9章:俺の夏が青春だった件②
初日(木) 俺の夏休みが四日間だった件
『ペットは家族なのか』
この問いに対する答えは大きく割れるだろう。
今やペットシッターは勿論のこと、ペット用の保育園に始まり老犬ホームなんてものまである始末。ついには葬式や墓にまでペット産業は手を伸ばしてきた。
洋服を着せて高級な食事やケア用品を買い「うちの子」なんて口にする。そんな親バカならぬペットバカの飼い主は、迷うことなく家族と答えるに違いない。
そうなると、家族とは一体何なんだろうか。
俺はこう思う。
恐らく家族とは、愛を与えてくれる存在なのだと。
・問1、次の文を訳しなさい。
『Long,long ago a little girl lived with her mother near the woods.』
「長い長いアゴの小さな女の子は、ここの木で彼女のお母さんとライブしました!」
愛ではなく哀を与えてくれたアホ妹のトンデモ和訳を聞いて、溜息を吐いて頭を抱える。何と言うか流石にこれは酷い。中三の頃の俺でもここまでズダボロじゃなかったぞ?
大きな目をパチクリさせ、不思議そうに首を傾げるキャミソール姿の
「悪いことは言わん。屋代は諦めろ」
「え~? 違うの~?」
夏休みも折り返しに差し掛かる中、妹は相変わらず危機感がないらしい。
一応弁護しておくと、これでも成長した方だったりする。最初の頃に『doで聞かれたらdoで答える』という基礎を説明された時なんて酷かったもんだ。
『Do you like coffee?』
『ドゥ~』
『Do you play basketball?』
『ドゥッ!』
ウソみたいだろ。中学三年生なんだぜ。これで……。
そんなルー語ならぬdo語を生み出していた梅に勉強を教えているのは俺じゃない。というか仮に俺が教えていた場合、この部屋のクーラーがつくことすらなかっただろう。
「正しい訳は『昔々森の近くに、少女がお母さんと一緒に住んでいました』かな。agoは前、livedは住むの過去形、nearは近いだね。ここはhereだよ」
「はえ~」
反クーラー派である梅が冷房をつけて丁重に招き入れた幼馴染もとい家庭教師役の
ラフな格好の阿久津は、運動する訳でもないのに長い黒髪を白いシュシュで留めている。いくらこの部屋が涼しくても、トイレに行くだけで汗を掻くような気温だもんな。
「理社は身に着いてきたことだし、これからは英語を中心に強化していこうか。まずはここにある単語と動詞の活用形を、お盆休み明けまでに覚えてくること」
「ヴェエエエッ? こんなにっ?」
「それに加えて他の教科も宿題を出すからね。国語は漢字プリントの⑩~⑬で、数学は学校課題の残り全て。理社はボクの用意したこのワークの、ここから……ここまでかな」
「無理無理! 絶対無理だって! 理科と社会だけで両方十ページずつだし、他もあるとか死んじゃう! そんなのミナちゃんじゃないと絶対に終わらないよっ!」
「勉強のやり過ぎで過労死した例はないから大丈夫さ」
どこからともなくプリントの束を取り出した阿久津先生は、平然とした様子でサラリと答える。これだけ聞けばブラック企業の発言に聞こえなくもないな。
ムンクの叫びみたいなポーズを取りながら嘆く梅だが、教材の一部は二年前に阿久津が使った物であり、そこから出している宿題となれば当然の如く分量もちゃんと考えている。
「一日は二十四時間あるけれど、これを三等分しよう。八時間は睡眠で、八時間は食事やお風呂や自由時間。残った八時間は勉強に当てられるね」
「梅、八時間も勉強したら禁断症状が出て、お兄ちゃんにダンクしちゃうよ?」
「おいやめろ」
「それなら半分の四時間で構わないよ。お盆休みは四日間あるから、合計で十六時間。これを五教科に等分すると、一教科につき三時間ちょっと勉強ができることになるね」
「四時間ならできそうだけど、こんなに終わらないもん!」
「例えば社会を見てみようか。ボクの出したワークだけれど、梅君は丸付けと確認まで含めて、この一ページを終わらせるのにどれくらい時間が掛かりそうだい?」
「う~ん……二十分くらい?」
「実際は十五分掛からないと思うけれど、じゃあ仮に二十分としておこうか。そうすると三時間ちょっとあれば十ページできる計算になると思わないかい?」
「む~」
「理科も同じ形式だし、国語の漢字プリントだって一枚に一時間も掛からないだろう? 数学は困ったら櫻に聞けばいいし、英語は前にやった代名詞の変化と同じで声に出せばすぐに覚えるさ。梅君は物覚えが早いからね」
「えっへん!」
「まずは騙されたと思って、実際にやってみるべきかな。この調子で頑張り続けて夏明けに偏差値40から60くらいにまで上がれば、屋代も見えてくるからね」
「うん! 頑張る!」
これぞ阿久津式説得術。理詰めの言い包めによって納得する梅を見ているとあまりにもチョロ過ぎて、兄としては不審者に騙されないか不安になってくるな。
それでも何だかんだ文句を言う割に阿久津の指示は忠実に守り、記憶なり解き方なりをしっかり身に付けているため、梅の学力は確実に上がってはいるようだ。
「時間になったし、今日の授業はここまでにしようか」
「ありがとうございました! やっと終わった~っ! むぉ~っ!」
礼儀だけは欠かせない妹は、お礼を言った後で大きく身体を伸ばした。
八月に入ってから毎週の水曜・日曜以外は午前の九時半に始まり、一時間半の授業を午前は二コマ。昼休憩を一時間挟んだ後で午後に三コマ行い、全部が終わるのは午後六時という塾の夏期講習みたいな生活を俺達は繰り返している。
三十分程度で終わるという宿題も合わせれば梅は計八時間の勉強をしていることになるが、本人は気付いていないのか幸いにも禁断症状のダンクを受けたことは一度もない。
ただ問題なのは、その勉強生活の七時間半に俺も付き合わされていることか。
「梅梅~」
ドタドタと階段を下りて阿久津を見送りに行った妹の声が聞こえる中、疲れ果てた俺はテーブルに突っ伏してバタンキュー。一緒に勉強と聞いて最初は喜びもしたが、前に窯番をした時の勉強会を考えればこうなる未来は目に見えている筈だった。
「さ~て、宿題宿題っと。あ~、お兄ちゃんまた死んでる~」
「…………」
「大丈夫~? 元気の出るアオカン補給する~?」
「そういう誤解を招く発言をするな」
「はえ?」
元気だけは底無しな妹から青い缶のエナジードリンクを受け取った俺は、ようやく訪れたお盆休みに安堵する。たった四日しかない夏休み……いくらなんでも短過ぎだろ。
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