第7話

「こちらが蜜月様の私室になります」

 二階のとある部屋に案内してくれたメイドがドアを開けてくれた。蜜月の部屋である証拠だと言わんばかりに、室内のど真ん中にコクマに持って行かれた旅行鞄が置いてある。

 今日からここで生活をするのか。

 部屋に入りつつ礼を言うと、メイドは頭を深く下げてからドアを閉めた。

 一人になった蜜月は、鞄を開いて寝巻きを取り出してから、桜と蝶の柄の着物を脱いで衣桁いこうに掛ける。

 実は、満腹になった時から眠かったのだ。

 寝巻きに着替え、外国の犬みたいな髪形を解いた後、そのままベッドに倒れた。研究所の硬くて小さいベッドとは違い、大きくてふわふわで気持ち良かった。

 気が付くと朝日が顔に当たっていた。一瞬で眠りに落ち、夢も見ずに眠ってしまった様だ。

 惰眠を貪る習慣の無い蜜月はさっさとベッドから降り、鞄から紺色の袴を出す。

 上は振袖ではなく、白の筒袖。戦う為に研究所を出たので、武道をする人が着る用の服を持たされたのだ。

 着てみると、確かに動き易い。振袖よりこっちの方が性に有っているな。

 そして、長い髪を昨日と同じ形に整える。手鏡で見ながらなので、もしかすると少し歪んでいるかも知れない。

 髪ばかりに時間を取られる訳にも行かないから、その内に慣れれば良いや。

 と思うのだが、やっぱり気になる。

 鏡と髪紐を持って四苦八苦していると、ドアがノックされた。

 外からおはようございますと言われたので挨拶を返すと、紺色のメイドが部屋に入って来た。

「植杉様の指示により、蜜月様に料理を体験して頂きます」

 そう言えば、そんな事を言われてた。

 形見の着物をきちんと畳みたかったのだが、いつでも出来る事なので後回しにするしかない。

「私は大谷と申します。宜しくお願いします。では、調理場へ参りましょう」

「あ、はい」

 オカッパ頭の大谷の後に続いて廊下を歩く蜜月。昨晩とは違う方向に歩いている様だが、雛白邸内の風景はどこも同じなので良く分からない。案内が無かったら家の中で迷子になりそうだ。

