第6話
お腹がいっぱいになった。三杯もおかわりしたが、帯できつく胴を締め付けられていなかったら、もっとおかわりしていたかも知れない。
「それでは、早速蜜月さんの武器と防具を支給して貰いましょう。明日からでも戦闘をして頂く為に」
女主人は上品にナプキンで口を拭う。
「武器と、防具。『敵』と戦う為の道具、ですね?」
「そうです。兵器開発担当の
夕飯が終わり、解散となった。
蜜月は二人の紺色メイドに連れられ、噴水へ行く大きな扉ではなくステーキが出て来た小さいドアでもない、別のドアを通って廊下に出た。
いくら広い部屋だとしても、みっつもよっつも出入口が有る事が理解出来ない。全部違う廊下に繋がっているんだろうか。どれだけ広い屋敷なんだろう。
廊下に等間隔で並んでいる大きなガラス窓の外は、もう真っ暗になっている。
壁に下がっているランプに火が灯っていて、壁もオレンジっぽい木の色なので、屋敷の中は明るい。
この廊下だけで何十個ものランプが有る。明るいのは助かるが、こんなに火を灯したら油が勿体無いのでは?
「こちらです」
長くまっすぐな廊下の途中に有る階段を登り、二階へ。
ここの廊下も一階と同じ風景だった。
屋敷全体では何百個のランプが有るんだろう。火を点けて回るのは勿論、掃除や手入れはかなり大変そうだ。
どれだけ歩いただろうか、やっと二人のメイドが立ち止まった。
少々お待ちくださいと断わってから、メイドの片割れがドアをノックする。
「植杉様。妹社蜜月様をお連れ致しました」
「お、来たか。入れー」
ドアの向こうから間延びした男性の声が聞こえて来た。
失礼します、と丁寧に言ってからドアを開けるメイド。
中は白く煙っていた。
どこからかノイズの混じった音楽が聞こえる。
天井を見るとかなり広い部屋だと分かるのだが、書物や紙類が部屋中に隙間無く詰み上がっていて足の踏み場も無い。
「あんたが妹社蜜月か」
辛うじて床が見えている位置で、一人の男性がだらしなく椅子に座っていた。
肩まで伸びたボサボサの髪。赤いシャツを着ていて、上半分のボタンを締めていない。
町のチンピラと言った風貌だ。
蜜月は内心で怯む。
「雛白のお嬢さんから聞いてるだろうが、俺が兵器開発担当のトップだ。神鬼殺しの道具を毎日朝から晩まで考えるのが仕事。よろしく」
言ってから紙巻タバコを吸い、白い煙を吐く。そのせいで部屋が煙っているのか。どれだけ吸っているんだろう。
「よ、よろしく、おねがいします」
萎縮している蜜月を鋭い視線で見た植杉は、無造作に手を伸ばし、紙の山の上に置いてある小箱の様な形のラジオのスイッチを切った。音楽が止まる。
「お嬢さんは明日からでもあんたを戦わせようとしているが……まぁ入れ。メイド達も付き合ってくれ」
「はい」
二人のメイドと共に部屋に入った蜜月は紙を踏んでしまった。文章が書かれた白い紙に草鞋の跡が付く。
メイド達も紙を踏みながら部屋に入り、ドアを閉めた。
「あんたは神鬼は勿論、妹社が何であるかも良く分かっていないだろう?」
「え、ええ、まぁ」
男は書類を踏まれた事を全く気にもせず、イーゼルの様な物に顔を向けた。そこには油絵ではなく、線のみで描かれた銃の絵が有った。物差しできっちりと計って描かれた様な絵には大きく×が書かれてあって、折角の絵が台無しになっている。上手に描けているのに勿体無い。
「研究所では身体を弄くり回されて色々な実験をされてただけみたいだしな。研究用の妹社として育てられたから、基本的な教育しか受けていない」
その言葉を聞いた途端、蜜月の表情が険しくなる。
「……知っているんですか? 私が何をされたか」
「資料として渡されたデータだけだけどな。不快な思いはしただろうが、非人道的な扱いは受けなかったはずだ。最初から戦闘用に育てられていたら、もっと目付きが悪いだろうし」
銃の絵をイーゼルから外した植杉は、無造作に分解して床に落とす。この部屋の惨状は、そんな行為の積み重ねの結果か。
「無茶な事をして妹社を壊したら取り返しが付かないしな。貴重な戦力なんだし。だから、一般人よりは良い暮らしをしていたと思うぞ」
「はぁ……。そう、なんですか?」
太陽に照らされた街を歩き、美味しい夕食をご馳走になった後では、今朝までの研究所暮らしが良い物だったとは思えなかった。
