三日目(木) 昔のアルバムが黒歴史だった件
「だから悪かったってば~お兄ちゃ~ん」
ソファで寝転がっている俺の腰を、勝手にマッサージしてくる妹。帰るなり黙りっぱなしの姿を見て怒っていると勘違いしているようだが、その理由は勿論別件である。
『ばいばい、米倉君』
振り返った時には別の客を対応しており聞けなかったが、夢野蕾は俺を知っていた。
文化祭の女装で一躍有名になった葵じゃあるまいし、広い屋代で米倉櫻という名前を見るとしたら、せいぜい数学テスト上位の貼り出しくらい。ただ顔と名前が一致していたことを考慮すれば、彼女の情報源は恐らく違うだろう。
となると知り合いである可能性が高いが、俺には一切心当たりがなかった。
「…………なあ梅。夢野蕾って女の子、知ってるか?」
「はえ? 新しい芸能人か何か?」
「いや、やっぱ何でもない」
「何々? お兄ちゃん、ひょっとして怒ってるんじゃなくて考え事してたの?」
「いつ誰が怒っていると言った?」
「だってだって、途中で電話切っちゃうんだもん」
「そういやそうだった。ほれ召使い、コイツの充電を頼む」
「はいは~い……って、電池切れだったんか~い!」
ノリ突っ込みする妹を放置し、昔のことを思い出してみる。
中学校……小学校……幼稚園…………、
「いや無理だろ」
覚えていると言っても、せいぜい小学校までの断片的な記憶だけ。幼稚園に至っては、どこに何の遊具があったかすら思い出せない。
「さっきからお兄ちゃん、何一人でブツブツ呟いてるの?」
「ちょっと訳あって昔の知人らしき人物に会ったんだが、何一つ思い出せなくてな」
「さっき言ってた名前の人?」
「ああ」
「ふ~ん」
ゴロリと仰向けになり、傍らに置いていた桜桃ジュースへ手を伸ばす。
もしも彼女が俺と顔見知りで、あの120円の値札も声を掛けさせるための意図的な行動だったとしたら……?
いつぞやアキトが言っていた絵空事に近い想像だが、指摘された後の反応を見た限りではその線も否定できないのが正直な感想だ。
「よいしょっと」
「…………ん? 梅、何だそれ?」
「えへん。察しのいい妹から、お兄ちゃんへ愛の奉仕活動だよ」
「だからそういう表現は誤解を招くから……って、へぇー。こんなのがあったのか」
「やっぱ知らなかったんだ? お兄ちゃん、こういうの興味持たないもんね」
一度見た後は闇の世界に封印し、大掃除の際に発掘したら作業を中断。小学校や中学校の卒業アルバムなんて、個人的にはそんな認識でしかない。
梅がテーブルに置いた冊子の束は、小学校一年から六年における計六冊のクラス文集。そして何より驚いたのは、一番上に置かれている卒園アルバムだった。
「暇だし、梅も探すの手伝ってあげる! えっと、何だっけ?」
「夢野蕾だ。引っ越した子の可能性が高いから、梅は文集の方を低学年から順に見てくれ。俺は卒園アルバムを見てから、お前が見たのを追いかけていく」
「らじゃ~」
―― 五分後 ――
「あははははっ! 二年生のお兄ちゃんの作文、何これ~」
「…………」
「他の子は二重跳びとか逆上がりとか25メートル泳げたって作文ばっかり書いてるのに、一人だけ『逆さごま』って。駄目、無理だよぉ~。お腹痛い~」
「………………」
「あっ!」
「見つけたのかっ?」
「昔のお兄ちゃんの写真可愛いっ! 何これっ? 誰っ?」
「俺だよっ!」
―― 十分後 ――
「四年生のお兄ちゃんのページ紹介~。イエ~イどんどんパフパフ~」
(また何か始まったし……)
「先生に一言! 一年間ありがとうございました」
「ふむ」
「一年間で楽しかったこと! お楽しみ会で遊んだこと」
「ふむふむ」
「生まれ変わったら! 大きくて強い木になりたい」
「………………」
「しかも二十年後の似顔絵が一人だけ髭の生えたおじいさん! もう駄目、お腹痛い~」
「真面目に探せっ!」
―― 十五分後 ――
「楽しかった修学旅行」
「あ?」
「僕は修学旅行へ行きました」
「ふむ」
「そこで、短歌風にまとめました」
「は?」
「バスに乗る・いっぱい人が・乗っている・みんなで遊んで・面白かったよ~」
「…………」
「グループで・自由行動・してたらね・途中で迷子に・なったかな~」
「止めてくれっ! マジ勘弁してくださいっ!」
「ホテルでね・色々探検・してみたら・滅茶苦茶広くて・ビックリだよ~」
「ノォォォォォォン!」
―― 二十分後 ――
「…………で、収穫は?」
「う~ん、お兄ちゃんの赤裸々な過去? あっ! 昔のミナちゃん可愛い~」
「…………」
もう『あっ!』の時点で反応するのは止めにした。
梅の奴が作文や自己紹介や写真といった、どうでもいいページばかり見ているせいで一時間が経過。しかしこれといった成果はないまま、現在は梅が幼稚園のアルバム、俺が小六の文集(二度目)を確認中だ。
「こういう写真見てると、近所で遊んでた頃が懐かしいね~」
「まあな」
確かにあの頃は幸せだった。第一に阿久津の奴が優しかったし、それに阿久津の奴が可愛かった……ってあれ? 今と変わったのってアイツだけじゃねーのこれ?
「桃姉もお兄ちゃんもミナちゃんも、みんな中学校に入ったら遊んでくれないんだもん。いつの間にか呼び方も変わっちゃって、一人残された梅は寂しさMAXだよ?」
「中学生になったら色々大変なのは、現在進行形のお前ならわかるだろ?」
「部活と勉強で忙しイング!」
「わかれば宜しい。しかしこれだけ探しても手掛かりなしか……」
「お兄ちゃんの勘違いだったんじゃない? えっと、何蕾さんだっけ?」
「夢野だよっ! お前は今まで何を探してたんだっ?」
「ちゃんとそれっぽい感じで覚えてたもん! 何かこう、ヤ行っぽいな~みたいな?」
「…………(ペラリ)」 ←もう一回見直し始める。
「あ~っ! 信じてないでしょっ? これでも梅はお兄ちゃんをぬか喜びさせないように気を遣って、夢野じゃない蕾さんを見つけても報告しないであげたのに」
「それ以前に余計な報告が多すぎだっての。第一夢野じゃない蕾さんって何だよ?」
「えっと、確か……土浦……だったかな?」
パラパラと幼稚園のアルバムをめくる梅。
そして俺のいたタンポポ組ではなくヒマワリ組のページを開いた妹は、集合写真に写っている一人の幼い女の子を指差した。
「そうそう、この子この子。やっぱり土浦蕾さんだ! 梅の記憶力は世界一ぃ~!」
「記憶力を誇るなら、元寇で使われた武器を覚えてから…………っ?」
「ぎゃんっ!」
アルバムを見ようとして梅を突き飛ばしてしまったが、詫びるのは後回しだ。
どうしてこんな当たり前の可能性に気付かなかったんだろう。
俺は夢野という苗字ばかり探しており、蕾という名前を見ていなかった。
「あ痛たた。も~、いきなり突き飛ばさないでよお兄ちゃん」
「ああ、悪い」
「その子だけど、苗字違うよ?」
「…………」
確かに苗字は違うが、この顔にはどことなく面影がある。
十年以上もの月日を遡り、俺はとうとう夢野蕾との関わりを見つけたのだった。
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