十一日目(金) 昼食がチャーハンだった件
『――――ヒュオオオオオオオオオ――――』
「ねえお兄ちゃん、forgotってどういう意味だっけ?」
「忘れた」
「も~、これだからお兄ちゃんは~。ミナちゃん先生、forgotとは?」
「忘れた」
「ヴェエエエッ?」
『――――ヒュオオオ……ビュオオオオオオオオオ――――』
本日は梅講習の最終日。わざとボケてるんじゃないかと思うような質問をする妹をよそに、台風が近づいてきている外では風が激しい音を立てて一段と強く吹き荒れていた。
窓越しに空を見れば、今にも雨が降り出しそうな一面の灰色。厚く覆われた雲は移動しているのが数秒でわかるほど速く動いており、遠くにある木々は風によって激しくしなっている。
「forgotはforgetの過去形。forgetは忘れるだよ」
「な~んだ。ビックリした~」
『――――ビュワアアアアアアア――――』
「うわ~、風、どんどん強くなってるね~。あっ! 見て見て! 袋飛んでる!」
「そりゃまあ、台風だからな」
「さて梅君。台風は何が発達したものだったかな?」
「はいは~いっ! 熱帯低気圧!」
「正解」
「えっへん! もうこれは合格確定でしょ~。発表日当日の掲示板には118、119、120、米倉梅、121、122……テッテレーッ! 梅、大勝利~」
「いやおかしいだろそれ。お前の番号は120、5か? 完全に裏口入学じゃねーか」
「しかも一人だけ実名で、単なる公開処刑になっているね」
学力云々以前に、一般常識関係で不安しかない。本当にこんなのが大人になって大丈夫なんだろうか?
「あ、雨降ってきた」
「そろそろ本格的に強くなってきそうかな」
「ねえねえミナちゃん、今日のお昼どうするの?」
「いつも通り、一旦帰る予定だよ」
「この風と雨の中で?」
「家はすぐそこじゃないか」
「それでも濡れるってば! せっかくだし、今日はウチで食べていこ~」
「濡れるくらい問題ないけれどね」
「ま~ま~、そんなこと言わずに~。お世話になってるお礼だから!」
「…………そういうことなら……少し電話してくるよ」
昼は要らないと親に伝えるためか、阿久津は携帯を片手に立ち上がり部屋を出る。確かにこの風雨となると、例え家が近所で傘を差していようと多少なりは濡れるだろう。
俺に向けてドヤ顔を見せてきたのは猛烈にウザいが、間の抜けた発言から一転して中々に気の利いた提案をした我が妹。しかし名案ではあるものの、ここで一つ疑問が生まれる。
「なあ梅」
「ん~? ミナちゃんと一緒にお昼できて嬉しいなら、お礼はシュークリームがいいな~」
「アホか。それより昼飯、どうするつもりだよ?」
大人に夏休みはなく、父は学校へ事務作業に。母は病院へ看護に行っており、我が家には相変わらず俺と梅しかいない。そして余裕がある時は母上が冷蔵庫に昼御飯を用意しておいてくれるものの、今朝はドタバタしていたらしく何もなかった。
普段なら冷凍食品やインスタントのラーメンで済ませるところだが、ウチで食べていけと偉そうに言っておきながら流石にそれはどうかという話だ。
「大丈夫大丈夫。梅が作るから」
「それが一番駄目な選択肢だな。お前は阿久津を殺す気か?」
メシマズ嫁なんて言葉があるが、ウチの場合はメシマズ妹。まあこういう奴が将来的にはメシマズ嫁になるんだろうなと思わずにはいられなかったりする。
例えばカレー一つを作るにしても、パッケージの裏にはしっかり作り方が記載済み。しかし梅の奴は目分量で量ったり、工程を逆にしてしまったりというおっちょこちょいだ。
その結果として先日完成したのはトロトロじゃなくサラサラなルーであり、上から掛けても透過して御飯の下へ沈み込むという前代未聞のカレー。ついでに言えば入れた筈のジャガイモに関しては、煮込み過ぎたせいか消滅したとのことだった。
「お兄ちゃん酷~いっ! そんなことないもん! 梅のオカズとか最高でしょ?」
「そういう誤解を招く発言をするな」
「はえ? あっ! そ、そういう意味じゃないもん!」
「お?」
どうやら最近になって、ようやくその手の知識を学んできたらしい。今までは知能が小学生のままで、オッパイとか口にするだけで喜ぶようなアホだったからな。
「っていうかお兄ちゃんだって、料理できないじゃん!」
「カレーとかシチューとかチャーハンくらいならできるし、レシピさえ調べれば大抵の料理はその通りにやれば作れるっての」
「そんなの、二十歩百歩だもんね~」
「それを言うなら五十歩百歩だろ。減った三十歩はどこへいった?」
確かに梅の言う通り、俺が料理をすることなんて滅多にない。というかアニメに出てくるような料理の上手い男子高校生なんて奴、クラスに一人いるかどうかだ。
思えば中学時代に家庭科の調理実習でやったジャガイモの皮剥きでは、一緒の班だった仲間達が驚くような軽量化に成功。まあ指を切るのが怖いからと、皮剥きじゃなくてゴボウとかでやるような『ささがき』をしていれば当然の結果である。
そもそもリンゴじゃあるまいし、ジャガイモの皮なんて茹でた後でゴシゴシやれば簡単に剥ける件。仮にそのまま剥くにしても、ピーラーという文明の利器があるんだよな。
「何の話だい?」
「あっ! ミナちゃん、お昼はお兄ちゃんが作るって~」
