02 過去をやり直す力



 最初に定めた時間から約一時間半。


 それだけの時間を遅刻して現れた先輩は、まるで何事もなかったかのような態度で僕に声をかけてきたた。


「さあ、行こうか」


 もっと他に何かあるだろう。

 謝罪とか。

 言い訳とか。


 けれど言いたいあれこれを僕は飲み込む。


 この人はこんなものだから、仕方がない。

 高坂凛子たかさかりんこ

 一年年上の、僕がが寄っている学校の先輩である彼女は、いわゆる世間から見た不思議さんなのだから。


 彼女にルールは無用。常識は不要。

 常識という定規で測ろうとすると痛い目を見るのは目に見えていた。


「……」


 胸の内だけでため息を吐いて置く。

 僕は悪態も文句も飲み込んで、黙って先輩の後に続いていった。


 向かったのは、ビルの中にある秘密の階段だ。

 凛子先輩が鍵を開けて、室内へ。

 幽霊が出るとかいう噂のある、屋上から階下へ続く階段にやってきた。


 そこは普段は従業員だけが使うだろう道、一般客の通らない通路だった。

 僕ら以外に人気はなく、動く影もない。


 そんな場所にどうして僕達が、何食わぬ顔をして何の苦労もなく立ち入れるのかとか気にしてはいけない。

 気になるかもしれないが、触れない方が良いだろう。


 高坂凛子は歩く厄災である。


 そんな物騒な通り名すらついている彼女の仕出かす事を、いちいち気に留めていては身が持たないのだ。


 前に立つ凛子先輩は僕の顔も見ずに、振り向きさえせずに喋った。


「どうだい?」


 僕は答える。


「悪くない」


 そう、悪くなかった。

 

 目の前にあった階段は、どこか普通とは違っていた。


 凛子先輩に頼んだのは、空気の淀んだ場所を知っていたらその場所を紹介して欲しいという事。

  

 淀む。

 というと埃っぽい場所とか、ゴミの散乱した汚らしい場所をイメージするだろうがそういうのとはまた違う。


 僕が言うのは、気が淀んでいるという事。

 人々の負の想念が集まり、流れていく事なく滞った場所の事だ。


 僕はそんな場所を探していて、それで凛子先輩がこの場所を紹介してくれた。

 それで状況は今に至るというわけだった。


 僕は目の前の階段を見つめる。

 僕にしか分からないだろう、黒い靄が階段の中ほどにわだかまっているのが見える。


 これならいけそうだと判断した、なかなか悪くないのだ。


 それはほどよく暗くて、淀んでいて、この世の不幸を煮詰めたような雰囲気をまとわりつかせていた。


 この分なら、これから僕がする事は失敗しないで済みそうだ。


 凛子先輩は僕の方を一度も見ることなく、最後に一言だけ言って階段をそのまま降りていく。


「君の力になれて何よりだよ。じゃあ、うまくやりたまえ」


 おそらくそのまま帰るのだろう。

 他に何か気の利いた事を言うでもなく、階段を……黒い靄を通り抜けて階下へと降りて行ってしまう。


 僕は引き留めない。

 あの靄は基本的には、長い事留まりさえしなければ人間には害のない物だからだ。

 それにたとえ何か害があったとしても、凛子先輩なら心配するだけ損でもある。


 これで、必要な事はすべてそろった。

 問題ない。


 凛子先輩の足音が完全に聞こえなくなるのを、待ってから僕は階段の中ほどまで近づく。

 手を伸ばして触れれば、そこに靄があると言う距離で。


 僕はそこで不可思議な呪文を紡いでいく。


「レレイ・レーク・アルカ・ヒューア」


 ムーア・トューア・ユーク……。


 僕の口から零れ落ちる言葉達が、世界を歪める呪いの言葉達が、目の前にある階段へと吸い込まれていく。


 それは僕の力だった。

 力であり、呪いであり、僕の心の有り様そのもの。


 未練に捕らわれ、過去に捕らわれ、悔恨と共に生き続ける僕そのものだった。


 紡がれ続ける言葉は響いて、宙に染みこむ。

 それらの力が集まって、やがて空間に歪みを作った。


 蜃気楼の様な歪みを。


「できた」


 達成感も感慨も抱かない。

 その言葉は疑問でも問いかけでもない。


 ただの確認作業だ。


 僕は僕がやる作業の結果に疑いなど持たなかったし、それはそうなって当然の事象だったから。


 一歩踏み出し、降りる。


 さあ、始めようか。

 僕自身が、自分ですら分からない後悔を払しょくするために。


 過去をやり直すんだ。


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