三日目(水) 闇鍋が宵闇鍋だった件

「それでは先生は職員室に行ってきますけど、くれぐれも問題だけは起こさないようにお願いします。特に火の扱いは充分に気を付けてくださいねえ」

「心配し過ぎだってばイトセン。アタシに任せてよ」

「………………冬雪クン、阿久津クン。後のことは任せましたよ」

「わかりました」

「……了解」

「ちょっ? アタシはっ?」


 声を大きくした少女をスルーして、伊東先生は陶芸室を去っていった。火水木の奴が信用ならないのは仕方ないとして、俺の名前が呼ばれなかったのは何故なのか。

 目の前には卓上用のガスコンロ。その上に乗せられた鍋の中には先生が用意してくれた出汁が湯気を立てており、美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。


「まあいいわ。レディース・アーンド・ジェントルメーン!」

「ミズキ、ボリュームボリューム」

「あー、あー、これくらい?」

「うん、大丈夫」


 本来の指摘役であるガラオタは、何でも風邪を引いたらしく今回は欠席。火水木曰く布団の中で刀っ娘ラブのクリスマスイベントをこなすくらいには元気らしい。

 そのため本日集まったのは男二人、女四人の計六名。女にもカウントできそうなもう一人の男子、相生葵あいおいあおいは闇鍋が不安なのか浮かない表情をしていた。


「それじゃ始めるわよっ? イッツ・カオス・ターイム!」


『パチン』


 カーテンの閉められた陶芸室で、火水木の手によって電気が消される。

 いよいよ闇鍋が始まろうとする中で、俺達は黙って顔を見合わせた。


「「「「「「………………」」」」」」


 言い換えれば、互いの表情が判別できるくらいには見えていた。

 カーテンを閉めたとはいえ今は昼であり、広い部屋は真っ暗にはならず薄暗い程度。隙間から差し込む光だけで、割と普通に見えちゃうんだな。自然の力ってすげー。


「ちょっ? 全然暗くないじゃないっ!」

「んなこと言っても、流石にこれはどうしようもないだろ」

「闇鍋というより、宵闇鍋といったところだね」

「や、やっぱり普通に電気付けてやらない?」

「却下よ。こうなったら宵闇鍋でもいいわ! とりあえず、各自用意した具材を入れていくわよ? 入れる順番はアタシから時計回りで、入れてる間は各自伏せるように!」


 火水木に言われた通り、各自が机に突っ伏す。俺の左隣を定位置としている少女は、ガサゴソと鞄を漁った後で何かを投入したらしい。


「今のがアタシの分で、これが兄貴の分っと」


 今度はビリっと袋が開き、ザーッと放り込まれチャプチャプ音がした。察するに何かのお菓子っぽいが、参加しない奴の用意した具材だけに不安でしかない。


「オッケー。次はユッキーね」


 左斜め前から袋の開封音がした後で、聞こえてきたのはポチャポチャという音。先程のお菓子(仮)よりは大きそうだが、冬雪が用意した物ならきっと安全だろう。


「……入れた。ミナの番」

「ふむ。成程ね」


 正面にいる阿久津が、何やら納得するような一言を口にした。本来なら鍋の中身は見えないものなのかもしれないが、どうやら宵闇鍋は入っている具材が判別できるらしい。

 ちなみに聞こえてきたのはパカッという、何かの蓋を開ける音だけだった。


「終わったよ夢野君」

「入れる音が聞こえないと、何だか少し怖いね」


 具材が増えてくれば自然なことではあるが、そういう夢野も音を立てずに何かを投入した様子。袋や蓋を開ける音などは一切せず、次の指名までの時間も妙に短かった。


「はい、葵君。どうぞ」

「う、うん」


 右隣に座る葵が応えると、ビッと袋を破きチャポンチャポンという音がする。入れてる時に机の下へ潜り込めば絶景が拝めるんじゃないかと妄想していたら、ラストである俺の番がやってきた。


「いいよ、櫻君」

「おう」


 さて鍋の中身はどんな酷いことになっているのか。

 ハラハラとワクワクが入り混じる中、ゆっくりと顔を上げ中身を覗き込む。


「…………?」


 この薄暗さだと中に入っている具材が何となくわかるが、ざっと確認する限りごちゃごちゃしてはいるものの比較的美味しくいただけそうな物が多い。

 予想以上に混沌ではない普通の鍋に拍子抜けしつつも、俺が持ってきたのは家の冷蔵庫に入っていたカニカマ。人のことは言えない無難な具材を、ポトリポトリと一つずつ入れていった。


「ちょっとネック、まだなの?」

「もう少しだから待ってくれ。うし、終わったぞ」

「じゃあ全員、顔を上げて…………って、何か思ってたより普通ね」


 顔を上げるなり、俺と同じような感想を火水木が呟く。一度箸に取った物は食べなければならないというルールだが、これなら何を掴んでも大丈夫な気がしなくもない。

 いい出汁……じゃなくて言い出しっぺの少女が、じゃあアタシからと鍋の中へ割り箸を入れる。ちなみに取り皿は陶芸部らしく自作の陶器だが、火水木の作品はまだ焼いていないため冬雪の物だ。


