三日目(土) さしも知らじな・燃ゆる思ひをだった件
「やす――――」
「「!」」
阿久津も動いていたが、僅かに俺の方が早い。そりゃ『札を取る』にはブレーキも必要だが『札を吹き飛ばす』ならアクセル全開で済むからな。
一々取りに行ったり並べ直したりするのは面倒だが、目の前の少女にも札を飛ばして貰うためにはこの方法で追い詰めるのが一番効く……筈だった。
「少しキミを甘く見ていたよ」
「そりゃどうも」
「普段からこれくらい本気の本気を見せてくれると助かるね」
「たまに見せるから本気の本気なんだよ」
高校受験でもそうだったけど、俺は基本的に追い上げ型だからな。
阿久津側の札を取ったため、自陣に残っている印象の薄い札を選んで渡す。この中だとさっき阿久津から渡された『ものやおもふとひとのとふまで』か。
「そろそろお前も本気を見せろよ(スカートの中も見せろよ)」
「キミと違って、ボクは最初から全力だよ」
「最初だけの間違いだろ? これが飛ばすための並べ方だって言ったのはお前だぞ?(そして冬雪が暗黒空間の素晴らしさを教えてくれたんだぞ?)」
「今のボクが出せる全力はこれが限界さ。確かに競技かるたは基本的に飛ばすことが前提だけれど、無理して飛ばす必要もないじゃないか」
「飛ばしてくれなきゃ困るんだよ!(立ってくれなきゃ困るんだよ!)」
半ば心の声が漏れているが、話を切り出すのは今しかない。
ようやく五分五分にまで持ち込み今の一枚を俺が取ったことで、残り枚数は三枚VS四枚と逆転。自分でもここまで追い詰めたことに驚いている。
こんなことなら賭けの条件を『負けた方が買った方の言うことを何でも一つ聞く』とかにしておけば良かった。まあそんな提案、絶対できないけどさ。
「困ると言われても、怪我をされる方が困るけれどね」
「そんなこと気にすんなっての」
「キミが気にしなくても、ボクは気にするよ」
それ以上に俺は気になるんだよ!
勿論そんな台詞を言える訳もない。こうなったら最後の手段を使うしかないな。
「俺に負けるのが怖いのか?」
「そんな安い挑発に乗ると思うかい?」
来いよ阿久津! ガードなんか捨ててかかって来い!
そんな感じで焚き付けるつもりだったが、効果は皆無のようだ。そりゃまあ格下に認識している男から煽られても、痛くも痒くもないか。
「筑波嶺の・峰より落つる・みなの川・恋ぞ積もりて・淵となりぬる」
こうしている間にも、伊東先生によって次々と上の句が読まれていく。幸いにも空札だったが、時間はほとんど残されていない。
「じゃあ高級な挑発なら乗ってくれるか?」
「そういう問題じゃないけれど、内容次第で乗るかもしれないね」
「マ……マイヒップPENPEN!」
熱くさせるどころか笑われてしまった。しかも隣で戦っている冬雪と火水木も話を聞いていたらしく、ツボに入ったようで噴き出している。
「玉の緒よ・絶えなば絶えね・ながらへば・忍ぶることの・弱りもぞする」
「キミがそこまでする理由が知りたいね」
「理由って言われてもな……強いて言えば全力じゃないお前に勝つよりも、全力のお前に負ける方がまだ気分が良いだけだ」
本当は男のロマンという大切な理由がある。
ただ阿久津に本気を出してもらいたいというのも、また嘘偽りない事実だ。
「…………確かに、キミの言う通りかもしれないね」
「わび――――」
「っ?」
別に集中を切らしていた訳じゃない。
しかし俺の手が触れるより一瞬早く、阿久津の手が札を払い飛ばしていた。
「そういうことなら付き合おう。櫻、三枚勝負だ」
「阿久津……おうっ!」
立ち上がった瞬間に声を掛けられたため覗き損ねたが、不思議と心がワクワクする。いや別にそういう不埒な理由じゃなくて、真面目な方で。
互いの陣地にある残り枚数は三枚ずつ……これが正真正銘ラストチャンスだ。
「夜もすがら・もの思ふころは・明けやらぬ・ねやのひまさへ・つれなかりけり」
「「…………」」
「瀬をはやみ・岩にせかるる・滝川の・われても末に・逢はむとぞ思ふ」
「「…………」」
「ちは――――」
「っ!」
『ちはやぶる・神代も聞かず・竜田川・からくれなゐに・水くくるとは』
これは有名であるためしっかり覚えている。ただ逆に印象が強すぎるせいで、上の句と下の句全ての文章が頭に浮かんでしまった。
一瞬スタートが遅れただけで、阿久津が俺の陣地にある札を飛ばす。
「甘いね」
「くそ……」
「これはキミに返すよ」
そう言った少女は先程の俺が返却した『ものやおもふとひとのとふまで』を再び渡してきた。恐らくはこの句が印象に薄く苦手なんだろう。
そして待ちに待ったチャンス到来だ……暗黒空間を拝むなら今しかない!
