第3話 鞍馬山モータース


 ジョージは、すべてを悟ったようにモノを言うガキが苦手だ。というよりも嫌いだった。


 なにより自分はどうなんだ? と聞いてやりたかった。そもそも、おまえのカッコイイってなんだ? おまえはどれだけ偉いんだ? と。


 グロテスクなガキが! 生き倒れろ!


 ジョージはこんな感じでネット社会を遠回しの遠巻きに見るクセがあった。揉め事を嫌うから、口には決してしないが。


 今年でジョージは四十四歳だ。

 見た目以上に中身はオッサンだ。聖はそれを理解していた。それはそれは、もう、嫌ってくらいにだ。

 数年前に居なくなった母親。今、育ち盛りの高校生。目に入れても痛くない程にかわいい息子。それから、なんとか倒産せずに頑張っている小さな鞍馬山モータース。これが現状。強がってみても蓋を開ければこんなもんだ。まったく世知辛い。


 大学受験を控えている息子がある日、突然「お父さん! やっぱりガッコウ行くのやめる! 受験費用ももういらないよ! 受かるか受からないかのモノにお金出すのってもったいないよ! それなら、鞍馬山モータースをもっとすごいお店にしよう!」と言い出したのだ。


「んなっ、バカ野郎! 高卒じゃな、俺みたいになるんだぞ! 世間様はそんなに甘くねえんだぞ? それにな、もっとすごい店って簡単に言うがな。そんな資金だってどこにあるんだっていうんだよ……」

 そう怒鳴ってから息子を睨みつける。ジョージの斜向かいに、真っ直ぐな、そして、鮮やかで汚れを知らない綺麗な息子の目にジョージは、それ以上何も言えなくなった。


「もう…… おまえの好きにしろ…… 後悔したっておまえの人生だろ…… どうせ俺が言うのは違うんだろ……」

 

 そう格好つけたつもりだった。


「バカだな! ねえ、僕が誰の背中を見て育ってきたと思ってんの? 一緒に頑張るよ!」


『バカね! 誰の女だと思ってんの? ずっと見てきたのよ? 貴方のそばに居るわよ!』

 

 想定外の言葉だった。

 それと、あの時の妻の言葉と重なったのだ。雪のように白い肌に真っ赤なリンゴのような唇。黒いサテンに鮮やかな薔薇と蝶が舞うワンピース。


 一生、添い遂げるはずだったのに……


 目頭が熱くなるセリフに、そこまで出かかった言葉は詰まる。威厳を、親父の威厳をと考えたが、頭より先に感情が溢れた。作業つなぎの胸ポケットから煙草を出し、よれよれになった一本咥える。そうして天井に向かって、白く甘い煙を吐いた。


「もう勝手にしろ……」

 これが精いっぱいの言葉だった。その言葉を言い放ってジョージはそっぽを向き煙草をふかした。これ以上言葉にすると泣いてしまいそうだったからだ。年には勝てない。涙脆いのなんて、もっともっと先だと思ってた。



 *****


 少年の名前は、鞍馬山 くらまやまひじりという。


「女の子みたいなナマエ」

「変なナマエ」

「セイって読み間違える」

「呼びにくいナマエ」


 という理由で、聖は小さな頃からこの名前が大嫌いだった。早くにお母さんが居なかった聖は、いつも泣きながら車の前で油と埃で汚れたお父さんの背中に体当たりをした。突然ぶつかる聖を大きな背中で受け止める父親はそれに気がつくと、ゆっくりと振り向き、大きな目をまるで猫のように細めて優しく笑うのだ。父親は何も言わない、何も聞かない。それで良かったんだ。そもそも見返りを期待する愛情を撒き散らす人が苦手だったから。そういうのをお世辞にも素敵だと思えなかった。だから、聖にはこれくらいが丁度よかったんだ。


 そして、そんなことに慣れだしだ頃に、聖には変なニックネームがついていた。


「鞍馬山・ロンサム・聖」だった。

 なんでちょっとハーフっぽいニックネームなんだろう。変なの。聖はそう思った。でも、その頃には周りを気にもしなくなっていた。関わりたくないわけじゃない、興味がないのだ。そんな、冷めきった子供に成長していたのだ。



