三日目(金) 俺の彼女が0円だった件

『うん。貰ったのは確かなんだけど、はっきりとした金額のわからないものだから』


 一年前の元旦、夢野は2079円という金額を口にする前にそんなことを言っていた。

 結論から言うと、この金額は間違っている。

 それなら正しい値段はいくらだったのかと言えば、俺はこう答えるだろう。


「当たったとしても受け取れないっての。実質0円だったからな」


 そう、あれは今から五年前の話になる。

 俺と夢野の……いや、土浦蕾の最後の出会いは、小学六年生のクリスマスだった。




 ★★★




『グーパーグーパーグゥーパァ!』


 冬休みが始まって二日目の今日はクリスマスイブ。めっきり冷え込む曇り空の下、窓の外ではこれから行われるリレーのためのチーム分けをしている声がする。

 メンバーのリーダー的存在になっているのは、最高学年かつ通学班の班長でもある阿久津。同じ学年だったものの面倒見が良くない俺は中心になることもなく、通学班も高学年がいない少し離れた区域の班長をさせられていた。


「位置に着いて~っ? よ~いっ! どんっ!」


 阿久津の元に集まった近所の子供達の中には、当然ながら梅の奴もいる。

 姉貴が中三となり高校受験を控えている今、我が妹の遊び相手はすっかり阿久津となっており、今日も外で姿を見つけるなり即座に家を飛び出していったくらいだ。

 別に遊ぶ約束をした訳でもないのに誰か一人が外で何かしらしていると、それを見て二人、三人と次々に人が集まってくるのだから近所というのは本当に不思議である。


「…………」


 そんな風の子達が天真爛漫に遊ぶ一方で、俺は一人ゲームに勤しんでいた。

 遊んでいるゲームは専ら一人用のRPGばかり。梅の奴とレースゲームや格闘ゲーム、パズルゲームで対戦することも時にはあったが、大抵は俺がボコボコにしてしまうため最近は誘っても断られるようになってきている。

 逆に俺が外に出て遊ぶ時があったかというと、人数合わせとして呼び出されでもしない限り稀な話。それこそ梅と一緒にゲームをするくらいの頻度と同じくらいだった。


『ピロリロリロピロリロリロピロリロリロピロリロリロ!』


「えっ? あっ! タマが成長するっ!」

「本当っ?」

「見たい見たい!」

「あーっ! マンチカンだーっ!」

「本当かい? ボクのアルカスと同じだね」

「いいなー」


 その一方で社会現象になるほど爆発的な人気を誇っていたのが、キーチェーン型の小型育成ゲーム。特に数年経った後も人気が続くことになる携帯ペット『わんこっち』と『にゃんこっち』シリーズの第一弾は、まさに一世を風靡していた。

 ブームになったきっかけは口コミだけじゃなく、影響力の強かった芸能人が有名番組で紹介するといったマスコミの影響も相俟ってのこと。テレビでは徹夜で店に並ぶ姿が放送されていたくらいである。


「あ~あ~。梅もにゃんこっち欲しかったな~」

「誕生日プレゼントで買って貰えるんじゃなかったのかい?」

「サンタさんが持ってきてくれるかもしれないって」


 俺が小4の頃にはもうサンタの正体を知っていたが、ウチのアホな妹は未だにサンタを信じているらしい。去年とか某有名玩具量販店のシールが貼ったままだったのに気付かない辺り、本当に間抜けとしか言いようがないな。

 梅が誕生日プレゼントで買って貰ったのは、スケートボードだかブレイブボードだか、そんな感じの物だった気がする。今になって思えば誕生日プレゼントがにゃんこっちじゃなかった理由は、親が俺のことも配慮していてくれたからなのかもしれない。

 最早わんこっちやにゃんこっちを持っていることは一種のステータス。梅ほど欲していた訳じゃないものの、貰えるとなれば何だかんだで俺も心の底では楽しみだった。


「それじゃ、バイバ~イ!」


 やがて日が暮れて夜になると、今年こそサンタを見たいと梅がはりきり始める。同じ部屋である姉貴も大変だなと思いきや、当の本人はノリノリで応援していた。

 親からしてみても、こういう反応の方が微笑ましいのかもしれない。ただし小学六年生にもなると、クリスマスは物を貰える日で正月は金を貰える日というクソ生意気な考え方をするようになってくる。

