06 今日だけ
楽しい時間はあっという間に過ぎゆく。
何故に時間という存在は、流れゆく速度を不変にできないんだろう。
不平等で、不公平な時間の中。
そんな世界に産み落とされた不平等で不公平な僕等。
この世界は、本当にひどい世界だと思う。
幸せな時間がもっともっと、今より長く感じられるようになれば、この世界のどこかにいるだろう誰かの一人一人が、苦しみと悲しみとそして絶望を前にして自ら死を選ぶことも少なくなるかもしれないのに。
辛い時間の方が長く感じられるんだから、僕達は本当に嫌な世界に生きている。
デパートの前。
ほんの数時間だけの、たったそれだけの思い出を積み重ねた僕は、彼女の様子を窺っている。
彼女は幸せそうだった、表向きは。
他の誰とも変わらない。
「今日は楽しかったよ」
「こちらこそ」
もう別れ際。
彼女に変わりは見えない。
彼女は普通だった。
至極普通に見える。
この場合の普通がどんな普通かと問われると、若干定義が揺らぎかねないので僕なりのものを説明させてもらう事になるが……、つまりは今すぐに自殺しそうな人間にはとても見えない、という意味での普通。
「ありがとうね。良い気分転換になったよ」
「それは良かった」
魔法の時間はここで終わり。
枯渇して在庫切れ、品切れで打ち止めだ。
きっと、僕にも彼女にも昨日と変わらない明日が待っている。
きっと、彼女のあの行動は一時の衝動。
気の迷い。
頑くなで絶対の意思で定められたものでは無かっただろうから。
さよなら、の言葉で今日は終わるだろう。
それでいい。
結局僕の抱いていた疑問は晴れなかったけれど、それなりの充足感は得られたのだから。
おかしな力を持っていたとしても、僕はただの人間に過ぎない。
たった一人にできる事などたかが知れている。
たった一人が世界から、運命からはみ出せる領域など、ほんのほんの少しばかりでしかないのだから。
僕は、僕という人間にできる事をしたまで。
「そろそろ家に帰らなくちゃ」
「そっか」
だから、もう終わらせるのだ。
この手で幕引きを。
「……」
「……」
後の事は、彼女自身の問題。
願わくば、そうほんの少しだけ僕との思い出が彼女の救いになっていてくれればと、人並み程度には思うけれど。
この思い出が、人生であった辛い事と等分の価値を……とまでは言わない。せめて十分の一……百分の一くらいの価値になれていれば。なんて、そんな風にも。
君は言う。
僕のそんな内心も知らないように。
「また、会えたらいいね」
「そうだね」
僕は答えた。
応えられる保証がないと、知りながら。
だけど、僕はどうしても君に確認しておかねばならない事があった。
「君は、今日は死なない」
すると彼女は驚いたような顔になって、そして得心したように表情を変化させる。
「そっか、分かってたんだね。だから、声をかけてくれたんだ」
遠くなっていく背中を見守る。
やがて人並みにうまれて、その姿が消えるまで僕は視線を送り続けた。
とりあえず結果から言おう。
君は死なかった。
けど、それは今日だけの話だったのだ……。
その事を僕は、まだ知れない。
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