第11話 紅掛空色

 BAR LOTUSがリニューアルオープンをして、早くも一ヶ月が経とうとしていた。


 そんな中、世間では嫌なニュースが流れはじめる。


『神奈川県横浜市○○の長く使われていなかった高等学校の校舎の美術室から水槽に入れられた女性の腐乱遺体が発見されたました。身元不明の遺体は年齢は三十代から四十代。衣服は身に付けておらず、両手両足には結束バンドで結ばれた状態だったもよう。なお、引き続き捜査が続いています……』


 開店準備をしていた店のラジオから突然流れたニュース。グラスを丁寧に磨きながら、このニュースの内容に僕は表情を歪めた。


「なんて酷いニュースだよ…… また横浜って。呪われの地か何かかな?」

「ああ、酷いな。ずっと使われてなかった校舎って…… じゃ、もう遺体は酷い有様だな」

「慎一朗、腐乱っていうのは、どれ位からを言うんだろうね……」

「いや、もう、それはそれは酷い有様だと思うぞ。水槽っていうからには水が張られていたんだろう…… 匂いとかヤバそうだな……って言ってて気持ち悪くなってきた…… 諒、ソーダ一本もらうぞ!」

「慎一朗、酷い有様だって言い過ぎって…… 想像したら僕も気持ち悪くなってきたよ。ああ、どうぞ〜 冷えたのと常温どっちにする? そうね〜 デトックス効果の為には常温をお渡しするわね〜 慎一郎〜」

「なんだよそれ? 意地悪か!」

「ぬはははは〜」

 慎一朗が今夜特別企画をする為にアンプ等の機材の調整で早くから準備に来てくれていた。手先の器用さに最近はこうやって出張ライブ等も引き受けるようになっていた。僕が慎一朗によく冷えたソーダを一本手渡すと、慎一朗が嬉しそうに笑う。そんな会話の中、ひなたが出勤してきた。


「おはようございます〜! なっ! どうしてまたこの男がロータスに居るのよ〜」

「よお! クソチビ! 大きくなる為にちゃんと飯食ってきたか?」

「ぅきいいいいい! クソチビって何よ! 軽薄金髪男! ごはんは食べないのよ。糖質制限ダイエットしてるんだからね」

「ダイエットダイエットって、背だけじゃなく乳までなくすぞ? あと、なんとでも言えよ! 俺は痛くも痒くもない!」

「本当にむかつくうう〜!」

 慎一朗がソーダの蓋を開けながら横目でひなたを見て、冷えたソーダを一気飲みしてTシャツの袖口で雑に口元を拭う。ひなたは天敵に会ったように嫌そうな顔をして後ずさる。そして、ふたりのどうでもいい会話が僕の前で右往左往する。僕の目が一気に呆れモードになった。毎度毎度、飽きもしないでよくやるよ。本当に馬鹿らしい。


「ひなたさん…… もうそろそろ慎一朗に慣れてあげてください。こう見えて悪いヤツじゃないから…… 慎一朗もそこまでひなたさんを煽らない!」

「こう見えてって何か引っかかるが、俺は良い奴だぞ!」

「自分で言うのは馬鹿って証拠ね」

「もう〜 二人ともいい加減にしてください……」

 僕は呆れた声でふたりに注意する。ひなたはそっぽを向き、慎一朗は関心無さげにガムを口に含み、作業を再開させた。

 慎一朗とひなたは、まるで猿と犬だ。


「なーに? 騒がしい声が外まで聞こえてきそうよ」

「美夜子さーん! この猿がまたアタシのことをいじめる〜! クソチビとか言うの〜」

「誰が猿だ! 誰が!」

「もう仕方ないわね〜これ差し入れだから仲良くしてね」

 そんなふたりに美夜子が差し入れのクリスピークリームの箱をカウンターに置く。慎一朗は目を輝かせ、ひなたはちょこんと美夜子に頭を下げてニコッと微笑むと、隣でドーナツを吟味している慎一朗を睨んだ。


「おお! クリスピーのドーナツだ! おお!

 オリジナルグレイズドある! いただきまーす!」

「えー、ヤだよ…… 誰が猿なんかと仲良くできない…… アタシにだって選ぶ権利があるんだけど…… ねえ、諒〜」

「なんでそこで僕なんですか……」

 差し入れのドーナツを頬張っている僕は、ひなたの言葉にあからさまな呆れた声を出した。


「おお! いい感じに機材セッティングしたな〜 やっぱり矢熊くんはすげえな〜 」

「うっす! 若林さん、ありがとうございます」

 若林が荷物を抱えて裏口から入ってくるなり、店の機材を見てベタ褒めする。それに気を良くした慎一朗が頭を下げた。いつのまにやら若林の人の良さに、慎一郎はすっかり懐いたようだった。


「若林さん、おはようございます〜」

 みんなが当たり前のように若林に挨拶をする。それもその筈。若林はロータスの支配人の京香から「当分は店のことを頼んだわね!」と不思議な信頼を置かれていた。

 まあ、「高級ホストクラブ、スカイ・ウィルソン」をあそこまで立ち上げ、大阪と東京にも数店舗が出来るくらいに幅を広げているとくれば、叔母様が目をつけないわけがないと美夜子が引き攣った顔をしたのが最近のロータスの近況だ。


