三日目(木) 相生葵が救世主だった件
「イヒッヒィーッ! 120円で募金って、草生え過ぎて腹がっ! フヒッ!」
「…………もう草でも木でも好きなだけ生やしてくれ」
「木ィーッ! 木ィ生えるとか、大草原ならぬ大森林不可避ィッヒッ!」
結果を報告するなり、当然とも言える反応が返ってきた。赤ちゃんみたいな引き笑いをするオタちゃんに対して、葵は真剣に悩んでおり決して俺を笑いはしない。
入学当初にガラオタと友達になってしまい絶望した時も、コイツはアキトの喋り方に引くことなく接してくれたし、本当に優しくていい奴だ。
「げ、元気出してよ櫻君。き、今日のお昼も食べてないし……」
「食欲ない」
「だ、だけどちゃんとご飯食べなきゃ、授業中お腹空いちゃうよ?」
「したら寝る」
「だ、駄目だよ! ね、ねえアキト君、何とかならない?」
「ヒフヒッ? そう言われましても、最早わざとやっているとしか考えブッフォ」
「わざと値札貼る理由なんてあるかっての」
「いやいや店員だけでなく、米倉氏の方も? ここまでくると二人でコントしてるレベルですしおすし……フヒヒッ」
こんなのコントじゃないわ! ただの公開処刑よ!
そう応えようと思ったが「だったら言えばいいだろ!」と返されそうなので止めた。
「で、でも前の値札が外れてたなら二回目なんだし、きっと店員さんもすぐに気付くよ」
「そうだといいんだけどな……」
「え、えっと……き、昨日も聞いたかもしれないけど、店員さんが櫻君の知り合いって可能性はないんだっけ?」
「ああ。夢野蕾なんて印象的な名前、知ってたらそう簡単には忘れない……と思う」
「えっ?」
俺が口にした名前を聞くなり、葵が驚いた声を上げた。
パソコンを弄りながら未だに弁当を食べているアキトが、白米を飲み込みつつ尋ねる。
「どしたん相生氏?」
「う、うん。同じ名前の女の子が、音楽部の一年生にいるから驚いちゃって」
「本当かっ? ハウスはっ? 漢字はっ? 特徴はっ?」
「わわっ! お、落ち着いて櫻君。夢に野原の野、花が咲く前の蕾で夢野蕾さんだよ。身長はボクと同じくらいで、髪型は短めのポニーテール。ハウスはFハ――」
「行くぞスネーク!」
「えぇっ? スネークって……? ちょ、櫻君っ?」
葵の腕を引っ張り上げると、俺は教室を抜けハウスホールを全力疾走した。
「こちらヨネーク。聞こえるかスネーク」
「だ、だから僕はスネークじゃないよ? 櫻君、ちょっと落ち着いて……ね?」
「了解だイザーク。目標は見つけたか?」
「う、ううん、まだだけど……って、イザークでもないからね?」
「通信を怠るなよ、スイーツ」
「す、すぐ隣に居るから通信も何もないけど……もう人名ですらなくなってるよ?」
現在位置はFハウスのハウスホール二階。
流石の葵もクラスまでは覚えていなかったため、まずは一階にある一年の教室を見渡せるこの位置からターゲットの確認をしようという作戦だ。
「あ! み、見つけたよ」
「本当かアイーンっ?」
「…………櫻君。僕、教室に戻っていい?」
「ごめんなさい」
「えっと……F―2の中央辺りに三人の女の子が立ってるけど、その真ん中の子」
葵に言われた教室内部を、目を凝らして確認する。
もし席替えをしていなければ、夢野蕾という名前から予想される座席は最奥の後部付近。ここからでは奥が死角になっているため、中央にいるこの機を逃す訳にはいかない。
「!」
…………いた。
服装がコンビニの物ではなく屋代の制服だが、あの顔は間違いなく彼女だ。
ショートポニーに髪を結び前髪を桜の花びらヘアピンで留めている少女は、友人と思わしき女子達と雑談を楽しんでいる。
「ど、どうかな?」
「…………葵」
「ひ、ひょっとして違っひゃああっ?」
「葵ぃーっ! お前は最高だぁーっ!」
か細い身体を抱き締めると、胸に顔を埋め擦り合わせた。
ボタンが引っ掛かってちょっと痛いが、今はそんなことはどうでもいい。
「さ、櫻君っ? 少し落ち着いてって!」
「葵ぃーっ! 愛してるぞぉーっ!」
「あ、愛してるって言われても、僕も櫻君も男同士だってば!」
「そんなことはないっ! 今や俺の愛は性別を超えているっ!」
「な、何言ってるのか意味がわからないよっ? とにかくこの手を離して――――」
「キミは一体何をしているんだい?」
――――思考停止。
ちょっとした冗談のつもりだったが、思わぬ声を聞いて硬直した。
