第10話
「大丈夫ですか?蜜月さん」
「え?」
春の木漏れ日の中に、心配そうな男性の顔が有った。ボーッとしていたら、白い執事服を着たハクマに正面から顔を覗き込まれていたのだ。
「あ、あ、大丈夫です!」
ハッと我に返った蜜月は、庭の木の下に置かれたベンチに座ったまま、襟元と袴を無意味に直した。
メイドの大谷に連れられて庭に出た蜜月は、ここでハクマを待つ様にと言われ、一人で待っていた。人を待っていたのに、その人の接近に気付かなかったなんて。
恥ずかしい。
「本当はのじこさんにも同席して貰いたかったのですが、植杉さんに武器の調節をして貰わなければならなくなった為に来られません」
「はぁ」
「……元気が有りませんね」
蜜月の横に座るハクマ。
男性に馴れていない蜜月は、少しお尻を浮かし、ハクマからちょっとだけ離れた。
「えっと、神鬼の記録映像を見たので……」
「ああ、なるほど。私も最初に見せられました」
「でも、鶏肉は美味しかったんです」
「……?」
爽やかな風が吹き、石鹸の薫りが蜜月の鼻を擽った。
風上のハクマを見ると黒い髪が濡れていて、日の光を反射してキラキラと輝いていた。戦闘終わりに入浴したらしい。
かっこいい。
ついそう思ってしまった蜜月の頬が熱くなる。
「兄様」
「うわっ!」
いきなりベンチの正面に現れた黒いメイドに驚いた蜜月は、みっともなく姿勢を崩してしまう。
「植杉様からの書き付けです」
「ありがとう」
兄に紙切れを渡した妹は、見下す様な視線を蜜月に向けた。立っているせいじゃなく、明らかに睨み付けた。
「失礼します」
と言った途端、コクマはまた一瞬で姿を消した。
「!?」
外国の犬の様な形の髪を振って黒いメイドの姿を探す蜜月。もうどこにも居ない。
「驚かせてすみません。私とコクマは、忍なのですよ」
二秒程書付けに目を落としたハクマは、それを上着のポケットに仕舞った。
その内容は『蜜月に自分自身の戦いをさせろ』と言う物だった。
植杉は見た目に反して神経が細かい。他人の心配をしている訳ではなく、自分が作った武器の能力をキチンと理解して使って欲しいかららしい。
「しのび……? 忍者?」
「はい。なので、動きが少々素早いのです」
命を賭して主を護る暗殺者。
非情な諜報員。
必要ならば、敵の命も味方の命も、自分の命さえ躊躇い無く奪う無情の戦闘員。
それが忍だと、紙芝居やら夜話やらで語られる。
そんな恐ろしいイメージに反し、優しげに微笑むハクマ。
「忍者なんて、お話だけの存在かと思っていました」
「それはお互い様ですよ」
「……そうですね」
植杉が語った妹社の体質も作り話みたいだ。
改めて正面に視線を向ける蜜月。
雛白邸の庭は広い。色んな種類の木が疎らに植えられている。その木々の枝で様々な鳥が囀り、遊んでいる。
琴の音が聞こえて来た。どこかで誰かが爪弾いているのか。優雅な音色。
「私とコクマは、お嬢様に拾われたのです」
突然語り出すハクマ。
蜜月は適当な木を見詰めながら耳を傾ける。
「忍の村に、蛤石が現れました。そのせいで、私とコクマ以外の人間は消えました」
「消えた……?」
「ええ」
強めの風を受け、木々がざわめく。
琴の音が聞こえなくなった。
風の向きで聞こえたり聞こえなかったりするらしい。
「忍の村を取り戻そうと、仲間達は神鬼と戦いました。しかし、蛤石がどの様な物か分からずに戦ってしまったから、全滅してしまいました」
ハクマも正面に顔を向け、遠くを見る。
その瞳には庭の木々は映っていない。故郷に想いを馳せている。
「私とコクマは、神鬼がどう言う生き物かを調べる任務に就いていました。村の外に居た為に助かったのです。二人だけが……助かったのです」
再び聞こえる琴の音。
「山に隠れ、これからどうすれば良いのかを考えている内に冬が来て、凍死しかけました。村は雪の少ない土地でしたので、冬を侮っていたのです。そんな私達を助けてくださったのがお嬢様でした」
ハクマは立ち上がり、数歩歩く。
そんな彼を目で追う蜜月。
「雪山で助けられたので、私は大雪の魔物、白魔と名付けられました。妹は黒魔。お嬢様が仰るには――」
