第4話 家畜の心得

『一名足らないが、ここに今年度の新入生全てが集っている事になる。今後、君ら全員は、上級生からは一括りに一年生として扱われる事を肝に銘じるといい。誰が石を蹴ろうと関係ない、上級生の目からは一年が石を蹴ったという認識を持たれる事を忘れてはならない』


 男が何の話しているのか、意味が分からなかった。同じように疑問に思っている奴も少なからずいるらしく、多少ざわついていたが、おかしな事に大半の生徒は黙っている。


『今、この場にいない一名が、三年寮でしでかした事で発生する、いかなる災難も等しく君らに降りかかるだろう』


 なんでスバルのやらかした事が、オレたちに関係あるのか、由々式に説明を求めるように視線をやると、なぜか青い顔をしていた。青くなったり白くなったり、忙しい奴だな。


『これから君らが過ごす一年は理不尽で満ちている。それに異議を唱えたい者が居るならば、個ではなく群れで行動する事を勧めよう。隣に居る者の存在は、この一年、少なくともこの学校の一年生でいる間は、君たちの命綱であると頭の隅に置いておくといいだろう』


 何を言いたいのか、大半が意味の分からない持って回った言い方だが『一年には理不尽を』という標語があるらしい事は理解した。鼻を押さえていた血で真っ赤になったハンカチを見て、思わず舌打ちしてしまう。


『前置きが長くなってしまったが、今から君たちに課せられる義務と、許されている権利について説明していこう』


「坊ちゃん、ご自分のお立場を先に明確にした方がよろしいかと思いますが」


 淡々と語り、淡々と説明に移ろうとした車椅子の男に、横から指示が飛ぶ。癇に障る声に一瞬イラッとしたが、由々式に手首を強めに掴まれ、それを顔に出すのは阻止できた。オレは平気だと視線をやれば、自分の信用度がかなり低い事をその表情から読み取ってしまった。


 車椅子の男は、きっと癖なのだろう、目を伏せて沈黙する。そして、ゆっくり顔を上げるとさきの言葉への返事を「そうだな」と口にし、


『僕はこの旧館で寮長を務める二年の葛見光樹と言う者だ。君たちへの指導を一任されている』


淀みなく、無駄の一切無い、簡潔な自己紹介を終えた。


 ここに来る事が決まった時から、なんの希望も持っていなかった。それは圏ガクであろうとなかろうと、変わらなかったと思うが……色々な情報を見るに、一般的な高校生活は望めないと覚悟はしていた。ネットの繋がらない、全ての電波が届かない山奥、もちろんコンビニもない、娯楽もない、ないないづくしのオンパレード。けれど、まさか人権までないと断言されるとは思いもしなかった。


 寮長の淡々とした説明は、まるでオレたちが機械か何かのように、こちらの気持ちなどは一切考慮されていない事実の列挙だった。


 一年には朝から晩まで、この寮が機能する為に必要な作業が班ごとに(部屋番号がそのまま班の呼称ならしい)割り当てられる。それプラス、校内における全ての場所の清掃および雑用も、もれなくオレたちの仕事だ。


 配布されたプリントの大半は、それらの作業分担を割り振られたシフト表で、校内全ての清掃とか割と途方もなくて想像するのも嫌になるが、まあこの辺りは一年だし仕方がないだろうと飲み込めなくもない。校内の一部施設の利用も制限され(その最たるは食堂だろうか。他には視聴覚室の記載もあるが用途は分からない)、食事や入浴が上級生優先なのも当然と言えば当然だ。


 問題なのは上級生優位の構図が、一二年の間にだけあるのではないという点だった。こちらの寮を旧館と呼んでいたので、新館と呼ばれているだろう、もう一つの寮では三年生が生活している。


 新館での生徒の扱いは、旧館と比べると天と地ほど違う。待遇がまるで違うのだ。設備も比べものにならないくらい充実しているし、清掃だって清掃業者が定期的に入り生徒はノータッチ、食事のクオリティーも当たり前かのように違い、そして何より、校内において三年の発言は絶対的な効力を持つらしい。


 旧館が地であるなら、新館は天となる。そういった意味があるのか、単なる馬鹿なのか、三年はこの学校内において『神』だと思えと、起伏のない寮長の声がそう言ったのである。


『神は人を導き、人は家畜を育てる。それがここでの伝統であり、全てだ』


 あまりの言葉にポカンとしてしまう。三年が神なら、人は二年か。んで、残りが一年と言う事になるのだろうが、家畜とは……随分と酷い伝統もあったものだ。家畜に自由意思はなく、当然ありとあらゆる発言権もない。黙って自分たちの言う通りに動け、自分たちの為に働け、そう宣言されてしまったのだった。


