2 出席確認

医者になりそこねた男の小学校の卒業文集

 

 "一番の思い出は、みんなで行った京都への修学旅行です。班行動を脱藩して坂本龍馬のお墓に行ったことです。そのあと、山内先生にめちゃくちゃ怒られました”




「はーい、着席ー」

 閉まらない間延びした声で、鈴原がクラスの生徒全員に声をかけた。まだ廊下にでて友人と喋っている生徒も多数いる。

 生徒たちは、渋々といった感じで、とりあえず、教室に入る。

 鈴原は大きな白い布を駆けた人体模型を押しているかわりに、左手で教室のスライド式のドアを開けた。

 そして、その人体標本模型を教卓の右側に押して置き、教卓の上には、覆いをかけたままの水槽を置いた。

「はーい、着席ー」

 またもや、間延びした、教諭鈴原の声が教室に響く。しかし、今日に限ってこの二年四組のいつものガヤガヤ感はない。

 朝のHRホームルームのときのもそうだったのだが、今日が、鈴原教師の長期療養からの復帰第一日目なのである。

 クラスの生徒みなが、鵜の目鷹の目でどうなんだ?と様子を探るように、鈴原を見つつ、席に着く。

 鈴原自身は長期療養前の冴えない感じから、一切変わっていない。

 しかし、おどろいたことに、小さなL字型の金具を二つ持ち、廊下側のスライド式のドアのところまで、やってきて、ドア際に机を構えている、榊原雄さかきばらゆうの前でボソボソいいながら金具をドアに嵌めた。

「最近は、こんな便利な金具があるんですね、療養中にネットで見つけました」

 独り言のように鈴原は言った。

「先生、それ、」

 薄いほんの小さな金具で、スライド式のドアは内側からも外側からも固定されたように榊原には見えたが、あまりにも突然のことで、教師を止めることも、声をかけることもできなかった。

 鈴原は後ろのドア、前のドアと金具をかけ、ついでに廊下への窓も施錠し、ポケットから、ペンチを取り出すと、窓の施錠は取っ手をパキンと折っていった。

 廊下側に縦に並ぶ生徒の内幾人かは、この行為に気づいたかもしれないが、あまりにも自然な流れで誰も、制止したり声を上げられなかった。 

 そうすると、鈴原は当然のように、教卓に戻った。

「はーい、この授業の出席を取ります」

 クラスの生徒は、いつもより、おとなしめに早く着席していた。いつもの、鈴原の授業では、全員を着席させるだけで、数分かかり一悶着ある。

「はーい、井川瞬いがわかける

「はい」

「はーい、宇野瑠璃うのるり

「はい」

 鈴原は出席簿にしるしを付けていく。

「えーと、小川航輝おがわこうき

「うぃーーーーす」

 クラスで失笑がおこる。多少不良の小川に対しては、あんまりおもしろくとも、クラス全員で笑いを付け足さないといけない。

「えー、加藤萌かとうもえ

 教師の鈴原は淡々と続けていく。

 クラスの出席確認がわった。

「えーっと、欠席は、野々宮悠ののみやはるかさんと、酒井成人さかいなると君。と、藤堂圭太とうどうけいたくんですね」

「朝のHRホームルームから変わってわけないじゃん」

 クラスでは地位が二番目当りに位置する、不良の小川がすぐ茶化した。

 続いて、クラスでは、それにつきあった小さな笑い。


 鈴原は口を開いた。

「えー、先ず、皆さんには、お詫びをしないといけません。長期にわたり、休養を取り、迷惑をかけ申し訳ありませんでした」

 そして、ボサボサの頭を一掻きすると、ちょこっと頭を下げた。

 鈴原は続けた。

「そして、これは、一番重要なことですが、今日は、私の最後の授業になります」

 この声に教室は、凍りついた。中学生は、というより、子供は、その場の空気を読むんのに大人以上に長けている。これは、かなり大変なことであることは、ちょっとした言葉の勢いや雰囲気で察した。

「そして、最も、大切なことをあなた達に教えます。最後にして、一番重要な授業です。教科書は要りません。しまってください」

 ただ閉じられたままの教科書をカバンや机の中にうしまう生徒は居なかった。

 そう言うと、教科書と同じデザインの少し、大きめの学習指導要領を教卓から持ち上げると、こう言った。

「これさえあれば、あなたたちでも、同級生に教えられますよ。しかし、こういうものが、一番いけない。一番授業を画一化し、一番教師をダメにする」

 そう言うや、さっきL字型の金具を取り出した白衣のポケットからライターを取り出すと、自身の目の前で中学二年生の理科の学習指導要領に火を付けた。

 教卓の近くに座る、女子生徒、伊藤七星いとうななえ

「きゃっ」っと思わず声を上げた。

 学習指導要領は音を立てて一瞬にして燃え上がった。鈴原はそれを、黒板の脇にある防火用のバケツに雑に投げ込んだ。

 防火用バケツには、しっかりと水がはられていた。じゅっと音を立てて消えた。

「療養中の代理担任の斎藤先生は、ちゃんとこのクラスの生活指導までおこっていたようですね。いいですね」

 クラスは、完全に静まり返った。学級委員の来栖希美くるすのぞみが恐れながら声を出した。

「先生どうしたんですか?」

「長期療養を経て、完全に治ったんですよ。来栖さん」

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