三日目(土) 俺が阿久津のペットだった件

「櫻」

「…………」

「櫻っ!」

「わっ? な、何だよっ?」


 制服へ着替え髪を解き、いつも通りの姿に戻った阿久津は俺を見るなり苦笑を浮かべる。


「船を漕いでいたけれど、流石のキミも眠いみたいだね」

「はっはっは。そんな馬鹿な」

「ついでに言うなら、涎も垂れている」

「っ?」


 慌てて袖で口元を拭う。ぬおお、これは酷い。

 俺と阿久津は食休みを挟んだ後で卓球を再開。ちなみに結果は3―2で俺の勝ちだが、この3―2はポイントではなく試合回数……つまり三点マッチを計五回もやっていた。

 拮抗し白熱した試合だったため気付かぬ間に試合数が増えており、最終的には俺の体力が無くなったため終了。再び休憩を挟んだ現在時刻は、もうすぐ午前二時になる。


「音穏を起こして、代わって貰うといい」

「寝てる冬雪を起こすなんて俺にはできん」

「それならボクが起こしてこよう」

「いやいや待て待て」


 躊躇いなく立ち上がり準備室へ行こうとした阿久津を慌てて止める。そういう意味で言った訳じゃないから。優しい米倉君キャーステキって流れだからこれ。


「ボクと音穏に任せて、キミは眠ればいいじゃないか」

「大丈夫だ、問題ない」

「キミがそう言うなら構わないが、次に船を漕いだら音穏を起こしにいくよ」

「よしきた」


 そんな簡単に俺がウトウトする訳がないだろう。

 確かに眠いのは事実だが、伊東先生が戻ると言ってた三時までくらいなら耐えられる筈だ。ただちょっと瞼が重いから、少しの間だけ目を閉じよう。ほんの五秒だけ…………。


「櫻」

「………………」

「櫻っ!」

「っ? ね、寝てないぞ!」

「それは寝かけていた人の言う台詞だよ。音穏を起こしてくるから――」

「嫌だっ! まだ寝ないっ!」

「クリスマスにサンタを待つ子供かキミは」

「ちょっと夜風に当たれば、すぐ目が覚めるから大丈夫だっ!」


 生温かい空間に頬杖をつける大机という、この環境が眠気の原因に違いない。

 扉を開け外に出た後で段差に座ると、阿久津も後に続き俺の隣に腰を下ろした。


「な、何だよ?」

「外で眠りでもして、風邪を引かれたら困るからね」

「だから寝ないっての! いっそコンビニに行って、眠気覚ましのドリンクでも買うか?」

「そんなことをしたら、ボクはキミを物理的に寝かせるよ」


 見るからにわかる作り笑顔を向けられた。薬物に頼るくらいなら大人しく寝ろという正論だが、そこまで言われると一体何をされるのか怖くて逆に目が覚める。


「こうしてみると夜勤って大変だな。さっきの店員も眠そうだったし」

「キミはバイトしたりしないのかい?」

「特に欲しい物もないし、そもそも面倒だからな。そういう阿久津はどうなんだ?」

「ボクにはバイト禁止令が出ているよ。学生の本分は勉強だと言われているからね」

「相変わらずお堅い家だな」

「そうでもないさ。こうして部活は許されているし、親からすれば充分にやりくりできるお小遣いを渡しているんだ。それ以上の金銭を欲する方がおかしいだろう」

「じゃあ社会経験のためにバイトがしたいって言ったらどうなるんだ?」

「ふむ……その理由は考えていなかったよ。恐らくだけれど、社会経験なら大学に入ってからすればいいと返されるかな」

「そういうもんか」

「夢野君はどっちだろうね」

「ん?」

「彼女もコンビニでアルバイトをしているじゃないか。金銭のためか、社会経験のためか」

「言われてみれば、考えたこともなかったな」

「昔あった彼女との繋がりを追うのは構わないけれど、今の夢野君を見てあげるべきだとボクは思うよ。どんなに懐かしがったところで、人は過去には戻れないんだ」


 確かにそれも一理ある。

 深い一言を呟いた後で、俺の応えを待たずに阿久津は立ち上がった。


「そろそろ時間だ。窯の様子を見に行こうか」

「だな」


 窯場へ向かうが、ガス窯はこれといって問題なし。温度が低くなったら携帯に連絡してくださいと伊東先生には言われたが、相変わらずの超高温を維持している。

 ここまで順調だと窯番の必要性を疑いたくなるが、何百という作品を焼いている訳だし早々異常なんて起こるものじゃないんだろう。いや、フラグじゃなくて。


