三日目(金) ナマコが引きニートだった件

 楽しかった修学旅行もあっという間に三日目。日の入りが遅い代わりに日の出も遅く、日は出てなくても寒くない沖縄の冬の朝を迎えるのも今日がラストになる。

 葵が事前に沖縄弁でさようならは「ぐぶりーさびら」であると調べていたものの、驚いたことに沖縄の人は同じ島で暮らすためか、さようならをあまり言わないらしい。

 そんな豆知識を最後にオッチャンから教えて貰いつつ、一晩お世話になった一家とお別れ。そして今日の自由行動は葵や渡辺とも違う班のため別行動だ。


「冬雪氏、如月氏、川村氏、オッスオッス!」

「……おはよ」


 俺の班はアキトに加えて、修学旅行でも相変わらず眠そうな目をした冬雪と、無口少女と見せかけた隠れ博多っ娘の如月。そしていつぞや行われた第一印象と違う女子ランキングで、見事第一位に輝いた川村の女子三人を含めた計五人だ。

 現在時刻は午前八時半。開館時刻と合わせて最初に向かった場所は水族館だが、俺達以外にも修学旅行生が多いこと多いこと。屋代の生徒以外も結構来るんだな。


「ではまた一時間半後、十時に集合ということでオナシャス」

「……(コクリ)」


 のんびり見るには若干時間不足だが、リーダーアキトの命により集合時刻だけ確認すると、それぞれが自由に行動を開始……したものの、すぐに五人全員が足を止める。

 三階にある入口から中に入るなり俺達を出迎えたのは『イノーの生き物たち(タッチプール)』と書かれた看板。イノーというのは沖縄方言でサンゴ礁に囲まれた浅い海という意味らしく、そこには貝やヒトデ、ナマコといった浅瀬の生き物達が沢山いた。


「……ヨネ、触ってみて」

「何で俺なんだよ? お前の出番だ、アキト!」

「カカロットォ……カカロッカカロッカカロッカカロットォ……」


 タッチプールという名の通り、ここの生き物は自由に触って良いとのこと。誰もがその見た目に触れるのを躊躇う中、耐性ありのガラオタは躊躇いなく手を伸ばすなり一番ヤバそうなナマコをツンツンつっついた。


「おうふ。何と言うかプニュプニュで、思っていた以上に良い感じですな」

「だそうだ」

「ヒトデの方は……これまた不思議な感触だお。ヘアッ!」


 これといって頼まれてもいないのに、アキトはヒトデを撫でながら感想を述べる。

 お客さんに説明していた解説員のお兄さん曰く、ナマコには目や耳や鼻といった感覚器官が無く、更には脳も無いとのこと。その上、心臓までも無いというのだから驚きだ。


「ナマコ氏……お前はもう死んでいる」

「感覚器官が無いなら、経絡秘孔も無いんじゃないか?」


 ナマコがジッとしたまま動かない理由も、単純に筋肉が無いからとのこと。そもそも動物が動く主な理由は食べ物を探すためだが、ナマコの主食は海底の砂についている有機物や藻類の破片であり、動き回って探さずとも周りは餌だらけという訳だ。


「俺、生まれ変わったらナマコになるわ」

「どう見ても引きニートです。本当にありがとうございました」

「いや待てアキト。単に怠け者なだけで、ちゃんと自給自足はしてるだろ?」


 動物が動くもう一つの理由は捕食者から逃げるためだが、ナマコは栄養のない皮を分厚く硬くすることで食べられることを回避しているらしい。更には身体にホロスリンなる対魚用の毒を持っている上に、しつこい相手には内臓を噴出して防御態勢も取るそうだ。


「逃げるための筋肉を付ければ付けるほど美味しい餌になるなら、逆に自分の魅力を無くせば良いと考えたナマコさん、マジぱねぇっす」

「コイツ、脳みそ無い癖に頭良いな」

「それにしてもこの米倉氏、容赦ない罵倒である」

「……ヨネ」

「ん? 何だ冬雪?」


 如月の操作していたスマホを覗き込んでいた冬雪が、その画面を俺に向けてくる。見せられたのは某ペディア的なネット百科事典のナマコのページだ。


『――――食用になるのはマナマコなど約30種類。寿命は約5―10年』


「…………」

「米倉氏。お前はもう死んでいる」

「……ナマコはナマコで大変」

「はい。すいませんでした」


 充分にナマコ談議も堪能したし、時間も限られているためアキトと共に次なる場所へ移動……しようとしたところで、何やら背後から身体を引っ張られる。

 一体何かと思って振り返ると、俺の制服の裾を冬雪が摘んでいた。


「……ヨネ、持ち上げて」

「はい? 仕方ないな……行け、アキト!」

「ドゥッペレペ……と言いたいところですが、拙者は川村氏と共に新天地へと向かうので、ナマコキャッチャーは米倉氏に任せるお」

「ちょっ? アキトさん? アキト様ー?」


 川村と共に先へと進んで行ってしまう相棒。俺は冬雪&如月と共に残された形となったが、どうにもナマコキャッチャーに挑まない限り冬雪は解放してくれそうにない。

 隣にいる無口少女が助け船を出してくれたりしないかと、淡い期待をしながらチラリと視線を向けてみる。


「…………ても……ぃぃ?」

「ん? 如月さん、どうかしたのか?」

「しゃ…………写真、撮りたか……」

「………………」


 いつもより頑張って声を出したのか、少女が呟いた博多弁は随分と聞きとりやすかった。でも違うんだよ。俺の求めていた台詞はそれじゃないんだよ。

 携帯を大事そうに抱えている如月は、どうやら俺がナマコを掴んでいるところを撮りたい様子。そんな写真を求める理由は意味不明だが、流石に二人から頼まれたら拒否権なんてないようなもんだ。


「はあ……仕方ないな」

「……裏側が見えるようにしてほしい」

「…………」


 撮影対象は俺じゃなくてナマコだったらしい。え……何? 俺ってナマコ以下なの?

