第8話 欠けた太陽
いくつもの錆がぼろぼろと剥がれていく。雨と風と太陽。全てが芸術的に完成品をゆっくりと壊していった。寄って、集って、せっかく作り上げた砂の城を壊していった。
まったく、残念だな。
だけれども、出来上がったものは愛せる物ではなかった。創造したモノは出来損ないだったんだ。
醜く無様で。そういうモノに人は、拒否反応を起こす。
きっとそれは、目を背けたくなるモノなのだろう。
悪いのは雨と風と太陽だ。
そうだ。こっちのせいじゃない。
ぼくは悪くない。
悪くなんてないんだ。
*****
聖を休憩室に連れて行ったコウが帰ってこない。聖が遅いのは仕方ないにしても、場所を教えてすぐに帰ってくるはずのコウが帰って来ないのは極めておかしい。
黒瀧が時計を何度も見ては、僕の顔を見てくる。
分かってます、遅いですよね。
ひなたが空いた器を運んできては、心配そうな目で僕をちらちら見てくる。
ええ、分かりますとも。遅いですよね。
「ああ、もう…… みんなコウさんが心配なんですよね?」
僕の声に黒瀧もひなたもにっこりと笑みを零した。この人たちはまったく。と思ったが、たしかに少し遅いかなと僕も思った。下げられた器を洗い、換えの氷を入れた器をひなたに手渡す。
「ねえ、諒…… コウさんと聖くんって、マジでそういうんじゃないよね?」
「……へ?」
「ん? ひなたさん....... 今、なんと申されました?」
ひなたの言葉に黒瀧と僕は真顔で返事をした。と、その瞬間に黒瀧が口元に手を当てて吹き出した。
「それはないでしょ、あのコウちゃんだぞ? オジサンマニアだって、本人もいつも言ってるだろ! 」
「……そうだけど〜 そうなんだけど〜 聖くん可愛いし、イケメンだし…… 諒と違って素直だし」
と、ひなたが唇を突き出し膨れっ面になった。まったく、やれやれだ。
「……どうしても僕を引き合いに出したいんですね」
「まぶしいくらいな青春の一ページに、一回だけ…… とか……」
「ひなたさんって下品……」
「冗談だって〜 マジな顔しないでよ、諒!」
「はっっ…… なんて馬鹿なことを」
ひなたのその手の冗談を僕は苦手とするのを知っていてわざとらしい。ひなたを手のひらで返すように遇うと、くすりと黒瀧が柔らかく微笑んだ。
「……仲良いな! お前ら」
「黒瀧さん、ご冗談を……」
「まんざらじゃなさそうだぞ…… ひなたちゃんが……」
黒瀧が小声で俺にウインクをした。
「ただいま〜」
裏口から美夜子の声が聞こえ、美夜子が手に包帯を巻いた姿で若林と一緒に帰ってきた。
「やーん! 美夜子さーん! もう帰ってこないかと思った〜 良かった〜」
「やだな…… ひなたちゃん大袈裟よ! ちょっと、お店では泣かないの!」
美夜子の顔を見たひなたがくしゃくしゃの顔で泣き声を上げたと思うと抱きついていた。若林はそれを見て苦笑いをするとこちらに戻ってきた。
「若林さん、ありがとうございます」
「あ、いや。大したこと無かったんだよ。ちょこっと切ったのだけなのに、思ったより血が出たことで俺が慌てただけだ! すまない!」
「いえ、大したこと無かったんですね。良かった……」
「そうなの〜 病院側も大袈裟に包帯とか巻いちゃうからね〜 平気だからって言ったんだけどね〜 まあ念の為ってことで巻かれたのよ」
「美夜子さんが傷物になったら大事ですからね! 美夜子さんのピンチヒッターは居ないんだよ〜 誰にも出来ないんだよ」
「もう…… 黒瀧さんったら!」
「冗談だよ。冗談!」
「諒…… 心配かけてごめんね」
「いいよ…… 大したことないなら…… 本当にいいよ」
俺は心配したことを悟られないように、ワイングラスを見ると、また磨き出す。そう、わざとらしくだ。
