。


「そういえば朝も様子が変だったわね」


「え~と…」


「かおちゃんもどこかよそよそしかったし。これは家で何かが起きたんだな」


「そ、そんな事は無いっす」


 彼女は地元が同じなので駅から一緒に登校する事が多い。妹とも中学時代に同じバレー部に所属していた先輩後輩の仲。ただ床に倒れている友人同様に同居人の存在を打ち明ける事が出来ず。香織と共謀して華恋さんの存在を内緒にしていた。


「ま、別に雅人がどこで何してようがアタシには関係ないけどね」


「はは…」


「けどかおちゃん以外の女の子に手出しするのだけはやめておきなさいよ。あの子が可哀想だから」


「……家族なんだってば」


 周りに聞かれて恥ずかしい会話を交わす。倒れた椅子や机を協力して起こしながら。


「うおりゃあっ!! 公民の授業始めるぞ、うおりゃあっ!!」


 しばらくすると訳の分からない掛け声と共に教師が登場。散り散りになっていた生徒達は自分の席へと戻った。


「ひひひ…」


 授業が始まってからもニヤニヤが止まらない。意識は上の空だった。



「雅人」


「え? 君、誰?」


「ふざけんなっ! 俺だよ、俺!」


 放課後になると声をかけられる。まだ鼻の穴にティッシュを詰めた颯太に。


「良かったらこの後、一緒に…」


「ごめん、今日は用事があるんだ」


「ちぇっ……せっかく居残りが無いから心霊スポットにでも行こうかと思ってたのに」


「……そろそろ本当にお祓いしてもらう事を考えた方がいいかもよ」


 彼から遊びに誘われたが断った。一刻も早く家に帰りたくて。駅までダッシュするといつもより早い電車に乗り込んだ。


「へっへへへ…」


 今日も華恋さんが出迎えてくれるだろうか。優しい笑顔に癒やされたい。思考を妄想にまみれさせながら地元の街を駆け抜けた。


「ただいまっす」


 自宅に到着すると勢い良く玄関の扉を開ける。施錠されていないドアを。


「……あれ?」


 しかし期待していた返事が返ってこない。家の中は不気味な程に静まり返っていた。テレビの音も聞こえてこないレベルで。


「いないか…」


 洗濯物を取り込んでいるかトイレにでも行っているのだろう。期待が外れたので少々ガッカリした。


「ん?」


 スニーカーを脱いでいる最中に妙な違和感に気付く。どこからか聞こえてくる不自然な声に。


「なんだろう…」


 耳を澄ますと発信源が客間である事を察知。華恋さんの私室となった部屋だった。


「……え、え」


 もしかしたら彼女の身に何かが起きたのかもしれない。気分が悪くなって苦しんでいるとか。


「ん…」


 胸騒ぎがしたので確かめる事に。襖の前までやって来ると小さく一呼吸。覚悟を決めて取っ手に指を引っかけた。


「グランドジャスティスビクトリーアターック!!」


「ほぁ?」


 襖を開けると口から間抜けな声か出る。言葉に表せないような台詞が。


「……あ、あぁーーっ!?」


「え、え……え」


 続けて部屋中に素っ頓狂な叫びが反響。目の前にいる女の子の咆吼だった。


「ど、どうしてアナタがここに!?」


「え? それはだって…」


 意味が分からない。状況が荒唐無稽すぎて。


 確かに部屋には華恋さんが存在。ただし何故か水色のヒラヒラした服を着て、手にはオモチャのステッキを持っていた。


「う、うぅ…」


「あの…」


「うわああぁあぁぁっ!!」


「何々?」


 声をかけると彼女が大声で喚き出す。持っていたステッキを天井に向かって掲げながら。


「とうっ!」


「いってぇっ!?」


「くたばれ、コイツっ!!」


「ちょ、ちょっと! やめっ…」


「黙って部屋に入ってくんなぁっ!!」


 そのままこちらに向かって突撃。咄嗟に伸ばした左手に命中した。


「いてっ、いっつ!」


「死ね死ね死ねっ!!」


「こんのっ…」


 衝撃が皮膚を通り越して骨まで到達。仕方ないので力ずくで取り押さえる事に。


「離せ、バカっ!」


「ごほっ!!?」