 クリスマスも現金がいいなんて言い出すようになっていた(当然ながら親には却下された)俺は、梅の発言を馬鹿らしく思いつつベッドの中で瞼を閉じた。


「…………?」


 そして普段通り、クリスマスの朝を迎える。

 てっきり現物が来るものとばかり思っていたが、枕元に置かれていたのはわんこっちの引換券。もしかしたら仕事が忙しくて、交換に行く時間がなかったのかもしれない。

 当然ながら妹の枕元にも同様の引換券が置かれており、今朝は念願のにゃんこっちが手に入る喜びからテンションマックスで騒々しいに違いない……そう思っていた。


「櫻。朝御飯できたから、桃を起こしてきてくれる?」

「あれ? 梅は?」

「和室で寝かせてるけど、インフルかもしれないから入っちゃ駄目よ」

「へー」


 昨日の遊びが原因か知らないが、今朝になって梅は熱を出してしまったらしい。仕方ないのでアイツの分の骨付き肉とクリスマスケーキは、俺がありがたく食べておいてやろう。


「そうそう。櫻にちょっと頼みがあるんだけど、わんこっちを取りに行く時にこれもお願いできる?」


 朝食を食べた後で母親に呼び止められるなり、にゃんこっちの引換券を渡される。病は気からと言うし、熱が下がったら遊んでいいとか言えばすぐにでも回復しそうだ。

 母親から命を受けた俺は風邪をひかないようにマフラーと手袋を装着し、寒さ対策を万全にしてから二枚の引換券を手にして家を出た。


 例えクリスマスだろうと、平日ならば冬休み中でも学校に行く父親。

 仕事が休みだったものの、豪華な夕飯を準備するため忙しかった母親。

 米倉家の中では最初の受験生であり、入試が近づき勉強に勤しんでいた姉貴。

 本来なら取りに行く筈だったものの、風邪を引いてしまった梅。


 そんな一つ一つの要素が折り重なったからこそ、俺は一人でコンビニへと向かう。

 仮に誰かしらと一緒だったなら、間違いなくこんなことにはならなかっただろう。


「――――えぇぇぇええええん」

「?」


 念願のわんこっちとにゃんこっちを手に入れた後でコンビニを出ると、入る時には聞こえなかった泣き声がどこからともなく聞こえてくる。


「そうやってずっと泣いてるなら、もう知らないからねっ!」


 続けて聞こえてきたのは、少女の怒声だった。

 何かと思い様子を見に行ってみれば、コンビニの裏で膝を抱えて泣きじゃくっている女の子が一人。そして買い物袋を片手に早歩きで去っていく人影が遠くに一つある。


「ひっく……えぐっ……うぇぇえええええええええええん」

「…………どうしたの?」

「うあぁぁあああ……あぁぁあああああああああああん――――」


 放ってもおけず声を掛けてみるが、女の子は顔すら上げてくれず泣き続ける。

 隣に腰を下ろした俺は「友達と喧嘩した?」とか「お母さんに怒られた?」と色々聞いてみたものの、全くもって答えてもらえなかった。


「…………っく……ひっぐ……」

「うーん……あっ! ちょっと待っててね」


 どうしたものかと悩んでいると、ふと手に持っていた育成ゲームの存在を思い出す。

 わんこっちは自分で育てたいが故に、俺は梅の分であるにゃんこっちを開封。所詮は小学六年生であり、自分のゲームを渡すなんて聖人君子みたいな精神は流石に持ち合わせていなかった。