「あれ、それよりも聖くんとコウちゃんは?」
「ああ、血を見た聖くんが気持ち悪くなったみたいで…… コウさんが休憩室に連れて行きました」
聖とコウが居ないことに気がついた美夜子が首を傾げる。
「……で、まだ帰ってこないの」
「どうして?」
「そんなの知りません……」
「コウちゃんには電話してないの?」
「あ……」
「あ。じゃないわよ…… あなたたち馬鹿なの?」
「まあまあ!」
「もういいわよ…… アタシもこんな手だし…… 人のこと言えないもの。ちょっとを様子を見てくるわ!」
「僕も行こうか?」
「すぐ側だもの、平気よ。それに、諒はお仕事してちょうだい!」
「ああ、ハイハイ!」
美夜子は上着を肩にかけて、裏口から出た。ピンヒールを鳴らし小走りで休憩室のあるマンションへ向かう。角を曲がった先で偶然、聖にぶつかって美夜子が小さく悲鳴を上げて驚くと、聖は慌てて両手を美夜子に伸ばして抱きとめた。
「あっ…… 聖くん! 良かった! もう大丈夫なの?」
「ええ、もう平気ですよ!」
「あら、そうなのね。良かったわね。それよりもコウちゃんはどうしたの?」
「え? 随分と前に戻りましたよ?」
「おかしいわね…… ところで聖くん、休憩室の鍵は閉めた?」
「あ、はい。コレですね。お陰様でゆっくりと休憩出来ました。ご心配かけました」
「いいのよ。とにかく一度、店に戻りましょう」
「そうですね。美夜子さんその怪我…… 大丈夫ですか?」
「ああ、コレね? お医者さんが大袈裟に包帯巻いちゃうから…… 大したこと無かったのよ。心配かけてごめんなさいね?」
そう言いながら美夜子は手に巻かれた包帯をそっと触れて照れたように笑う。
「いえ、大丈夫なら良かったです。美夜子さんは綺麗だから傷なんて残ったら…… 大変だなって思って…… ああ、変な意味じゃないんですよ」
「聖くんって口が上手ね〜 女の子にモテるでしょ?」
「ぼくなんて…… 誰も相手しませんよ」
「嘘だ〜」
「嘘じゃありませんよ〜」
「うふふ、じゃ〜 そういう事にしてあげる。さあ、お店ではとびきりの笑顔でお願いね」
「はい!」
美夜子は聖を見上げて優しく微笑む。店の裏口で少し肩からズレた上着をかけ直して扉に手をかけると、それをすぐにカバーするように扉を開ける聖がいた。
「美夜子さん、聖くん、おかえりなさい」
「ねえ…… コウさんは?」
「それがね、随分と前にこっちに戻ったみたいなの…… どうしちゃったのかしら……」
「コウさんが休憩室を出たのは一時間以上も前だったと思いますが……」
「うそ…… それじゃどこに行っちゃったの?」
「諒! コウちゃんの携帯に電話して!」
「わかった!」
ふたりの帰ってきたのをひなたが迎える。美夜子は僕にコウが帰ってきたかの有無を聞くやいなや表情が曇った。
「出ない…… と言うより電源を入れてない……」
「まさか、コウさんになんかあったとかじゃないよね? やだ! やだよ!」
「ひなたちゃん! 落ち着いて…… お客様の前よ!」
ひなたが焦りを顔に出すと美夜子が肩をそっと支える。店内にはまだお客様が居るという事が大事だと美夜子が小声で伝える。持ち場に戻るひなたが何度もこちらを見ていた。
「本日もお疲れ様でした。明日はおやすみですからみんなゆっくりと身体を休めるように。金曜日からまたお願いね」
美夜子の言葉に皆頷き、個々にタクシー等で帰ってしまった。ところが、ひなただけは帰らずに化粧室に座って俯いたままだった。
「ひなたちゃん…… コウちゃんの事は警察に連絡したから大丈夫よ…… ね?」
その美夜子の言葉で我慢していたひなたの目から大粒の涙がぽろぽろと落ちた。次第に声も混じり、ひなたが崩れるように泣き出した。
「ひなたさん……」