 *****


「聖ちゃん、そこのおまんじゅうを箱から出してお皿に並べて棚に積み上げておいてくれる?」

「あ〜、うん。わかった」


「ひーちゃん! なんか足りねえもんあるか? 遠慮なくなんでも言ってくれよ?」

「誠史さん、大丈夫だよ! 今は大丈夫。ありがとう」


 厳かに、お通夜の準備がされていく。「なんだろう、この他人事な感じ……」と、聖は言われるままに喪服を着て、流れるようにお通夜の準備をしていた。


「それにしても…… 聖ちゃんをひとり残して譲治さんも辛いでしょうね……」

「こんなこと誰にも分かりゃしないわよ、予想外だもの…… だけど、いきなりすぎるわ、こんなのどうしようもないわ……」

 布団屋の奥さんと八百屋のお婆さんが手伝いをしながら話している。そりゃアンタらは他人事だろうと、聖は冷ややかな目をする。


「ひーちゃん、ここに本気でひとりで住むのか? 俺んとこ汚いけど、部屋ならまだ余ってるから来ないかい?」

「誠史さんありがとう。でも、やっぱり俺まだここに居たいんだ…… この店にはお父さんの思い入れが多すぎるんだ。それに、僕は店を継ぎたいんだ…… ずっとずっと、そうするって決めてたんだ」

「聖ちゃ……ん……」

 

 聖のその言葉でおばちゃん達の部屋からすすり泣く声がする。聖は困った顔で頭をさすった。豆腐屋の誠史さんは聖の頭を優しく撫でると「困ったらいつでも頼ってくれ!」と眉間に皺を寄せ、無理に元気よく笑った。ここの商店街は大きな商業施設に負けないで頑張ろうと手を繋いで今までやってきたのだろう。ひとつの店でも減らしたくないのが本心だろう。こんなときですらだ。


 数日前、父親が遺体となって、この家に帰ってきた。

 河川敷の大きな橋の欄間に沢山のゴミと共に父は引っかかっていたそうだ。朝の散歩のご老人が第一発見者だった。その人は腰を抜かし、慌てて近くの交番に駆けこんだらしい。つなぎのポケットに入っていた免許証と店の名前が書かれたバイクがすぐそばに止まっていたことで父だと分かり、早朝に家に連絡が入った。

 左手首が千切れたようになくなっている遺体。その、父の顔は青白く変わり、まるで他人のようで聖は実感がわかなかった。聖は「父じゃありません……」と言いかける口に手をあてた。そんなの当たり前だろう。それが普通なのだ。納得など、すぐに出来るはずがないのだ。


 最後に沢山の書類を手に聖から出た言葉は

「どうも……」だけだった。冷めている訳では無い。何も言葉が出なかったのだ。冷たく、そして硬くなった父親の姿。強く右手に握られていた鍵。握りすぎたことで手のひらが切れ、赤紫に色が変わり、働き者の父親の手は別の物のように聖の目に映ったままだった。



 赤とオレンジの棚と無造作に突っ込まれた道具たち。綺麗に背の順に並べられた顧客書類。ステッカーだらけの使い古された工具箱。作業机には溢れんばかりの煙草が灰皿にある。緑のグラデーションのファイアーキングのマグカップにうっすらと残るコーヒーが輪を描き、乾いてヒビが出来ている。聖は硝子玉のような瞳に全てを映す。スンと鼻の奥が痛くなる。父さんらしさがあちこちに残ったガレージ。僕は父さんの背中が大好きだった。よれよれの煙草を口の端に咥えたまま火も点けないで考え事をする横顔も。製図を引きながら得意になって歌う嗄れ声も。気分転換だとギターを弾くのも。すべてが父さんだった。僕は指先で灰が飛び散らかった作業机を触る。まだ真新しい白い灰。それを人差し指と親指でこすり合わせる。淡く父さんの匂いがしたようだった。すると、いつも中指に父さんがつけていたカレッジリングが小さな封筒をまるで押さえるように置いてあることに気がついた。

 中を確認するように聖は封筒を開け、一枚のメッセージカードを取り出す。


「やあや、開いて中を見ちゃったのね? それが正解! 気が向いたらここに電話してなのねえ!」


 聖はその文章に呆気にとられた。

 丸く可愛らしさの引き立つ文字。上品な香りのするメッセージカード。女だ。そう思った瞬間に聖は吹き出す。


「はあ、なんだよ…… ちゃっかり遊ぶ時には遊んでたのかよ…… まったく隅に置けないってアレですか…… なんだよ、本当になんだよ……」

 

 ひとりごとのようにその言葉を吐き、聖は作業机に両手をつく。すると、ゆっくりとうなだれるような形でその場にうずくまってしまう。我慢していた。強がっていた。すべてが事切れるかのように次から次へと溢れ出てくる。こぼれる吐息は次第に大声に変わり、嗚咽を交えて聖はとうとう泣き出してしまった。


 ガレージのシャッターが風に叩かれ、痺れるような音が響き渡る。うっすらと汚れた窓から見える月が、部屋に舞う塵を綺麗な光が纏うようにガレージ全体を淡く照らした。




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