もう狭いコンクリートの部屋に閉じ込められたりしないし、臭くて苦くてまずい薬を飲まなくて良いし、痛い注射で血を取られたりもされない。材料が妙な食事も取らなくて良い。
それはそれは辛い日々だったと思うが、街で見た一般人はもっと酷い暮らしをしている、と言う事だろうか。
良く分からない。
「ま、そんな事はどうでも良い。まず鎧を作るから、身体のサイズを計る。計っている間に妹社がどんな生き物かを説明しよう」
植杉はメイドを呼び、一枚の紙とペン、メジャーを渡した。
「研究所ではしょっちゅう人前で素っ裸にされただろうが、ここでは違う。あっちで計ってくれ。ま、あんたが気にならないならどこで脱いでも良いが」
火の点いたタバコを持った指で示された先には、病院に有る様な、鉄枠に布を張った衝立が有った。
衝立の影に移動してみると、そこには紙が落ちていなかった。普通に木の床に立てて足場が安定したので、少しだけ不安が薄まる。
蜜月は言われるままに迷い無く草鞋を脱いで帯を解く。
「失礼します」
「ふぇ? あ、はい」
肌着になったところで、二人のメイドがメジャーで蜜月の身体のサイズを計り出した。全裸になるつもりだった蜜月はメイドの動きに少し驚いたが、黙ってなされるがままになった。春物の肌着はそれなりに厚みの有る素材だけど良いのかなと思う蜜月の心配をよそに、紺色メイド二人は紙に書かれた指示通りにサイズを計って行く。
「まず、妹社って名前の由来を話そう」
衝立の向こうから植杉の声が聞こえて来る。白い煙が天井に昇っている様子が見えるので、さっきの格好のままタバコを吸っている様だ。
「外国に一人の男が居た。その男は銃で撃たれても死なず、刃物で切られても死ななかった。そいつは不死と言う意味のImmortalityと呼ばれた」
「いもーたりてぃ?」
耳慣れない英語を声に出して言う蜜月。上手く聴き取れていない為、聞いた音と言った音はかなり違っている。
「その男は軍にスカウトされ、戦争に参加した。当然だわな。戦争屋が夢見る死なない兵士だ。その男の居る小隊は連戦常勝。その男以外の人間が死んでも、その男は必ず生き残り、一人で任務を遂行した」
意味不明でも取り合えず聞いて覚えとけと言って話を続ける植杉。
「その国は総力を上げ、他にもImmortalityが居ないかと探した」
メイド達は蜜月の肩幅や腕の長さを測ってはその数字を紙に書き込んで行く。
「他の国もImmortalityの存在に気付いた。我が国にもImmortalityは居ないかと探した。居た。ひとつの国に、まぁ十人くらいずつは居た。そいつら全員戦争に投入だ。当然死なないから決着は付かない」
股下や首周りのサイズも計られる。
「日本にも居た。Immortalityは外国語だから、音から取って妹背と名付けられた。しかし妹背って苗字は普通に有る。だから一文字変えて『妹社』となった訳だ」
「つまり、名前自体に深い意味は無いって事ですか?」
蜜月の質問に「そうだ」と応える植杉。
「名前は単なる識別記号だしな。あんたみたいな不死の人間を区別する為に、苗字を妹社と変えさせる」
「不死……。私って死なないんですか?」
「絶対に死なないって事は無いがな。あんたも研究所で殺され掛けなかったか? まぁ、本物の銃で撃たれた事は無いと思うが」
心当りは有るが、そこの所は良く覚えていなかった。薬で朦朧としていたせいだと思う。意識が無い状態の時に何をされていたのかと思うと不安になる。
「で、だ。Immortalityとは別に、謎の銀水晶も各地で発見され始める。そして、そこから化物が現れ出す訳だ。そうなると戦争どころじゃなくなる。他の国は外から攻めて来るが、化物は国の中から、蜃気楼の様に現れるからな」
「神鬼、ですね」
「外国では単純にMonsterと呼ばれている。この国では怪物の登場が遅かったせいで、色々な憶測が飛び交った。神の使いだとか、地獄の鬼だとか。外国の情報を分析しても結局正体は分からず、両方の名を取って神鬼と名付けられた」
「はぁ」
メイドの一人が「計り終わりました」と言って蜜月に一礼し、一人だけで衝立の向こうへと出て行った。
「ごくろうさん。服を着て戻れ」
「はい」
もう一人のメイドが着物の着付けを手伝ってくれた。
