五日目(月) 空白の五ヶ月だった件

 今日から授業は午前のみ……そしてそれすなわち、俺の腹が減る日である。別に今は金欠って訳じゃないが、金はいくらあっても困らないからな。

 風が強いだけでなく雨まで降っている中、またもや芸術棟へ三人で移動してから如月と入り口で解散。陶芸室のドアを開けると、中には誰もおらず閑散としていた。


「ああ、そうだ冬雪。これ、ホワイトデーのお返し」

「……ありがとう」


 ジーッと袋を眺める冬雪。中のクッキーは手作りだが、外装は手作りじゃないぞ?

 程なくしてドアが開くと、入口で鉢合わせしたのか阿久津と火水木が一緒だった。夢野も来るかと思ったが、先に音楽部の方へ行ったみたいだな。


「やっほ……ほぁ……へくしっ!」

「……二人とも、お疲れ」

「よう」

「やあ……ん? 音穏、それはどうしたんだい?」

「……ヨネから貰った」

「櫻が? 正露○はあったかな……」

「おい」


 クッキーをまじまじと眺める阿久津。冬雪といい、そんなにジロジロ見られると何だか恥ずかしい。クッキーって見て楽しむ物じゃないよね? 食べ物だよねこれ?


「手作りだなんて、キミにしては力が入っているじゃないか」

「まあ、火水木に言われてな」

「何かしら裏があるだろうとは思っていたけれど、そういう理由なら納得だよ」

「アタシ的には、力以外にも色々と入れてほしかったんだけどねー」

「色々って何だよ? 毒か?」

「何で真っ先に浮かぶの……が……ふぇ……っくしっ!」


 雨でも花粉が飛んでいるのか、それとも粉っぽい陶芸室のせいか。相変わらずマスク着用の火水木は、舐めると甘いらしいセレブなティッシュで鼻をかむ。

 阿久津が正面の席に腰を下ろし、左隣には火水木が座る。そして左斜め前には冬雪と何一つ変わりない定位置だが、夢野の席は一体どこになるんだろうか。


「遅くなってすまないけれど、ボクからもホワイトデーだよ」

「!」


 思わずピクリと反応してしまったが、幼馴染が取り出したカップチョコの袋は二つ。ホワイトデーはバレンタインのお返しなんだから、当然と言えば当然である。

 日頃の経験から何となく居辛くなりそうな雰囲気を事前に察し、俺は今日削る予定の作品を取りに廊下へ出た。男一人だとこういう時が辛いんだよな。


「……美味しそう」

「ありがとツッキー。これ、クランチチョコ?」

「そのつもりで作ってみたけれど、中々上手くいかなくてね」


 中から聞こえてくる楽しそうな会話。あの場に残っていたら火水木か冬雪が一つくらい恵んでくれた可能性もあるが、欲しいとお願いして貰うバレンタインには敗北感しか残らないと過去に経験済みである。