 両腕を掴むが反撃を喰らってしまう。ガラ空きのボディに強烈な膝蹴りを浴びてしまった。


「ゲホッ、ゲホッ…」


 思わずその場にうずくまる。額を床に擦り付けた体勢で。


「はぁ、はぁ…」


 同時に頭上からは荒い息遣いが聞こえてきた。大人しさを微塵も感じさせない低い声が。


「ちょ……な、何するんすか」


「どうして勝手に入ってくるのよ!」


「はぁ?」


 ダメージを回復させた後は再び対話を開始する。質問をぶつけたが質問で返されてしまった。


「ううぅ…」


「コスプレ…」


「……っ!?」


 俯いて唸っている彼女にある言葉を投げ掛ける。混沌とした場の中で気付いた点を。


「うわぁあぁぁーーっ!!」


「ちょっと待って、痛いってば!」


 だがその言動が火に油を注ぐ事に。激昂した華恋さんがまたも喚きながら突撃してきた。


「はぁっ、はぁっ…」


「……ってぇ」


 隣の部屋へと後退してどうにか危機を回避する。暴力を振るわれる状況を。


「ど、どうしてこんな事するのさ!?」


「アンタが勝手に入ってくるからでしょ!」


「それは…」


「男に見られたの……初めて」


「は?」


「……くそっ」


 やや強めの口調で同じ疑問を発信。ただし問い掛けに対して返ってきたのは更に強気な反抗的態度だった。


「もしかしてコスプレ見られた事に腹を立ててるの?」


「い、言うなっ! またぶたれたいのか!」


「えぇっ!?」


 どうやら思い描いた憶測は正解らしい。ムキになった台詞でそう確信した。


「別に良いじゃないですか。隠さなくても」


「良くないっ!」


「どうして?」


「それは…」


 事情を把握した所で説得を試みる。問題を起こした生徒を叱りつける教師の気分で。


「隠さなくっても堂々としていれば良いんじゃないですかね」


「ん…」


「別に人に迷惑をかけるような悪い事をしてるわけじゃないんだから…」


「……アンタだってエロ本隠してるじゃない」


「え?」


 言葉を並べていると会話の流れに無関係なキーワードが飛び出した。心臓の鼓動を高鳴らせるような単語が。


「な、な……なに言ってるの、君!」


「さっきアンタの部屋を掃除してる時に見つけた」


「勝手に物色したの!?」


「……ふん!」


 動揺が止まらない。追い詰める側と追い詰められる側が交代。


「ひ、人のテリトリーに無断で入らないでよ!」


「うるさい。アンタだってここに黙って入ってきたじゃない!」


「それは…」


 ここは自分の家なのだから別に構わないハズ。だがその台詞は口に出す寸前で留めた。その理屈がまかり通るなら華恋さんの行動を咎める理由が無くなってしまう。彼女も今やこの家の住人なのだから。


「このスケベ」


「なっ!?」


「初めて会った時のこと覚えてるからね。トイレのドアを開けて中に入ってきた事」


「だからあれは…」


「しかもその後、いやらしく胸を触ってきやがって……変態男っ!」


「う、うわああぁあぁっ!!」


 思わず両手を耳に移動。突き付けられた言葉を受け入れないように塞いだ。


「着替えるから出てってよ」


「は?」


「着替えるって言ってんの。アンタがいたらコレ脱げないじゃない!」


「いやいや、待ってよ。まだ話が終わってないじゃないか」


 パニックに陥っていると部屋からの退出命令が出される。相手の感情を無視した一方通行な意見が。


「とりあえず謝ってくれないかな」


「はぁ? なんで私が」


「殴ったじゃん。それで」


 すぐに反論しながら指差した。手にダメージを作ってきた凶器を。


「……やだ」


「え?」


「い、いいから出てってよ! 早くしないとアンタの妹が帰って来ちゃう」


「それがどうかしたの?」


「どうかしたって…」


 恐らく彼女は今の姿を家族に見られる事に抵抗があるのだろう。かといって指示に従おうという気持ちは微塵も湧いてこない。一刻も早く理不尽な暴力について謝罪をしてほしかった。


