二十日目(日) エレクトーンとスパッツだった件

「あ! ねえ米倉君。ちょっと休憩がてら、聞いていってもいいかな?」

「ん? ああ」


 丁度休みたいと思っていると、タイミング良く夢野からそんなことを口にした。

 大きな校舎の折り返しとなるこの辺りからは、人口密度もグッと上がる。モールの賑わいが一段と増していることもあり、広い廊下の傍らで出し物をしている部活も多い。

 少女が指さしたのは、十個程度の椅子が客席として並べられた小さなステージ。そこにはわざわざ芸術棟の四階から運んできたのか、大きなエレクトーンが置かれていた。


「丁度始まるところみたいだな」

「うん」


 人目の多い廊下ということあってか、座って聴く人はあまりいないらしい。貸し切り状態の椅子に俺達が座ると、背もたれのない椅子に電子オルガン部の少女が腰を下ろす。

 そして演奏を始まった瞬間、俺は思わず息を呑んだ。


「――――」


 声をかき消す大きな音色に、モールを歩いていた人達の視線が一気に集まる。

 例えるなら、たった一人のオーケストラとでも言うべきか。

 二段ある鍵盤の上段で右手がメロディーを弾き、下段では左手が伴奏。そして何より目を引くのは、ステップを踏むようにして華麗にベースラインを奏でている左足だ。


「凄いな……」

「ね」


 エレクトーンの演奏を見たのは初めてじゃない。

 去年と今年の四月に一回ずつ、新入部員勧誘の一環として昼休みにハウスホールで演奏していた時があったが、その時も吹奏楽部に負けず劣らずの大迫力だった。


『パチパチパチパチ』


 やがて一曲目が終わると、周囲で拍手が巻き起こる。俺達のように座って聴いている人は数人増えた程度だが、立ち止まって聴いていた人は割と多くいたらしい。

 背中に波の絵が描かれているクラスTシャツを着た、阿久津ほど長くはない黒髪ロングのエレクトーン少女は、椅子に座り直すと続けて二曲目を弾き始める。


「弾いてる最中に音色が変わったりしてるけど、エレクトーンってどういう構造なんだ?」

「うーん。前にちょっと聞いただけだから私も詳しくは知らないけど、確か事前に音を設定しておいて右足で切り替えるって言ってたかも」

「右足で?」


 確かに足元の鍵盤を弾いているのは左足だけだが、まさか右足まで役割があるとは思わなかった。両手だけでも大変なのに、両足までも使うなんて凄過ぎだろ。

 曲目も某名探偵のテーマや某海賊映画のメインテーマ、某大泥棒三世のテーマ等、知っている曲ばかりだったこともありすっかり聞き入ってしまう。

 ついでに言えばエレクトーン少女の太股と脚線美も中々に魅力的で、その足捌きにも見惚れていると気が付けばあっという間に三十分もの時間が過ぎていた。


『パチパチパチパチパチパチパチパチ――――』


 最後は一段と盛大な拍手で締められ、やがて足を止めていた客が離れていく。

 演奏を終えたエレクトーン少女は、紙パックのジュースを手に取り水分補給。その後で夢野の方を見ると、おっとりした口調で話しかけてきた。


「蕾、来てたの?」

「うん。エリ、恰好良かったよ!」

「ありがとう。そっちのお兄さんは?」

「前に話してた、私の恩人の米倉君」

「へー、そうなんだ。初めまして」

「ど、どうも」


 恩人という紹介にはいちピンとこないが、とりあえず簡単な挨拶をしておく。話している雰囲気から察するに、どちらかというと冬雪みたいな口下手タイプっぽいな。

 顔見知りかつ人見知りだったらしいエレクトーン少女は、夢野と二言三言喋った後でチラリと俺の方を見たかと思いきや予期せぬ提案をする。


「蕾、お兄さんと一緒に写真撮ってあげようか?」

「いいの? じゃあ、お願いしよっかな」


 初対面の上に異性の相手となれば、話すことがないのは当然の話。かといって無視するのもどうかと思った気遣いなのかもしれないが、写真が苦手な俺にとっては逆に心苦しい。

 ポケットからスマホを取り出したエレクトーン少女は、構えながら口を開いた。


「蕾もお兄さんも、もっとくっついて…………はい、チーズ」


 指示に従い身を寄せてきた夢野と二の腕が触れ合う。相変わらずの柔らかさと良い匂いにドキドキしつつ、ぎこちない笑みを浮かべるとパシャリと音がした。


「後で送っておくから」

「ありがと。それじゃまたね」


 エレクトーン少女と別れを告げ、ようやくDハウスへ到着。テーマは教会ということで、中に入るなりパイプオルガンの音色が聞こえると共にセーブできそうな雰囲気が広がる。


「さっきの子、知り合いだったのか」

「うん。同じ中学なの。ほら、私の部屋にあった写真の子。覚えてる?」

「あの子か! 全然気付かなかったな」

「Aハだし語学系だから、学校で会えることはほとんどないんだけどね」


 夢野家の写真で見た時はそばかすが印象的だったが、さっき会った時は全く気にならず。普通に可愛かったし、あの手の『自分にしか心を開かなそうなタイプ』の女子が好きなアキトにとってはストライクかもしれないな。


