第3話 BLUEMONDAY
平日の始まりは社会の歯車とならなければならない責務の1週間を表しているように、ロンドンの朝の街並みはどこかどんよりしており霧が立ち、先を見通すこともままらなかった。
レンセイは近くのカフェで買ったコーヒーを飲みつつ、待ち合わせの場所へと歩いていた。
視界があまり良くないため。人が来ると避ける、車の音がすると避けるの繰り返しで、五里霧中という東洋の熟語を思い出すほどだった。
「そこのコーヒーイマイチってところでしょ?」
背後から声がかかった。
レンセイはゆっくりと後ろを振り返り、肩越しにその声の主を見た。
「背後を取られるなんてスキの多い男ね、あなた」
そこには三日前店に来たキリヤ姉妹の1人、マコトが居た。
秋と冬の境目のせいか三日前とは違い、黒い皮のコートに藍色のハイネックセーター、スウェット生地のパンツ、そして足首にストラップの付いたブラックレザーの何とも可愛らしいヒールを履いていた。
レンセイは近くにあったベンチを見つけ、ゴミ箱があるかどうかを探した。
「そろそろ冬ね。もうこんな格好できなくなるわ」
レンセイは「まぁな」と言いつつ、近くにあったゴミ箱に、若干残ってしまったコーヒーを、下投げで入れた。
それを見るとマコトはポケットから、何やら黒く、片手に収まるものを投げてきた。レンセイはそれを両手で、野球のボールをキャッチするように取った。その時レンセイは、女性であるのにかなりのスローコントロールを持っていることに気づいた。
「スポーツなど何かやっていたか?」
「アメリカに居た時、フットボールのチアガールをやってたわ。ボールで遊んだりはしたけど、激しい運動はひとつも」
それにしても自分の胸に丁度入ってきたその放物線は、彼が驚く程度には綺麗なものだった。下投げだからコントロールが良かったのかもしれないが。
そして彼はその手にあるものに目を向けた。黄色いカラーに大きくMAXIMUMと描かれた鉄製の少し高いなにかの缶だった。
「ジュースか何かか?しかもこれ、日本製だろう?」
その上、さっきまで持っていたのか、人肌並には温かかった。
「ま、日本のお土産ってところね。ポッケにも入れて寒さでも耐えてくださいな」
「なるほどね」
そう言ってレンセイはそのコーヒーをコートの内側に入れ、マコトと肩を並べて歩いた。
「平日はみんな忙しそうね」
マコトは背中でカバンを下げて言った。
「憂鬱な月曜日だと聞くだろ。そんなものだ」
「あら、日本は休日だって憂鬱よ。モノに扱われる存在になりつつあるもの」
「どういうことだ?」
レンセイの問いにマコトは微笑を浮かべた。
「ものを使うということはものに使われることと同義だということよ。例えば…今普及しつつあるスマートフォン!」
マコトはコートの外ポケットから、女性の手の大きさに対して大きすぎる精密機械が、彼の目の前に現れた。
「携帯電話にとって代わられたこの通信ツールは人と繋がりやすく、バーチャルリアリティを用いて場所や仮想現実とも繋がっている。万能の箱ね。これを握るということは、これを使わなければならないということにほとんど近くなる」
「それはおかしいだろ。使わないなら手放せばいいだけのものだ」
現にレンセイはスマートフォン自体を持ってはいない。そのため、その魅力は分からない部分が大きく、その利便性すらも知らなかった。
「そうね。アナタ、黒電話だものね。うーむ」
するとマコトは閃いたらしく、彼のコートを引っ張った。
「これよ!」
レンセイは顔を顰めた。
「何が?」
「これよこれこれ!寒かったら何を着るの?」
レンセイは明確にその言葉の意味を知った。
寒かったら着る。逆に言えば寒いと着る他無くなる。私が着る。しかし私は寒い条件下では着られなければならない。その関係が彼の眼に明確に映った。
「モノは使うと同時に私たちがモノに使われているのよ。それは理屈や云々かんぬんじゃなく、捉え方の問題だわ。そして、今の日本は人ではなく、会社や社会、世間といったモノに使われている部分があるのよ」
社会を動かすのではなく、社会に動かされている、か。レンセイはなるほどと、納得をした。
「朝ごはんはまだ?レンセイ」
マコトは意地悪そうに、そこのカフェを指さした。
「そうだな。クラッシュエッグのサンドに食うことを強いられそうだ」
レンセイは笑った。
入ったカフェは人気らしく、平日の朝だと言うのにウェイターやウェイトレスは忙しなく動いていた。ただまぁ並ぶ程ではないことだけは、すんなりとテーブルに座れたため彼は承知している。
「平日というのに人気ね。これが昼間になると大変なことになるのよね」
「何が美味しいんだ」
レンセイはプラスチックのフィルムで焼かれたその固いメニュー表を、ペラペラとめくった。お目当ての、ハードボイルドに湯がかれたゆで卵を、崩しマヨネーズとマスタードで和えたあのクラッシュエッグのサンドを探したが、どうも見当たらなかった。
「そうね、このプレートでも頼んでみましょうか。すみません」
「お、おい」
マコトはそんなレンセイの声を横目に、そのプレートを二つ用意した。
「私のおごりでいいから、食べてみなよって」
レンセイは苦笑いをしながら、出されるプレートを待った。
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