第6話 嘘の中の孤独
生きていることが。
すべてが。
嫌になるほどの衝撃。
世間の目。
噂。
嘘。
拒絶。
逃げたくなる現実。
壊して、貶して、偽りの中だけで生きる。
それほどの孤独。
感じたことはあるかい?
そんなことより、今後の話をしようか。
大事な、大事な内緒の話を―――
******
「諒?」
「まこっちゃん? おい!」
ああ、甘い香りの煙草のケムリに挑発的な香水の匂い。身体中が泡立つほどに無数の色香。胸焼けを起こして倒れそうだ。なんだか頭がクラクラしてきた。こういうの慣れてるのに、おかしいな。あれ……
「諒くん!」
この声と共に僕は白い煙に包まれて、赤い煉瓦の壁をゆっくりと見ながら気を失った。次に目が覚めると休憩室の白い天井が見えた。どうやら僕は高熱で倒れたらしい。インフルエンザというウイルスが蔓延する時期でもあるまいし高熱って、弱い身体にならないようにジムに週二で通い、せっかく鍛え上げたというのに。なんとも付け焼き刃。強靭な肉体は見た目だけというわけか。情けないぞ、僕。医者に診てもらうと、ただの風邪と疲労で熱が出ただけだったが念のために安静にしろと、お祖母様からの御達しが出た。めでたく僕は三日間の自宅謹慎となった。
漸く、三日間の謹慎が解け、ロータスに出向いて僕は唖然とした。僕の大事な仕事着を着た鞍馬山モータースの彼が爽やかスマイルでシャンパングラスを見事なまでにピカピカに磨いていたのだ。
「聖くんスゴォォい! グラスがピッカピカ〜!」
「聖くん、これって所謂天職なんじゃない? すごいわよ!」
「嫌だな〜 褒めすぎですよ! これくらいなら誰でも出来ますよ! そんなにおだてても何も出ませんよ!」
「いやいや〜 どっかの誰かさんにはここまでの繊細な仕事できないわよ? 毎度、ものすごい表情で磨いてるもの…… かっこ悪……」
僕は、何かまだ夢でも見ているのだろうか?
とてもとても辛辣批判な声が聞こえたような気がした。
やだ。酷いわ。もう、おウチに帰りたいな〜。なんて、僕が思うと思うなよ? 姐さん共よ!
「それ誰のこと言ってんですか…… 全部しっかりと聞こえてましたからね?」
「あら、まこちゃん!」
姐さん達が、一瞬たじろぐ姿が僕の目に映る。
「あら、まこちゃん! じゃないですよ……」
「もうカラダいいの? まだ休んでても良かったのよ〜」
「あ〜 そうですか! でもね、治ったので出勤しましたよ…… すいませんね〜」
「そうなの〜 良かったわね〜 ……あら、もうこんな時間! そろそろ客引きに行かなきゃね〜」
数人のお姉さんたちは、バツが悪そうに店のロゴ入りスタジアムジャンパーを羽織り慌てて客引きに行く。本当にこの人たちは、さっさと仕事をしてください。
「諒、アンタもういいの?」
「ええ…… 色々と、もう大丈夫です……」
「あらそう、良かったわね」
美夜子は苦笑いしてから、僕に気を使うようなフリをしてそっと肩に触れた。
「それよりも、どうして彼がここに居るんですか?」
眉間にいっそう皺を寄せ僕は聖を見て声を上げた。
「京香お祖母様が人数合わせにって若い子をご要望で彼を呼んだのよ…… 店に勝手に来て、勝手に戸棚開けて、勝手に履歴書を見て、勝手に決めて、勝手に電話するんですもの…… しょうがないじゃない…… アタシにそんなに怒らないでよ、諒」
「怒ってません! 人聞きの悪い!」
あからさまに僕は怒っていたでしょうね。もう「これでもか」というくらいにね。
「美夜子さん…… ごめんなさい…… ぼくのせいで迷惑かけてしまって……」
ずっと黙っていた聖は、痺れを切らしたように声を出した。
「違うの! 違うのよ! そうじゃないの!