 女子二人からカメラを構えられるという傍から見ればモテモテな光景も、その実はナマコファンクラブ会員一号と二号。こんな脳無し引きニートのどこが良いのか、女子高生の人気はいまいちわからないな。


「それじゃ、持ち上げるけどいいか?」

「(コクコク)」


 思わず溜息を吐きたくなるが、どう足掻いてもナマコルートは回避できそうにない。恐る恐るナマコに触ってみると、ブニョーっとした何とも言い難い感触がした。

 そしてそのまま掴むと、指の触れている部分がギューっと硬くなる。アホなマイシスターがいたら「太くて長くて硬い!」とか、また誤解の招きそうな発言を言いかねない物体だ。


「……織部みたいで綺麗」

「そうか? 流石にナマコを陶芸と関連付けるのは無理があるだろ」

「……そんなことない。ちゃんとナマコ釉って釉薬もある」

「マジですか?」

「……マジ」

「ちなみにその釉薬、何色になるんだ?」

「……綺麗な青?」

「なん……だと……」


 まさかナマコが陶芸に関係しているとは思いもしなかった。ナマコを漢字で海鼠と書く理由は夜になるとネズミのように這い回ったり、ネズミの後ろ姿に似ているためと語る解説のお兄さんですら知らない情報なんじゃないだろうか。

 冬雪は持ち上げたナマコをまじまじと眺め、中々見つけにくいらしい口を探し始める。


「しかしそんなことまで知ってるなんて、流石は冬雪だな」

「……陶芸部なら常識」

「いやいや、無茶言うなよ」

「…………うちも……」

「ん?」

「うちも……呼び捨てでよか……」

「え…………のわっ?」


 如月が唐突にそんなことを口にしたため驚き呆然としていると、手にしていたナマコがいきなり白いドロドロした変なものを出してきた。

 それが傍にいた二人の少女の顔に掛かる……なんてエロしか頭にない後輩が考えそうなミラクルが起こる訳もなく、俺は反射的に持っていたナマコを放り投げてしまう。


「あー、ビックリしたー。あれが噂の……スリザリンなのか?」

「……ヨネ、混ざってる。ホロスリンは毒の名前で、今のは防御態勢の内臓の方」

「内臓って……うひーっ!」

「……ルー、写真撮れた?」

「(コクコク)」

「……口の場所、いまいちわからない」


 マイペースな二人をよそに、俺はタッチプール横にある手洗い場へ移動。白いドロドロを洗い流しハンドドライヤーで乾かすと、ハンカチを抱えた如月が背後で待っていた。


「つ、使うて……」

「ん? 良いのか?」

「(コクコク)」

「悪い。えっと……如月? サンキューな」

「(コクコク)」


 言われた通り呼び捨てで呼んでみたものの、特に驚かれたりはしていない様子。高校生活二年目の終わりになって、ようやく少し仲良くなれた気がするな。

 如月にハンカチを返した後で、相変わらずタッチプール前に陣取っている冬雪の元へ。スマホを眺めた後で周囲をキョロキョロと見回しているが、何を探しているんだろうか。


「よし、じゃあ俺達も行こうぜ」

「……まだ駄目。今度はヒトデ」

「いやいや。一時間半しかいられない訳だし、他にも色々と見所はあるだろ?」

「……ヒトデの口の部分が見たい」

「じゃあ俺は先に行ってるから、ゆっくりと『ガシッ』観察して…………」

「……ヨネ、持ち上げて?」

「えっと、そんなに見たいんですか?」

「……見たい」

「冬雪が掴むという選択肢は?」

「……ヨネじゃないと意味がない」

「何でだよっ?」


 一体何をそんなにこだわっているのか知らないが、冬雪は水槽の中にいる一匹のヒトデを指さす。うーん、どう見ても俺にしか掴めない伝説のヒトデには見えないな。

 ヒトデにも色々いるようで、一般的な星型以外にも細長い棒人間みたいなヒトデや、限りなく五角形に近い形をしているヒトデがいるが、どれもナマコ同様に動く気配はない。


「硬いような柔らかいような……何て言うか、ザラっとしてるな」


 これまた解説のお兄さん曰くナマコは約1500種類に対し、ヒトデの種類は約2000種類もいるとのこと。ナマコ同様に脳は無く、身体に流れているのも血管ではなく水管。要するに血液ではなく海水を身体に循環させて酸素を取り込んでいるらしい。

 腕の先端には明るさを判別できる程度の目が付いており、その数は星型なら五つ。中には腕が二十本もあるヒトデもいるそうだが、そこまでいくと最早イカとかクラゲである。


「目がこれで……口は……ここか? いまいち分からん」


 冬雪が見たいと言っていた口は裏側に付いているようで、餌を食べる時には胃を外に出して食べるとのこと。それっぽい場所を見つけはしたものの、合っているかは全くもってわからない。

 如月による写真撮影が再び行われた後で、冬雪が目をキラキラと星にして……というよりは目をヒトデにして感心しながら眺める中、不意に横から腕が伸びてくる。


「口はこっちだね」

「っ?」


 俺の持っていたヒトデを指さしつつ、得意気に答える聞き慣れた声。まさかと思い振り返ってみると、そこにいたのは笑みを浮かべている幼馴染の少女だった。

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