「黙って部屋に入った事は謝るよ。でもだからって殴る事はないんじゃないかな?」


「うぐっ…」


「別に良いじゃないですか。そういう格好見られたって」


「……嫌だ」


「えぇ…」


 タイムリミットが迫っているのに抵抗は続く。意外に頑固な性格らしい。


「早く出てってよ。じゃないとアンタのエロ本の隠し場所、妹にバラすわよ」


「な、何でそういう話になるのさ」


「それからトイレを覗いてきた件と、体を触ってきた件と…」


「わーーっ、すいませんすいません!」


「早く出てけぇーーっ!!」


 不可抗力とはいえ同居人に破廉恥行為を働いてしまった事実を知られるのはマズい。冤罪だと示す証拠を持っていないから。


「分かったよ…」


「ふんっ…」


 込み上げてくる悔しさをグッと我慢。襖を閉めるとゆっくりとその場を立ち去った。



「いったぁ…」


 自室に入ると殴られた手の甲を押さえる。血は出ていなかったが小さなアザが存在。


「……あれ、本当に華恋さんなのかな」


 椅子に腰掛けて頭を捻った。サスペンスドラマの主人公にでもなったかのような気分に浸りながら。


 逆上して怒鳴り散らしてきた女の子。その子と昨日までの彼女がどうしてもイメージの中で結び付かなかった。


「見間違いか…」


 別の可能性を考えたがそれは絶対に有り得ない。宝くじが高額当選するぐらいの確率で。


「ただいま~」


「お?」


 真相を確かめに行くべきか悩んでいると妹の声が聞こえてくる。玄関の扉を開く音と共に。


「おかえり」


「ただいま……ってどうしたの、その怪我?」


「ん? これ?」


 階段を下りた所で彼女と鉢合わせ。対面早々に絆創膏の貼られた左手を指差された。


「漫画のキャラの真似? 高2のクセに発症した中二病?」


「違うって。本当に怪我したんだよ」


「あらま。何やらかしたんですか、お兄様」


「これさ、実は…」


 躊躇いながらも先程の出来事を語ろうと決意する。自宅で起きた暴行事件についてを。


「ごめんなさい、私のせいなんです!」


「え?」


 その瞬間に乱入者が登場。開いた襖から華恋さんが姿を見せた。


「私が部屋の片付けをしていたら突然上から荷物が落ちてきて。それで私を庇った雅人さんが怪我をしてしまったんです」


「え? そうなの?」


「……へ?」


「本当にごめんなさい!!」


「え、え?」


「私の不注意です。すみません!」


「いや、あの…」


 彼女は話に割り込んでくるなり頭を下げてくる。理解不能な台詞を口にしながら。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