 一階に降りると、廊下の雰囲気が変わった。今までは木の質感の壁だったのが、灰色の石の壁になっている。

「ここはパーティ等で大勢のお客様がいらっしゃる時に使われる、第二調理場です。普段は使われない場所なので、ここで料理の練習を致しましょう」

「はい」

 大谷と蜜月は扉の無い部屋に入る。白いタイル張りの、いかにも調理場と言う感じの広い場所だった。蛇口、コンロ、まな板が無数に並んでいる。

 そこで二人の紺色メイドが待っていた。

「この広田は最近入った新人です。申し訳有りませんが、一緒に調理の練習をして頂きます」

「広田愛歌あいかと申します。宜しくお願いします」

 大谷に紹介された髪の長いメイドが、ぎこちなく頭を下げた。

 可愛い感じの女の人だ。

「そして、新人メイド教育係の梶原です」

「梶原です。宜しくお願いします」

 続いて紹介されたおさげで眼鏡のメイドが頭を下げる。

 大谷が梶原に向けて手話で何かを伝えた。頷いた梶原は、調理場の棚のひとつから白い紐を取り出した。

「蜜月様、たすきをどうぞ」

「ありがとうございます」

 蜜月はそれで袖をたくし上げる。研究所に居たせいで全く日焼けしていない二の腕が露わになり、これで水仕事をしても袖が濡れなくなった。

「作って頂く料理は、ニジマスの塩焼きです。出来た料理が蜜月様と広田の朝食になります」

 大谷の言葉に返事をしながら頷く蜜月と広田。

 広田の方が少し年上っぽいのに、蜜月と同じ様に緊張しているのが少し可笑しかった。

 しかし、それを表情に出すのは失礼なので、蜜月はきつく唇を引き締めた。

「こちらがニジマスです」

 大谷は、調理場の床に置かれている大きな桶を覗いた。

 その桶には水が張ってあり、十匹程の魚が泳いでいた。活きが良い。

「見本を見せましょう。良く見ていてください」

 一匹のニジマスを素手で捕まえた大谷は、それをまな板の上に置いた。

 そして、元気良く跳ねるニジマスに迷い無く包丁の刃を当てる。

「まず腹を裂き、エラと内臓を手で引っ張り出します。次に塩を塗します。後は焼くだけです。簡単でしょう? さぁ、やってみてください」

 まな板の上で塩塗れになったニジマスは、腹に大穴を開けたまま、まだピクピクと動いていた。

 確かに大谷がやっている様子を見ている分には簡単だった。

 しかし、自分でやるとなると話は違う。

 まず、泳いでいる魚を捕まえる事が出来ない。

「えいっ! あれ、素早い」

「やった、捕まえましたよ!」

 先に広田がニジマスを捕まえたが、ぬるぬるの身体で手が滑り、硬い石の床に落としてしまった。

「おっとと、きゃあ!」

 慌てて前屈みになった広田は、跳ねる魚を追って右往左往する。

 その結果、なぜか頭から壁に突っ込んだ。衝撃で壁に掛けてあった鍋が落ちる。

「広田! 気を付けなさい!」

「す、すみませーんっ!」

 大谷に一喝された広田は、床に正座して謝った。

 蜜月も何とか桶の中の魚を捕まえる事に成功し、まな板に押さえ付ける様にして置いた。

 ようやく魚を捕まえた広田も、暴れ疲れてぐったりとした魚を別のまな板に置き、二人並んで包丁を持った。

 その格好のまま生唾を飲む二人。

 料理をした事の無い二人は、生き物に刃物を入れた経験が無い。だから気持ち悪いとか可哀そうとかの感情が前に出て来てしまい、どうにも包丁が動かない。

 しかし固まっていても先に進まない。

 この魚が朝食になるのだ。

 正直、お腹はペコペコで、すぐにでも何かを食べたい。

 意を決した蜜月は、魚の腹に包丁の切っ先を突き付けた。

 痛かったのか、魚が大きく跳ねる。

「わっ」

 蜜月は驚き、思わず魚から手を離した。

「頑張ってください。手早くやってあげた方が、魚も苦しまずに済みます」

 大谷の言葉を聞いて、ハッとする蜜月。

 水から上げ、手で押さえ付け、刃物でチクチク突付いているのは、正に生殺し状態だ。

 このニジマス達は、もう川には戻れない。蜜月達の胃袋に入る運命なのだ。

 それならさっさと息の根を止めてあげるのが、せめてもの情けか。

「そ、そうですね。行きます!」

 ふん! と鼻息を吹き、魚の腹を一気に裂く。

「いいいぃぃ……」

 歯を食い縛り、エラと内蔵を素手で引っ張り出す。冷たく柔らかな感触が気持ち悪いので、蜜月は変な声を出して気を紛らわす。

「上出来ですよ、蜜月様。塩をお好みで塗して出来上がりです。さぁ、広田も頑張りなさい」

「は、はい」

 何かが吹っ切れた蜜月は、三匹のニジマスを捌いた。三匹目にもなると手早く捌ける様になっていた。

 広田も、包丁を落としたり魚を弾き飛ばしたりしながらも、二匹のニジマスを捌いた。

「良く出来ました。後は焼くだけですが、その前に昼食の下準備をして貰いましょう」

「え? もう昼食の準備ですか?」

 いつの間にか調理場から出て行っていた梶原が、ふたつの鳥かごを持って戻って来た。立派なトサカを持つ鶏がそれぞれに入っている。

「この鶏をシメてください

「シメル?」

 大谷の言葉が理解出来ず、小首を傾げる蜜月。

「首を捻り、息の根を止めます。そして羽根を毟り、首を切り落として、逆さに吊るして血抜きをします。数時間吊るして血が抜けたら、調理をします」

 蜜月と広田は鶏を見る。

「これは見本を見せられません。二羽しか居ませんから。魚を捌けたので、きっと出来ます」

「首を捻るって、え? どうやるんですか?」

 調理経験が無い蜜月は、言葉で言われても手順が想像出来ない。

「こうです」

 大谷は胸の前で拳を作り、雑巾を両手で絞る様な仕草をする。

「……え? 鶏の首を絞るって事ですか?」

「そうです。生きたまま包丁を入れると激しく暴れるので、首を折って即死させるのです」

「うえぇぇ!」

 蜜月と広田は、揃って嫌悪の声を上げた。

 殺すと言う行為は同じだが、魚類と鳥類では気持ち悪さの度合いが違う。コココと鳴いてキョロキョロしている鶏の方が、殺す事への抵抗が強い。

 しかし、これも昼食の材料。結局は胃袋に収まる食材だ。やらなければ昼食抜きになるだろう。

 蜜月と広田はお互いの目を見て、頷き合う。

 やってやろうじゃないか。

 いつの間にか戦友の様な気持ちになっている二人であった。

 その数分後。

 広田がついうっかり鶏を逃がしてしまい、調理場は二羽の鶏を追う大騒ぎになった。

「賑やかだなぁ。楽しそうじゃないか」

 調理場の入口に立ち塞がり、鶏が外に逃げない様にしている大谷の後ろから中を窺う植杉。

 大谷は苦笑いで応える。

「ええ。お祭りの様です」

 梶原が一羽の鶏を捕まえた所で、全員が植杉の存在に気付いた。昨日と同じ、赤いシャツの上半分のボタンを外した姿だった。

「よう。やってるな。どうだ、調子は」

「料理は大変だって事が、とても良く分かりましたよ!」

 乱れた髪に白い羽毛を付けた蜜月が、息を切らしながら応えた。

「結構結構。これから鶏をシメるのか。それが出来たら合格だな」

「合格?」

 蜜月が首を傾げた瞬間、屋敷内全体に女性の大きな声が響いた。

『各隊は速やかに戦闘配置に付いてください。中型甲二体が、一時方向観測隊により発見されました』

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