聖くんは何も悪くないのよ! 」
「ぼく…… クビですか? クビ、ですよね。高校生なのに専門学生ってウソついたし…… やっぱり、ダメですよね……」
あたふたとする美夜子は慌てて両手を振った。すると、彼はそんな美夜子を見ると俯いてしまった。僕は二人を見て、大きくわざとらしい溜め息をついた。
「ああああ〜 ……まったく、もおお〜!」
「諒…… だから怒らないでよ!」
「だから、怒ってないって…… それから、鞍馬山くん!」
「ああ、はい……」
「とりあえずは合格。ただし……」
出勤ノートを手に僕は眼鏡を掛け直すと、万年筆で今日の日にちを書き足しながら聖を見て合否を伝える。
「え? 本当ですか! ありがとうございます! ぼく頑張ります!」
「聖くん、話は最後まで聞いてね? きちんと学校には行くこと。金曜日の夜と土曜日の夜だけって、約束をしてください。それから、客引きはしない事。あと、もう嘘はつかない! 僕からはこれだけだよ。約束をひとつでも破れば辞めていただきますからね?」
「諒さん……」
聖くんは、言い放たれたセリフにおっかなびっくりとした表情で上手く言葉にならずにいた。
「諒…… あんたったら……」
「何? 気に入らないなら別にいいんだけど? この店、安月給だし…… 他に行く? 別に構わないよ? 止める理由もないですしね……」
「あ、ありがとうございます! 頑張ります!」
聖は深く深く頭を下げた。
「やだ…… 諒のクセに生意気…… カッコつけすぎ…… 気持ち悪い…… 今夜から雨降る〜 お客様減るうう〜」
「貴女はうるさい! 色々と余分でしょ!」
美夜子は両手で口を押さえ僕をキラキラした目でオブラートに言葉を包まずに吐き出した。すると、店に扉が開き若林と黒瀧が揃って入ってきた。
「おお! 諒、復活か!」
「新人君? イケメンだね〜! うちの会社に欲しいくらいだな〜、背格好もいいじゃない!」
「初めまして! 聖と申します。お客様の会社にですか? 僕で役に立つならなんでもします!」
「聖くん! そちらのお客様の言葉に答えなくていいですよ? 若林さん! 聖くんはあげませんよ〜 若林さんのお店…… だってホストクラブだもん」
若林の軽いナンパに呆れつつも僕はグラスの準備をしていく。
「ホストぉぉおおお?」
「クラブうう?」
若林の言葉が聞こえたのかコウとひなたが大声で駆け寄ってきた。
「コウちゃんとひなたちゃん驚きすぎ…… って俺の職場を知らなかったのかよ…… うわ〜ショックだね〜」
「えー! 若林さんが何度も聞いたって教えてくんなかったくせに〜」
「そうだっけ〜?」
若林は初めて聞いたと言わんばかりに、ひなたを見てニヤリと笑う。
「ってことは? 若林さんって社長さんなの?」
「若林さんって謎〜」
「でもね〜 いっつも靴と時計が高級品なのよね〜 おかしいと思ったのよね〜」
「お二人さん俺に興味出た?」
「えー! でも社長っぽくな〜い! なんか胡散臭い〜!」
「わかる〜! 社長さんには見えなーい!」
「うはははは! 人の話聞けよ! 社長かどうまでは、そこは煙に巻いておこうかな〜 お嬢さん方!」
若林は二人に軽い口調のままで話す。二人は疑惑の目で若林を上から下までを吟味するかのようにまじまじと見つめだす。
「うわ〜 感じわる〜い! 絶対感じわる〜い!」
「ところで何処のクラブなんですか?」
「ああ〜 ウィルソン。スカイ・ウィルソン!」
「……嘘おお!」
「ハイハイ! ふたりとも、持ち場にもどりなさーい!」
コウとひなたは店の名前を聞くやいなや目を光らせた。その様子を見ていた美夜子が手を叩き二人を急かした。二人は仕方なさそうに持ち場に戻っていった。
「黙ってればいいものを…… カッコつけちゃって……」
「聞かれたら答えるさ。諒、なにかご不満で?」
「別にい〜……」
わざとらしい若林のドヤ顔に美夜子は少しだけ嫉妬をし、僕は呆れた顔で灰皿を拭いていた。聖ひとりだけがキョトンとしたままでまだ話を続けながら、お通しのナッツとオリーブを二人の前に静かに置いた。
「そんなにすごいお店なんですか?」
「ある意味ね…… すっごおおおい〜 お店!」
「黒瀧…… 黙れ!」
「はいはい…… お口チャックね!」
「おじさんふたりで若手に余計なことを教えないでくださいよ? まだまだ彼はフレッシュなんですからね!」
「おまえがいちばんオッサンくさい言い回ししてるって…… 諒」
ピュアな彼が毒される前にと、僕は横から口を挟んだ。
「ぷっっ……」
「あ〜! 聖くん! そこ笑わないの!」
「諒が帰ってくると賑やかね! この店」
その光景をずっと黙って見ていた美夜子の呆れた声は軽やかに弾んだ。
「ところで聖くんって言ったかな?」
「あ、はい!」
和んだ空気に低い音色の黒瀧の声が聖を刺すように飛ぶ。
「キミ…… 鞍馬山モータースの鞍馬山 聖くんだよね?」
「おい! 黒瀧……」
「若林さんはここはBARですよ? 噂話のひとつやふたつ飛んでおかしくないんですよ?」
「そりゃそうだけど…… それにしたって……」
「悪いようにはしないさ…… ねえ、聖くん?」
黒瀧の冷たく尖った言葉に聖は動けなくなった。喉が異常に渇く。蛇に睨まれた蛙とは正にこの事。
「黒瀧さん…… 今夜は何を飲みますか?」
嫌な空気が店を覆う前に僕が声をかけると、黒瀧の表情がスっと柔らかくなった。
「そうだね、今夜は諒特製の電気ブランを作ってもらおうか……」
「かしこまりました…… とっておきを…… では……」
僕は黒瀧さんのこういう所がとても苦手だった。まるで無神経な子供のようで、場の空気が張り詰める。この人は本当に何者なのだろうか。
そう思った時だ、店の外で騒がしい声と大きな物音が聞こえてきた。
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