第12話
まだ日が沈まないので一人で時間を潰さないといけないのだが、やる事が無いのは結構辛かった。
一階に有る遊戯室には楽しそうな遊び道具がいっぱい有ったが、使い方が分からない。
三階の図書室で本を読んでみたが、難しい漢字ばっかりで全く読めない。
名前を知っている三人のメイドはどこに居るか分からず、他のメイドも仕事が忙しそう。暇潰しの仕方を教えて貰える雰囲気じゃない。
しかし、やる事が無くても勝手に時間は進む。
やっと夕飯の時間になったので一階の大食堂に行ってみたら、白メイドしか現れなかった。明日軌は自宅で、のじこはどこか別の場所で食べているらしい。昨日みたいにみんなが集まって食事、と言うのは珍しい事なんだそうだ。
広い食堂に一人で座るのは気が引けるなぁとメイドに言ったら、自室に運びましょうか? と訊かれた。迷惑になるのではと思ったが、膳を運ぶ手間は大して変わらないと言うので、自分の部屋で食事を取る事にした。
献立は、白米と煮魚と大根菜の味噌汁と沢庵。普通に質素だ。良い肉が食べられるのも滅多に無い事らしい。
夜が明け、翌朝の食事も自室で取った。
部屋の中に洗面所と風呂場と水洗トイレが有るので、部屋から出なくても暮らして行けそうだ。
しかし蜜月はきっちりと袴を着て廊下に出た。
そして正面の門が見える窓の前で思いっきり伸びをした。今日も良い天気で、日の光が眩しい。
部屋に閉じ篭っているのは研究所でもう飽きている。せっかく違う世界に来られたんだから、違う空気を楽しみたい。
と言っても、何をして良い物やら。
白い雲を見ながら考え込んでいると、不意に名前を呼ばれた。
「おはようございます。ハクマ様がお呼びです」
大谷が、頭を下げてからそう言った。
「あ、はい」
やる事が向こうからやって来てくれた。
蜜月は機嫌良くメイドの後に続く。
「おはようございます、蜜月さん」
一階に降り、玄関ホールの真逆側に有る大扉の前に連れて来られた。位置的には裏口と言えるが、それにしては大き過ぎる。
そこで白い執事服を着たハクマが待っていた。
赤いシャツの植杉も居た。
「おはようございます、ハクマさん、植杉さん」
「うっす」
植杉は眠そうに片手を上げる。
「あんたの武器が出来た。早速装備して貰う」
「はい」
「では、参りましょう」
ハクマが大扉を開ける。
大仰な音を立てて開いた扉の向こうは、木の天井と柱で出来た渡り廊下が有った。
その向こうに、また洋館が有る。と言っても白い石壁の二階建てと言うだけで、洋館と言うより質素な施設の様な外見だった。
その施設の入り口である鉄の大扉を開けるハクマ。
中は何やら臭かった。男の汗と鉄と火薬の匂いが混ざっていて、無垢な少女には辛い臭いだった。
「この建物は自警団の詰め所になります。気性の荒い者も多いので、蜜月さん一人では入らないでくださいね」
「はぁ」
蜜月は口で呼吸しながら気の抜けた返事をする。
大扉の正面には、廊下を挟んでまた同じ大扉が有った。ハクマがそれも開ける。
その向こうには、また石壁の建物が有った。
こちらの洋館も、雛白邸の中に明日軌宅が有ったのと同じ造りになっている様だ。ドーナツが二個並んでいる8の字の形をイメージする蜜月。
しかし、向こうは屋根が有るが、こちらには屋根が無い。階段も無い。
石壁の建物を囲む洋館の内側にも窓が有ると言う違いも有った。その窓の向こうは生活感が溢れる部屋だった。
蜜月の部屋と間取りが似ていたので、中の造りは雛白邸と同じらしい。
ただ、置いてある荷物が明らかに一人分じゃないので、数人で一部屋を使っている様だ。
窓のひとつで着替えをしている男性が居た。
蜜月は慌てて顔を正面に向ける。
あぶないあぶない、変な物を見てしまう寸前だった。
顔を向けた先に有る石壁の建物から数本の煙突が生えていて、黒い煙が青い空へと昇っていた。
玄関に扉が無いので、三人は歩みを止めずにその建物に入った。
「うわ」
むわっとした熱気に後退る蜜月。
