第9話

「植杉様。蜜月様をお連れ致しました」

「あいよー」

 大谷が植杉の部屋のドアをノックすると、間延びした声と共に赤いシャツの男が廊下に出て来た。右手に湯気立つコーヒー、左手に黒い皮で出来た薄っぺらい鞄を持っている。

「よーし、映写室に行くぞ。大谷さん、悪いが食器を片してくれ」

「畏まりました」

 案内をしてくれた大谷と別れた蜜月は、今度は植杉の後に続いて三階へと上がる。三階も他の階と同じ風景だった。

「うーん。一人だと迷子になりそうです。どうしたら良いでしょう」

「無駄に広いからな、この屋敷は。だから覚えろ! としか言えないな。迷子になってもメイドがうじゃうじゃ居るから大丈夫だろうけどな」

「はぁ。あ、そう言えば、調理場で言っていた、明日軌さんのちょっとした特殊能力って何ですか?」

「ん? そうだなぁ」

 植杉は、歩きながら器用にコーヒーを啜った。

「そう言う事は隊長さんに訊いてくれ。俺はあんたの教育係じゃない」

「はぁ」

「普通の兵士なら普通の教官が付くんだが、あんたらは神鬼専門の妹社だからな。教える方にも特殊な知識が要る」

「はぁ」

 気の抜けた返事を繰り返していたら、植杉は足を止めた。

「じゃ、神鬼が敵なのだと言う記録映像を見せる」

「記録映像、とは何でしょう」

「見れば分かる」

 両開きの扉を開けて入った部屋の中は真っ暗だった。

 植杉が何かのスイッチを入れると、一瞬で明かりが灯った。

「う……」

 蛍光灯の光が研究所の天井に似ていて、蜜月は少し気分が悪くなった。

 実際の所、研究所は帰っても良い場所だと思っている。育ててくれた親代わりの人や仲の良い大人が居るし、それなりの思い出も有るから、第二の実家と言えなくもない。

 なのに、身体が頑なに拒否している。

 何をされたかは全く思い出せないのに、研究所の気配に対する嫌悪感が酷い。

 あそこで暮らしていた時は別に何ともなかったのに、外の世界を知った途端、これ程までに戻りたくなくなる場所なのか。

「どうした? スイッチひとつで点く明かりに驚いたか?」

「い、いえ。何でもありません、大丈夫です」

 もうあそこに戻る事は無いはずだ。

 蜜月は、気分を落ち着かせる為に深く呼吸をした後、慎重に部屋を見渡す。

 木の壁にねずみ色の硬い絨緞。

 黒く分厚いカーテン。

 研究所とは全然違う風景だ。

 大丈夫だ。

「そうか。便利だから自分の部屋でも使いたいが、電力が少なくて、特殊機器以外ではこの部屋しか電気が使えないんだよな」

「はぁ」

「で、これが外国で開発された映写機って言う最新鋭の機械だ」

 植杉は、部屋の真ん中に有る四角い機械を弄り始めた。

 それから突き出たレンズが向いている方の壁に、白い垂れ幕が下がっている。

「かなり気持ちの悪い映像だが、しっかりと見ろ。目を逸らさずに、最後まで見るんだ。良いな?」

 皮の鞄から丸いフィルムリールを取り出した植杉は、慎重に映写機にセットする。

「そこの椅子を、好きな所に置いて座れ。映写機の前はダメだぞ。その白い幕に向けろ」

 畳まれて壁に掛かっている数十脚のパイプ椅子を指差す植杉。

「あ、はい」

 蜜月はパイプ椅子のひとつを持ち、映写機の横に置いた。

 そして怖々と座る。

 これから何が起こるんだろうか。

「じゃ、始めるぞ。これを持て」

「?」

 袴を穿いている蜜月の膝の上に木製の洗面器を置く植杉。

「時間は約一時間だ。ちょっと長いから姿勢を変えても良いが、目は逸らすなよ」

 しつこく目を逸らすなと言った植杉は、映写機のスイッチを入れてから部屋の明かりを消し、そのまま部屋を出て行った。

「……? わっ」

 突如として白い垂れ幕に映し出された男達に驚く蜜月。

 最初は窓の外で大勢の人間が動いているのかと思ったが、体格が巨人レベルだし、色も音も無い。現実感の無い夢を見ている感じ。

 良く分からない現象だが、これが映像って奴か。

 薄暗い中、一人で見入る。

 垂れ幕の中の白黒の男達は、笑顔だったり、物珍しそうにこちらを見ていたりしている。顔付きから外国人だと判る。

 銃を持ったその服装は、雛白邸の門番と同じ迷彩柄だ。

 蜜月は、私もあんな格好をして戦うのかしら、とノンキに思った。

 いきなり場面が変わる。

 一転、険しい表情で銃を撃っている外国人達。

