三日目(水) クリスマスイブは冬休みの一日だった件

「あ、櫻君」

「葵、ここは男子トイレだぞ」

「えっ? って、僕は男だよっ!」


 俺がトイレに入ると、既に用を済ませたらしい男の娘が手を洗っていた。当たり前っちゃ当たり前だけど『性別:葵』なんてトイレは存在しないから仕方ないか。


「さ、櫻君のスノードーム、綺麗だったね」

「そういう葵のプレゼントも良かったな。あの食い倒れ人形」

「えぇっ? そんなプレゼントしてないよっ?」

「悪い、間違えた。『仲良しタヌキぽんぽこ♪ ~~タヌキ汁の代償~~』のチケットだったか」

「ええぇっ? そのサブタイトルで仲良しなのっ?」


 もし映画ができるなら『仲良しタヌキぽんぽこ♪』と教育番組風に明るく言った後、ドスの聞いた声が『……タヌキ汁の代償』と言うタイトルコールになりそうだ。

 適当な冗談も程々にしつつ用を足すと、ハンカチで手を拭く友人の隣で蛇口を捻る。


「展覧会のチケットってのも、中々に洒落たプレゼントだったと思うけどな」

「そ、そうかな……あ! 僕、そのことで前々から櫻君に謝りたいことがあって……」

「ん?」

「そ、その、前に貰った映画の割引券、無断で夢野さん達に譲っちゃってごめんね」

「何かと思えばそんなことかよ? 別に渡した時点で葵の物なんだし、煮るなり焼くなり好きにして大丈夫だっての」

「あ、ありがとう」


 寧ろ渡してくれたからこそ、俺は夢野と火水木に偶然出会った。そしてあの場に姉貴が居合わせたことでクラリ君の一件も思い出せたのだから、感謝するのはこちらである。

 両手を重ねて謝った葵は、ふと鏡に映っている自身の姿を見て溜息を吐いた。


「………………僕って、やっぱり女っぽいかな……?」

「女装コンテストで優勝するくらいだからな。中学時代は言われなかったのか?」

「す、少しはあったけど、今みたいに女装させられたりはしなかったよ」


 要するに主な原因は、高校生特有の悪ノリってことか。

 一度定着したキャラクターは、そう簡単には変えられない。中学時代に似たような体験を味わっている俺は、洗い終えた手を制服で拭いつつ応える。


「別に男らしくなくても、葵は葵のままで良いだろ」

「で、でもそれだと、恋愛対象として見られなくない?」

「幼稚園児は優しけりゃモテるし、小学生は足の速い奴がモテる。中学生と高校生は顔と髪型が良けりゃモテるんだから大丈夫だ。俺からすれば葵は羨ましいくらいだっての」

「そ、そんなことないよ!」


 ちなみに大学生は顔と大学名で、社会人になれば顔と金らしい。逆から読んでも『世の中ね、顔かお金かなのよ』なんて回文を考えた人は、本当に神じゃないかと思う。


「そういや明日の音楽部でのパーティーってのは、具体的にどんなことするんだ?」

「た、確かビンゴとかクイズって先輩は言ってたけど……」

「あれだけ部員も多いと、陶芸部みたいにプレゼント交換なんてできないか」


 いくら部活が同じとはいえ、葵と夢野の関係が前進するのはまだ先の話になりそうだ。もっとも俺も同じ部活に所属している幼馴染とは、何ら進展もないため人のことは言えないか。

 葵君と名前で呼ばれているにも拘わらず、その理由は単純に音楽部で相生がもう一人いるから。そんな悩める友と共にトイレを出ると、仲間達のいる陶芸室へと戻った。


「……赤マキガミ青マキヤミ黄マキマミ」

「雪ちゃん、言えてない言えてない」

「どうだい?」

「マイヤミがヒットしたわね」


 部屋の中では早口言葉を音声認識させようと盛り上がる女子勢。職員室から帰ってきた伊東先生がそれをニコニコ眺めていたが、戻ってきた俺達を見るなりパチンと手を叩く。


「さてさて。宴もたけなわですが、そろそろお開きにしましょうかねえ」


 冬になったことで日も短くなり、時間としてはまだ早いが既に空はオレンジ色だ。

 先生の言葉を聞いて時計を見た面々は、素直に返事をしてから帰り支度を始める。


「そうそう。陶芸部の皆さんですが、明日は十時集合ということで宜しくお願いします。お昼は特別に先生の方で用意しますので、持ってこなくて結構ですよ」

「わかりました」

「ねえミズキ。明日って?」

「そりゃ勿論、闇鍋リターンズよ!」

「帰ってくれ闇鍋マン……いや、闇鍋ウーマン」

「明日は大掃除だね」

「へー。陶芸部はクリスマスに大掃除なんだ」

「……私のせい」

「それは違うぞ冬雪。元はと言えばコイツがコミケに行くからだ」

「アーアー、キコエナーイ」


 冬雪は明後日から二泊三日で家族旅行に出かけ、帰ってきた翌日は丁度火水木の戦いが開始。全員のスケジュールが空いているのは、必然的にクリスマスだけだった。

 それこそ誰かしら予定が入っていそうなものだが、恋人もいない高校生にとっては所詮冬休みの一日に過ぎない。キリストの誕生日ですと口にする顧問に関しては言わずもがなだ。