蜜月を見て、にっこりと笑むハクマ。
「妹は腹黒いから、だそうです」
「……プッ」
人を小馬鹿にしたあんまりな理由に、つい吹き出す蜜月。上品そうな人だったのに、そんな名付けをする一面も有るのか。
「私達兄妹は、命の恩人である明日軌様を護る為に戦います。村の仇である神鬼を殺します。それが私の戦う理由」
ハクマは笑みのまま蜜月に向き合い、そして訊く。
「蜜月さんは、何の為に戦いますか?」
「え? それは、お国の為に……」
「それでは戦えません。そんな曖昧な理由では」
ハクマはハッキリと断言する。
「確かに、世界中で神鬼と戦っているみなさんは、お国の為に心をひとつにして戦っています。ですが、これは戦争ではありません。人と神鬼のどちらが生き残るかの、生存競争です」
「競争……?」
「はい。どちらが先に全滅するかの、殺し合いです」
殺し合い。
白黒の映像の世界で殺されていた人達。
戦闘員である雛白部隊が負ければ、戦えない街の人達がああなる。
だから戦う、で良いのだろうか。
そう言おうとした蜜月が口を開く前に、ハクマは訊く。
「では、蜜月さん。お国の為に戦うと言う事は、どう言う事ですか?」
「え……?」
訊かれて、蜜月の思考が止まった。
どう言う事だろう?
全く言葉が思い付かなかった。
そう言えば、誰に教えられた言葉だろう。
思い出せない。
「忍は国の為には戦いません。忍は仕えた主人の為に戦います。主人の命令は必ず遂行します。それがどんなに非人道的な事でも」
「はぁ」
格好良いハクマの言う事も、植杉と同じくらい難しくて分からない。
「もっとも、明日軌様はそんな命令はしませんけれど」
「明日軌さんは優しそうな人ですもんね」
「はい。ですので、私達は明日軌様の為に命を賭けて戦います。蜜月さんも、国と言う大きな物ではなく、蜜月さんの大切な物の為に戦ってください。大切な物を守る為に」
「私の、大切な物……。そんな物、有るのかな」
研究所を出て名無しの街に行く事になった時は、外に出たくないと駄々をこねた。知らない世界に行く事が怖かった。
目的地が知っている街だと知らされて、それで渋々承諾した。
そう言う意味では、研究所での生活が大切な物だったと言える。
だが、研究所に対する嫌悪感を意識してしまった今では、そうは思えない。
「思い付きませんか?」
「はい」
「では、それを探す為に戦ってください」
「探す為に……?」
何を探せば良いのだろう。
蜜月は、一生懸命働きながら談笑している若いメイド達に目を向ける。洗濯物を干したり、掃除をしたりして、日々を楽しんで生きている。とても輝いている。
そんなメイド達の様に、談笑出来る友達を作ってみれば良いのだろうか。
この館での同年代は、明日軌と、のじこ。
上品な女主人と無表情な幼女。
友人云々以前に、会話の糸口さえ想像出来ない。
しかし、このままでは同年代の友達が居なかった研究所の生活と同じになってしまう。
考え込む蜜月を見て、再びベンチに座るハクマ。
「何でも良いのです。戦いが辛くなった時に心の支えになれば。私は明日軌様とコクマがそれに当たります」
「心の、支え……。それは、多分――」
父、母、兄。
「ご家族ですか?」
「はい。この街の蛤石は、実は私の家の庭に有るんです」
「え?」
琴の音の中、驚きの表情になるハクマ。
今度は蜜月が語る。
「竹の子の様に地面から生えた銀色の水晶を最初に見付けたのは私。綺麗な石でしたので、宝物でした。最初は湯呑みくらいの大きさでした。引っ張っても抜けず、土を掘っても根っこが見えない、不思議な石でした」
「引っ張った? 触ったのですか?! 蛤石に!」
ハクマは腰を浮かせ、更に驚く。
「はい。宝物ですから、自分の部屋に隠したかったんです。でもダメだった。だから草を掛けて隠しました。――ある時、少しずつ育って行く銀水晶を眺めていたところを兄に見付かり、ケンカになりました」
なんだそれは。
僕にも見せろ。
「他愛の無い、子供のケンカ。だけど、銀水晶を触った兄は消えてしまいました」
寂しそうな表情で俯く蜜月を、驚愕の表情を崩さず見詰めるハクマ。