「諒…… どうしよう…… コウさんになんか合ったら……アタシ……アタシ……アタシが代わりに行ってたらこんな事になってなかったのに!」
「ひなたさん…… そんなこと言っちゃダメですよ……」
「だって! だって! コウさんが…… コウさんが……」
「ひなたさん!」
思わず諒は、ひなたを強く抱きしめていた。
「……大丈夫だから ……ひなたさんが気にやまないで……」
「諒……」
大きな瞳で諒は思わず吸い込まれそうになった。涙で濡れて潤いを増した瞳に桃色の頬にぷっくりとした唇。俺は抱きしめていた手を少し強くした。
「んん! お二人さーん! もう帰りましょうね〜! 電気消すわよ〜」
美夜子の咳払いがふたりの背後から聞こえてきた。その声でひなたと諒は身体をビクッとさせて急いで離れる。ひなたは涙を急いで拭うと慌てた様子でヒールをコツコツ鳴らして鞄を掴んで裏口へ向かった。
「ちょっと…… 姉さん、さっきの邪魔!」
「しょうがないでしょ! お店消灯時間だもん…… でも、ありがとう」
美夜子は含み笑いをして僕を見ながら荷物を取ろうと手を伸ばす、すぐ様に僕がその荷物を持ち裏口へ行こうとすると、美夜子が小声で何か囁いたが諒の耳にはよく聞こえなかった。
家に帰り、熱いシャワーを浴びて俺は寝床についた。疲れていたのか、俺はすぐにうとうととして眠りに落ちた。
夢の中で何度も何度もインターフォンの音が遠くから鳴る。次第に意識がはっきりとしてその音が夢じゃないことに気が付き、慌てて起き上がるとシャツを着て玄関に向かった。
「あなたは、BAR LOTUSの斑目 諒さん?」
と二人の警察官に名前を訪ねられた。
「そうですが…… どうかされましたか?」
「ええ、芹澤 光さんの件で伺いました……」
「芹澤…… ひかり?」
「……諒。コウちゃんの事よ」
「そちらは?」
「BAR LOTUSの責任者代理の斑目 美夜子です」
「此処ではちょっと…… 署まで来ていただけますか?」
「ええ……」
「俺もいいですか?」
「出来れば男性の方がまだ良いかと思われます……」
警察官のその言葉が引っかかった。そして僕は嫌な予感がした。
警察署に到着し、連れて行かれた扉の前で美夜子と僕は愕然とした。
遺体安置所。ドラマや映画でよく見るあの場所だ。一時的に遺体を確保する場所とでも言えば、お分かりいただけると思う。検死解剖にまわす前に身元の確認をする場所とも言えよう。
ゆっくりとノブに手を伸ばすと指先が痺れた感覚に陥った。躊躇する手は覚悟を決めたようにノブを回す。ゆっくりと開いた部屋は薄暗く、独特の雰囲気と消毒液の匂いが充満していた。あと微かに血生臭い匂いも混じっているように感じた。
「ここです…… どうぞ」
「うそ…… やだ……」
「身内が誰もいらっしゃらない方でしたので…… 斑目さんに確認していただきたく、お呼びした次第です……」
会議室のテーブルのような大きさのストレッチャーに寝袋のような袋が置かれていた。大きな緑の袋にジッパーが閉じられたそれを僕は見つめたまま動けなくなった。美夜子は目を見開いたまま両手で顔を覆った。
「普通…… こういうのって白い布が掛かってるもんだとばかり思ってました……」
「損傷が大きなものはそうはいきません……」
ジッパーがゆっくりと下げられ頭部らしき影が見え、美夜子が叫び声を上げた。もうこれ以上は見れないと完全に顔を覆い隠し美夜子はその場にしゃがみこんで大声を出した。
「斑目さん…… ご確認ください」
美夜子は壁際で持たれたまま、強く口元を覆った。袋から見えた金髪の長い髪に青白い肌。そして、青い痣と赤紫色の痣が小花を散らしたように付いている顔があった。ただ、その下にあるはずの部分が抉るように切り取られ、口内が丸見えになり、左目は潰され、辛うじて、右目が残った状態の芹澤 光が現れた。