「それが妹社と神鬼の名前の由来だ。……ふむ。のじこと同じく、スタイルが良いな。手足も長く、戦闘向きだ。ちょっと腰周りが太いが」
「そ、それは、夕飯を沢山食べちゃったからです!」
「ははは。御馳走を振る舞われたか。分かったよ。ウエストだけは正確ではないとしておこう」
植杉と言う男は、チンピラみたいな外見に似合わず紳士らしい。少し見直す。
「妹社の能力は、人間と同じ生物とは思えない。撃たれても切られても死なないのは、大きな傷を負っても出血が少ないせいだと考えられている。詳しくは研究所でも分かっていない」
着物を着直した蜜月は、衝立から植杉の前に移動する。
椅子に座ったままの植杉は、小さな椅子を蜜月に勧めながら話を続ける。
「のじこを例にしても、筋力、体力、精神力。その全てが超一流の軍人並みだ。あんな小娘がだぞ? 全く信じられん」
銀色の髪の少女の無愛想な姿を思い描く蜜月。幼く見えても、訓練された成人男性より強いらしい。
「あんたも、研究所から送られて来たデータ上では、のじこ以上の体力を持っている。あんたは普通の人間と一緒に行動した事が無いから、そんな自覚は無いと思うが」
「そう、ですね。私は普通の人間だと……思ってますけど。不死だとか軍人並みとか言われても、いまいち分かりません」
「ま、そう言う感覚が普通だわな。大部分の普通の人間は、自分は普通だと思っている」
優秀で将来を期待されている者や、雲の上の存在だと思われている者、雛白明日軌の様な生まれ付いての金持ちで美人のお嬢様等は、一般的には普通ではないと思われる。
逆に、貧し過ぎて路上で暮らしている者や、身体に障害を持っていて個人では生活に支障をきたしている者も、普通ではないと思われる。
どちらも滅多に無い立場ではあるが、しかしそれでも、所詮は常識的な枠内での事だ。
異常な状態ではなく、枠の中に有る普通だ。
本当の異常とは、そんな枠から外れている事を言う。
妹社は明らかに人間の枠から外れている。
そんな事をタバコをプカプカと吹かしながら語る植杉。
「あんたは妹社として、ここに来た。化物と戦う為にな。これから身体を鍛え、武器の扱いを学ばなければならない」
「はい。そう言われて来ました」
「異常な体力を持つ妹社でも身体を鍛えないといけない理由は分かるか?」
「いいえ」
「神鬼も常識の範囲外の存在だからだ。神鬼と妹社の戦いを人間から見れば、化け物同士の戦いに見えるって訳だ」
何と返事をしたら良いか分からない話題だ。
困っていると、植杉は微かに笑った。
「化け物同士って事は、神鬼と妹社は同レベルの存在と言える訳だ。つまり、妹社が神鬼を殺せるって事は、神鬼も妹社を殺せるって訳だ。分かるか?」
「えっと……?」
小首を傾げる蜜月。遠回し過ぎて分かり難い。
「要するに、敵に殺されたくなかったら強くなれ、って事だ」
その言い方なら分かる。
だから頷く蜜月。
「あいつらは容赦無く人を殺す。戦争でも人は大量に死ぬが、それより酷い。人と人の殺し合いには情が有るが、奴等は無慈悲に一人でも多くの人間を殺そうとする」
根元までタバコを吸った植杉は、書類の山の上に置かれた灰皿で吸殻を揉み消した。
「ま、御馳走を戻すのは勿体無いから、続きはまた明日にしよう。話も長くなるしな。流石の妹社でも、到着したばかりで疲れているだろう?」
そう言ってから、顎に手を当てて何かを考える植杉。
そしてメイドの一人を手招きし、明日の朝までに調理用の魚とニワトリを用意しろと指示した。
「絶対に生きた奴を頼む」
メイドは「畏まりました」と頭を下げる。
それを確認した植杉は蜜月に視線を戻す。
「ところで、あんた、料理は出来るか?」
「は?」
「どうなんだ?」
話が変わり過ぎていてキョトンとした蜜月は、素直に首を横に振った。
「いかんな。家事は女の嗜みだぞ」
「……だって」
研究所は生活の場ではないから、家事をする必要は無かった。
教えてくれる人も居なかった。
「明日は、あんたに料理を覚えて貰おう」
植杉は新しいタバコを口に咥え、マッチを擦った。
この人の話は、大事な内容なんだろうが、終始意味不明だった。
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