ゆっくり顔を離し左へ90度回転させる。そこには女子トイレから出てきたと思わしき阿久津が、身も凍るほど冷酷な視線をこちらに向けていた。
もう何ていうか、目で人を殺せるんじゃないかってレベルである。
「………………」
そういえばコイツ、Fハウスだったわ。
葵を抱き締めていた手を離すと、何事もなかったかのように静かに立ち上がる。
「いつからいた?」
「キミが彼へ、熱烈な愛の告白を始めたところからだね」
「どうしてここにいる?」
「それはこちらの台詞だと思うよ。キミの教室はCハウスだろう?」
「今、何を考えてる?」
「性別を超えた愛の誕生を、心より祝福すべきか考えているね」
「…………」
「………………」
「誤解だっ!」
「例え誤解だとしても、迷惑がっている彼へキミが求愛したのは事実だろう?」
「ぐはっ!」
痛恨の一撃! 櫻は120のダメージを受けた!
「さ、櫻君っ?」
「葵……俺はもう駄目だ……お前だけでも逃げ…………ろ……」
「自己紹介が遅れて申し訳ない。ボクは阿久津水無月。櫻とは腐れ縁というか……いや、櫻と腐れ縁なのはキミの方かもしれないね」
俺のリアクションを無視した阿久津が、淡々と話を進める。っていうか何ちゃっかり腐れ縁の意味を『腐ってる方々が喜びそうな仲』的な理解に変えてるんだよ。
「あ……ど、どうも。相生葵と言います。櫻君とは同じクラスでして」
「相生って苗字とキミの風貌から察するに、文化祭で女装した相生君かい?」
「そ、そうなんですけど、そのことはあまり触れないで貰えると助かるというか……」
「それはすまない。キミも色々と苦労していた訳だね。櫻のクラスメイトということだし、大方そこの同性愛者が迷惑を掛けたんだろう?」
葵のコンテストには一切関わっていないのに、とんだ濡れ衣を着せられたもんだ。ここは一つ、心優しい友人に弁解してもらい誤解を解くとしよう。
「そ、そんなことありません……多分」
「多分かよっ?」
「何だ、もう生き返ったんだね。ちゃんと神父さんにお願いして1G払ったのかい?」
「安すぎるだろ俺の命っ! 薬草一つでも8Gだぞっ?」
「馬の糞の売値が1Gだから分相応だろう。寧ろ錬金に使えるだけキミより便利だね」
「もう止めろっ! 俺のライフはとっくに0だっ!」
「まだ0だったのかい?」
「逃げるぞ葵っ!」
「えっ? 逃げるって……さ、櫻君っ?」
このままだと精神的な面で抹殺される。
戦略的撤退を決め込んだ俺は、悪苦痛……じゃなくて阿久津から全力で逃走した。
「…………ね、ねえ、櫻君」
ハウスとハウスを繋いでいる、モールと呼ばれる渡り廊下を歩いていた途中のこと。思わぬ情報を手に入れ意気揚々とする中で、声を掛けてきた救世主の方へ振り返る。
「ん? 何だ葵?」
「ゆ、夢野さんがFハウスにいるって知って、その後はどうするの?」
「…………」
教室へ戻った俺に、アキトから『ストーカー乙』というトドメの一撃が加えられた。
★★★
まだ作品が乾いていないため、今日の部活は削りの工程に入らず勉強会だった。
ちなみに阿久津はといえば、大魔王からは逃げられないとばかりに精神攻撃を仕掛けてくる始末。心無しか冬雪の見る目まで冷たかった気がしなくもない。
「はあ……」
そんなこんなで疲れ果てた俺は現在、重い足取りで自転車を漕いでいる。
値札の件はそれとなく気付かせて貰えないかと葵に頼んでみた。つまりこれでようやく、ストーカー呼ばわりされる生活も終わりという訳だ。
「ん?」
コンビニを通り過ぎようとした丁度その時、ポケットの中で携帯が振動する。取り出してみれば電話じゃなくメール、それも噂をすれば葵からだった。
『ごめん、言えなかった』
…………何でこう、絶妙なタイミングで送ってくるかな。まあ本文の後に付いている不等号の顔文字が無駄に可愛いから許すけどさ。
ガラケーを閉じようとした瞬間、今度は間髪入れずに電話が掛かってくる。ただその相手は葵じゃなく、画面に表示されているのは能天気な妹の名前だ。
「もしもし?」
『もし~ん。お兄ちゃ~ん、今どこ~?』
「…………まさかお前、買い物してこいなんて言い出さないだろうな?」
『流石はお兄ちゃん! 梅とはツーカーの呼吸だね!』
「どんな呼吸だよそれ? 正しくは阿吽の呼吸、もしくはツーカーの仲だ」
揃いも揃って、そんなに俺をあのコンビニへ行かせたいのか?