中はとてつもなく暑かった。外との温度差は十度以上有りそうだ。
「ここは武器を作る場所です。鍛冶場が有るので、とても暑いのです」
ハクマが中に入る様に促す。
植杉も面倒臭そうに待っている。
入りたくないとは言えない雰囲気なので、渋々足を踏み入れる蜜月。本当に息苦しくて、熱気で汗が吹き出す。
「すぐ済みますから、我慢してくださいね。さぁ、こちらです」
三人は、鉄屑が乱雑に散らばっている石造りの廊下を進む。窓にガラスが嵌っておらず、吹き曝しになっている。なのに、建物の中の熱が全く逃げていない。
「うわ、熱そう……」
歩きながら、扉の無い部屋の中を覗いた蜜月がうんざりと呟いた。真っ赤な炎が顔を出している釜の前で、上半身裸の男達が汗塗れで槌を振っていた。この暑さの原因はアレの様だが、知識の無い蜜月には何をしている場所なのかが全く分からない。
「シゲさん。どうだい?」
廊下の途中で、小さな椅子に座って小さな扇風機に当たっている大男が居た。
その男に向かって右手を上げる植杉。
「おう、義弘か。――そのお嬢さんが新しい妹社かい?」
植杉と言葉を交わした禿頭の大男は、煤で真っ黒な顔を蜜月に向けた。
「全く。のじこといいあんたといい。なんでそんな子供を戦わせるのかねぇ。小さい武器を作るこっちの身にもなれってんだ」
「その小さい武器をさくっと作ってくれる、森重堅太郎さんだ」
植杉は袴姿の少女の背中を押し、大男の前に立たせた。
「妹社蜜月、です。宜しくお願いします」
恐る恐る頭を下げる蜜月に笑顔を向ける森重。黒い顔に白い歯が目立つ。恰幅の良い腹を薄汚れた皮製のエプロンで覆っている。
「よろしく。じゃ、こっちに来て」
大仰に立ち上がった森重は、更に廊下の奥に向かった。
蜜月達も続く。
通された石壁の部屋は熱気も少なく、植杉の部屋みたいに紙屑が散らばっていた。ただ、散らかっているなりに整理はされている。
部屋の中心には木のテーブルが有り、その上に武器が並んでいる。
「これが拳銃。小さ目だから装弾数は七。持ってみろ。持ち方は分かるか?」
森重は、くすんだ銀色の拳銃を指差した。
蜜月は無造作に銃身を掴んで持ち上げる。ズシリと重い。
「グリップを握るんだ。まだ弾が入ってなくて安全装置も掛っているが、戦闘時以外は引き金に指を掛けるんじゃないぞ」
「あ、はい」
「植杉よ。七しか入らないなら、スライド式よりリボルバーの方が良かったんじゃないか?」
「いやー。護身用だろ? なら出来るだけ小さい方が良い。どうせ神鬼には意味が無いし」
森重と植杉の会話は、蜜月には良く分からなかった。
「構えてみろ。掌にしっくり来るか?」
植杉に構え方を教わり、適当な方向に銃口を向ける。正直、良いのか悪いのか分からなかった。
ただ、持ち難くはない。
そう言うと、森重は皮のケースを蜜月に渡した。
「拳銃入れだ。普段はそれに入れて持ち歩くと良い」
「はい」
拳銃をケースに入れ、取敢えず懐に仕舞った。
「次は歩兵銃だ。これも小さ目だが、性能は落ちていない」
一メートルより少し短いくらいの銃を持たされる。
「これが神鬼を倒す為の銃だ。生死を共にする銃だから、大事に使うんだぞ」
「はい」
これで神鬼を殺すのか。
教えられた通りに両手で歩兵銃を構える。
これも良いのか悪いのか分からないが、持ち難くはない。
「そして、刀だ。柄には最高級の鮫皮を使ってある」
鞘に収まった日本刀を持たされる蜜月。
左手に歩兵銃、右手に日本刀、そして懐に拳銃を入れている袴の少女。
何だか物騒な姿だ。
でも完全武装って感じで身が引き締まる。
「今日はこれだけだ」
「ありがとう。ほら、お礼」
「あ、ありがとうございます」
植杉に言われ、慌てて頭を下げる蜜月。
うん、と不愛想に頷いた森重は、大きな身体を揺すってテーブルに背を向けた。そして紙の束の上に置かれた棒状の木箱を指差した。
「隊長さんの刀も出来てる。持って行きな」
「ありがとうございます」
木箱を持ったハクマも礼を言う。