「ちょっとツッキー、追いつかれてるじゃない!」
「……ヨネ、強い」
「――――っ!?」
残念ながら、阿久津が札を取りに立ち上がることはなかった。
集中していて気付かなかったが、先程何枚か読まれた際に二人の戦いは終わっていたらしい。いつの間にか冬雪が隣で見守っており、逆側へ回り込んでいた火水木は飛んできた札を拾い上げると阿久津へ手渡した。
「ありがとう。勝ったのは天海君かい?」
「勿論!」
「……今度またやりたい」
冬雪の提案は嬉しいが、ギャラリーが付いていては覗くに覗けない。この後で俺と火水木と勝負するなんて空気も一切なく、計画は完全に破綻する。
「今来――――」
「!」
そして余計なことを考えたせいで、反応が鈍ってしまった。
またも俺の陣地にある札を、少女が勢いよく吹き飛ばす。それを冬雪が回収する中で、阿久津は自陣に残っている二枚の札から悩むことなく一枚を選んだ。
「あーあ、勝負ありっぽいわね」
「最後まで諦めちゃいかん」
「諦めたら?」
「コラ画像みたいなことを言うな」
しかし火水木の言う通り、残り一枚となったこの状況で阿久津に勝てる気がしない。こうなったら読まれる札にヤマを貼るしかないな。
『忍ぶれど・色に出でにけり・わが恋は・ものや思ふと・人の問ふまで』
『人はいさ・心も知らず・ふるさとは・花ぞ昔の・香に匂ひける』
『来ぬ人を・松帆の浦の・夕なぎに・焼くや藻塩の・身もこがれつつ』
『かくとだに・えやは伊吹の・さしも草・さしも知らじな・燃ゆる思ひを』
残っているのはこの四枚。最初の三枚が俺の陣地にある札で『忍ぶれど』と『人はいさ』は先程阿久津から渡された句である。
となると賭けるなら、恐らく彼女が苦手としているこの二枚しかない。
「明けぬれば・暮るるものとは・知りながら・なほ恨めしき・朝ぼらけかな」
「「…………」」
「ながからむ・心も知らず・黒髪の・乱れてけさは・ものをこそ思へ」
「「…………」」
「契りきな・かたみに袖を・しぼりつつ・末の松山・波越さじとは」
「「…………」」
「来ぬ――――」
「「っ!」」
三度の空札が続いた後で、雌雄は決する。
俺の陣地にあった札を、阿久津が凄い速さで払い飛ばした。
「という訳で第一回の優勝はツッキーでした!」
「くそ……こっちの二枚が来てたらな……」
「どうしてだい?」
「ヤマ張ってたんだよ。だってこれ、お前が苦手な札なんだろ?」
「別にボクは苦手な札をキミに渡した訳じゃないよ。得意な札だからこそ相手に渡す場合だってあるだろうし、他にも色々と理由はあるさ」
となると阿久津の場に残っている『かくとだに』を狙うべきだったのか?
まあ色々と考えたところで負けは負け。最後に立ち上がる瞬間に期待するも、黒タイツの奥は黒一色で暗くて見えないままだった。
「……こんにゃく」
「いきなりどうしたんだい音穏?」
「……覚え方」
どうやら冬雪は俺の教えをしっかり身に着けていたらしい。来ぬやくやでこんにゃくと覚えていたが、ちょっと覚えにくいんだよな。
「キミも少しは、百人一首を意味で覚えるべきだね」
自陣に残していた一枚を握り締めたまま、阿久津は溜息を吐くのだった。
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