「それではまた明日、大晦日イブイブイブイブイブイブにお会いしましょう」


 クリスマス何それ美味しいのと言わんばかりの伊東先生に挨拶をしてから、俺達は陶芸室を後にする。そして電車通学の四人とは校門で別れると、またも夢野と二人きりの下校になった。


「ねえねえ、米倉君」

「ん?」

「私が貰ったスノードーム、1000円以内じゃないでしょ?」


 女の勘というやつは中々に恐ろしい。

 正直に答えたら、彼女から提示される値段がまた一つ増えてしまいそうだ。信号待ちの際に隣へ並んだ少女から尋ねられた質問に対し、俺は平静を装いつつ答えた。


「何でそう思ったんだ?」

「値札が付いたままだったから」

「しまった!」

「まあ、嘘なんだけどね」

「しまってない!」


 ある意味で夢野らしいカマを掛けられた結果、うっかり引っ掛かってしまう。俺の反応から察した少女はくすくすと笑った後で、いつも通りの可愛い笑顔を見せた。


「ありがとう。大事にするね」

「ちょっとオーバーしただけだし、気にしなくていいって」

「あのね……あ!」

「ん?」

「ううん、後でいいよ」


 夢野が何か言おうとしたところで信号が青になったため、再び自転車を走らせる。その後は特に止まることもなく、別れる地点であるコンビニ前に到着した。


「じゃあ、またな」

「あ、ちょっと待って」

「?」

「はいこれ、私からクリスマスプレゼント!」


 沈み始めた夕日で紅色に染まった空の下。自転車に跨る少女が身を乗り出して鞄を探り、中から取り出したのは葵に渡した物と似ている掌サイズの箱だった。

 色々と突っ込みを入れる前に、とりあえず差し出されたプレゼントを受け取る。何かと思い開けてみると、入っていたのは羊毛フェルトで作られた愛らしい猫だ。


「え……っと、聞いてもいいか?」

「うん」

「何で猫なんだ?」

「さて、何故でしょう?」


 そんな言い方をするということは、これもまた何かのメッセージなんだろうか。

 別に我が家では猫なんて飼ってないし、俺が知っている猫なんて阿久津の飼っているマンチカンのアルカスくらい。この渡された猫の種類すらわからないんだよな。


「あ、300円とは何の関係もないよ」


 言葉を付け足す夢野だが、その表情は明らかに何かしらの答えを期待しているようだ。

 確かに猫である理由についても疑問ではあるが、これがプレゼント交換のコン太君とは別に俺用として準備されていたことの方が実は気になっていたりする。

 思春期特有の自意識過剰な発想に陥りかけつつ顔を上げると、掌で五からカウントダウンをした少女はペロっと舌を出し時間切れを告げた。


「残念でした。答えは来年のクリスマスに……なんてね」

「正解は一年後って、どこのテレビ番組だよ」

「本当はね、私から梅ちゃんへの誕生日兼クリスマスプレゼント。ミズキから昨日が誕生日だって聞いてたから、少し遅くなっちゃったけど作ってみたの」

「ああ、成程。何か悪いな」

「ううん、私が渡したかっただけだから」


 梅と夢野の交流は幼稚園のボランティア以来これといって無い筈だが、こうも気を遣って貰うと何だか申し訳なくなってくる。

 そもそも火水木が梅の誕生日を知ったのは一昨日のこと。そうなると夢野が制作したのは昨日ということになるし、今度何かしらお礼の一つでもするべきなんだろうか。


「クリスマスと誕生日が近いと、やっぱりプレゼントとかも一つにまとめられちゃうの?」

「うちはちゃんと二つだったな。まあクリスマスプレゼントは小学生までで、今は誕生日プレゼントだけってなってるけど……ああ、でもケーキは今でも二つ食べてるよ」

「そうなんだ。米倉君の家は仲良しなんだね」

「まあ、姉貴があんな感じだからな」


 改めて羊毛ニャンコを眺める。子子子子子子子子子子子子と書いて『猫の子子猫、獅子の子子獅子』と読むなんてトリビアしか思い浮かばない俺とは違い、梅なら種類もわかるだろう。

 何よりアイツは犬より猫派だし、きっと喜ぶに違いない。手作りのふわふわした猫を丁寧に箱へ戻した後で、俺はジッとこちらを見つめる少女に礼を告げた。


「ありがとな」

「どう致しまして。それじゃあ、良いお年を」

「おう。良いお年を」


 年末には一週間ほど早いが、彼女と会うのはこれが最後になるだろう。今年ラストの挨拶を互いに交わした後で、自転車で走り去っていく少女の後ろ姿を見届けた。


「…………」


 そういえば、結局何で猫だったんだろう。

 ひょっとしたらボランティアの時点で、梅が猫好きと聞いていたのかもしれない。あまり深くは考えることなく、俺はペダルを漕ぎ出すとイブの街並みを駆け抜けるのだった。

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