二日目(金) 心も鍵も簡単には開かないものだった件

 二月十四日が土曜や日曜といった休日である場合、俺達高校生にとって直前の金曜や直後の月曜が禁断のXデーとなるのは言うまでもない。

 しかし今年は幸か不幸か模試があるため、明日は土曜にも拘わらず登校日。そのため今日は実に平和な十三日の金曜日を迎えていた。


「……ヨネ」

「ん?」


 昼食に買ったコスパの良いスティックパンを早々に食べ終え、アキトのコンビニ弁当と葵家の手作り弁当をボーっと眺めていると、冬雪から声を掛けられる。

 教室で話しかけてくる機会は相変わらず少ないので珍しい。ついでに言えば普段は弁当なのに、今日は持ってくるのを忘れたのか購買のパンを食べていた。


「……これ、外せる?」

「外せって、どこをだよ?」


 てっきり知恵の輪でも出してくるのかと思いきや、差し出されたのは電子辞書。外す場所なんて電池の蓋くらいしかない文明の利器だが、中を開いて理解する。


『暗証番号を入れてください』


「ああ、つまりロックを外せと?」

「……(コクリ)」

「何で俺に頼むんだ?」

「……数学得意だから?」


 疑問に疑問で返さないでほしい。パンを抱えつつ首を傾げる姿が可愛いから許すけど、同じポーズを横にいるガラオタがやったら眼鏡をカチ割るところだ。

 そもそも解錠に数学は関係なく、わかるのは0000~9999まで一万通りあることくらい。とりあえず適当に入力してみるが、当然解除される筈もなかった。


「冬雪の誕生日は?」

「……二月十八日」

「へー。もうすぐか」


 0218を入力してみるもハズレ……ってか俺の誕生日と四日違いなんだな。


「……何で誕生日?」

「暗証番号に自分の誕生日って定番だろ?」

「……それ、私のじゃない」

「ん? じゃあ誰のだ?」

「……ルー」


 名前を呼ばれた編み込み少女は、ビクッとした後で顔を背ける。冬雪は普通に手渡してきたが、俺はこの電子辞書に触れて大丈夫なんだろうか。

 如月とは行動を共にする用事が今日の放課後にあったりするが、こんな調子では不安しかない。鍵を開けるついでに心も開いてくれないかなマジで。


「それなら如月さんの誕生日は……って、もう試してるか」

「……試してない」

「試してないのかよっ!」


 普通は真っ先に試すと思うんだが、匠の思考はいまいちわからない。

 ちなみに脳内では如月呼ばわりしているが、実際に声を掛ける場合は当然さん付け。これは陶芸部入部前の冬雪に対しても同じであり、クラスにいる女子は例外なく全員を苗字+さんの形で呼んでいる。

 これは他の男子連中も同じであり、C―3には火水木みたいな呼び捨てしやすいタイプの女子はいない。あだ名呼びくらいなら一応いるけどな。


「えっと、何月何日なんだ?」

「……十月二日」

「如月でも閏でもないと突っ込んだら負けだと思ってる。ごちです」


 弁当を食べ終えたアキトが、俺の心の声を代弁し小さく呟く。まあ二月二十九日に生まれる確率なんて約0.07%だし、如月ってのは苗字だからな。

 早速1002と打ち込んでみたもののロックは外れず。一応0229も試してみたが、これまた『暗証番号が違います』の一点張りだった。


「仕方ないな。最終手段を使うか」

「……分解する?」

「俺が分解した電子辞書を直せるように見えるか?」

「……数学得意だから」

「関係ねーよっ!」


 冬雪とって数学が得意な人間って何なんだよ。神なのか?