『ピー』


「…………?」


『ピッ。ピッピッピッピッピッピッピッピッ。ピッピッピッピッ――――』


 自転車の鍵に付けていたキーホルダーを使って裏側の凹みにあるリセットスイッチを押してから、コンビニの中の時計を覗き見て大体の現在時刻を設定し終える。

 そしてゲームを始めると、画面の中には空を飛んでいるコウノトリの姿。そのくちばしには何かが包まれた風呂敷を咥えており、ゆっくりと左から右へ移動していく。


「…………」


 聞き慣れない電子音を耳にしてか、はたまた泣き続けて感情が収まってきたのか。蹲り鼻をすすっているだけだった女の子がようやくチラッと顔を上げた。

 どうやら俺が手にしているにゃんこっちに興味があるようで、食い入るようにジーっと眺めている。しかしながら俺が視線を向けると、また隠れるように顔を伏せてしまった。


「一緒にこれで遊ぼっか?」

「!」


 にゃんこっちを差し出しつつ声を掛けると、女の子は再び顔を上げる。そして縦にも横にも首を振ることはないまま、黙ってにゃんこっちを受け取った。

 大事そうに両手で握り締めると、画面の中を飛んでいくコウノトリを黙って見つめる。


「…………?」


 少しして女の子は、画面下に付いている三つのボタンを順番に押した。

 しかしながら、コウノトリは一切の反応を示さない。


「確か届くまで少し待つ必要があるって言ってたような」

「…………」


 友達から話を聞いたり、それなりに操作をしたこともあるため知識だけはある。

 説明書なんて一切読もうとせず女の子と一緒になって画面を凝視する中、コウノトリが卵を届けるまでの時間は五分と掛からなかった。


『ピリピリピリピリピリピ!』

「!」

「あっ! 届いたっ?」

『ピピーッ! ピピーッ! ピピーッ!』

「えっとね、そうしたら左のボタンで御飯を選んで、真ん中のボタンで決定して…………ああ、行き過ぎ行き過ぎ。右のボタンで戻って戻って」


 風呂敷の中から現れた幼い猫は、早速御飯をねだって鳴り始める。画面上部と下部には食事やゲーム、注射にトイレといった各種アイコンがあり、用途に応じて選択する形だ。

 返事こそしないものの、女の子は言われるがままボタンを押す。まずは食事ということで小さな魚を与えると、幼猫はパクパクと食べていった。


「!!」


 それを見た女の子は次から次へと魚を食べさせるが、幼猫はあっという間にお腹いっぱいになってしまう。すると今度はおやつ代わりのキャットフードを食べさせ始めた。


「食べさせてばっかりじゃなくて、ゲームでも遊んであげないと」

「…………?」

「ちょっと貸してみて」


 そう言って腕を伸ばすも、女の子は「やー」と俺の腕から逃げる。

 仕方ないのでゲームで遊ぶ方法を口頭で伝えると、ちゃんと指示には従ってくれる様子。

無事にゲームの遊び方を理解したらしく、幼猫とのあっち向いてホイが始まった。


『ピーリーリーリーリ、リーピリッピリッピリッピリッピ! プープー』

「…………」

『ピリッピリッピ! ピロリンッ♪」

「!」


 外れた時はムッとした表情を浮かべ、当たった時はパァッと笑顔になる。

 隣で見ていた俺も遊びたくなり、わんこっちを開封させると時間を設定した。


『ピーリリーリリー。ピロリンッ♪』


 その後も女の子は御飯を食べさせては遊んでを繰り返す。

 幼猫は時にうんちをしたり、また時には病気になったりもした。


『ピピーッ! ピピーッ! ピピーッ!』

「…………ドクロ……猫ちゃん、死んじゃうの……?」

「大丈夫だよ。そういうときは、注射を打ってあげれば治るから」

「本当っ?」


 徐々に操作にも慣れてきた女の子と、少しずつ言葉を交わすようになる。

 俺は時々口を挟みつつ、コウノトリによって届けられた幼犬を育て始めた。


「寝ちゃった……」

「そうしたら、電気を消してあげなくちゃ」


 コンビニ裏の地面に腰を下ろしたまま、にゃんこっちに夢中になること約三十分。女の子と戯れていた幼猫は『ZZZ……』という吹き出しと共に眠りにつく。