 客層も随分と変わり、前の常連客もちらほらと顔を出すようになった。元通りとはいかなくても、少しずつ溝が埋まればいいと僕らは思っていた。


「そろそろ、音調整しまーす!」

 ギターケースから慎一朗の嫁と言わんばかりのリッケンバッカー社のエレクトリック325のギターを出すと椅子に座って弾く。


「んん〜 なんか調子出ない……」

「慎一朗〜、座ってないでストラップ付けていつもみたいに弾けば? 暴れない程度にならいいよ。僕が許す!」

「ホントか! 諒、本当に良いのか?」

「ちょっとならね!」

 無邪気な笑顔で僕を見て、おもむろに立ち上がりストラップを首から通して肩にかける。すると目を閉じて慎一朗が十八番を引き出した。慎一郎の弾くスティングは心地よくて聞き惚れる。やっぱり流石だと感じる。


「へえ〜 見た目だけじゃないんだ。ギター上手いじゃん!」

「いや、ひなたちゃん…… これ上手いとかそういうレベルじゃないだろう? プロだって言っても誰も疑わないぞ」

 ひなたと若林が演奏する姿を見るやいなや驚いた顔をする。ふたりが各々に感想を言い出した。


「そこ! おだてても俺はマンションもベンツのSクラスも何にも買ってやらねえぞ!」

「慎一朗、なんでSクラスなんだよ…… 大っきいのにしとけよそこは! それに普通に褒めてんだろ。ほっんとに不器用か!」


 気分を良くしたのか慎一朗が歌を歌いながらギターを弾く。僕は懐かしさで色んなものを思い出す。学校帰りの公園でふたりでアイスを買って食べ比べをした事や、二週間の自宅謹慎処分になった慎一朗を励ますつもりでたこ焼きを買って会いに行ったことも。

 歌い終わった慎一朗を見て僕はしばらく身体が痺れたように意味もなく耳に慎一朗の歌声が残った。


 店の開店時間になり、お客様が楽しそうな時間を過ごして居るのを見て嬉しくなる、気持ちが上がっていく。僕はこの仕事が好きなんだと分かる。それは当たり前のように。



 ******


 夕方に差し掛かると、横浜の街の空が青とオレンジのコントラストでビルに照り返す。海辺のビル群の明かりも加わり、より美しさを彩った。

 

 制服姿の聖がロータスに向かう。片手にはかすみ草と血のような真っ赤なガーベラの小さなブーケ。もう片方の肩には、今にも、だらしなく鞄がずり落ちそうだった。


「あらら〜、ロンサムくんじゃ〜ん! 相変わらず青白いお肌が綺麗な夕陽に照らされて不気味だね〜 お前、本当に日本人なの?」

 その言葉に聖は身体が震わせると後ろを振り返った。小学と中学の時、事あるごとにちょっかいを出してきた高橋だと分かり、聖はわざとらしいため息を吐いた。


「せっかく高校で離れられたと思ったのに……そのロンサムって呼び名もホント勘弁してよ。はあ……」

 聖のその態度に一気に頭に血が上昇し、高橋は怒りを露わにした。

 コイツは単細胞だ。どうせ何を言ったところで暴力で済ませる馬鹿だ。面倒なことこの上ない。そう聖は思った。


「お前んちのこと噂で聞いたよ! あのチンピラみたいな父ちゃん死んだんだってな! かわいそうに〜」

「……それが?」

 そんな言葉を言われたのに、聖は冷静で高橋を見下ろすような目で返事をする。すると間髪入れずに高橋は聖を煽っていく。


「行き場がなくなったお前はある飲み屋で働いてるんだってな? なんだっけな? ロータスだったか…… 何人か綺麗なお姉ちゃんが居るんだろ? ひとりぐらいこっちに回せよ!」

 ニヤつきながら卑劣な言葉を高橋が並べていく。


「ねえ、ぼくに言いたいことがあるんなら、もっと分かりやすく言ってくれる? それに、今からそのロータスで仕事なんだよね。高橋くんはこれ以上、ぼくの邪魔しないでくれる? 正直とっても目障りなんだよね」

 夕焼けのオレンジ色に照らされて聖の目が青く滲んだように高橋には見え、まるでそれは別人のようだった。


「……なんだよ ……凄むなよ! 虚勢張ってんじゃねえよ!」

「キミは…… 残念だけど、ぼくのコレクションにはなれないよ。何より、ぼくのタイプじゃない」

 

 その言葉と共に聖の口元がゆっくりと緩く歪んでいく。夕闇にさしかかる時刻、空には、まるで聖のその言葉を合図のようにカラスたちが飛び立っていく。漆黒の羽根を聖の上に撒き散らしながら。

 コイツは俺が知ってる「鞍馬山 聖」じゃないと高橋には分かった。



「あれ? 今日って聖くんおやすみだっけか?」

 若林のその言葉に、手を滑らせグラスをひとつ床に落として諒が焦った顔をした。


「あちゃー! やっちゃった! いや、今夜は出勤してくる日ですよ。聖くんが遅刻とか珍しいね…… すぐに電話してみるよ」

 そう言った諒が割れたグラスを急いで拾い集めると手際よく紙袋に入れた。そこから店の電話で聖の携帯電話に電話をかける。


「出てくれるといいけど……あっ! 聖くん!どうしたの? 今夜は出勤だよ? ……ん? よく聞こえない! 聖くん? ……ありゃ、切れちゃった……」

 聖は電話に出たが直ぐに切れてしまった。地下鉄にでも乗っていたのだろうか? 諒は首傾げながら時計を見る。


 時刻は午後十九時を回ろうとしていた。




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