「そんな何度も謝らないでください。華恋さんは何も悪い事していないんですから」


「で、でも…」


 その言動に思考が停止。言葉を交わす女性陣のやり取りを呆然と眺めていた。


「私の注意力が足りなかったばかりに雅人さんが…」


「だ、大丈夫です。これぐらい平気ですから」


「けど…」


「怪我とか慣れてるんで。昔はよく転んで膝を擦りむいたりしてましたし」


「……そうなんですか」


「だからあまり気負わないでください。本当に何ともないですから」


「あ、ありがとうございます」


 そして自分まで嘘の都合に意識を調整。口から出たのは犯人を庇うような発言だった。


「あの…」


「は、はい?」


「もしこの怪我のせいで困った事があったら何でも言ってください。私、雅人さんの為なら何でもしますから!」


 続けて華恋さんに両手を握られる。一本一本が華奢な指に。そんな彼女の顔を直視出来なくて無言で頷く事しか出来なかった。



「う~ん…」


 食事後は再び自室に籠もる。椅子に腰掛けて思考を巡らせながら。食事中の彼女はいつも通りの優しい口調。アンタなんて単語は一言も口にしなかった。


「……何なんだろう」


 もしかしたら恥ずかしい趣味を見られてパニックになってしまっただけなのかもしれない。トイレで鉢合わせした時にも同じように蹴りを浴びせられたし。


「まぁ、自分も思い当たる節があるわけで…」


 横目で漫画が並べられた本棚を見る。裏に大量のいかがわしい物が置かれた場所を。


 今でこそ親しくしているが母親や妹とは元々他人だった間柄。意識の中に女性という感情が残っていた。


「あ~あ、颯太が持って帰ってくれたら良いんだけど…」


 彼は中学時代からの知り合いなので地元は同じ。ただ高校へは親戚の家から通っているので通学は別々。


 そして親戚の家に下宿する際に部屋に大量に隠していたエロ本の処分に困ったらしい。どうするか悩んだ挙げ句、預かってくれと頼んできたのだ。問題はその量よりも中身。妹や人妻物が数多く紛れ込んでいた。