 幼猫でやることがなくなってしまった女の子は俺のわんこっちの画面を覗いてきたが、こちらもこちらでお腹ゲージと御機嫌ゲージが共にマックスでやることがなかった。


「そういえば、どうして泣いてたの?」

「………………パパ」

「パパ? お父さんに怒られたの?」


 女の子は黙って首を横に振る。

 そして小さく体育座りをすると、目元を潤ませながら俯き気味に呟いた。


「パパ……パパに会いたい……」

「お父さんが、どこか遠くに行っちゃったの?」


 女の子は黙って首を縦に振る。

 俺はその言葉の意味を、単身赴任や出張と履き違えていた。


「パパ……ひっく…………」

「あぁっ! 変なこと聞いてゴメンね! もう泣かないで!」

『ピピーッ! ピピーッ! ピピーッ!』

「あっ! ほらっ! 起きたみたいだよっ?」


 女の子は今にも泣き出す寸前だったが、電子音を耳にするなり服の袖で目元を拭う。

 迂闊に事情も聞けない俺は、タイミングを見計らってにゃんこっちを返してもらおうと画策していたものの、女の子の気が済むまで待つことにした。


『ピロリロリロピロリロリロピロリロリロピロリロリロ!』

「えっ?」

「あ! 大きくなったね!」

「わぁーっ!」


 ゲームを始めて一時間くらいが経ったところで、幼かった猫が一回り大きくなる。

 自分が育てた猫の成長が嬉しいのか、女の子は目をキラキラさせていた。

 そんな中、俺達の元へ足音が近づいてくる。


「良かった……まだここにいた……」

「あっ! お姉ちゃん!」


 コンビニの陰から現れたのは、息を切らしているポニーテールの少女だった。

 それを見るなり女の子は立ち上がると、育て上げたにゃんこっちを握り締めつつ駆け寄る……が、目元を赤くさせた少女はその小さな身体を大事そうに抱きかかえた。


「お姉ちゃんと一緒に帰ろう。お母さんが美味しいケーキ作って待ってるって」

「本当っ?」

「うん。さっきは怒ってゴメンね」


 少女はゆっくりと身体を放し、女の子の頭を撫でる。

 そしてその小さな手が握り締めていた、小型育成ゲームの存在に気付いた。


「お姉ちゃん見て! 育てた猫が大きくなったんだよ!」

「これって……にゃんこっち? どうして持ってるの?」

「うん! あのお兄ちゃんがくれたの!」

「えっ?」

「えっ?」


 女の子に指を差され、少女と俺は続けざまに驚く。

 あげるなんて口にした覚えは一切ないが、こんな風に言われてしまうと返してくれとは言い辛い。ましてや俺の手元にはわんこっちが残っている。

 それでも別に悪いことは何一つしておらず、素直に事情を説明すれば済む話だった。


「あ、あの――――」

「大丈夫大丈夫! よいしょっと」


 目があった少女が何かを言い掛けるが、俺は平然と立ち上がりパンパンと尻を叩く。

 そしてにゃんこっちの入っていたパッケージを、笑顔の女の子に手渡した。


「はいこれ。もう泣いちゃ駄目だよ? それと、大事に育ててあげてね」

「うん!」

「えっ? で、でも――――」

「いーからいーから」


 同年代の女の子を前に恰好つけたかったのか、はたまたちょっとしたヒーロー気分だったのか。今になって思えば、この時の自分が何を考えていたのか本当にわからない。

 これまで妹のことをアホだの間抜けだのと散々罵ってきたが、所詮は血の繋がっている兄妹。妹以上に馬鹿な兄は、わんこっちを籠に入れると自転車に跨る。

 ただ透き通るような少女の声は、去っていく俺に感謝の言葉を告げていた。


「――――ありがとう――――」…………と。






「ただいまー」

「どこ行ってたの! あまりに遅いから心配になって、桃に探しに行って貰おうと思って……? ちょっと櫻。わんこっちしか持ってないけど、にゃんこっちはどうしたの?」

「逃げた!」


 …………こんなバレバレな嘘で、よくもまあ隠し通せると思ったもんだ。

 俺は過去最大レベルで怒られると共に、ゲーム禁止令を下される羽目になる。育てたわんこっちは取り上げられ、にゃんこっちの代わりとして梅に与えられるのだった。

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