「アキト、お前の力を見せてやれ」

「ちょま。拙者に何をしろと?」

「ハッキングとかピッキングとか専門分野だろ? 怪しげな端子で電子辞書とパソコンを接続して、パスワードを読み取るみたいな感じでさ」

「あるあ……ねーよ。その手のパスを忘れた場合は、保証書添えてメーカーの修理相談窓口的な場所に送れば手数料支払って解除して貰えた希ガス」


 至って普通なアキトのコメントに対して、無口女子二人は乗り気ではない様子。まあそこまでするのは正直面倒だし、躊躇う理由は何となくわかる。


「ノブ……店長に頼めたりしないか?」

「店長はそんな万能戦士じゃない件。それに聞いたところで『修理するくらいなら買う方が得だ』とかコメント返されるだけですしおすし」

「誰が買うんだよ?」

「そりゃまあ、米倉氏が」

「何でだよっ?」

「数学得意だかラビィッ!」


 右手で素早く額を掴みアイアンクロー。頭の良さが俺と同程度の冬雪が発言する分には許せるが、成績優秀者のガラオタてめーは駄目だ。

 スーパーハカーでも何でもない友人は当てにならないので、少し考えて計算してみる。一パターン試すのに6秒掛かるとして……大体17時間くらいか。


「俺が預かってもいいなら、全パターン試して開けておくぞ?」

「……それはヨネが大変」

「いや、俺こういうの好きだからさ。それに退屈な授業の暇潰しにもなるし。多分一週間か二週間は掛かると思うから、テストに間に合うか微妙だけどな」

「流石は米倉氏。ゲームのレベルを99まで上げるだけじゃなく、ステータスカンストとかアイテムコンプまでするやり込みプレイヤーマジぱねぇっす」

「……ルー、どうする?」


 冬雪の問いに対して、如月はコクコクと首を縦に振る。揺れた髪の隙間から僅かに顔が見えるが、冬雪レベルには可愛いと思うんだよな。


「……お願いするって。ヨネ、ありがとう」

「あいよ」

「……後で何かお礼する」

「それなら拙者、冬雪氏の手作りチョこれ以上は関節が曲がらないぃっ!」

「アホなこと言おうとするからだ」


 別に見返りを求めたつもりはなかったが、お礼してくれると言うならありがたくいただこう。しかし女子のこういう一言って、色々妄想が膨らむから困るよな。

 煩悩を払いつつ早速0000から入力を開始。少しして葵が昼飯を食べ終えると、スマホもといヨンヨンを弄っていたアキトが一旦手を止めて顔を上げた。


「相生氏の準備もできたことだし、リリスのドロップについて定例会を始めるお」

「リ、リリスのドロップっていうと、死海のレクイエムとか?」

「俺は試練の山でアラーム使って銀のリンゴ集めのイメージだな」

「それにしてもこの二人、完全なゲーム脳である」


 刀っ娘ラブのバレンタインイベントに全力を注いだ結果、目の下にクマを作っているお前にだけは言われたくない。

 リリスをドロップ=夢野を落とすという意味に、少しして葵が気付いた様子。こういう言い方をされたら、確かにゲームの話にしか聞こえないな。


「とりあえず昨日の成果の詳細キボンヌ」

「う、うん。えっと……エ、エンカウントして仲間に加えたんだけど……フ、フンババも一緒だったから、あんまり話は……あっ! でも次の日曜にボラ……イベントがあるみたいだから、僕も行こうと思うんだ」

