第62話

 植杉義弘が消えてから二日経った今日も、明日軌は司令室で書類整理をしていた。

 処理しても処理しても書類が減らない。

 なので、執事のハクマとメイド長の大谷もそれぞれの机を運び込んで手伝いをしている。お陰で徹夜をする必要は無くなった。

「失礼します」

 開けっ放しのドアから一人の紺色メイドが入って来て、大谷に耳打ちした。いちいちノックさせてから入室させると作業が中断して面倒だからだ。

 報告を受けた大谷がオカッパ頭を上げて女主人に報告する。

「明日軌様。全ての田んぼで稲刈りが終了しました。以後の指示はいかが致しましょう」

「例年通りです」

 明日軌は書類から目を離さずに言う。

 それを受けて退室する紺色メイド。

 再び小一時間程書類処理をすると、今度は黒メイドが入室した。

「明日軌様。黒沢様からのバイク便でマル特書類が届きました」

「黒沢様から?」

 机の上の書類を後回しにし、明日軌の机の前に立ったコクマから長方形の鞄を受け取る。

 マル特とは、発火装置付きの鞄で運ばれる書類の事だ。正しい手順で開けないと燃える仕掛けが施してあり、敵の手に重要書類が渡らない様になっている。

「……黒沢様も、この街に避難していらっしゃるそうです」

 書類に目を通した明日軌が呟くと、ハクマが顔を上げた。

「では、東北でも敵の総攻撃が始まったのでしょうか」

 発火装置付きの鞄をコクマに返した明日軌は、引き出しに重要書類を仕舞う。

「いえ。総攻撃が予想されるので、事が起こる前に移動を開始すると。それなら全ての人が無傷で避難出来ますから」

「英断ですね」

 感心するハクマ。

 確かに一般市民を守るなら一番良い方法だが、悪く言うと敵前逃亡になる。汚名を受ける覚悟が無ければ、戦闘無しでの避難は出来ないだろう。

「百万人規模だけど、避難所の余裕は?」

「ギリギリでしょう。横になって眠れない人も出るかも知れません。避難生活が長引くと、ストレスが……」

「それは大丈夫。最後の戦いは長引いても二日で――」

 あ、私、未来をハッキリと見てるわ。

 それに気付いた途端、すぐ目の前に赤とピンクのセーラー服を着た二人の少女が現れた。地面に届く程の長い髪をツインテールにしている方の少女が明日軌を指差し、それから空中を弄り出した。手首の先が消えているので、棚か箱に手を入れている様だ。

 これは未来の光景か。今までは薄ぼんやりとしか見えなかった未来が、過去と同じ様に鮮明に見えている。

 植杉が言った、未来封じの暗示みたいなのが解けたのかな。

 不意に、もう一人の少女と目が合った。普段から良く見ている、前髪パッツンの可愛らしい女の子。パッチリとした大きな左目が、明日軌と同じく緑色。

 この子、過去の私を見ている……?

 未来に居る子と目が合ったのは初めてだ。

 ツインテールの子が何かの鍵を見付けると、二人は司令室から出て行った。未来では別の部屋の様だが。

 物置、かな?