「それを両親に言った。そして、私と母が見守る中、父も銀水晶に吸い込まれる様に消えた。私が四才の時でした」
それが、この国の蛤石発見第壱号だった。
「母が警察に知らせたら、軍が家を占拠しました。私と母は、国の施設に避難しました」
そこは、それから十年過ごす、あの研究所だった。
目を瞑る蜜月。
「母は心労からか、日に日に衰弱し、ある朝行方不明になりました。その時の私には分からなかったんですが、どうやら家に帰ったらしいのです。そして行方不明になった。残された私は……」
銀水晶を触っても生き残れた理由を探る為に、研究所で色々と調べられた。
そして、妹社だと言う事が分かった。
研究所で調べられた事が実を結んだかどうかは、被験者には知り様も無い。
「幼い頃の出来事ですが、それでもハッキリと覚えています。事の始まりは、ハクマさん達と同じですね」
目を開けた蜜月は、足下を見ながら言う。
ハクマは気持ちを落ち着かせる様に息を吐きながら頷いた。
「そう、ですね」
「でも、両親と兄は、行方不明なだけです。きっとまた会える。それを理由に戦えば良いですか?」
蜜月は縋る様な視線をハクマに向ける。
「そうですね。きっと会えます。蜜月さんが生きていれば、いつかきっと」
琴の音の中、慈しむ様な表情で頷くハクマ。
蛤石に関係した行方不明者が見付かったと言う話は聞かない。ハクマの里の人間も、当然ながら一人も帰って来ていない。
だが、今はその願いを抱いたままにした方が良いだろう。夢を見るなと辛い現実を突き付けても、まだまだ幼い蜜月には大した意味は無い。
「こ、この音は、誰が?」
男性と見詰め合っている事に気付いた蜜月は、何と無くはしたない気がして、彼から視線を外して話題を逸らした。
「明日軌様です。考え事をなさる時や、気分を落ち付かせる時に、良く弾かれます」
「明日軌さんが。……そう言えば、明日軌さんには、何か特殊能力が有るとか。それって、どう言う事ですか?」
「その事を説明するには、雛白家の事から話さなければなりません」
「はぁ」
「雛白家は、武器商人の家系なのだそうです。人を殺す道具を売る仕事の一族。世界には戦争が溢れているので、大層儲かるそうなのです」
一匹の青い小鳥がベンチの前に降り立った。蜜月達の話を気にもせず、可愛らしく地面を啄ばんでいる。
「前当主は売れるだけ売っていたそうで、現当主の雛白藤志郎様はそれに反発をなさったそうです。人殺しの道具を売って裕福な暮らしをする事に疑問を持ったのだとか」
「なら、当主となった藤志郎様は、もう武器を売っていないのですか?」
「いえ。雛白家の様に大きくなると、嫌でも家業を捨てる事は出来ないのだとか。そんな中、神鬼が現れた。そこで雛白藤志郎様は、罪滅ぼしの意を込めて、私財を
中々の人物の様だ。
「その行動には、明日軌様の体質も関係していたらしいのです。明日軌様の左目は緑色でしょう?」
「ええ。不思議だと思っていました」
「左目のみ、産まれ付き視力が無いのだそうです。その代わり、ありえない物が見えるのだそうです。雪山で遭難していた私達を発見したのも、その左目のお陰なのだとか」
「ありえない物、とは? 何が見えているんでしょうか?」
さぁ……? と首を傾げるハクマ。
「明日軌様が仰るには、今を見る視力が無い変わりに、別の物が見えるのだそうです」
「別の物?」
首を傾げる蜜月を見て微笑むハクマ。
「私には仕組みが理解出来ませんが、これから敵がどう動くのかが分かるのだそうです。なので、明日軌様に従って戦えば、私達は負ける事は無い。だから明日軌様が部隊を運営なさっているのです」
そう言ったハクマは、ゆっくりとベンチから立ち上がった。
「では、神鬼との戦い方を教えましょうか。大分落ち付かれた様ですし」
そう言えば、記録映像を見たショックの吐き気や倦怠感が無くなっていた。
色々話したお陰で、気分が晴れたらしい。
「お願いします」
蜜月も背筋を伸ばして立ち上がった。
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