一日目(月) 通知表はイランだった件
「おおう……」
終業式を終え、通知表という名のネクロノミコンを確認した俺は思わず呻いた。
ヤクザの組長みたいな面構えをしたモジャモジャ頭の担任が、羽目を外し過ぎないようにという定番の注意を話し終えると、長かった二学期も終わり冬休みへと突入する。
普段なら俺も周囲同様にウキウキの筈だが、英語に五段階評価の2という前代未聞の数字がついたのを目の当たりにしては喜べない。やはり期末でやらかしたのはマズったか。
「……ヨネ、今日は?」
「おう、行くか」
席替えをしてから約二ヶ月。周囲を無口集団に囲まれた無人島は、やはり最後尾だけあって授業に集中せず居眠りや内職三昧だった。間違いなくこれが成績低下の原因である。
一次的狂気に陥りそうだった俺を止めたのは、癒しの少女冬雪。席替えによる一番の変化と言えば、陶芸部まで移動する際に彼女から声を掛けられるようになったことだろう。
以前もたまには一緒に向かう日もあったが、それでも毎日という訳じゃない。席が近くなったからか、はたまた新密度が上がったのか。
「……通知表どうだった?」
「だ~れかさんが~だ~れかさんが~♪」
「……もう冬」
前言撤回。外に出るなり、いきなりSAN値チェックさせられるとは思わなかった。
空気が冷え込んでいる中、冬雪はブレザーの下にセーターこそ着ているもののコートは身に着けていない。スカートから伸びている綺麗な脚も、タイツを穿かずに素肌を晒している。
夏はリボンまで外して苦しんでいた辺りから察するに、どうやら暑さに弱く寒さには強い様子。冬雪という苗字の通り、氷系属性を持ってるって訳か。
「成績ねえ……例えるならヒューストンって感じだな」
「……ハーバードレベル?」
「アメリカってイメージだけで繋げるなよ。普通にこう、ヒュー……ストンって感じだ」
「……なら私はギニア」
「成程、わかりやすいな。ギニァって感じだったのか」
如月と見せ合っているのがチラリと見えてしまったが、パッと見た限り冬雪の成績は俺と大して変わらない中の下から中の中、要するに平均レベルだ。
彼女は俺と違い真面目に授業を受けているため、もっと良い成績を取っていそうなイメージだったが……ああでも、匠だけにテスト期間も家で勉強せず何か作ってそうだな。
くだらない想像と会話をしながら芸術棟へ入ると、一階にある陶芸室のドアを開けた。
「おはようございます米倉クン。冬雪クン」
「ちわっす」
「……こんにちは」
電動ろくろの並ぶ部屋で俺達を出迎えたのは、白衣を纏った糸目の若い男。青春大好きな陶芸部顧問の
「どうしたんですか?」
「学期末というのは、教師陣にとって色々と忙しい時期でしてねえ。先生、流石に疲れたのでここで皆さんから青春パワーを貰うことにしました」
「……お疲れです」
「おお、ありがとうございます冬雪クン。女子高生に肩もみなんてされたら、元気百倍ですねえ。先生やってて良かったなって思います」
「高校教師の生きがいがそれって、色々と駄目な気がしますけど」
「そう言われましても、先生も人間ですからねえ。それに裏で何を考えているかわからない教師より、こうしてはっきりと口に出して喜ぶ方が自然で安心じゃありませんか?」
言われてみればそうかもしれないが、結局どっちも変わらない気がする。
冬雪のマッサージに恍惚としている伊東先生を眺めていると、ドアが勢いよく開けられ火水木が現れた。コイツもマフラー程度と防御が薄いが、まあ脂肪があるから納得だ。
「おっす」
「やっほー……って、イトセンどうしたのよ?」
「おはようございます火水木クン。先生、青春パワー補給中ですねえ」
「売春パワーの間違いじゃなくて?」
「………………冬雪クン。もう結構です。ありがとうございました」
火水木の一言がショックだったのか、伊東先生はムクッと起き上がる。そして傍らに置いていた袋からおにぎりを取り出すも、開け方に失敗して海苔が真っ二つに裂けていた。
「……マミ、お疲れ。通知表どうだった?」
「何々? 見せ合いとかしちゃう?」
「いや、見せ合うんじゃなくて国名で表現してくれ」
「何よそれ? うーん…………」
胸を強調するように少女は腕を組み考える。
忘れていたがコイツは今学期も成績優秀者を維持したガラオタの妹。そして今のリアクションを見た限り、スカウターが壊れんばかりの成績力を持っていそうだ。
「ルクセンブルクって感じ?」
「そうか、ルクセンブルクか……わかんねーよっ!」
「唐突に国で例えろって言う方が間違ってんでしょうがっ!」
「そんなことはない。冬雪はちゃんと答えられたぞ」
「……ギニア」
「今日も元気そうで何よりだけれど、廊下まで声が聞こえているよ」
現れるなり冷静に指摘する阿久津の言葉を聞いて、火水木がハッと我に返る。興奮すると声がでかくなる癖は昔からなのか、相も変わらずといった様子で治りそうにない。
「よう」
「やあ」
手袋とマフラーに加えコートを身に着け、細い脚には黒タイツを穿いた少女。本来あるべき冬の女子高生らしい恰好だが、露出が減って残念ではある。(ただしタイツは除く)
いつも通りの挨拶を交わし、阿久津は着ていた上着を脱ぐ。真っ直ぐ伸びた黒髪は腰を超えスカートに届き、すれ違えば誰もが振り返るような長さになっていた。
「おはようございます阿久津クン」
「こんにちは伊東先生」
「じゃあいきなり振られて例えられるかどうか、ツッキーで試してみようじゃない」
「いや、アイツは相応しい国名はカタールと決まってる」
「何でよ?」
「カタールまでもないからな」
「うわっ、さぶっ!」
冬だから仕方ない。勿論この陶芸室にはちゃんと暖房が付いているけどさ。
「何の話だい?」
「ネックが成績を国名で表現しろって言うから、ルクセンブルクって答えたのよ」
「ルクセンブルク……ちょっとわからないね」
「……ギニア」
「うん、音穏のはわかりやすいよ」
「そして俺はヒューストン!」
「自信満々に宣言しているけれど、それは国名じゃないという突っ込み待ちかい?」
「確かに国じゃナイジェリア!」
「そもそも成績を表現するなら、キミにはシンガポールという相応の国があるじゃないか」
「だから誰が赤道直下だっ! 赤点は取ってないっての!」
今で大体タイくらいだろう。もし期末英語のやらかしを中間でもやっていたら、シンガポール直行だったかもしれないけどな。
言っても反感を買い言わずとも反感を買う。そんなどう足掻いても絶望な成績優秀者らしく、阿久津は自分の結果に触れないまま弁当箱を取り出す。
「櫻は今日も昼抜きかい?」
「俺のことは放って置いてくれ」
「お腹を黙らせてから言ってほしいわね。じゃあこれあげる」
てっきりおかずなり手作り弁当の一つなりくれるのかと思いきや、火水木から渡されたのは一冊の本。それも血液型占いという、中身の無さそうな表紙だった。
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