「DハはD―1のジェットコースターと、D―8の迷路がお勧めだってミズキが言ってたよ」

「火水木が? じゃあ行ってみるか」


 大きな鐘の音が響き渡る中、螺旋階段を下りて一階へ。ハウス内の構造はどこも変わらないが、Cハウスの隣であるDハウスは窓の外の景色すら同じように見える。

 左右に広がるクラスは選り取り見取り。こんなことなら俺もアキトの奴にでもお勧めスポットを聞いておくべきだったかなと思いつつ、D―1とD―8の混み具合を確認した。


「空いてるのは迷路の方みたいだな」

「うん。行こっか」

「おう」


 お勧めされる程の迷路とは一体どんなものなのかと思いつつ、D―8へ向かい並ぶこと数分。俺達の番が回ってくると、入口では何故かペンライトが手渡される。

 先程立ち寄ったブラックライトアートのように窓が覆われているのが気になっていたが、教室を覗いてみれば中は真っ暗。迷路というよりはお化け屋敷のようだった。


「真っ暗だね」

「まあ迷路なんて、普通に作ったら簡単に攻略されそうだもんな」


 ダンボール製と思わしき壁に沿って移動を開始。教室という限られた面積での迷路なんて余裕に感じるが、明るければサクサク進める道も暗くて先が見にくいと慎重になる。


「左と右、どっちにする?」

「うーん、じゃあ左で」

「了解」


 周囲をライトで照らしながら前進していく中で、意外に難しいのか教室のどこかからは「あれ? ここさっき通らなかったか?」とか「出口どこ~?」なんて声が聞こえてくる。

 お化け屋敷のように驚かされる要素がないだけ安心だが、うっかり夢野と逸れるなんてことがないように時折後ろを確認しながら進んでいると徐々に方向感覚が狂ってきた。


「真っ直ぐと右、どっちにする?」

「右はさっき行かなかった?」

「あれ? マジでか。どっちがどっちか、わからなくなってきたな」

「私はちゃんと後についていくから、こっちを振り返って確認しなくても大丈夫だよ?」

「いやいや、そうやって言っておきながらいざゴールに辿り着いたら一人になってましたー……とかいうことになったら笑えないだろ?」

「ふふ。それはそれで面白そうかも」

「入口にいた子とかは間違いなく「コイツは一人でライト持って出てきた薄情者だ」って冷たい目で見るだろうな」


 もしも阿久津や早乙女に知られたらボロクソに言われること間違いなし。まあこうして二人で文化祭を楽しんでいることを知られた時点でアウトか。


「じゃあ、こうしよっか」

「ん……? ――――っ!」


 掌に伝わる、温かく柔らかい感触。

 驚き思わず振り返ると、夢野が俺の手をギュッと優しく握り締めていた。


「ね? これなら大丈夫でしょ?」

「お、おう」


 この前夢野が寝込んだ時にも手は握ったが、あの時とは訳が違う。

 女子と手を繋いで歩くという行為は、男の夢であり大きなハードル……世の中にいる何人もの勇者が、辿り着くことのないまま屍と化した魔の領域だ。

 今までハグされたり腕を絡められたりということはあったが、それとはまた異なる喜びに包まれる。

 繰り返す。

 俺が。

 夢野と。

 手を繋いでいるんです。

 火水木よ……この場所を勧めてくれて、本当にありがとう。


「段差になってるから、足元に気を付けてな」

「うん」


 幸せな気分に浸りながらも、手汗が気持ち悪いとか思われていたらどうしようなんて心配になってきた頃になって、正解の道に辿り着いたのか目の前に階段が現れる。

 四段、五段と上がり頭が天井に付きそうになったところで、最後に待っていたのは滑り台。斜面の先は布で隠されており、どうなっているのかはわからない。


「この先がゴールみたいだね」

「そうっぽいな。とりあえず俺が先に滑るけど、ライトはどうする?」

「そのまま持っていって大丈夫だよ」

「そうか。それじゃ、お先に」


 流石に二人で滑るのは無理なので、名残惜しいが繋いでいた手を離す。時間にして僅か一分ちょっとの、短い至福の時だったな…………。

 角度が緩く摩擦もあるため大して怖くもない滑り台を滑ると、布を抜けた先に待っていたのはクッション代わりに用意された、丸められている新聞紙のプールだった。


「いよっと……うし、思いっきり滑ってきて大丈夫だぞ」

「うん。じゃあ行くね」


 布の向こうにいる少女の返事を聞き、滑り降りてくる地点をライトで照らす。

 数秒してから滑り降りてきた夢野は、新聞紙のプールへと勢いよくダイブした。


「!」


 その姿を照らしていた俺は、思わず目を見開く。

 滑り終えた少女の短いスカートが、着地の衝撃で大きく捲れていた。

 露わになった、艶めかしい太股。

 更にその付け根まで、ペンライトの光は照らし出す。

 履いていたマイクロミニのスパッツを隠すべく、夢野は慌ててスカートを抑えた。


「あ、あはは……お、お見苦しいものをお見せしました……」

「い、いや、そんなことないから!」


 冬雪のように生パンツなんてことは流石になかったものの、思わぬラッキーに心の中ではガッツポーズ。火水木様、マジでこの場所を勧めてくださり心の底から感謝致します。

 そのまま出口へ進み迷路は終了。やや頬を赤く染めている夢野と共に先程の出来事を誤魔化すように雑談をしながら、俺達はEハウスへと向かった。

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