三日目(金) 問題はこれでおしまいだった件

 クリスマス。

 それは俺の人生において、未来が大きく変化した一日だったんだと思う。

 小学校最後に訪れた悲劇のクリスマスを忘れていたなんてことはない。あの日に夢野や望ちゃんと出会っていたことを、俺はしっかりと覚えていた。

 問題なのはそれが頭の中から消してしまいたいような苦い記憶だったということ。二人との遭遇以上に親の怒りが印象強く残っており、思い出そうとする機会はなかった。


「パパはね、癌だったの。判明した時にはステージ4って言って、一番重い状態でね。夏の始めにいきなり倒れてから、四ヶ月くらい入院したんだけど駄目だったんだ。ある日突然コロっと元気になったりしないかなって、望と鶴を折りながらずっと思ってた」

「…………」

「私はお母さんが頑張って働いてる姿を見て甘えていられないって思ったんだけど、望はお葬式が終わった後も夜になる度に布団の中でずっと泣いてばっかりだったかな」


 ぼんやりと光っている滑走路の誘導灯を眺めながら、夢野は静かに語る。

 望ちゃんが泣いていた理由を、当時の俺は知る由もなかった。

 しかしながら梅の日記を見て思い出した際、夢野の旧姓が土浦だったこと……そして家にお邪魔した際に見てしまった父親の仏壇が脳裏によぎったのは言うまでもない。

 そんな俺の仮説が正しかったと証明するように、夢野は話を続けた。


「あの日はお母さんからクリスマスケーキのための買い物を頼まれててね。でもコンビニの中に入った辺りで、望がパパのことを思い出しちゃって泣き出しちゃったの。あそこのコンビニ、よくパパと一緒に行ってたんだ」

「そうだったのか」

「うん。パパがタバコを買う時について行くと、私も望もお菓子とかアイスとか色々買って貰えたりしてね。本当に優しくて、笑顔の絶えない人だったかな」

「…………使うか?」

「ううん。大丈夫」


 夢野の声が震えていることに気付き、俺はポケットからハンカチを取り出す。

 しかしながら少女は首を横に振ると、軽く目元を拭ってから涙を堪えるように大きく深呼吸した。


「にゃんこっちを貰ってからね、望は夜に泣かなくなったの。まるで魔法でも掛けられたみたいに、泣き顔が笑顔に変わってね。お母さんもビックリしてた」

「そうか。それなら良かったよ」

「米倉君は犬の方が好きで梅ちゃんは猫が好きだって知った時に、もしかしたらって思ったんだけど、やっぱりあのにゃんこっちは梅ちゃんのだったんだね」

「ああ。まあ最初はギャーギャー騒いでたけど、最終的にわんこっちで満足してたよ」

「望の我儘で梅ちゃんが楽しみにしてたクリスマスプレゼントを貰っちゃって本当にごめんなさい。あの頃と今じゃ値段も違うかもしれないけど……」

「別にいいって。さっきも言ったけど俺が払った訳じゃないから実質0円みたいなもんだし、そもそもお返しなら手作りの可愛い猫と犬を充分に貰ってるからな」

「でも――」

「いいから。サンタさんだって現金はプレゼントしてくれないぞ?」


 夢野が差し出してきた二千円札を、俺は受け取ることなく丁重に断り返却する。もしも梅の奴が事情を聞かされ渡されたとしても、きっと同じように答えた筈だ。


「それに今でも大切に育ててくれてるくらいなんだし、にゃんこっちも望ちゃんで良かったって喜んでるって。仮に梅の手に渡ってたら、今頃は埃をかぶってただろうからさ」

「米倉君……ありがとう」

「お礼なら五年前に聞いてるっての」


 俺が冗談交じりに答えると、夢野はクスっと笑う。

 彼女が俺を慕っていた理由はこれが全てだ。

 幼稚園に始まり、小学三年生、そして六年生と三度に渡り行われた救済。そのいずれも意図していたものではなく、適当な行動が偶然にも少女を救ったに過ぎなかった。


「しかし俺の顔って、子供の頃からそんなに変わってないか?」

「そんなことないよ?」

「でも夢野はあの時、俺を見て気付いたんだろ?」

「ううん。面影が少し残ってただけだったし、もしかしたらって思ったくらいかな。仮に違う人だったとしてもちゃんとお礼がしたかったから、また会えないかと思って事あるごとにコンビニへ行ったりもしたんだけどね」