「ん?」


 椅子をクルクル回転させていると扉をノックする音が聞こえてくる。廊下から呼びつける音が。


「はいはい、今開けますよ~」


 隣の部屋にいる妹が遊びにでも来たと予測。立ち上がって素直に応答した。


「……え」


「下……来て」


「は?」


 しかしドアを開けた瞬間に全身が硬直する。立っていたのが数時間前に理不尽な暴力を振るってきた同居人だったので。


「ちょ、ちょっと!」


 彼女は小さく言葉を発すると早歩きで階段へ。そのまま素早い身のこなしで下りていった。


「なんなんだ…」


 もしかしたら謝ろうとしているのかもしれない。さすがに申し訳なくなってきて。


 頭の中で様々な状況をシミュレーションしながら後を追いかける。前を行く背中に続いて客間へと入った。


「アンタ、夕方のこと誰にも言うんじゃないわよ」


「え?」


「バラしたらアンタの秘密もバレる事になるんだからね」


「ぐっ…」


 開口一番に彼女がタメ口で話しかけてくる。口論を再開するかのような台詞を。


「アンタは私にセクハラした。そして私はアンタに暴力を振るってしまった」


「は、はぁ…」


「この事実はお互いにとってデメリットにしかならないわけ。分かる?」


「……はい」


「だから絶対に誰かにバラしたりなんかするんじゃないわよ」


 要するにトイレで起きたハプニングやコスプレの件を黙っていろと主張したいらしい。秘密裏に持ち出された契約だった。


「返事は?」


「へ?」


「黙ってないで何か言いなさいよ。カカシみたいにボーっと突っ立っちゃってさ」


「カカシって…」


 なぜあの優しそうな女性がこうも高飛車に変わってしまうのか。本当に同一人物なのかと疑わずにはいられなかった。


「別に元々バラしたりするつもりなんかないよ」


「……あっそ」


「あのさ。君、本当に華恋さん?」


「はぁ? 何言ってんの、アンタ」


 質問に対して呆れたような表情が返ってくる。口を歪めた顔付きが。


 もしかしたら彼女は誰かと心が入れ替わってしまったのかもしれない。そのような事が起こらない限りこの奇妙な状況が納得出来なかった。


「だって昨日までと全然様子が違うし、口調も声質も別人っていうか」


「初対面の人にこんな態度出来る訳ないでしょ」


「猫被ってるって事?」


「違うわよっ! 場に合わせてるだけでしょうが。アンタは親と喋る時と先生に喋る時と同じ口調なわけ!?」


「そ、それは…」


 もちろん自分だって目上の人と話す時は敬語を使う。同級生でも初対面の人に対しては馴れ馴れしい言葉なんか使ったりしない。


「いや、だからって様変わりしすぎだよ。昨日はあんなに優しかったのに」


「アンタがデレーッとした顔付きしてた事だけは覚えてるわ」


「なっ!?」


「女の子に免疫ないわけ? 話しかけられただけで狼狽えちゃってさ」


「う、うるさいな。人見知りなんだから仕方ないじゃん!」


 指摘の言葉で負の感情が蘇ってきた。憎しみにも近い苛立ちが。


「ちょっと、あんまり大きい声出さないでよ」


「あ…」


 論争中に慌てて口を塞ぐ。失態をごまかすように。


「聞こえてないよね…」


 廊下へと出てリビングの様子を窺った。どうやらテレビの音でかき消されたらしい。


「大丈夫。誰も反応してなかった」


「……ったく。気をつけてよね、本当に」


「君のせいだよ…」


 再び客間へ戻ると睨み合いを開始する。同時に視界の隅に見慣れないダンボール箱を発見した。


「何これ?」


「ん? 私の着替え。覗くんじゃないわよ」


「あぁ、そっか。今日届いたんだね」


 前に住んでいた家から送った荷物との事。あのフリフリ衣装をどこから持ってきたのか不思議だったが謎が解けた。


「用件ってそれだけ?」


「……そうよ」


「な、ならもう部屋に戻っても良いかな」


 コスプレの事を黙っておけば良いのだろう。エロ本や痴漢行為の件をバラされたりしたら困るから言うつもりはない。振り返って襖の取っ手に手をかけた。


「あっ!」


「ん?」


「そ、その…」


「まだ何か用?」


「手……怪我させちゃってゴメン」


「あぁ、コレか」


 戸を開けようとしたタイミングで呼び止められる。彼女の口から飛び出したのは意外にも謝罪の言葉だった。


「別に血は出てないよ。ただアザになっただけだから」


「そ、そう。なら良かった」


「まぁ痛い事に変わりはないんだけど」


 無事をアピールするように手首を動かしみせる。申し訳なさそうにしている対話相手に向かって。同時にある疑問が浮かんだので尋ねてみた。


「ねぇ、さっきコスプレしてたキャラってツンデレなの?」


「はぁ?」


「いや、何でもないです」


 どうやら違うらしい。返ってきたリアクションから勝手にそう推測。


「あっ、そうだ」


「ん?」


 退出しようとしていた足の動きを再び止める。今度は自ら話題を切り出した。


「この前は泥棒扱いしちゃってごめんね」


「……あ」


「知らない人がいきなりトイレにいたものだからビックリしちゃって」


「う、うん…」


「君が冷静に事情を説明しようとしてたのに全く聞く耳を持たなかったのは悪かったなぁと、ずっと思ってたんだ」


 気に悩んでいた無礼をようやく言葉に表す。謝罪をしたかったのは彼女だけではない。自分もだった。


「本当にごめんなさい。なんて失礼な事してしまったんだろうと後から凄く後悔しました」


「あ、あれは別にアナタが悪い事した訳じゃないし…」


「それと胸も触ってしまってすいません」


「……は?」


「ついでに言うとトイレに入ってきた時の事を気にしてるみたいだけど大事な所は見えてなかったんで大丈夫ですよ」


「あ?」


「ま、まぁワザとやった訳じゃないから仕方ないですよね」


「ぐっ…」


 ヘラヘラと笑いながら言い訳を展開する。同じようなリアクションをとってくれかと予想したが返ってきたのは目尻をピクピクと痙攣させた表情だった。


「……あはは」


 もしかして地雷を踏んでしまったのかもしれない。謝るつもりが反対に怒らせてしまったらしい。


「し、失礼しましたっ!」


 室内に気まずい空気が流れる。同時に殺気のようなオーラも。


 襖を開けると逃げ出すように隣の部屋へと移動。大急ぎで自室に避難した。

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