俺は声が出せずに、ただ立ち尽くすだけだった。
「……間違えありませんか?」
「……多分 ……いえ ……彼女です…… 耳についたふたつのホクロで分かります……」
僕は精一杯の受け答えをしているつもりだったが、声は震え手がじっとりと汗で滲んでいくのが嫌でも分かった。すると、背後で扉が開く音が聞こえ、聞き覚えのある低い男性の声が聞こえた。
「諒くん、美夜子さん、やっぱり彼女だったよ……」
「黒瀧さん…… どうして此処に?」
「内緒にしていてごめん…… 俺は捜査をしていた。刑事だよ」
「そんな…… 黒瀧さんは……どこかの会社の社長だって……あれは全部、嘘だったんですね」
「黒瀧さん…… 犯人は? 捕まえて! 彼女にこんな事をした犯人を……」
「分かっています。絶対に捕まえてやります…… それと、これが遺体の傍に落ちていました…… 手掛かりは今はこれだけです」
ジップされたの透明のパックに入った血のついたライターだった。コウは煙草を吸わない。お店ではポーチに入れて使う時に丁寧に出して使っているのを店の誰もが知っていた。つまりこれはコウの物ではないという事だ。犯人が落としたものだと黒瀧は言った。
「黒瀧さん…… お電話です」
「わかった……すぐ行く。諒…… 確認が終われば少し話を聞くことになるだろうけど、いいね?」
小さく肩を震わせて美夜子は泣くのを我慢していた。
手続きなどが終わって帰る頃には太陽は真上に上がっていた。美夜子は何も言わずにすっと俺の手を繋いできた。俺はその手を強く握り返した。
後日、密葬という形でコウの葬儀はおこなわれた。斎場は小さいながらも綺麗な建物だった。コウが好きだった、白いカサブランカをたくさん飾って。
全てが終って店は一週間ほど休業ということだった。これは叔母様からの御達しだった。これがあの人の気遣いなのだろう。
黒瀧から事件はあれから進展がないと聞かされた。あれだけの事件だったのに世間は一瞬、騒いだだけで日が経てば何も無かったように生活するのだ。関係者の心にもいずれそういう時がくるのだろうか。
そうだといい。
そうじゃないと、あまりにも辛い。
コウの事件が店に告げられた時、ひなたは泣き崩れ大変だった。もちろん他のスタッフも酷いものだった。あの遺体の状態を見たのは僕と姉さんだけだ。あんなこと言えるものじゃない。いや、言ってはいけないのだ。
僕はこの数日、部屋に閉じこもった。何もする気になれなかった。食事はろくに喉を通ろうともしない、何より食欲が湧かなくなっていた。美夜子は葬儀が終ってこの数日は若林のマンションに行ったきりだ。これも仕方がない事だと僕は思った。
それに、僕が支えるよりもその方がいい。
ベッドに仰向けになって天井を見つめ何も考えずに腕を上げる。空を掴むような動作を何度かする。手のひらを強く握ると指先が赤くなり、離すと白く戻っていく。幾度となく意味もないことを繰り返しているうちに涙で次第に天井が歪み滲んでいく。なぜ、コウさんだったのだろうか。僕はそう思った。
インターフォンが鳴る音がする。もちろん出る気になどなれずに身体を壁側に向ける。数秒後にもう二三同じ間隔でインターフォンが鳴った。どうせ何かの勧誘かなにかだろう。そう思って目を閉じると、今度は携帯電話がけたたましく着信音を鳴らす。腕を伸ばし画面を見ると相手の名前で僕は急いで出た。
「おい! お前、今何処にいる? まさか家に居ないだろうな? って家に居るんだろう? 諒!」
電話の奥の声は、懐かしく頼もしい親友の声だった。
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