 男達が銃を向けている方向にカメラが向く。

 岩と砂だらけの風景の中で、見た事も無い生き物が銃弾を受けて黒い体液を撒き散らしていた。

 画質が悪い上に対象が遠いので良く見えない。

「……あれが、神鬼?」

 映像を良く見ようと前屈みになる蜜月。

 またいきなり場面が変わった。

 顔を潰され、身体を不自然な方向に捻った男達があちこちで倒れている。間違い無く死んでいるのに、棍棒の様な物で殴られていた。

 殴っているのは奇妙な生物。

 地面に付くくらい長い腕。

 節くれだった短い足。

 子供の様なぽっこりとしたお腹。

 頭はつるんとした球体で、目の位置に黒い穴が開いている。

 一糸纏わぬその姿は、地獄絵図の餓鬼の様だ。

 衝撃映像に呼吸を忘れて固まる蜜月。

 と、カメラの前に一匹の餓鬼が立った。

 映像が揺れて風景が横向きになったところで、またいきなり風景が変わった。

 今度は、餓鬼が人間の身体を引き千切っていた。長くて太い腕を持った赤ん坊が新聞紙を千切って遊んでいるかの様に。

 白黒の映像なのに、死体から吹き出す液体が赤く見えた。

 調理の下準備で鶏の首を捻り、包丁で首を落とした時の感触が蜜月の掌に蘇る。

 ふわふわとした羽毛の温かさ。

 首の骨が折れた響き。

 柔らかな肉を切る手応え。

 そして、血の色と薫り。

「……ゥヴォ、ング……」

 胃の中身が逆流しそうになった。

 なるほど、この洗面器は、吐いた物を受ける為に用意されたのか。

 しかし蜜月は我慢する。

 単純に、食べた物を戻す事が勿体無かったから。苦労して料理したニジマスだったし、とても美味しかったし。

 映像は腹と口を押さえた蜜月を無視して進む。

 ここからは人が惨殺されている場面を集め、次々に写し出す形式になっている様だ。

 時に遊ぶ様に、時に恨みがこもった様に、時に作業的に。

 行動としては様々だが、殺し方はワンパターンだった。五体を引き千切るのみ。

 敵の姿はほとんどが餓鬼だったが、稀に犬の様な形の物も見える。

 野原に、頭の山、胴体の山、腕の山、足の山と部分けされている映像も有った。

 それからも何百人もの人間が殺された。

 蛍光灯が点いた時の比ではないくらい気持ち悪い。

 そして唐突に映像が終わる。

 その時を見計らったかの様に部屋の明かりが点いた。いつの間にか帰って来ていた植杉が映写機を操作し、リールを巻き戻す。

「吐かなかったか」

 口を押さえて涙目になっている蜜月を見て、意地悪そうににやける植杉。

「は、はい。う……何とか」

 声を出すと吐きそうだ。

「今の映像に出ていた人間で、今も生きている奴は一人も居ない。撮っていた奴もだ」

 大勢の死を記録したフィルムを巻き戻して行く映写機。シュルシュルと音を立てて。

「人もな、他の生き物を殺す。あんただって今朝、魚と鶏を殺した。しかしそれは必要な行為だ。食わなければ俺達は死ぬ。いわゆる自然の摂理だ」

 蜜月は吐き気を空気と共に飲み込んだ。

 植杉の眠そうな声を聞いていると気分が落ち着いて来た。

 白黒の地獄から雛白邸に生還した感じだ。

「だが、神鬼は人を食いはしない。ただ人を殺す。目的は人殺し。一人でも多くの人間を殺す事だ。奴等は物には興味が無いから、フィルムは壊されない」

 巻き戻し終わったリールを映写機から外しながら「だから神鬼は敵なんだ」と植杉は言った。

「奴等を殺さなければ、人間が殺られる。殺らなきゃ殺られる。だから人間は戦う。あんたは戦う。分かったか?」

「は、はい」

 よし、と頷きながら鞄にリールを仕舞う植杉。

「そろそろお嬢さん達が帰って来る頃だな。さっさと昼飯を食って、隊長さんに敵との戦い方を教えて貰え。覚える事は山程有る」

「はい。お昼、食べられるかな……」

 呟きながら立ち上がった蜜月は、疲れた足取りでパイプ椅子を元の場所に戻した。

「だから人と人が戦う戦争も罪深いんだよな。人肉を食う為にする訳じゃないから」

「う……」

 蜜月は再び吐き気に襲われた。

 首を切り落とされ、血抜きの為に逆さ吊りにされている鶏を自分で焼くのかと考えていたところにそんな事を呟かれたから。

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