第13話 quiet catastrophe
ぼくは、ひとりだって、ずっと思ってた。
いつしか、叫ぶことも、彷徨って漂うことも、寂しがることも出来なくなっていた。
僕から手を伸ばせばよかった?
そうすれば、誰かが手を差し伸べてくれた?
ぼくは、そうやって、ずっとずっと強がりの中で生きてきたんだ。
そうするしか、なかったんだ。
******
シーツの擦れる音がやたらと耳に入ってくる。これも夢?
なんにしても、とても耳障りだ。
それと、酷く、肺が苦しい。息がとてもしづらく、辛い。息がつまりそうだ。水中でもがき苦しむ、それに似ていた。
ぼくは、きっと夢を見ていたんだ。
とても、幸せな夢を。
この上ない、幸せな時間を。
ぼくは、夢の中。酷く気怠く寝返りを打つ。
身体全身に痛みによく似た、怠さが残る。その感覚に嫌悪感を抱く。そして、苛立ちも相まった。
身体からなかなか離れない温もりと指先に残る柔らかな感覚に眩暈がする。上昇してく部屋の温度もふたりの熱も濡れた瞳も。鼻腔に残る甘ったるく、温かな匂いも。
少しシーツが動くと、香りがかすかに残っていると気づく。ぼくは、そのシーツを静かに抱きしめて香りを全身に纏った。
そうか、そういう事かと。
分からなかったことが嵌っていく。
穴だらけの心に嵌っていく。
*****
高い天井からぶら下がった鉛ガラスのカットガラス。煌びやかに窓の隙間からの光を反射させる。中世の大きなホールを効果的に照らすために作られた豪勢なシャンデリア。数本の蝋燭はゆらゆらと怪しさを纏った。そのシャンデリアにぶら下がった人であったであろう、頭部。まるで近代美術のマネキンのように白く、柔らかさは微塵も感じない。目は青い手術糸で閉じられ、口と鼻には小さく丸められた綿が詰められていた。
丁寧に血抜きをした後だろうか、その下には洗面器が置かれており、その中には赤黒い血が溜まっている。気を抜けば卒倒しそうな程の血生臭い匂いと腐敗臭がする。血は微かな振動が伝わるだけで幾度となく小さな輪を幾つも描いていった。
薄暗い部屋。国外の家具がまだビニールに包まれたまま埃をかぶり、役目を今か今かと待つ。一時的に流行ったアンティークの家具だろう。会社が倒産して家具たちだけが残されたまま、壁に掛けられた時計の時は止まったままだ。孤独とは、こういうことかと思い知らされる。
辺り一面には赤黒いインクで番号の書かれた異国の札が大量に意図的に撒かれたように散らばっていた。何の番号なのかは見当もつかないものばかりだった。
黒瀧はそれを背に、静かに電話をかけた。
四人目の被害者は数日前から行方不明の高校生だった。黒いゴミ袋に切断された腕や脚がご丁寧にガムテープでぐるぐる巻きにされ、後日、海に捨てられたかたちで発見される。頭部は今は使われていない家具屋の倉庫で見つかった。犯人は殺しを楽しんでいる? 今は使われていない建造物に飾り立てる。何かの発表会のように芸術家気取りなのだろうか。
あの水槽で見つかった女性の遺体は検死結果で「顔や腹部の皮が剥がされ、歯が全て抜かれていた」と、分かった。今度の遺体は何かを採取した後は見つからなかったが、丁寧に儀式のように花びら一枚一枚を丁寧に開き、ゆっくりと肉と皮を剥がし、芸術品のように飾られていた。犯人はきっと殺しを楽しんでいる。快楽殺人。欲求を満たし笑う。
それが黒瀧の脳裏に過ぎった。
芹澤 光の時は下顎がえぐり取られ、喉奥が丸見えになり、片目が躊躇もなく、完全に潰されていた。だが、身体には目立った外傷はなく、争った形跡もなかった。下顎は未だに発見されてはいない。犯人の体液なども採取されていない。暴行の後なども一切ない。
犯人は同じ人物だろうが、目的が全くといっていいほど解らない。鍵とライターと付け爪。そして、今回はヘアピンと縫い針と糸が無数にばら撒かれていた。
黒瀧は、この数日間、いやおうなしに頭を抱えていた。この数ヶ月で起こった事件は全てがひとりで手際よく施されたモノ。と、科捜研から言われたからだ。
手際よく? ひとりで?