 再び部屋に入って来る人影。それはコクマだったが、四十代くらいで、妙に疲れた顔をしている。今の明日軌の様に。

 四十代コクマは、先程の少女達が持って行った鍵を空中の何かに仕舞った。

 しかし時系列が分からない。少女達が持ち出した鍵を中年コクマが仕舞ったのか、中年コクマが仕舞った鍵を少女達が持ち出したのか。

 意識的に未来を見たとしても、全てが分かる訳ではなさそうだ。

 だが、これを利用すれば新しい試みに挑戦出来そうだ。

「……間違ってたわ」

「は? 間違い、とは?」

 突然固まった女主人を心配していたハクマを無視し、便箋に筆を走らせる明日軌。

「こんなワガママ、許されるかしら?」

 手招きに従って明日軌の横に移動したハクマは、丁寧な文字が並んでいる便箋を覗く。

「……旬は先ですが、それくらいなら許されると思いますよ」

「ん。じゃ、追伸。入手が難しければご無理なさらずに……と。東北の名失いの街の避難を許可しましょう」

 明日軌は立ち上がり、机の前に歩み出た。そしてコクマが持っている発火装置付きの鞄に返信を入れる。

「これから蛤石監視所に向かいます。今すぐ」

 いきなりそう言う明日軌を奇異の目で見るハクマとコクマと大谷。

「今は書類処理で時間を浪費している場合ではありませんでした。大失敗。コクマ、ここは任せます。ハクマは車の準備を」

「え」

 突然仕事を振られたコクマは、思わず短く声を上げてしまう。

「何? 出来ない?」

 書類整理で乱れた青いセーラー服の袖を弄りながら小首を傾げる明日軌。長い黒髪がセーラーをサラサラと撫でる。

「い、いえ。まさか。了解しました」

 今までの明日軌なら、書類整理等の重要な事はハクマに頼んでいた。

 ハクマとコクマは双子の忍者で、戦闘力はほぼ同じ。男女の差も無い。

 しかし事務処理はハクマの方が得意だ。それは性格的な物で、真面目なハクマは細かい仕事を黙々とこなす事が出来る。一方、コクマは少々攻撃的なところが有って、文字を読む事にストレスを感じるタイプだ。

 双子忍者の違いを明日軌は知っているはずだが、どうしてコクマに書類整理を任せたのだろうか。

 そんな疑問を、コクマはすぐに忘れた。

 忍にとって、主人は絶対な存在。死ねと命令されれば即死ねる。

 だから、自分は文字を読むのが苦手だからハクマの方が良いのでは? 等とは考えてもいけない。やれと言われれば、絶対に最良の結果を残さなければならない。

「マル特書類を届けた後、机をお借りします」

 冷静に言ったコクマが姿を消した。

 表情はいつも通りだったが、心成しかツインテールの張りが無くなっていた。やりたくないと言う気持ちが漏れ出ていた。

「コクマは後を頼める大切な人です。こう言う事務が苦手では困りますからね」

 明日軌は心を鬼にして司令室を後にする。

 廊下に出ると、ハクマが頭を下げていた。

「只今、運転手が自動車を玄関先に回しています。少々お時間を頂けますでしょうか」

 命令の直後に部屋を出て、素早く手配をした様だ。さすが仕事が早い。

「そう。ゆっくり歩けば待つ事も無いでしょう」

 ハクマを従えて廊下を進む明日軌。

「しかし、どうして自動車? 燃料の輸入が止まって大変なのに」

「避難民が街に溢れ、少々治安が悪くなっています。ですから、人力車は危険です」

「案の定、ですか。治安回復も考えなくては」

「馬車も、道に溢れている人に馬が興奮したら大事になります」

「なるほど。街の方達は大変でしょうけど、冬までの辛抱です」

「はい」

 銃を持った二人の警備員が待機している玄関ホールから外に出た明日軌は、簡易テントが無数に乱立している庭を見渡した。

 南からの避難民の内、壁の中に入る事を希望した女子供のみがここで暮らしている。本来なら越後の名失いの街の人全員が入れるのだが、別の街の人が大量に避難して来た為、入場を制限しているのだ。男女別にして置けば、無意味な犯罪が起こらないとの判断も有る。

 素早い避難が出来ない老人や病人等は、雛白邸の地下に作った広大な避難所の方に収容している。そっちを本格的に使うのは、最後の最後だ。

「……嫌な時代です。ですが、みんな頑張って生きている。私もキチンとこの目で前を見なければ」

 一台の黒い自動車が、クラクションを鳴らしながら超低速で玄関に向かって来た。開けた場所で遊んでいる様々な人種の子供達が邪魔になっていて中々進めない様だが、明日軌は黙って到着を待った。

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