…………いや待て。葵から数秒前に言えなかったと連絡が来たなら、きっと音楽部は今終わったばかり。つまり今あのコンビニに彼女はいない筈だ。
『助けてよお兄ちゃ~ん。緊急事態だよ~。冷蔵庫に何も飲み物が無いよ~。喉カラカラでもう喋れな……い……』
「蛇口を捻れば水が出る。日本は素晴らしい国だぞ?」
『梅、お兄ちゃんのジュース飲みたいな~』
「そういう表現は誤解を招くから止めなさい」
『っぷはぁ~、生き返った~』
「飲んでるだろお前っ? 俺の許可どうこう関係なく、既に飲んでるだろそれっ?」
『えへへ☆』
えへへじゃねーよ。まだ可愛げのある妹だから許せるけど、これが横綱みたいな妹だったら回し蹴りを喰らわせ……ようとしたら百裂張り手を返されそうだな。
非常用もといテスト勉強をする際のガソリンとして置いていた桜桃ジュースだが、飲まれてしまっては仕方ない。後で一割増しの代金を請求してやろう。
『ま~ま~。お礼に梅、何でもす――――』
「ん? あ……」
梅が余計なことを言いかけた矢先、携帯の電池が切れた。
最近の懐かれ具合は異常な気もするが、これも姉貴がいなくなった影響なんだろうか。困った妹だと呆れつつも、何だかんだでコンビニへ向かう。
「いらっしゃいませ」
何の注意も払わずに店内に入ってからの硬直。
レジでは昼にFハウスで目撃した少女が、営業スマイルを俺に向けていた。
…………双子の妹?
いやいや名前とか同じだし、流石にあり得んだろそれは。
つまりあれだ。考えられる可能性としては既に音楽部の活動はとっくに終わっていて、葵が俺にメールしたのが遅かっただけとか、そういう感じのやつか。
「…………恨むぞスネーク」
できることなら、段ボールをかぶってここから脱出したい。
勿論そんな真似をする筈もなく、桜桃ジュースを含めた飲み物をいくつか買った俺は意を決しゆっくりレジへ向かった。
入店した時からわかってはいたが、彼女の胸には今日も120円の値札が付いている。
「あ、あの……」
「はい?」
少女に言われた代金を支払い、お釣りを受け取る前に自然と口が開いた。
鼓動が速くなっていく中、肺に空気を送り込む。
「言いにくいんですけど……その、ネームプレートに……値札が……」
普通に発したつもりだったが、後になるにつれて小さく弱々しくなっていた声。
アキト以外の友達を求めて葵に声を掛けた時も、確かこんな感じだった気がする。今思えばアイツから見た俺は、相当滑稽だったに違いない。
「………………すいません、ありがとうございます」
「えっ?」
声が届いていたことに驚く。
彼女は恥ずかしがることもなく、慌てることもないままニコッと微笑んだ。
数日へ渡り目にしていた120円の値札は、少女の手によって簡単に剥がされる。
「300円のお釣りと、レシートになります」
そしていつも通り渡される、お釣りが乗せられたレシート。
商品を受け取ってからレジを去ろうとした俺に向けて、彼女の口元が僅かに動いた。
――――ばいばい、米倉君――――。
小さな小さな呟き。
小心者だが難聴ではない俺は、決してその綺麗な声を聞き逃しはしなかった。
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