考えられない所業。男性、女性、女性、男性―― 年齢も違えば、職種も性別も違う。まるで巣に脚を踏み入れれば、何かを採取される。そいつは、何かを見つける為に遊んでいるようだと黒瀧は思った。
鞍馬山 聖
黒瀧は、彼の事が初めから引っかかったままだった。やけに幼さを出す時もあれば、大人びた目線を落とす。父親が亡くなったと、伝えられた時の彼の顔は無表情な顔に無気力な目をしていた。ショックでそうなる場合はもちろんある。そういうのは幾度と見てきた。
――だが、彼は少し違った。
帰り際の彼の後ろ姿に黒瀧は違和感を感じたのだ。
泣くことは愚か、驚きもせず薄ら笑いを浮かべた顔が、ガラス製の自動ドアに写っていたのだ。一瞬の表情だったのかも知れないし、見間違いという事も考えられる。とにかく、黒瀧は彼の様子を見ることにした。
しかし、この数ヶ月の彼はただの高校生だった。素直に笑う彼の顔は、父親を殺めたりするとは思えなかった。高校生といえど、幼くまだあどけなさが残る。ロータスのリニューアルの時も学校にしっかりと通い、帰りに店により仕事の手伝いをする。店の閉店作業。そこからの帰宅。そして朝になれば学校に行く。の繰り返しだった。
やはり、気の所為だろうか―――
黒瀧は益々、頭を抱えることとなった。
******
聖の失踪から二日目。静かな部屋に僕の携帯電話が鳴る。
「斑目さん…… ごめんなさい。ぼく、隠してた事があって……」
その言葉の後は、お察しのとおりだ。
父親の残した多額の借金。これが原因で彼は急ぎの金が必要だったのだ。
これは彼の責任ではない。
そう若林が苦笑いをして、メモ書きをしながら視線を床に下げる。
――もちろん、僕が肩代わり出来るような金額ではなく、自然と溜息が漏れた。
「俺が代わりに払ってやれればいいんだけどな〜」
「それは慎一朗には無理でしょ?」
「そうな〜 ……諒が内臓でもいくつか売るか?」
「どこでどうなったらそういう答えになるの…… もう怖いわ、慎一朗さん。というかこういう時なんだから、言葉には気をつけて」
真顔の慎一朗に、さらに真剣な表情を向け僕は受け答えをする。
「そこの御二方はこの状況で冗談言ってる場合か? それにしても、ものすごいなこの金額…… 学生の聖くんには返済は無理だろうよ」
「俺だって理解に苦しむよ…… 父親の忘れ形見が借金って、ひでえ話だな」
「うーん……」
若林が書いたメモ書きを挟むようにして、とうとう男三人で項垂れてしまった。
「悩んでも仕方がないじゃない? 今は待つの…… ずっと待つしかないと思うの……」
カウンター越しに椅子に座った美夜子がライターを付けては消しを繰り返し、その都度炎に魅せられたような美夜子の瞳が潤んだように見えた。
「俺が肩代わりするのが一番なんだろうけどな……」
「甘やかしが彼の為になるか…… 否か……」
「だな……」
若林のセリフに被せるように慎一朗が呟き、その言葉が終わる前にもう一度、若林が言葉を重ねた。
聖の置いていったあの日のブーケが赤さが増し、美しさをかき消して腐りかけの妖艶な香りをばら撒き、時の流れをゆっくりとゆっくりと手を招く。外には冷たい雨が降り出していた。
固く閉じたシャッターの奥で憎悪に身を焦がす。もうみんなの笑った顔が思い出せなくなる程に、聖は下唇を噛み膝を抱えて父親の作業机の下で震えていた。
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