第1話 玩具屋開店

 十字団から辞令というものを貰ったのは久しぶりだとレンセイは感慨深く思った。幼い頃に母親を亡くし、父親に連れられてきた孤児院のようなものだったのに、いつしかマイホームのような温かみを感じていた。これが異常だってことは彼自身自覚はしている。だが、記憶や思い出といったものはいつしか美化されるもので、厳しかった長官の声すら慈愛に満ちた母の声も同等になっていた。そしてもう、幼い頃の記憶はもう無い。

 あるのは、死んだ母親から形見として受け取った首に下げてるエンゲージリングと、左手に父から授かったシルバーのチェーンブレスレットだけだった。

 団長から受け賜ったアゾット剣と空間転移のグリモアをダンボールの上に置いた。と言うよりかはダンボールは外から持ち込んだものであり、長年積もった誇りもなく、汚染されていない綺麗な場所であったからだ。他の場所はいわずもがな埃が被っていてとてもおける状態ではなかった。

「…玩具屋って言うのは聞いたけど、ここまで散らかっているのは予想出来なかったな」

 フローリングはがたついており、その糊も剥がれていた。棚はどこかカビ臭くそこに置かれたおもちゃを梱包した箱も、隙間に埃が入っていた。

 レンセイは腕を捲った。

 窓と店の入口を全開にし、棚品を全て下ろし、棚にある埃を叩き落とした。濡れた雑巾で棚やレジスタやらを拭いた。フローリングも剥がれているため、塗り直し、店の外装もかなり悪くなっているため緑のスプレーで軽く塗り直した。

「これは明日から開業だな」

 スッキリした店内を見渡し、レンセイはカウンターに足を乗せ、持ってきたダンボールの上に置かれた本を、その足元から取り、開いた。ホコリで汚れていた窓の見通しも良くなり、明日からの開店が待ち遠しかった。

 しばらくするとベルが鳴った。

 正面のドアが開いた音だ。

「まだ開店してないぞ」

 レンセイはドアの角に取り付けておいた風鈴のような鉄の塊の音に気づき、フローリングが鳴らす足音に耳を傾けた。

 読んでいた本のページを開いたままレジの横に置き、入口に目をやった。

 一番にやつれた顔が目を引いた。そのあと白くなった髪と、その次に両手で抱えるサイズの木箱が何かを訴えるように彼の目には映った。

「すまない、それは分かっているんだ。これをタダでいいからもらって欲しい」

 初老の男は、覚束無い足取りで歩きつつ木箱をゆっくりと少し前に突き出すような動作をした。

 レンセイは眉をひそめたが、仕方なく机の下に手を伸ばし、契約書類とボールペンを取った。

「ちょっと待てよ…これを書いてほしいんだが」

 そう言って彼は机の上に書類とボールペンを置いた。しかし、目の前にあったのは黄昏の光を浴びて影を落としているその木の箱だけだった。

 奇妙な出来事だった。

 眼の前に確かにいた男は消えるようにいなくなり、まるで幽霊のようだった。彼に影があったかどうか分からないくらい、その消え方は音も残さなかった。

 彼は木箱を手に取った。

 観音開きになったその木箱を開けると、ガラスケースの檻があった。

 それは陶器で出来ていた。

 黒と白のレースやフリルで飾られた服を着ており、頭には花が飾られていた。夢にまで絡みそうな、亜麻色の、腰まで伸びる髪をしており、光が入るたび青く淡く光るビードロの眼を生きているかのように思わせるほどだった。

「美しい」

 口からその言葉が漏れ出してしまった。これは売り物にするのは惜しいと思うほどの綺麗な人形だった。

 彼はガラスケースごと窓際まで持っていき、外の人に見せるようにその人形を飾った。

「これが客を呼び込んでくれたらな」

 そう言ってレンセイは明日の開店を待った。


   ◆


 結果は上々だった。

 アンティークの玩具屋としてマニアや、もの好きの客がかなり来ており、一週間は客が絶えなかった。開店当日はオドオドしてたが、覚えると要領は良くなるもの。収益もかなりのもので、仕入れを考える必要があり、初めての仕入れをするかしまいかといった所だった。

「これも、お前のおかげだな」

 彼はその、小さな紅い椅子に座っている人形に微笑んだ。そしてレンセイはカーテンを手に取った。が、喧騒が閉じた窓越しに聞こえ、手を止めた。店の前で喧嘩をしている女性二人が目に入った。

 片方は金髪碧眼でツインテールをしており、黒のコート、ベージュのセーターを着ていた。秋らしいブラウンのムートンブーツが、彼女の青いジーパンを綺麗に映えさせていた。

 対して同じ顔をした黒い長髪の女はブラウンの眼をしており、アーミーブーツと黒革のパンツ、そしてライダージャケットをその黒の縦縞セーターの上から羽織っていた。

 レンセイは呆れた顔で扉を開いた。すると窓越しに聞こえていたキャットファイトがはっきりとした声で聞こえてくる。

「いやいやいや、最初に見つけたのはウチやし、あんた関係あらへんやん。個人事業やん。ウチら国からの命令やでな」

「いやいやいや、最初に人から依頼したのはウチの方やで何言っとん。あんたらお国の人かもしれんけどな、こっちは人の想いや期待や願いを背負ってんねんでな」

 今にも取っ組み合いが始まりそうなことが起きているのはわかる。しかし、レンセイには彼女達が何を言っているのかは分からず、ただこの言語が日本語であることがのちのち知ることとなる。

「あのー、何かありました?」

 レンセイは若干の冷や汗を出しながら聞いてみた。

「あー、ある人形がこの店に来たという話がありましてね」

 金髪碧眼の女は答えた。

「姉貴の言う通り、探しに来たのですわ」

 黒髪長髪の女は答えた。

「何をお探しで?」

「デイライト・フラッシュの初期人形」

「クレセント・グリマーの初期人形」

「喧嘩する必要ないじゃないですか!」

「これが喧嘩せざるをえないのよ」

「ポニーの世界は深いからね」

 レンセイは無言で二人を店に押し込んだ。

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