「櫻が? 大丈夫なのかい?」
「ほらね~?」
「まあ待てって。なあ阿久津。梅と俺、どっちの作った昼飯がいい?」
「…………ボクが作るという選択肢を増やそうか」
「「何でっ?」」
当然ながら客人に作らせるなんて選択肢は却下するも、結局は阿久津の提案によって三人で協力して作るということに決定……というか上手い具合に言い包められた。
午前の勉強の最後は阿久津との英単語勝負で締めくくり、昼を迎えるなり俺達は一階へ。三人が入るには少し狭い台所にて、冷蔵庫の中身を確認しメニューを考える。
「で、何にする? 御飯ならあるぞ」
「さっきお兄ちゃんが作れるって言ってたチャーハンは?」
「ボクは構わないよ」
「じゃあ梅は卵を溶いてくれ。俺が切るから、阿久津は皮を剥いてくれるか?」
「え~? 梅、皮剥きがいい~」
「それなら梅が皮剥きで、阿久津が卵溶きな」
ピーラーを持たせることすら不安な妹を考慮した割り当てだったが、芽をちゃんと処理しておかないと地獄を見るジャガイモのような具材もないので良しとしよう。
よくよく考えればコイツは卵一つ割らせても殻が入るとか以前に暴発させそうで充分危なっかしいし、何をやらせても大して変わらないかもしれない。
「見て見てお兄ちゃん! 梅の皮剥きテクニック!」
「そういう誤解を招く発言をするな」
「はえ?」
駄目だこの妹……早く何とかしないと……。いっそミナちゃん先生が保健体育も懇切丁寧に教えてくれると、こちらとしては物凄く助かるんだけどな。
ぎこちない包丁捌きでウィンナーを切り終え、梅が皮を剥き終えた人参を受け取る。適当に小さく切り終わった後で何やら視線を感じて振り返ると、卵を溶き終えた阿久津がジーっとこちらを見ていた。
「どうしたんだ?」
「いや、ちゃんと猫の手で切っているところが微笑ましくてね」
「え? 何かおかしいか? だって家庭科でこう習っただろ?」
「確かにそうだけれど、何というかこう……見ていて面白いかな」
「何でだっ? ちょっと阿久津切ってみてくれよ」
「まあボクも上手いという訳じゃないけれどね」
包丁と長葱を受け取るなりトン、トン、トンと俺よりは手際よく切る阿久津。慣れていると言う程ではないが、母親が専業主婦だし料理をする機会なんて少ないか。
「でもミナちゃん、お兄ちゃんより上手だよね。梅、感動して涙が出てきちゃった」
「それは葱を切ってるからだろ。口から息を吸って鼻から吐けば出なくなるぞ」
「そういうお兄ちゃんトリビアとかいいから!」
「玉葱ならともかく、長葱でも駄目なのかい?」
「うん。梅、涙腺弱いから」
「いや関係ないだろそれ。しかも人の包丁捌きで感動って、どんな涙腺だよ」
涙が出る理由は、切った時に出る硫化アリルという成分。特に玉葱は断面が大きいため揮発する量も多く涙が出やすいが、人によっては長葱でも充分に効果はある。
そんなトリビアを語りつつ阿久津が豚肉を切った後で、フライパンに油を引いて卵を投入。少ししてから切った野菜や肉を適度に炒め、その後で御飯を入れた。
ついでにスープでもあればと、鍋に水を入れてから空いているコンロで火に掛ける。
「ね~ね~お兄ちゃん、あれやってよ! あれ!」
「あれって何だよ?」
「ほらほら、テレビとかで料理の人がやってる、こういうやつ」
梅が片手でフライパンを激しく振るようなジェスチャーをする。どうやら鍋振りのことを言いたいようだが、料理が不得意な俺には当然できる訳がない。
「やるとご飯がパラパラになって美味しいっていうけど、まあ確実に無理だな」
「じゃあ梅がやるから貸して!」
「やっても良いが、条件がある」
「何?」
「仮にこぼした場合、それは全てお前のチャーハンだからな?」
「じゃあやだ! ミナちゃんやって~」
「生憎と、ボクも鍋振りは無理できないよ」
梅のアホみたいな提案を却下しつつ、インスタントの素を使って作ったスープと共にチャーハンが完成。三つの食器へと盛り分ける中、阿久津はジーっと食器棚を眺めている。
「どったのミナちゃん?」
「いや、櫻が作った陶器を見ていてね。普段から使っていたりするのかい?」
「うん! これとかよく使ってるよ」
佃煮や黒豆、漬け物などちょっとしたおかずを出す場合に使っている陶器を取り出す梅。本当は小さくなってしまった失敗作の湯呑なんだが、エメラルドグリーンな色が良いためか割と好評だったりする。
「梅もマイ湯呑作りたいな~。ね~ね~ミナちゃん、文化祭で陶芸体験とかできないの?」
「部員が多ければ体験コーナーを作ることもできるかもしれないけれど、今は正直販売だけで手一杯かな」
「そっか~。それなら絶対に合格しないと!」
「そのためにも、しっかり栄養を補給して午後に備えてもらいたいね」
「うん! いっただっきま~す!」
「「いただきます」」
席に着くと、料理を前にして両手を揃える。こうして三人でテーブルを囲んでの食事なんて小学生以来……いや、親抜きということを考えると初めてかもしれない。
炒めるのに若干苦戦したチャーハンも中々の出来で、スープと合わせたこともあり阿久津と梅には満足してもらえた様子。雑談を交えながら、俺達は昼食を充分に堪能した。
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