 今日はイヤホンを付けて、マイワールドに入りながら削るとしよう。そう思いつつムロに置いていた作品を回収して、陶芸室へと戻ろうとした。


『トントン』


 不意に背後から肩を叩かれる。

 また夢野の悪戯かと思ったが、振り返った後で俺は硬直した。


「いよぉ。精が出るじゃねぇか新入部員」


 唐突な橘先輩の襲来に、危うく湯呑の一つを落としそうになる。

 今日は阿久津がいることを思い出し、心臓の鼓動が徐々に速くなっていった。


「ど、どうも……」

「悪ぃな。今日も邪魔するぜ」


 言うが早いか、ツンツン頭の先輩は陶芸室に向かう。後に続いて中へ入ると、三人は話を中断し唐突な来訪者を不思議そうに見ていた。


「お? また見ねぇ顔がいるな。新入部員その3か」

「ご無沙汰です。先輩」

「つれねぇなぁ水無月。別に久し振りでもねぇだろうが」

「ツッキーの知り合い?」

「引き出しに入っていたゲームの持ち主さ」

「へー、この人が……あ、アタシ火水木って言います。火水木天海です」

「俺は橘……つっても、ここに来るのは今日がラストだろうから別に覚えなくていぃぜ。その残してたっつーゲーム類を回収しに来ただけだしな」


 それが本当の理由なら、どうしてこの前来た時に持ち帰らなかったのか。

 黙々と削りの準備をしながら様子を窺う。橘先輩は阿久津の後ろにある引き出しを開けると、将棋やオセロなどを空だった鞄の中へと片っ端から入れていった。

 あまり好いていない冬雪に、初対面の火水木。そして振った相手である阿久津が先輩に話を振ることもなく、何とも言えない沈黙が陶芸室内に訪れる。


「おはようございます皆さ……おや? 橘クンも一緒でしたか」


 そんな空気を壊す救世主がナイスタイミングで現れた。

 白衣を着た陶芸部顧問は、黒板前の椅子に座ると大きく欠伸する。そんな気の抜ける姿を見ていると、若干重苦しかった陶芸室内の空気も少し和んだ気がした。


「邪魔してるぜ、センセイ」

「成程成程。今日はこちらの回収ですかねえ」

「……こちらの?」

「この前は工芸の授業で作った作品を持ってけって言われたんだよ。持ち帰ったところで使い道もねぇのに、面倒なことしてくれるぜ全く」

「まるで終業式の小学生ですね。こまめに持ち帰らなかった先輩の自業自得かと」

「俺が小学生なら、チビ助は赤ちゃんだな」


 ケラケラ笑う橘先輩に対し、ムッとした表情を浮かべる冬雪。チビ助という呼び方とその反応を見て、察しの良い火水木が二人の関係性を大体理解したようだ。


「先生の手を焼かせたという点では、橘クンも赤ちゃんですかねえ」

「ちょっと待てってセンセイ。俺のどこに手を焼いたってんだ?」

「合宿先の旅館で明け方、勝手に玄関の鍵を開けて散歩しに行った困ったさんは誰でしたかねえ? 先生、そのせいで御主人に物凄く怒られちゃいました」

「あれは……すんませんでした」

「ちょっ? イトセンっ! 陶芸部って合宿すんのっ?」

「おや? 火水木クンには話していませんでしたか?」

「いや、俺も初耳なんですけど……」


 冬雪と阿久津が揃って「話していなかったっけ?」と言いたげな表情を浮かべる。

 合宿と言えばそれこそ青春。基本的には運動部の定番であり、文化部となると屋代が力を入れている吹奏楽部か、夜に活動する天文部くらいしかやらないと思っていた。


「陶芸部が合宿って、いつどこで何すんのよ?」

「夏休みだね。今年は有名な焼き物の産地に行って、陶芸美術館で話を聞いたり指導所の見学をさせてもらったりしたよ。それに粘土も買ってきたかな」

「……二日目と三日目は、お昼から夕方までずっと陶芸漬け」

「マジですか?」

「……マジ」


 何だろう……陶芸部の合宿としては正しい姿なんだが、俺の理想とは違う。

 チラリと隣を見ると、予想通りげんなりとした表情を浮かべている火水木。そんな少女を見た橘先輩は、安心しろと言わんばかりに話を付け足す。


「夜は花火に肝試し、それとゲーム大会もしたな。朝もラジオ体操やるとか意味不明な企画から鬼ごっこに発展したし、陶芸を忘れるくらい緩々で面白ぇ合宿だったぜ」

「「マジですかっ?」」

「嘘だと思うならセンセイに聞いてみな? 合宿の写真だってある筈だからな」

「……」

「何だよチビ助? 別に俺は嘘なんて吐いてねぇし、企画したのは先代部長様だろうが。しおりを作ったのも鈴木の奴だし、文句ならアイツらに言えよな」


 鈴木って言うと、確かアホっぽい先輩がそう呼ばれていた気がする。今年のメンバーを考えると俺が橘先輩、火水木が鈴木先輩のポジションを継ぐことになりそうだ。


「何だかんだで、夜は冬雪クンも楽しんでいましたからねえ」

「……そんなことない」

「いいじゃないですか。陶芸部ですから陶芸もしますが、合宿の目的は思い出作りでもあります。先生の休日を潰した分だけ、皆さんは青春を楽しんでください」

「大丈夫よイトセンっ! アタシに任せておきなさいっ!」


 合宿というこれ以上ない朗報を聞いて、花粉症のダルそうな雰囲気から一転した火水木がビシッとポーズを決めつつ答える。まだ半年先の話なのに気が早すぎだろ。


「その去年やったっていう合宿の話、詳しく教えてもらっていいですかっ?」

「おぉ、任せろぃ。まずは肝試しでチビ助がビビってた話からすっか」

「……ビビってない」

「よく言うぜ。始める前から顔白くして、水無月にベッタリだっただろうが」


 うん、何となく想像できる光景だ。

 仮に今年の企画を火水木が決めるなら、間違いなく肝試しは入れるだろうな。


「花火ではしゃぎ過ぎて、服を焦がしかけた先輩もいたけれどね」

「どっかの誰かさんも、周遊バスの券を無くしかけたよなぁ」


 阿久津が冬雪に助け船を出すと、すかさず橘先輩が言い返す。次々と出てくる合宿エピソードを、火水木はメモを取りながら聞いていた。

 そして俺は、幼馴染と思い出を語る橘先輩を見て密かに嫉妬心を燃やす。四月から八月にかけて接点のなかった五ヶ月間を、自慢されているような気分だった。




 …………阿久津が他の男子と話す姿って、こんなにも嫌に感じたっけな。

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