用事が終わったので、すぐに灼熱の建物から出た。外の風がやたらと涼しく、一気に汗が引いた。呼吸が楽だ。
「ふう」
植杉も暑かったのだろう、赤いシャツを指で抓んで服の内側に風を入れている。
「あんたの武器を徹夜で作ってくれた人達の顔を忘れるなよ。じゃ、次は防具だ」
三人は、渡り廊下を通って雛白邸に戻る。
「では、私はこれで失礼します」
会釈したハクマが微笑む。
「頂いた刀を使える様にして来ます。お昼を頂いた後は、実弾を使った訓練をしましょうね、蜜月さん」
「は、はい」
「訓練の前に俺の用事を済ませないとな。行くぞ」
ハクマと別れ、ヤニ臭い男と共に二階の植杉の部屋に行く。
「これを着ろ」
「はい」
部屋に入った途端に植杉から風呂敷に包まれた物を渡された。前回と同じ様に衝立の影に移動してから風呂敷を解くと、黒い服が入っていた。
「ああ、それの下には普通の肌着は着ない方が良いぞ。線が出てみっともないからな。専用インナーと生理用インナーが有るから、後でメイドに使い方を教わってくれ」
「はぁ」
いんなぁとは何だろうと考えながら、素っ裸になってから黒い服を着る。手首と足首まで隠す、身体にピッチリと張り付く上下別の全身タイツの様な服だった。
素材はツルツルテカテカしている未知の生地。伸縮性が有って動きに制限が無いので、服を着ているのに裸で居る感じで落ち付かない。
「まだか?」
「あ、はい。着替え終わりました」
脱いだ袴で身体の前を隠しながら衝立から出た。
「着て貰ったのは鎧下着だ。その上に、この防具を着ける。最初だけは俺が着せてやるが、本来は一人で着る物だ。面倒だから一発で着方を覚えろ」
植杉は、紙の山の上に置かれている物を両手で持った。それは糸尻の無い大きなお椀の様な物だった。
表面はピカピカな鏡になっていて、蜜月の顔がはっきりと映っている。つるんとした凸の形になっているので、カエルの様に大きく歪んだ顔だ。
「恥ずかしいのは分かるが、ちょっと我慢して手を下せ」
「……はい」
着物を床に落とすと、植杉は防具を蜜月に着せながら解説を始めた。
「乙の神鬼は熱線を発射するが、その熱線は鏡で反射出来る事が分かっている。真っ直ぐ直撃したらダメだが、斜めに入れば熱線を逸らす事が出来るんだ」
「あ、だから汽車から見えた戦車はキラキラと輝いていたんですね」
「それは中型乙用の戦車だな。派手だから敵に見付かり易くなってしまうが、鏡張りにした方が生存率は高い。……これで良し」
胸、両腕、両脛に鏡の防具が取り付けられた。それらの造りは剣道の防具とほぼ同じらしい。もっとも、蜜月は剣道を知らないが。
腰には小さな鞄がいくつも付いたベルトが巻かれた。
「本当は全身鏡張りにした方が良いんだが、それじゃ重くて動きが悪くなる。逆に危ない」
「鏡って事は、これ、割れますか?」
「当たり前だ。鏡だからな。割れ難くはしてあるが、物理的な防御力の為の鎧じゃないから、ぶつけたら割れる。気を付けろよ」
「はい」
「身体の線が出て恥ずかしいのならこの上に何かを着ても良いし、このまま戦っても良い。動き易い方で良い」
「分かりました」
試しに着物を羽織ってみたが、鎧が邪魔で着難かった。
下だけ袴が良いか?
その姿を想像してみたが、変な格好だと思った。
変な格好で恥ずかしいよりは、勇ましい格好で恥ずかしい方が良いかも知れない。余計な事はせず、このままで行こう。
「どうだ? 緩い所やきつい所は無いか?」
植杉は、防具と身体の間を指で撫でた。隙間が無いか調べているらしいが、指が防具の中に入って行く事は無かった。
「特に有りません。くすぐったいです」
「そうか。武器防具の準備は以上だ。もう脱いで良いぞ」
「はい」
「装備の置き場所はハクマに訊け。それと、出撃の時に素早く着られる様に自主訓練しておけ。気になる所が有れば敵が来る前に言え。良いな」
「分かりました」
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