 食堂内の席をを半分ほど埋める新入生は、おそらく百人近くは居る。バス内の様子を思い返すと、あんな連中が家畜呼ばわりされて黙っているとは思えなかったが、どうした事か誰も声を上げる者は居なかった。質疑応答など端から許されていないらしく、一通り説明を終えた寮長殿は、なんの締めの言葉もなくマイクの電源を切り、目を瞑った。


「坊ちゃん、まだもう一仕事お願い致します。家畜を柵内に戻しませんと……あちこちと彷徨かれては迷惑です」


「…………」


「お疲れが出ていらっしゃるのは承知しておりますが、このままという訳にもいきません。必要ならば、ボクらが指示を出しますが、いかがなさいますか?」


 鬱陶しげに目を開けた寮長は、再びマイクに声を通し、このオリエンテーションの終了と新入生の解散を告げた。


『このシフトは今日から適用される。本日の夕食での当番が当たっている班員は、この後すぐに作業に取りかかってもらう。部屋には戻らず、この場で待機するように』


 なんだか色々な事が消化出来ずにいたので、ぞろぞろと出て行く他の奴らに倣って、早々に部屋へ戻ろうと席を立ったのだが、


「今日の当番、俺たちだとよ」


シフト表の一カ所を指さして、大きいのがそれを制した。どうやら、初っぱなから、家畜の本分を存分に堪能出来そうだった。


 食堂を出て行く奴らを尻目に、同じように家畜人生をスタートさせた同室の奴らへと顔を向ける。由々式は目の前にいまだ寮長が居座っているせいか、緊張で体を強ばらせているが、その隣に並んで座っている大きいのと小さいのは、シフト表を確認し合っているらしく、なにやら真剣な表情をしていた。ポケットにでも入れていたのか、小さいのはペンを持参していたらしく、しきりにプリントへ丸を書き入れている。そんなにあるのかとウンザリしていると、大きいのがオレの視線にようやく気付いた。


「そんな顔するな。こっちまで気が滅入って来る」


 苦笑しながら大きいのはそう言う。


「あ、あの、その。鼻、だいじょうぶですか?」


 小さいのは眉を面白いくらい八の字にしてそう言う。

 様子を見るに、今すぐどうこうという訳ではなさそうだ。あのいけ好かない奴がこちらを向いていないのを確認して、オレは二人に向けてようやく聞きたかった事を聞く事にした。


「お前らの名前、今の内に聞いとく。オレは夷川清春だ」


「名前で呼ぶとキレるべ。だから、呼んだり弄ったりするのは夷川だけにしとく方がいいべ」


 本当の事だったが、ちょっとイラッとしたのでその横っ面を加減せず手刀で突いてやる。意外と痛かったらしく、目立たないよう小声で反論する由々式とオレのバカなやり取りを二人もホッとしたような顔で笑って見ていた。


「俺は皆元だ。あまり器用な方でも、気が長い方でもなくてな……迷惑かけるかもしれんが、まあ適当に頼む」


 大きい方、皆元の言葉に由々式はすかさず、


「大丈夫だべ、酷い短気が同室に居るからのぅ。そんな心配は無用だべ」


オレを視線で指しながらそう言う。あまり騒ぐと食堂に残っている二年に絡まれそうだから、今は黙っているが、一度こいつの中のオレの評価を改めさせるべきだなと、心の中で固く誓った。


「あ、の……えーっと、ぼ、ぼくは、狭間夕凪と、い、言います。よろ、しく、よろしくお願いします」


 小さい方はつっかえつっかえだがそう言い切り、自分の中の力を使い切ったとばかりに脱力すると、小さい体をさらに小さく縮ませた。


 皆元と狭間、あと由々式もだが、同室の奴はみんな気の良い奴らのようで安心した。未成年に見えないオッサンみたいな奴らや、スバルみたいな自分の逆鱗を投げつけてくるような奴が一緒じゃなくて心底よかったと思う。


 オレたちが密かに自己紹介を終えると、大半の生徒が出て行った食堂に、ドスドスと無遠慮な足音が響いた。おそらく、スバルを引き取りに行った執事モドキが大急ぎで旦那様の元へと帰ってきたのだろう。寮長といけ好かない男が、話を切り上げてそちらへと顔を向けると事務的な表情が、一気に道端のゲロでも見るような蔑んだものに取って代わる。その原因がオレたちの視界に飛び込んできて、どういう状況か分からず、視線一つで咎められる事も忘れ思わず二度見してしまう。