「ドローっ!」


 掴み上げたのは肉団子っぽい球体。少女が訝しげに眺めた後で口へ運び熱さにハフハフする様子を、他のメンバーは黙って見守る。


「出汁が染み込んだ甘美な皮。とろっとした柔らかい中身に入っている、上品なタコの旨味。うん、これは美味しい! まいうーの宝石箱ね」

「何でグルメリポート風なんだよ?」

「このたこ焼きを用意したのは誰だぁっ!」

「……私」


 小さく手を上げたのは我らが陶芸部部長。薄暗い上に先程まで伏せていたためか、眠そうな目がいつもより閉じているように見えた。


「鍋にたこ焼きは合うから、雪ちゃんは当たりだね」

「……(コクリ)」


 ショッピング効果なのか知らぬ間に夢野が雪ちゃんと呼んでいることに驚く中、静かに頷いた少女が鍋から取り出したのは親指サイズの得体のしれない物だった。


「……?」

「何だそりゃ? 油揚げか?」

「ふっふっふ、引いたわねユッキー。それは兄貴が持ってきた具材、おかきよ!」

「……美味しい」

「嘘ぉっ?」


 慌てて実食してみる火水木だが、その様子を見る限り普通に美味しかったらしい。一見マズそうで実は美味いという、絶妙なラインを攻めてきたなアイツ。


「これはカニカマかい?」

「あ、それ俺のだわ」

「てっきりキミは変な物を持って来ると思ったけれど、随分と普通の具材だね」


 長い髪をかきあげ、フーフーと息を吹きかける阿久津。正面にいる彼女の姿は鍋で半分隠れているが、その仕草がチラリと見えて少しドキッとしてしまう。

 平和な宵闇鍋が続く中で夢野が引き当てたのは、火水木同様たこ焼きだった。


「あぷい!」


 熱の籠った球体を口に入れてから、少女は不等号二つで表現できそうな表情を見せる。純粋に鍋を楽しんでいるようで、見ているこちらもほっこりさせられた。


「よ、良かった。ネギ……だよね?」

「薬味として用意したけれど、必要なかったかな?」

「そ、そんなことないよ! あ、櫻君の取ったウィンナーは、僕が用意したんだ」

「うん、美味いな」


 何と言うか、本当に普通の鍋を食べている気分だ。

 ハプニングと言えば重い上に高台が無い俺の器だけ、釉薬の掛かっていない底がじんわりと温かく湿っていたくらい。鍋に関しては本当に至って平和だった。


「なーんか違うのよねー」

「ち、違うって?」

「アタシの思い描いてた闇鍋って、もっと阿鼻叫喚な感じで地獄絵図だったんだけど」

「ボクとしては、食べ物を粗末にするのはいただけないね」


 そういや阿久津の家って、そういうことをするお笑い番組とか見るの禁止だったっけな。


「大丈夫よツッキー。いざという時のために、ちゃんとカレールーも用意してあるし」

「カレー?」

「味の誤魔化しじゃない? カレー味って、色々と隠せるから」

「ユメノン大正解! 嫁の飯がマズイ時にはカレー味よ!」


 お前は嫁側の人間なんだから、誤魔化すよりも飯マズ料理を作らない努力をしてほしい。

 高校生男女が闇鍋をすると宵闇鍋ならぬ良い闇鍋になるという新たなトリビアが生まれる中で、思い通りにならなかった火水木は深々と溜息を吐いた。


「そもそも出汁の味が崩壊してない時点で、もう普通の鍋なのよねー」

「そ、それなら電気を付けても良いんじゃ……」

「却下! まだアタシの具材が底に埋もれたままじゃない」

「じゃあこのちくわぶは夢野のか。誰も食べないなら貰うぞ」


 実は関東ローカルな食材ちくわぶ。一品物だけあって誰も食べようとしなかった、細長く大きな塊を遠慮せず箸で掴むとパクリと一齧り。


「ヴェエイッ?」


 そして思わず変な声を上げた。あまりにも突然の出来事に、周囲の仲間達も驚く。


「ど、どうしたの櫻君っ?」

「こ、こいつ……ただのちくわぶじゃない! 正体をみせろーっ!」

「ドゥハハハハ…………って、本当に何よそれ?」

「さて、何でしょうか?」


 ただ一人答えを知っている少女は取って貰えたことが嬉しいのか、ニッコリと笑顔を浮かべていた。ニョキっと小さな角が生え、小悪魔めいた姿に見えるのは気のせいだろう。

 改めて口に入れてみると、心の準備もできていればそれほど驚きはしない。しかし味はどうかと言われたら、正直言って美味しいとはお世辞にも言えなかった。


「これは…………バナナか?」

「うん。バナナだよ」

「流石はユメノン! そうそう、闇鍋はこうでなく……ちゃ……」

「……マミ、それ何?」

「アタシの用意した桃缶の桃……」


 自分で用意した外れを自ら引いてきた火水木に、阿久津がやれやれと溜息を吐く。

 結局今回の外れはバナナと桃で、引き当てたのは俺と火水木が二回ずつに葵が一回。リアクションを見たかった正面の三人は、宵闇鍋を普通に美味しくいただくのだった。


「来年よ……来年こそは…………」


 お前、一度でいいからって言ってたじゃん。

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