「そうだったのか。何か悪かったな」

「私が勝手に待ってただけだから、謝る必要なんてないよ。結局あの時に渡してくれた相手が米倉君だったって確証が持てたのは、高校生になってからだったかな」

「ああ、コンビニで会った時か」

「ううん。実は夏じゃなくて、一年生の冬休みに入るちょっと前くらいだったの」

「一年の冬?」

「さて、問題です。どうして私は米倉君だとわかったでしょうか?」

「うーん……そう言われてもな。何かヒントとかないのか? ほら、今回は何円だとかさ」

「ふふ。金額はちょっと分からないかな。ヒントは今も米倉君が身に付けている物です」

「今も身に付けている物?」


 そう言われるなり、自分の身体を確認してみる。

 今の俺が身に付けているものと言えば、学生服に靴下と靴。それと手袋に…………。


「もしかして、マフラーか?」

「正解♪ そのマフラー、あの日も付けてたよね?」

「あー。確かに言われてみれば、そうだったかもな」


 冬にしか使わない上、多少身体が成長したところで首に巻く分には問題ない。そんな理由で幼い頃から使い続けていたマフラーが、思わぬ証拠に繋がったようだ。


「だからクリスマスプレゼントとして、梅ちゃんに羊毛フェルトの猫を作ったの。そうしたら大晦日に米倉君が300円のことを思い出して、本当ビックリしちゃった」

「じゃあ仮にもう少し早くチョコバナナのことを思い出してたら、2079円のことは言わないまま終わりだったかもしれないのか?」

「うん。望に聞いても覚えてないって言うし、もしも別人だったら大変だったかも。クラクラが米倉君だって確証は、コンビニで会った時すぐにわかったんだけどね」

「ん? 何でだ?」

「アルバイトを始めたばっかりの時、駄目元で店長さんに聞いてみたの。ここのコンビニに、よく桜桃ジュースを買っていく学生さんとか来てますかって」

「へー。そんなに買ってはいないんだけど、覚えられてたのか。何か恥ずかしいな」

「ふふ。そういう意味でも、やっぱりあそこは思い出のコンビニかな」

「そうか」

「…………」

「………………」


 全ての答え合わせが終わると、お互いに口をつぐみ静かな時間が流れていく。

 言わなければならないことがあるんじゃないのか?

 黙っていては何も始まらないだろ。

 頭の中では理解しているものの、いざ言葉に出そうとすると出てこない。


「……………………」

「…………………………」


 これ以上ない絶好のシチュエーションを前にして、小心者の俺は何もできなかった。

 やがて夢野はゆっくりと息を吐きつつ、大きく身体を伸ばす。


「あーあ。終わっちゃった」

「え?」

「私がここまで頑張ってこれたのは米倉君のお陰だって伝えることもできたから、意地悪な問題はこれでおしまい。本当、迷惑だったよね?」

「い、いや、そんなことないし……寧ろこっちこそ色々と忘れてて本当に悪かった」

「ううん。それが普通だと思うし、こうして思い出して貰えたから。それにもしかしたら米倉君だって、私が忘れちゃった昔のことを覚えてたりするかもしれないよ?」

「そうしたら、今度は俺が問題を出す番になったりしてな」

「ふふ。そんな風になったらいいな」


 長い時間を掛けて離陸準備をしていた飛行機が、ようやく速度を上げて動き出す。

 光の道を走り抜け夜の空へと跳んでいく中、夢野は小さな声で呟いた。


「…………今まで付き合ってくれて、本当にありがとう」


 何故だろう。

 お礼を言う少女の姿が、俺にはとても儚く見えた。


「それじゃあ、そろそろ帰ろっか」


 夢野はくるりと背を向けて歩み出す。

 無意識だった。

 その後ろ姿を見て、反射的に腕が伸びる。

 気が付いた時には、去ろうとする少女の手を握りしめていた。


「どうしたの?」


 夢野が不思議そうにこちらを振り返る。

 自分でも、何がしたかったのかはわからない。

 思考と行動の矛盾に驚き、慌てて手を離すと戸惑いながら口を開く。


「あ……えっと……悪い。何て言うか、その……あ、明後日の日曜って空いてるか?」

「えっ?」

「ほ、ほら。前に話してたプラネタリウムとか……夢野と一緒に行ってみたくてさ」


 その言葉に嘘偽りはない。

 唐突な俺の誘いに、夢野は驚いた表情を浮かべていた。

 そしてちょっと待ってねと手帳を取り出すなり、日曜の予定を確認する。


「うーん……来週の日曜と再来週の土日はバイトが入ってるからちょっと厳しいかも。その次の日曜日……十三日なら大丈夫なんだけど、そこでもいいかな?」

「全然オッケーだ! じゃあこの近くでどこか良い場所があるか、調べておくから!」

「ふふ。ありがと。それじゃあ、楽しみにしてるね」


 手帳を閉じた少女は嬉しそうに微笑む。

 美しい夜景をバックにしたその笑顔は、かつてない程に綺麗で可愛かった。

 俺が見惚れる中、夢野は歩み寄ってくる。

 目と鼻の先の距離まで顔を近付けると、透き通るような声で囁いた。


「…………大丈夫だよ」


 そしてそのまま身を乗り出す。

 いつものように唇を人差し指で優しく抑えられるのかと思った。

 しかしながら、触れたのは俺の唇ではない。

 ましてや、少女の指でもない。




「――――――」




 触れ合ったのは頬と唇。

 背伸びをして顔を傾けた少女が、俺の頬に口づけをしていた。


「あの時は離ればなれになっちゃったけど、今度は一緒でしょ?」


 唇を頬から離した後で、夢野は真っ直ぐに俺を見つめる。

 そして幼い頃を彷彿とさせるように、優しく笑ってみせるのだった。




「私はどこにも行かないから、大丈夫だよ」

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