「さて、戻ろうか」

「おう……わとっ?」


 中腰から姿勢を起こし向きを変えた際に、脚がもつれバランスを崩す。

 倒れると思った身体は、角度にして60度くらいで止まった。


「おっと」


 理由は単純で、前方にいた少女が受け止めてくれたから。

 もう少し言い方を変えると、俺が阿久津を抱き締める形で支えにしてしまった。


「!」

「ついには足元もおぼつかなくなったのかい?」


 60キロ近い体重により後方へ押されかけた少女は、無事を確認する意味で手を回すなりポンポンと背中を軽く叩く。

 密着したことで感じる、柔らかい感触と心地良い香り。眠気のせいで理性が正常に働いておらず、本能のまま衝動的にギュッと抱きしめようとした。


『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』


「っ?」


 ギリギリの所で湧き出る欲求の歯止めとなったのは、ポケットの中で震える携帯電話。名残惜しさを感じつつも、ゆっくりと少女から身体を離す。


「わ、悪い」

「大人しく眠ってくれると、ボクとしては助かるんだけれどね」

「だ、大丈夫だ! ただ躓いただけだから!」


 というよりも、今のハグで完全に目が覚めたから問題ない。俺にとっては眠気覚ましのドリンクなんかよりも、充分過ぎる程に刺激的な薬だった。


「全く、キミは手が掛かるな」


 そう呟いた後で、阿久津は一人先に陶芸室へと戻っていく。

 手が掛かる……か。

 きっと彼女は俺のことを、一人の異性ではなく弟みたいに見てるに違いない。そう考えると告白なんて、夢のまた夢みたいな話だった。

 しかしこんな時間にメールなんて、一体どこの常識知らずだよ。


『陶芸部で水無月ちゃんと一緒にお泊まりなんだって? これは恋の急接近な予感! お土産話、楽しみにしてま~す♪ PS、実家に寄生なう』

「…………」


 その急接近を見事に引き離された件。土産話なんて、絶対にしてやるもんか。

 誤変換のせいでニートみたいな文面になってる姉からのメールを見て、俺は深々と溜息を吐いてから阿久津の後を追うのだった。




 ★★★




「…………来にゃい」

「ああ、来にゃいね」


 現在時刻、午前三時ちょっと過ぎ。

 最早眠気で呂律すら怪しい俺の呟きに、勉強会から数えて三本目くらいになる棒付き飴を咥えながら読書中の阿久津が合わせる形で反応してくれた。


「何で来にゃい?」

「伊東先生も色々と忙しいからだろう」

「いつ来る?」

「キミが眠った後じゃないかな」

「待てにゃい」

「無理して待つ必要はないけれどね」

「モウガマンデキナイ!」


 これが本当の深夜テンションってやつなんだろうな。

 自分自身が酒に酔った人間みたいに面倒臭いことを自覚していながら、意味不明な発言を繰り返す。こんな奴でも相手にしてくれる阿久津さん、マジ天使ですわ。


「はあ……仕方ないな」


 酔っ払いの介護が流石に疲れたのか、少女は溜息を吐いた後で立ち上がった。

 俺の方へ回り込むなり、隣へ椅子をいくつか並べる。五、六個ほど横に揃えた後で、一番は端の椅子だけ少しずらしてから少女は腰を下ろした。


「にゃにして……わー」

「よいしょっと」


 肩を掴まれたと思いきや、そのまま横へ引っ張られる。

 抵抗する力もなく重力に従い倒れていくと、頬がプニッとした感触に辿り着いた。


「やれやれ。キミは本当に手が掛かる」


 本来なら触れることすら叶わない、短めのスカートから覗かせる太腿。ニーハイソックスは履いていないが、俗に絶対領域と呼ばれている禁じられたエリア。

 膝枕ならぬ太腿枕なんて普段なら間違いなく発情レベルだが、横になれば一秒足らずで眠れるのび太君状態な今は快適としか感じない。

 優しいソフトタッチで頭を撫でられると、あっという間に眠りへ堕ちていく。

 意識が途切れる直前に聞いたのは、少女の小さな呟きだった。


「よしよし。良い子だアルカス……じゃない。櫻」


 弟どころか、ペット扱いだったんかい。

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