「山野辺雫、ただいま戻りました。三年寮に無断で侵入していた春日野遼一を捕縛し、反省室にて待機させています。旦那様、ご指示をお願い致します」


 旦那様である寮長の目線に合わせているらしく、車椅子の前で執事モドキは膝をつくと恭しく頭を垂れた。この芝居がかった動作も、もちろん目を引くと言えば引くのだが、それ以上に気になるのは執事モドキの格好だった。


 食堂を出る前は、サイズの合っていない服に無理矢理屈強な体をねじ込んだ、執事のコスプレをしたレスラーにしか見えなかったが、一応執事の名に恥じない清潔感のある姿が印象的だった。


 それが見るも無惨な有様になっている。何度地面に転がったのか、表も裏も見事に薄汚れ、整髪料で整えられていた髪もボサボサ。明らかに殴られた痕と分かる右頬は腫れ上がり、額には即席の止血だろう赤く染まった白い布がきつく巻かれている。動いた拍子に破れたのか、肩口は裂け、ついでに脇の下辺りも豪快に解れていた。そのくせ本人は、まるでダメージを感じていないような態度で、見ている側からすれば非常に混乱した。


「坊ちゃんの前で、よくそんな醜態を晒せるね。呆れるのなんて軽く通り越して尊敬に値するよ、雫」


 絶句したまま何かに耐えるような表情をする寮長を横目に、いけ好かない男が吐き捨てるように言った。その言葉に一瞬で頭に血が昇ったのか、執事モドキは怒りで耳まで紅潮させ、威嚇するように大きな足音を立てながら立ち上がる。


「お前に言われる事など、何もないわ! 裏切り者のお前には、坊ちゃんの事を慮る事まかり成らぬ」


「お前がこんなだから、ボクがわざわざ出向いてやってるんじゃないか。ちょっとは反省ってものをしたら? お前のやらかしたヘマの数だけ、坊ちゃんが恥を掻く事をいい加減に覚えられないの?」


「旦那様の直々のご指示を受けておきながら、ヘマをするなど考えられん! どこを見て、そんな適当な事を言うのだ! 旦那様、このような者の言葉をお耳に入れてはなりません。雫は見事、ご指示を達成して帰還致しました」


「お前が坊ちゃんに話しかける度に坊ちゃんの顔に泥を塗ってるんだよ! そうやって関係性を周囲に暴露され続けて、どれだけお心が荒んでおられる事か」


 噛み合っているのか、いないのか、二人の口論はどんどんエスカレートしている。加速していく罵倒の応酬が、掴み合いのケンカになるのも秒読みという段になって、ようやく唯一介入できそうな寮長が口を開いた。


「結果だけでなく、過程もすべて隠さず報告しろ、雫」


 旦那様の直々のご指示を受けて、罵倒合戦は収束するが、明らかに執事モドキの様子はおかしくなっていた。言葉を濁しながら、辺りをキョロキョロと忙しなく視線を巡らせ、必死で何か言い訳めいたものを考え中なのは、オレたちから見ても明白だった。執事モドキの怪我は、スバルがやらかしたのだろうか? もしそうなら、一年相手に手こずった事を隠したいのかもしれないな。まあ、どう隠せているつもりかは分からないが。


「い、いかん! そろそろ夕食の準備を始めなければ。えーと、そこの一年が当番か? 早速、始めるか」


 明らかに誤魔化せていないと注意したくなった。と言うか、こっちを巻き込むな。自分を尋問する二人から距離を取りたいのだろう、席に座ったままのオレたちの元へと執事モドキがやって来ると、こちらの顔を一人一人見渡し、オレに視線をやるなりクワッと目を見開いていきなり迫ってきた。


「貴様ぁ! その血は何事だ!」


 どうやら手元の血まみれのハンカチと、拭っただけの鼻の下を見て、叫ばれているらしい。その言葉をそっくりそのままお前に返してやりたい。心の中の声が聞こえてしまったのか、いきなり執事モドキに両肩を掴まれ、軽々と椅子から持ち上げられてしまった。自分が猫にでもなったかのような錯覚に陥るが、万力のように指が食い込む肩に広がる痛みは、自分の体重の負荷もあって相当なものだった。


 ずいっと近づけられる顔は真剣そのもので、やや寄り目がちになっている事にも本人は気付いていない。とにかく掴まれた手から逃れようと、必死にもがいてみたが、虚しいくらいに効果はなかった。


