二十一日目(日) 夕暮れ時の別れと出会いだった件

「ふー。やっと終わったー」


 面倒だった課題の一つが終わったことで、夢野が大きく身体を伸ばす。俺も一緒になって進めていたのは英語で書かれた薄い副読本、サイドリーダーの翻訳だ。

 長期休みに入る度に出されている厄介な課題だが、今回の物語はゴールデンウィークという短い期間であるため比較的文章が少なめ。その内容も男が時計を売って彼女の髪に合う櫛を買ったら、彼女は髪を売ることで男の時計に合う鎖を買っていたというすれ違い系ラブロマンスであり割と読みやすかった。


「日も沈み始めてきたし、そろそろお開きにするか」

「そうだね。米倉君のお陰で、すっごく進んじゃった。本当にありがとう」

「おう。どう致しまして」


 外が暗くなってからでは何かと危ないだろうし、のんびりしていると母親や梅が帰ってきて色々と面倒になる可能性もあるため、立ち上がると帰り仕度を始める。

 勉強以外に卒アルとティータイム、そして相性診断と色々挟んだ結果、時間潰しの方法を考えていたことが無駄に思えるくらいあっという間に時間が過ぎていった気がした。


「そういえば夢野は専門学校って言ってたけど、その場合センターって受けるのか?」

「ううん。私はAO入試と推薦入試で、もしも駄目だった場合は一般入試かな。来月には願書受付も始まるし、試験も早かったら八月から十月くらいには終わっちゃうかも」

「八月っ? 随分と早いんだな」

「入試って言っても面接と書類審査のところが多くて学力試験のあるところは少ないし、早く終わる分だけ楽できちゃう感じかな」

「いやいや、それでも大変じゃないか?」

「ううん。私なんかより、米倉君の方が比べ物にならないくらい大変だと思うよ? 国立ってなると、五教科全部勉強しなくちゃいけないんでしょ?」

「私立なら三科目で済むんだけどな。まあ、正直に言って中々にしんどかったりするよ」


 国語は現・古・漢の全て必要であり、特に厄介なのは古文。英語同様に単語なり文法を覚えていなければ何一つわからないため、今は姉貴のお下がりの語呂で暗記する参考書を読み始めている途中だ。

 数学もセンターならⅠ・AとⅡ・Bだけだが、二次試験となると数Ⅲも必要。数Ⅲは学校の授業で学んでいる基本でさえ数Ⅱと比べて段違いに難しいのに、そこから更に応用問題となってくると数学が得意な俺でも解ける気がしない。

 英語の大変さは最早言うまでもなく、更にのしかかってくるのは物理と化学と現代社会。一年や二年の勉強をサボったツケが回ってきており、この辺りは一から勉強をし直していると言っても過言ではない状態だったりする。


「よしよし。頑張れ頑張れ」


 大きく溜息を吐いて肩を落とすと、夢野が背伸びしつつ優しく頭を撫でてくれた。こうしているだけで心が癒され、頑張る意欲が沸いてくる。魔法の撫で撫でと名付けよう。


「サンキュー。ちょっと元気出た」

「ちょっとで足りる?」

「充分だ。夢野は大丈夫か?」

「うーん……それじゃあ、私も分けて貰っていい?」

「おう」


 俺は少女の頭を撫で返そうと腕を伸ばす。

 しかしながら夢野は、俺の身体へ絡みつくようにギュッと抱きついてきた。


「っ?」


 思わず倒れかけるが、姿勢をしっかりと維持する。

 夢野はそのまま俺の胸元へ頭を埋め、心音を聞くかの如く耳を当てた。


「米倉君、凄くドキドキいってる」

「そりゃ……まあな」

「相性診断で刺激がないって書いてあったけど、これなら大丈夫そうだね」

「寧ろ刺激がありすぎだっての」


 苦笑いを浮かべつつ、夢野の頭にそっと触れる。

 そしてサラッとしている綺麗な髪の線に沿って、何度かに渡って優しく撫でた。


「ふー。充電完了♪」


 やがて夢野は離れると、ニコッと可愛い微笑みを見せる。

 ハンドバッグを肩に掛け再びπスラッシュモードになった少女の胸元に甘えたい気持ちをグッと堪えつつ、忘れ物が無いか確認した後で階段を降りると玄関へ向かった。


「お邪魔しましたー……って、米倉君。無理しないでいいってば」


 父親は未だに寝ているらしくリビングからの反応はなし。靴を履いて外に出た夢野の後に続くと、俺の足を心配した少女が慌てて静止を促す。


「大袈裟だっての。そもそも帰り道、ちゃんとわかるのか?」

「うん。バッチリ! 私は大丈夫だから、ゆっくり休んで」

「了解。まあもしも道に迷った時は、また連絡してくれ」

「だーかーらー、迷わないってばー」


 頬をぷく―っと膨らませた後で、夢野はクスッと笑う。

 俺は門扉に寄りかかりつつ、そんな可愛い友人に手を振り見送った。


「今日は本当にありがとう。それじゃあ、またね」

「ああ。またな」


 笑顔で手を振り返した後で、夢野は去っていく。

 角を曲がり姿が見えなくなったところで、俺も家に戻ろうとした。


「――――?」


 瞬間、足を止める。

 ふと視界の端に映った人影を、慌てて二度見した。

 はす向かいの家の二階……網戸で防いですらいない、開きっぱなしの窓。

 そこにいた気がする幼馴染の姿は、今はどこにも見当たらない。




 ――ガララララララ――




 時刻は夕暮れ時であり、別の家が雨戸を閉めている音がする。

 阿久津家の窓は、まさにその作業の途中であるかのように見えた。

 まるで雨戸を閉めようとした際、何かを見て中断した……そんな感じだ。


「…………」


 俺の考え過ぎだろうか。

 黙って眺めていたものの、阿久津が現れる気配はない。

 そもそも仮に見られていたとしても、別に隠すようなことでもない筈だ。

 …………それなのに、どうしてだろう。

 心のどこかで幼馴染のことを気にしつつも、俺は家に戻るのだった。

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