「さいですか」


 必死に言葉を選びながら語る葵だが、ジャンルが恋愛シミュレーションゲームから完全にRPG路線へ移っている気がしないでもない。

 パッと思い付いたからなのか、はたまたフンババって感じなのか。いずれにしても昨日は夢野の友人(※フンババ)と三人での下校だったようだ。


「拙者の方は、オススメの狩り場が大体判明した件」


 アキトが俺と葵にスマホの画面を見せてくる。普段ならゲーム画面なり動画を見せられるところだが、今回はメール作成画面だった。


『入試休みは東京ネズミースカイ』


 そこに表示されているのは簡素な一文。しかしそれがキーパーソン火水木の計画だということは、俺も葵もすぐに理解し首を縦に振る。


「パーティーメンバーは恐らくクリスマスイベと変わりなしだお。来たるランク戦に備えて、作戦的には本日も『ガンガンいこうぜ』ですな」

「えっ? あっ……う、うん」


 昨日の雪で予想通り路面凍結したため、彼女は俺同様に今日も電車通学だろう。この晴れ具合を見る限り、流石に明日は自転車で何とかなりそうだ。


「米倉氏からは何か?」

「いや、特に……」

「では定例会は終わりだお。米倉氏、雪隠へ行かぬか?」

「はいはい。トイレトイレ」


 丁度桜桃ジュースも空になったので財布を片手にアキトと立ち上がると、僕はいいやという葵を残して二人でトイレ&自販機へ向かう。


「なあアキト。自分で彼女作ろうと思ったりはしないのか?」

「何を仰る米倉氏。拙者の彼女はヨンヨン一択ですしおすし」

「悪かった訂正する。二次元と三次元は別腹として、現世に存在する質量を持った人間の女性を口説いたりしないんでしょうか?」

「めんどい」


 人が長ったらしく説明したというのに、僅か四文字で否定された。しかしその答えは実にシンプルで分かりやすい、アキトならではの最適解である。


「そもそも『知っている』と『わかっている』は別物だお。米倉氏の言い分だとテスト範囲が指示されたなら、満点なんて簡単に取れるって話になる件」

「確かに。でもその言い方だと自分からアプローチ掛けるのが面倒なだけで、相手から告白される分には別にいいのか?」

「ホモォとフンババじゃない限りオールオッケーでござる。拙者、ストライクゾーン広さには定評あるので」

「聞こえたかヨンヨン? コイツ浮気するぞ」

「勘違いするな米倉氏。拙者が誰かに告白される可能性があるとでも?」

「…………」

「………………」


 黙ってアキトの肩へ手を添えると、ガラオタは親指をグッと上げた。

 眼鏡をコンタクトにして喋り方を普通にすれば充分あり得るが、それを変えないのがコイツだ。きっとありのままの自分を見てもらいたいんだろうな。


「思えば米倉氏も、最初はドン引きしてたお」

「別にドン引きはしてないっての」

「またまた」

「ドドンズゴォンバゴォン引きくらいはしたな」

「それ、言い過ぎ」

「仕方ないだろ。人に寄生した眼鏡を見るのは初めてだったんだ」

「テラヒドスッ!」


 眼鏡掛けたオタクっぽい奴は何人かいたが、入学当初のコイツは長靴を履いた猫も裸足で逃げ出すレベルだったからな。


「それに比べて相生氏は大人の対応だったお」

「お前が遠足でヘバった時も、荷物を持ってくれたしな」

「尚、米倉氏は華麗にスルーした模様」

「…………スポーツテストの持久走とか、三人で一緒に走ったよな!」

「尚、米倉氏は途中で勝手に一人ペースを上げて先行した挙句、ゴール間近で体力0になったところを拙者達に抜かれた件」

「アーアー、キコエナーイ」


 そう、葵は優しい奴だ。

 そして女装コンテストの例にしても、人に頼まれたら断れないタイプである。


「しかしこうして相生氏の相談を聞いてると、米倉氏が値札で悩んでた頃が今となっては何とも懐かしいですな」

「お前あの時、正直ふざけてただろ?」

「フヒヒ、サーセン」

「成敗っ!」


 桜桃ジュースを買おうとしたアキトの横からヨーグルト飲料のボタンを押してやったが、昨日と違い反応もなく平然と飲むコイツの器が計り知れない。

 過去の思い出を語っていると、一呼吸置いた後でガラオタが口を開く。口調こそいつも通りだが、声のトーンはやや真面目になった気がした。


「リリスの件について、米倉氏から見た勝率は?」

「ん? 突然そんなこと言われてもな……五分五分だろ?」

「では仮に勝率を上げる方法があるとしたら? ミッション成功のため、相生氏の幸せのために、米倉氏は犠牲となる覚悟はおありですか?」

「犠牲のレベルによる」

「わざわざ拙者の口から言わずとも、米倉氏もわかっているのでは?」

「テレパシーじゃあるまいし、お前の考えがわかれば苦労しないっての。それにそんな小細工しなくても、顔も性格も良い葵なら大丈夫だろ」

「さいですか……」


 本当のことを言えば、アキトの言いたいことは薄々感じている。

 しかし勇気を出して相談した葵と違い、腹を割って話す度胸がない小心者の俺は、友人の問いかけを適当に返し教室へと戻るのだった。

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