「鼻血、だけか? なぜ、オリエンテーションで鼻血?」


 視線でオレに穴でも開ける気かと思うくらい睨みつけながら、執事モドキは首を傾げる。そして、何か閃いたと言わんばかりにハッとした表情を浮かべ、


「鼻血を噴き出す程に旦那様の演説がすばらしかったと言う事だな。そこまで真剣に耳を傾けるとは、あっぱれだ! なんと感心な一年か!」


見当違いな事を大声で叫んだ。真夏の校庭や体育館で演説をやれば、そりゃあ一人か二人は鼻血も噴くかもしれないが、この状況で外的要因なしに鼻血なんて噴くはずねぇだろが。どんな思考回路してんだ、こいつ。


「そんな訳ないでしょ。どうせ、居眠りでもして勢い余って机に顔でも打ち付けたんじゃないの?」


 こっちもこっちでいい性格してんな、マジで。あの苛つくにやけ面が、執事モドキの解答に即ペケを入れる。


「旦那様のお言葉を子守唄にするとは、なんと無礼な一年か!」


 お前の頭に疑うというフィルターはないのか。裏切り者と罵った相手の言葉を鵜呑みにするなと言いたかったが、何を言っても「一年が悪い」という結論になりそうで、身動きが取れなかった。そんなやり取りが、再び二人の罵り合いに取って代わろうとした時、静かに車椅子が近づいて来るのが見えた。


「僕の言葉を理解出来ていないのか、雫。三年寮に迷惑をかけた一年をどうやって回収してきたのか、僕はそれを聞いているだけだが、どうして答えない? 都合の悪い事でもあるのか」


 特別声の調子が変わったようには感じないのに、その声は明らかに怒気が含まれていた。たった数分程度の付き合いのオレが感じるくらい、明らかな怒りを向けられて、執事モドキの頬はヒクヒクと痙攣を始め、万力のようだった手はゆるまり靴底がやっと地面に付いた。


 執事モドキは、額に冷や汗を浮かせ、ようやく誤魔化しきれないと悟ったのか、グッと目を瞑る。唇を噛みしめ、泣き出しそうな顔になるや、勢い良く振り向き、文字通り寮長に平伏した。


「申し訳ございません! 春日野を捕まえるのに難儀しまして、それを見かねた者に手を出される不始末をしでかしました。この雫、事もあろうに憎き怨敵である金城に、手をか、かり……借りてしまいました!」


 男泣きを始める執事モドキに対して、二年の二人は平然としていたが、一年のオレたちは展開に付いて行けず、どんな顔をして居合わせたらいいのか分からなくて互いの顔を盗み見ていた。


「そうか、金城先輩に迷惑をかけたのか……雫、迷惑をかけたのは、その春日野という一年だけなんだろうな」


 寮長のその言葉に、地面に丸まろうと小さくは見えない執事モドキの嗚咽で震えていた背中が、一瞬で静止した。そして、蚊の鳴くような小さな「はい」という声を上げる。


「僕はお前が誰とも知れぬ、ましてや今日ここに来たばかりの一年に遅れを取るとは思っていない。捕まえるのに手こずろうと、返り討ちに遭うなんて事は考えられないよ」


 穏やかな声は駄目押しとばかりに「お前のその頼もしさは僕の自慢だ」と、きっと旦那様に心酔している執事モドキにとっては甘美な響きを持つ言葉を口にした。投げられた餌に飛びつくように顔を上げた執事モドキは、言葉の温かさとは裏腹な絶対零度な表情を浮かべた寮長と対面する。


「だからこそ、お前がそこまで塵屑のような有様になる事態を招ける相手は、一人しか思い浮かばないんだよ」


 そう淡々と告げた後、寮長は再び穏やかな声で同じ問いかけをした。 


「本当に金城先輩に迷惑をかけたのはその一年だけ……なんだな」


 横で黙って見ていたいけ好かない男が、心底呆れた顔で溜め息を吐く。


「ボクが行きましょうか、坊ちゃん」


「いや、僕が行こう。操は雫を医務室へ連れて行ってくれ」


 沈黙を答えとして受け取ったらしい二人の会話に、執事モドキは焦って口を挟む。


「金城の元に坊ちゃんお一人でなど行かせられません! この雫の不始末です、詫びならこの雫一人で十分です!」


 立ち上がって車椅子の前に通せんぼする執事モドキだったが、


「今のお前は見苦しい。僕の前に立つな」


寮長は突き放したような言葉で、その肉の壁を易々と突破して食堂を出て行ってしまった。


「ほら、行くよ。もうめんどくさいなぁ……医務室にお前を放り込んだら、ボクが坊ちゃんの後を追いかけてやるから」


 いけ好かない男がそう言うと、火が入ったように執事モドキはそいつを肩に担ぎ物凄い勢いで走り出した。男の悲鳴と椅子や机をなぎ倒す音を聞きながら、オレたちはようやく妙な緊張感から解放されたのだった。

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